ひかる絃肺胞がひらきゆく海霧 宮本佳世乃

所収:『三〇一号室』港の人 2019

 宮本の第一句集『鳥飛ぶ仕組み』(現代俳句協会、2012)では、〈ひまはりのこはいところを切り捨てる〉、〈ともだちの流れてこないプールかな〉、〈鍵さして抜いて涼しくなる準備〉など、すらすらと流れていくような言葉のリズムと雰囲気に、一歩不思議な視点や発想が加わって、涼しげで独特な手ざわりの句群が光る句集になっていたと思う。

 第二句集『三〇一号室』では、第一句集の傾向も残してはいながら、より古くからの「俳句っぽさ」(型、のようなもの)が色を濃くしており、私としてはやや窮屈そうに見える句が多くあった。ただその中で掲句は、言葉の雰囲気、流れ、発想ともに美しく、ひろびろとしており、第二句集の中では特に一押しの句になった。

 実際の景は想像しにくい。光っている絃。肺胞が、海霧をひらいていく。肺胞は酸素と二酸化炭素を交換する場所であり、体内に数億個存在する。海霧のなかで呼吸しているのだろうか。
「肺胞がひらきゆく海霧」は、体のなかの肺胞の内部で起こっている微小なことなのか、肺胞を通して今体外へ出されようとしている海霧、のような大きい運動に目を向けたことなのか、分かり切らない。肺胞という数億の小さい組織に、海霧という大きな現象が繋げられて強引に景を揺り動かす力になっていることは分かる。
「ひかる絃」との繋がり方も分かり切らない。絃を弾こうとするときに息を吸い込んでいるということか。ただ絃がそこに在るだけなのか。

 想像する光景がうまくまとまらない中で、「ひかる」「絃」「肺胞」「ひらきゆく」「海霧」という単語たちの空気感が心地よく伝わってくる。「ひかる」「ひらきゆく」の平仮名の動詞のやわらかさと、「肺胞」や「海霧」という漢字の硬そうな熟語の格好良さがうまく絡み合って存在している。「ひかる」「肺胞」「ひらきゆく」のハ行の音も空間を和らげている。分からないが、見ているだけで伝わってくる絶妙な感覚。
 これは良い味わい方ではないのかもしれないが、絃や肺胞や海霧が一句に同居している、同時にそこに居合わせたからこうならずにはいられなかった、というような句である気がして、その偶然の共振というか、句(世界)の緊張・弛緩を見ているだけで満たされていってしまう。夏の静かな空気感と句の語の雰囲気にただ圧倒されてしまう。

 あるときには自分が絃を弾いているような気持ちになり、あるときは空中に絃が浮かんでいるのを幻視しているような気持ちにもなる。

 私は、この見るたびに姿を変えてしまうような、眩しくどこか不安定な句に惹かれている。『三〇一号室』には、他に〈キツネノカミソリ金網の向こうは水〉〈風光る丘の話をしてゐたる〉、〈いちめん青麦ひとりひとり浮く〉、〈ブルドーザー中学校のプールに苔〉などがある。

記:丸田

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