人の死や西瓜の皮を鯉つつく 小澤實 

所収:『砧』1986年 牧羊社

後藤比奈夫氏、伊藤敬子氏、鍵和田ゆう子氏と訃報が続くと、さすがに21歳といえども死というものがそこそこ身近に感じられる。若いくせに何をと言う声に関しては、それは確かに俳句の世界の先輩方諸氏に比べれば、老いや死というものに対して何も差し迫って考えていないのは事実であって、それはその通りではある。

がそれでも、例えば田中裕明のことを調べていたりするときに、ふと思うのはそういうこと、つまり死の問題なのであって、その作家の句業が死というものによって断然し、それ以後その作家が一句も発表しなくなる、というのは悲しいというよりも不思議な気持ちになる。

それはあまりにも理不尽なことのように感じるけれど、それがまるで運命であるかのように死へその人自身の句業を収斂させていったように思われてならない田中裕明のような作家の場合は、その理不尽さすらどうも思われない。そういう物語に乗ることは、ぼくにはどうにも不誠実だと思われるけれど、いざ自分が死というものに直面しなければならなくなったときに、では物語を拒むことが出来るのだろうか。

memento mori、死というものが逆説的ではあるが生の哲学のスタートとなるように、死というものは人に思考を促す。掲句、人の死を思いつつ、主体は西瓜の皮をつつく鯉をぼんやりと見る。誰が池に西瓜の皮を捨てたのかはわからぬ。あるいは自分が捨てたものなのかもしれない。西瓜の皮は小舟のように水面に浮かぶ。鯉がつつくたびにゆらゆらと揺れる。その様子は、自分がこの世でふらふらと漂いながら生きている様子に重ね合わされているのかもしれない。やがて沈むであろう西瓜の皮を見ながら、物思いにふける。肌の汗が引いたことに涼しくなったことを思えば、もう暮れどきである。

記:柳元

白扇のゆゑの翳りを広げたり 上田五千石

所収:『琥珀』角川書店 1992

 述べるところはシンプルで、扇の白い紙の折り目(という表現は適切だろうか?)の山と谷のなす影に着目している。薄い翳りに着目した後に「広げたり」と扇全体をイメージさせる語で1句を締めることで、扇の白さやそこから連想される涼しさが引き立つ1句。
 上田五千石は「眼前直覚」という理論を唱えた。この思想の初期では、外を歩き目の前のものを書くことを主眼においていたが後に、心を空にして自身も一体化するかのように物事を見ることが大事だというように変わった。「これ以上澄みなば水の傷つかむ」などはまさに自身の感覚が反映された1句であろう。
 掲句は、「眼前直覚」の思想が成熟した後の句でありながら、「ゆゑ」など直接的な語を用いて眼前のものをただ詠む初期に近い句風と言える。

参考:『上田五千五句私論』松尾隆信著 東京四季出版 2017

記:吉川

朝顔にありがとうを云う朝であった。 大本義幸

所収:『硝子器に春の影みち』沖積舎 2008

 当書には〈八月の広島に入る。声を冷やして、ね〉、〈海をてらす雷よくるしめ少年はいつもそう〉など自由律作品に佳句が見られる。攝津幸彦と比べて読むと多くの共通点があり、そこから拡げて読む分析はまたいつかするとして、今回は、掲句は何に「ありがとう」と言っているのかということについて、水と樹と人の関係から考えていきたい。(以下引用はすべて『硝子器に春の影みち』より)

①水・樹・人の連関

 樹と水と人、この三つが関わっている句が、大本には頻出している。

  そは父か背後で水がゆれている
  寒の雨くらき臍へとあつまりぬ

 水の気配がしている。背後の水、臍にあつまる雨。次のような句では、わたし自身に直接水を繋げている。

  河の名もわが名も消えていつかのどこか
  水の流れがどこかで消えるわが生も
  わたくしとは雨に濡れた三和土である

 名や流れが共に消えることから、人生を水流に映し見ていることが分かる。これ自体は変わった発想ではないが、どちらも「どこか」と分からない未来について場所で暈かしている点は気になる箇所である。三句目の「雨に濡れた三和土」は、後に挙げる人と樹の関係にもつながってくるが、雨に濡れ、雨が染みこんだ三和土のその状態に自身を重ね見ている。血管や水分をその中に巡らせている身体をそこに見たのだろう。

  鐘が鳴ったら降りてゆけ星は泥へ水は樹を
  樹を見ていた水の流れを見るように

 水は樹との連関を以て何度も描かれる。「水は樹を」降りてゆく。この「を」によって、樹の中を脈々と降りて行こうとする水が見えてくる。表面に伝うのではなく、内部を進行しているような。「水の流れを見るように」樹を見る。水の流れを見るということは、その動いているものを視線は追っている。樹はただ立っているだけであるから、本来は視線が動くことはそれほどないだろう。つまり、「ように」とは言いつつ、本当に樹の中の水を追っているのではないだろうか(ぼーっと見ているようにも考えれるが、それなら「川を見るように」などで良い。わざわざ「流れ」が出されていることから、視線の動きを感じる)。
 水に人を重ねみて、樹に水を感じる。そして当然の流れで、人と樹を水を通じて繋げて見る。

  樹と竝てば肋骨に水が流れているね。
  水の衣を脱ぐと樹になるのだとあなたは。
 ときに群衆のなか樹を胎す娘たち

 肋骨(あばら)に水が流れている。先ほどは「水の流れを見るように」樹を見ていた。樹と並び立つことで、樹の水の流れと、自身の身体の中の肋骨で水が流れているのを感じる。樹と自分が、水を通じて相似になっている感覚。この水が無ければ、「樹になるのだ」とあなたは言うが、むしろ水があることで樹になれるのだと言っているのではないか。三句目では「樹を胎す娘」と、樹と人間を過度に同化させている。

 これらの句の表現から分かるのは、何かと何かの共通点から、それらを繋げようとする視線が強いことである。樹と人は、水を介してそれが行われた。これは結局、比喩、ということではあるが、「繋げる」という意識が特に強いように思う。(たとえば「彼は花のように美しい」と言ったとして、「美しい」を共通点として美しい彼と美しい花が同じ台に上げられる。しかしこれは彼=花を推し進めるものではない……)

②透視

 共通点から繋げる、という表現は、その共通点を見つけるところから出発する。これは、透視そのものであると思う。

  樹のこえ葉のこえアスファルトに屈めば親し
  とはいえふきあれる樹の土に屈むも

 樹を透視しようとして屈んでいる様子、というふうに思える。

  蘭の店過ぎるとき君の肋骨透く
  水仙の咲く岬、そして畦・畝・産道

 「肋骨透く」。この句だけを見ると何を言っているのかという感じだが、蘭を見て、よく見て、そして君を見たとき、そこに「肋骨」が透けて見えた。ぴたりと、重なったのだろう。「水仙の咲く岬」、ここまでは良いが、「畦・畝・産道」と展開が著しい。通過する道や場所であることが共通点となり、岬から畦や畝に繋がっている。「産道」が急に飛んでいるが、これは水仙という花が影響したのは一目瞭然である。先ほどの樹にも似て、水のイメージが、岬から産道まで屈折させた。

 この透視する主体や視線が、大本に頻出の単語「硝子器」に結びついたのだと私は考えている。

  硝子器に春の影さすような人
  生き急ぐ、硝子器に 風は充ちてよ

 タイトルにも取られた句である。透けて何かを繋げるということそのものが形になったような硝子器。邪魔なものがなく、そのまま繋がり合うのを支える様な物体。〈硝子器に〉について大本はあとがきで「けっして不幸ではないのだが、背筋がぞくぞくとする春のしずかな昼と、いまのこころの状態がよくよく似ているのでこの題をつけた」とある。「影さすような人」が案外アクロバティックな表現だと思われるが、今までの透視を思うと、スムーズに理解できる。

③「ありがとう」の対象

 ここにきてようやく、挙げた句に触れる。

  朝顔にありがとうを云う朝であった。

 朝顔の存在をまるっと飲み込んで、その小さな存在にありがとうと言っている可愛い素敵な朝、というふうに初めは読んだ。それは今もそこまで変わってはいるわけではないが、①、②のことを考えると、どうも朝顔を通して、それ以外のものにも言っているような気持がする。

 最終章である「五章 拾遺・硝子器に春の影みち」において、急に「地球」という語が何度か姿を見せる。

  ある日ふっと”地球”と呼びたし水の星  (「地球」に「テラ」とルビ)
  包とは愛、あいで青き地球をつつめ   (「包」に「パオ」とルビ)

 かなり強くはっきりと表現している句である。ここで地球は「水の星」「青き地球」と表現されている。そしてなんとなく愛すべき存在として描かれている。
 朝顔は、紫やピンクと色があるが、青色もある。そして②に挙げた蘭や水仙の句、ほかに〈人体に冬の桜も来ていたり〉のような句から、花と人との連関も見られ、これは①のように、水を介していたりする。

 ここから、朝顔からその中の水、そしてそこから地球に繋がっているのではないか、と考えている。(若干無理があるようにも思われるし、そんなことは書かれていないし、そう読むのがこの句にとっていい読みであるかどうか考えるとそれほどでもないのかもしれないが、句集を総合するとその視線が窺える)

  ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち。/穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』2001

 突然だが、穂村弘の一首を引く。この歌では、「ハロー」という挨拶が、「夜」から始まり、「カップヌードルの海老」まで到達している。大きなものから小さなものへと。これは、いい意味で、というか、露骨に嘘っぽい。それらを発見して、「ハロー」と本当に言うか(思うか)。海老はまだしも、「夜」に、こんなにもけなげに「ハロー」と言うか。夜に対しての「ハロー」(朝にするはずの挨拶)という面白さと、ささやかな発見と、嘘っぽくも明るい主体、が同居したおしゃれな歌である。(一時期日清カップヌードルのCMに、『AKIRA』の大友克洋の絵に宇多田ヒカルの曲が流れるというものがあったが、あんなふうに……)

 この、底なしに明るいような、全世界への挨拶、的な感覚が、朝顔への「ありがとう」ではないだろうか。朝顔に水を見て、地球を透視し、朝顔を通して水の世界へ感謝をする。そしてそれらは、その視線のなかで繋げられていくため(①参照)、自分の人生についても、ありがとうと言っているように感じられる。生きてきたことへの大きい肯定や、人生を行えた場への感謝。もしかしたら、朝顔に自身を重ねて、自分自身へ(人生の長い時間を含め、)言っているのかもしれない。「ありがとうを」の、「と」ではなく「を」である点も、ただ言っているだけでなく、とにかく私はこれが伝えたいのだという強い意識を感じ、朝顔の向こうを濃く感じさせる。
 何への「ありがとう」なのか、その読みの一つとして、地球やこの世界への開けた感謝を挙げておきたい。

補足:掲句は拾遺の章に入っているが、これより前に〈朝顔にありがとうを云う朝もあった〉の形で記載されている。「も」が「で」になり、句読点が追加されている。一回きりの場面になること、その場面に集中すること(「も」だと他の朝が普通で、こうなるのはまれだ、ということになる)、「。」でしみじみとその朝が余韻をもって広がっていくことから、私は圧倒的に改変後が好みである。

記:丸田

ひきだしに剃刀くもる旱り星 飴山實

所収:『少長集』(自然社 1971)

勝手にジュブナイル精神の句として、他の句と頭のなかでまとめている、つまり「十五の夜」である。十五歳はひきだしに物を隠したりする。親きょうだいに見られたくない物を学習机のひきだしに入れて、ときおり取りだして眺めたりする。隠した物はなにか、掲句では剃刀である。なんとも不気味だ、そして曇っている。十五の心の陰影をうつしたかのようにくもり、剃刀はひきだしの暗闇で佇んでいる。

なんといっても極めつけは旱り星だろう。この季語の斡旋は十五の焦燥感を引き出しているように思う。天にぽつりと赤い星がある。炎天つづきで渇ききったそれは、十五の心のように孤独かもしれない。赤い星は動かずにじっと僕を見ているかもしれない。引き寄せられていく心、ちょっとの震動で崩れそうになる心。

ところで、飴山實は社会性俳句の中心であった「風」に所属したのち、五年間の中断を経て、ふたたび作句をはじめる。そのとき芝不器男の句に触発された事は、よく知られているだろう。その芝不器男には「研ぎ上げて干す鉞や雪解宿」の句がある。これは心理の危うさで一脈通じていそうだ。また、飴山實に私淑した長谷川櫂には「研ぎあげて包丁黒し秋の空」がある。刃物はよく切れる。

                                    記 平野

かの世より飛び来たる矢にいなびかり 野見山朱鳥

所収:『野見山朱鳥全句集』内『愁絶』より 1971 牧羊社

思うことに、かの世より飛び来たる矢というのは果たして幻ではない。否、それは間違いなく幻ではあろう。かの世より矢など飛び来るはずもない。それはどんな矢であろうと、うつつの世で質量を伴うはずはないのである。飛びざまこそ美しくとも所詮幻想の矢に過ぎぬ。いなびかりと幾ら重ね合わせようともそれは幻であって、朱鳥が言語遊戯的に見出した修辞に過ぎない。

しかしそれは朱鳥も承知のこと。朱鳥が筆をとり一句をしたためるとき、虚構がリアリティを帯びる。矢は美しく枝分かれしつ放物線を描き、地上を轟かす。風を鳴らし立てながらわたくしの眼前を通っていく。いなびかりが矢を一瞬光の照らすところとする。いやいなびかりそのものが矢なのだ。照らすのもいなびかり、照らされるのもいなびかり。あらわになる幻の矢の影かたち。そしてそのとき、矢が風を切る音をぼくたちは確かに聞くだろう。虚構のなかのリアリティというものに近代俳句が名を付けたところが写生であったということをぼくらは思い出さねばならない。

果たして朱鳥は写生の作家だったのだろうか。上記の理由でなら、ぼくはそれを首肯したい。それは朱鳥の生涯と決して未分化ではない。戦後俳壇に彗星のごとく現れ、虚子をして「茅舎を失ひ今は朱鳥を得た」と言わしめた書き手でありながら、病床に伏し、空想の中で激烈な句を記した。そういう人物像に鑑みたとき、ぼくは写生という言葉が似合う俳人はむしろ高浜虚子より、高野素十より、同時代の波多野爽波より、野見山朱鳥だと思う、というのは言い過ぎだろうか。

記:柳元

小鳥来て湖に雨続きけり 阪西敦子

所収:『俳コレ』邑書林 2011

 「小鳥来る」は秋の季語。さっぱりとした読後感のある1句。
 「小鳥来る」は字面や、歳時記で引けば『白髪の乾く早さよ小鳥来る』(飯島晴子)などがでることから分かるように、日差しの明るさなどをイメージさせる季語であり、それに「雨」を配したことに意外性がある。
 句の内容はシンプルで静けさに満ちていて、静物画を見ている気分になる。が、小鳥という小さなモチーフから、「湖」(場所)、「雨」(空間)、「続きけり」(時間)、と語を順に連ねることで、どんどんとイメージを広げていく句の構成は非常にダイナミック。

記:吉川

ひかる絃肺胞がひらきゆく海霧 宮本佳世乃

所収:『三〇一号室』港の人 2019

 宮本の第一句集『鳥飛ぶ仕組み』(現代俳句協会、2012)では、〈ひまはりのこはいところを切り捨てる〉、〈ともだちの流れてこないプールかな〉、〈鍵さして抜いて涼しくなる準備〉など、すらすらと流れていくような言葉のリズムと雰囲気に、一歩不思議な視点や発想が加わって、涼しげで独特な手ざわりの句群が光る句集になっていたと思う。

 第二句集『三〇一号室』では、第一句集の傾向も残してはいながら、より古くからの「俳句っぽさ」(型、のようなもの)が色を濃くしており、私としてはやや窮屈そうに見える句が多くあった。ただその中で掲句は、言葉の雰囲気、流れ、発想ともに美しく、ひろびろとしており、第二句集の中では特に一押しの句になった。

 実際の景は想像しにくい。光っている絃。肺胞が、海霧をひらいていく。肺胞は酸素と二酸化炭素を交換する場所であり、体内に数億個存在する。海霧のなかで呼吸しているのだろうか。
「肺胞がひらきゆく海霧」は、体のなかの肺胞の内部で起こっている微小なことなのか、肺胞を通して今体外へ出されようとしている海霧、のような大きい運動に目を向けたことなのか、分かり切らない。肺胞という数億の小さい組織に、海霧という大きな現象が繋げられて強引に景を揺り動かす力になっていることは分かる。
「ひかる絃」との繋がり方も分かり切らない。絃を弾こうとするときに息を吸い込んでいるということか。ただ絃がそこに在るだけなのか。

 想像する光景がうまくまとまらない中で、「ひかる」「絃」「肺胞」「ひらきゆく」「海霧」という単語たちの空気感が心地よく伝わってくる。「ひかる」「ひらきゆく」の平仮名の動詞のやわらかさと、「肺胞」や「海霧」という漢字の硬そうな熟語の格好良さがうまく絡み合って存在している。「ひかる」「肺胞」「ひらきゆく」のハ行の音も空間を和らげている。分からないが、見ているだけで伝わってくる絶妙な感覚。
 これは良い味わい方ではないのかもしれないが、絃や肺胞や海霧が一句に同居している、同時にそこに居合わせたからこうならずにはいられなかった、というような句である気がして、その偶然の共振というか、句(世界)の緊張・弛緩を見ているだけで満たされていってしまう。夏の静かな空気感と句の語の雰囲気にただ圧倒されてしまう。

 あるときには自分が絃を弾いているような気持ちになり、あるときは空中に絃が浮かんでいるのを幻視しているような気持ちにもなる。

 私は、この見るたびに姿を変えてしまうような、眩しくどこか不安定な句に惹かれている。『三〇一号室』には、他に〈キツネノカミソリ金網の向こうは水〉〈風光る丘の話をしてゐたる〉、〈いちめん青麦ひとりひとり浮く〉、〈ブルドーザー中学校のプールに苔〉などがある。

記:丸田

日々明るくて燕に子を賜ふ 飯田龍太

所収:『忘音』(牧羊社 1968)

 コロナ禍の当初より、とどのつまりこういう事なんだなと、ひとりで納得していた。

 まず注意しておきたいことがある。掲句の読みとして「毎日が明るいので燕が子を身ごもった」というように、接続助詞「て」を原因・理由と取り、明るさと妊娠を結びつけることが出来る。しかし、それはいかにもロマンチック・ラブ・イデオロギーであり、一句としての色彩を欠くように、私は思う。

 日々が明るいこと。燕が身ごもったこと。この二つの事象はまったく別の〈自然〉の事実として存在し、そこに関連を見出すことは、人の意志の操作である。その意志の操作を掲句は寄せつけない。

 日々が明るい、結構なことである。明るいとは感度であって、幸福につながる。しかし幸福とはせず、外が明るいと事実を差し出す。明るさは所与のところであり、心の状態で多少の差はあれども、受動的に感じるより他はない。

 そして「賜ふ」と、敬意が表されている。子は天からの授かりものだから、神様ありがとう。などの世にあふれた考え方ではなく、もっと懐はふかくあるのではないだろうか。畏敬と既成の熟語を利用してしまえばそれまで、読みから大切な部分を見失っている気もするが、要するに〈文化〉より以前の〈自然〉に対しておののく、これは受身な態度になるのも仕方がない。

 他でもなく、この二つの事実を並べたところに、龍太の操作は当然あるだろう。また、ここまで述べたような効果を狙っていた様子も感じる。ただしその操作は決して、因果関係で繋げさせるためではなく、二つの事実に通底する〈自然〉の大きさを、読み手に意識させるためである。そしてこの鑑賞もまた、私の意識の操作である点で野暮に違いない。一句は一句として受け止めるべきである。

記︰平野

                                    

虹を懸け時が到ればまた外す 山口誓子

所収:『和服』1955 角川書店

地球という星があり続けるに当たって不必要としか思えない現象が幾つかあって、虹という現象もその一つだと思う。

虹は、どことなく他の自然現象とは異質で、特別な感じがする。単純にその色遣いの豊富さであるとか、天に架かるはるけさに心打たれるのかもしれない。時たま現れる神秘性もまたその感覚を強めるのだろう。

世界各国、様々な民族が虹に対する神話なり俗説を持っていると思われ、虹の根元には財宝が埋まっているという言説しかり、虹を蛇とみなす神話類型しかり、文化人類学的にも非常に考察のしがいのある代物となっている。

さて、山口誓子の句においては、神とでも言うしかないものが虹を懸け、そして暫くすればまた外すのだ、という。機知を感じさせる把握で鼻につかないわけではないけれども、もし神がそういった気まぐれで虹の架け外しを行っていると考えれば何処となく可笑しい。もう少し他にやることがあるのではないか。

記:柳元

暮れまぎれゆくつばくらと法隆寺 加藤楸邨

所収:『加藤楸邨句集』(岩波 2012)

俳句を始めたころに好きだった一句、もちろんいま見てもよい句だと思うのだが、勘どころに多少の変動がある。というのも以前はその空間、つまり薄明るい背景に一点の黒として燕が紛れていく姿。そして滲むような暮色に浮かびあがる、法隆寺の屹然とした縦の存在感、と一枚絵の美しさに惹かれていたのだ。

ところが現在は句の丈にながれる時間の長さ、もしくは多重さに心惹かれる。それは燕から渡り鳥として、眼前に至るまでの来歴の想像が膨らみ、法隆寺は世界最古の木造建築と言われるように、その歴史としての厚みは言うまでもないだろう。そして掲句のような景色はこれまで幾度も、繰りかえし現われては消えて、現われては消えて。反復しながら現在まで失われることはなかった、それは翻って無常である。

時間と空間が織りなす網目を自分たちは生きていて、その一瞬を切り取ることだって可能なのだ。そしてその網目のなかに居てこそ、景色は景観ではなく豊かさをもって現われてくるに違いない。

                                    記 平野