かの世より飛び来たる矢にいなびかり 野見山朱鳥

所収:『野見山朱鳥全句集』内『愁絶』より 1971 牧羊社

思うことに、かの世より飛び来たる矢というのは果たして幻ではない。否、それは間違いなく幻ではあろう。かの世より矢など飛び来るはずもない。それはどんな矢であろうと、うつつの世で質量を伴うはずはないのである。飛びざまこそ美しくとも所詮幻想の矢に過ぎぬ。いなびかりと幾ら重ね合わせようともそれは幻であって、朱鳥が言語遊戯的に見出した修辞に過ぎない。

しかしそれは朱鳥も承知のこと。朱鳥が筆をとり一句をしたためるとき、虚構がリアリティを帯びる。矢は美しく枝分かれしつ放物線を描き、地上を轟かす。風を鳴らし立てながらわたくしの眼前を通っていく。いなびかりが矢を一瞬光の照らすところとする。いやいなびかりそのものが矢なのだ。照らすのもいなびかり、照らされるのもいなびかり。あらわになる幻の矢の影かたち。そしてそのとき、矢が風を切る音をぼくたちは確かに聞くだろう。虚構のなかのリアリティというものに近代俳句が名を付けたところが写生であったということをぼくらは思い出さねばならない。

果たして朱鳥は写生の作家だったのだろうか。上記の理由でなら、ぼくはそれを首肯したい。それは朱鳥の生涯と決して未分化ではない。戦後俳壇に彗星のごとく現れ、虚子をして「茅舎を失ひ今は朱鳥を得た」と言わしめた書き手でありながら、病床に伏し、空想の中で激烈な句を記した。そういう人物像に鑑みたとき、ぼくは写生という言葉が似合う俳人はむしろ高浜虚子より、高野素十より、同時代の波多野爽波より、野見山朱鳥だと思う、というのは言い過ぎだろうか。

記:柳元

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