どのような闘いかたも胸張らせてくれず闘うたたかうだなんて 平井弘

所収:『前線』1976年 国文社

「闘う」というのは何だろう。いったいぼくは闘ったことがあるのだろうか。平成10年生まれ、1998年生まれの面子でこのブログは回しているけれども、たぶんぼくたちには「闘う」という言葉はそぐわない。「闘っ」たことがない。そりゃあ多少なりとも努力したこともあるし、人より幾ばくか少ないにせよ、汗や涙も流したことはある。

それでもやはりそれらの行為を「闘う」という言葉で言い止めるのはなんだか変な感じがする。そしてそれらはぼくたち4人から抽出したことというよりも、もっと世代論的な枠組みを与えてもよいと思うもので、シラケ世代とかさまざまな世代を経た結果、「闘う」という言葉はもう今の時代において空虚さすら言い留めないものになっていて、もう完全に記号の海の中で、他の言葉とさしたる差異もないまま、別に気恥ずかしさも感じずに使える言葉になっている気がする。

まあ文脈が唐突だろうと言われればそうなのかもしれないけれど、例えば顕著な例としては、テクノポップユニット・Pefumeの8thシングルの「Dream Fighter」(作詞は中田ヤスタカ)の歌詞を見てみてもよいだろう。

最高を求めて 
終わりのない旅をするのは
きっと 僕らが 
生きている証拠だから
oh! YEH! 
現実に打ちのめされ倒れそうになっても
きっと 前を見て歩くDream Fighter

「Dream Fighter」Pefume 2008

最高を求めて終わりのない旅をする」なんていうのは、マックス・ヴェーバーを引くまでもなく資本主義の倫理そのものであり、その文脈の中で、つまり資本主義的なエスタブリッシュメントへの積極的な参与それこそが「Fight」になっている。しかし、本来というか、少なくとも1960年代においては、「闘う」というのは、資本主義的なものや、既製の権威を打倒することこそが「Fight」であったはずであるから、中田ヤスタカの歌詞においては左翼的な「Fight」が簒奪されているのである(むしろ、だからこそ時代を捉えているのですごいのだ)。

そして、浅間山荘事件などが顕著であったけれども、結局全世界的に学生運動が自重によって潰れてしまい、「闘う」なんてことはもう真面目に考える人が居なくなって、むしろ「闘う」仕草をどれほど軽妙に避けるか、しらけるか、醒めるか、こそが大事になってゆくーーそういう時代への入りはじめの歌として、〈どのような闘いかたも胸張らせてくれず闘うたたかうだなんて〉は、読まれても良いのではないだろうか。もはやどんなイデオロギーも胸を張らせてくれはしない。連帯としての闘いは終縁を迎え、個人の為の闘いしか成立しなくなる。そして、平井弘の歌中の主体は、おそらく個人の為の闘いの仕方を知らないからこそ、このように狼狽るのである。

平井弘は

男の子なるやさしさは紛れなくかしてごらんぼくが殺してあげる 

『顔をあげる』より

などで知られる1936年生まれの歌人。俵万智や加藤治郎ら口語の歌人への影響を穂村弘は指摘している。

記:柳元

わあわあと/みあげている/ありあまる/あおぞらのあおが/おもしろい 早坂類

所収:『早坂類自選歌集』(RANGAI文庫 2019)

『ヘヴンリー・ブルー』中の一首。本来は縦書きだが、近づけて記せば、

  わあわあと
 みあげている
  ありあまる
   あおぞらのあおが
    おもしろい

となっている。(横書きにすると鳥みたいに見える)

 私は浅学のため早坂類について全くといっていいほど知らず、ニューウェーブの世代であることと、『風の吹く日にベランダにいる』の〈かたむいているような気がする国道をしんしんとひとりひとりで歩く〉、〈海からの風みたいだなごうごうと通過電車に吹かれてみんな〉、〈カーテンのすきまから射す光線を手紙かとおもって拾おうとした〉など有名な歌を記憶しているだけだった。そのため、あとがきに書かれているように、口語に徹するようになった経緯や、青木景子名義で詩をやっていたり、吉増剛造選でユリイカの新人になっていたりを知らなかった。
 そのため、この『ヘヴンリー・ブルー』の歌が私の中の早坂類のイメージと全く違っていて、こんなに柔軟で浮遊感のある詩的な作品が多いとはと驚いた。

『現代短歌のニューウェーブとは何か?』(書肆侃侃房、2020)を確認すると、ニューウェーブの揺りかごとしてのインターネットを回顧する内容の文章の中で、歌葉に感化されて応援の意味も込め写真歌集として『ヘヴンリー・ブルー』を出したとある。写真家・入交佐妃と費用を半々で出版したとのこと。
 実際にその歌集が手許にあるわけではないため何とも言えないが、そういう時代の感覚を考えると、納得がいく気もする。

『ヘヴンリー・ブルー』の中では(自選されたものであるので全体は見れていないが)、同じ言葉がバグを起こしたかのように繰り返されるものがいくつかある。

  なにもないすることがなにもない何もないです 前略かしこ
  黒色の落書きは叫ぶ わたしを消してわたしを消してわたしを消して
  こなごなの夏の終りのはじまりの、ひかり、ひかり、ひかり、ひかり、ひかり

 リフレインというよりは、バグったみたいに見える。執拗なほどの繰り返しに詩的な怖さがある。こういうところにインターネットというものを考えると読みやすくなるのかもしれないと思う。
 また、多行作品がいくつか見られる。

  まっすぐにまっすぐにゆけ
            この夏の終りの道を
              たったひとつの

 これはおそらく小野茂樹の〈あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ〉(『羊雲離散』1968)を軽く踏んでいるだろう。ストレートに読めば、歌謡曲のような応援メッセージになる。最後が倒置されて、多行の形を取ることで、「たったひとつの」が、「夏の」だけで引っ張ってこられたかのような感触を産む。夏、といえばあの歌ですよね、みたいな感覚で。よく考えれば、「まっすぐにゆけ」も、表情をこちらに見せることもしないで、というふうに読んでいくこともできるが、言ってみれば雑な、即座に思いだしたかのような「たったひとつの」が面白い。

  疾駆する。
    ブレる。
  無尽蔵の
  背景になる。


          諸々了解。
          諸々OK。

 この一首はページをまるまる使って書かれている。個人的に早坂類の短歌の中で一番好きな歌である。おそらく、何も知らないままで、この歌に出逢っていたらぽかんとしてしまうところだったと思うが、詩を長いことやっている(小説も書かれているが)ことを思うと、スムーズに理解できる。こういう、やわらかい型の使い方、言葉の操り方が出来る人なんだと知れてよかった。
 写真歌集ということに目配せされた一首なのだろう。「無尽蔵の/背景になる。」はパワーがある。先ほどのインターネットのことも思わされる。「諸々了解。/諸々OK。」も、オチとして不思議で、勝手に話が進んで、勝手に合点がいっている主体という妙な置いてけぼり感(にしては不快ではない)がある。先ほど引いた「前略かしこ」もこれに似ている。

 ここで最初に挙げた〈わあわあと〉の話に戻る。こういう、空が「ある」ことの面白さというか、空を見つめ直して感嘆するという作品は俳句・川柳・短歌・詩に山ほどあるだろうし、この歌もそこから大きく抜きん出ているかと言われればそれほどでもない作品だとは思う。ただ、「わあわあと」の入り方の秀逸さと、「みあげている/ありあまる」の展開の仕方、「あおぞらのあおが/おもしろい」という素直な言い方が、ちょうどよく相まって、心地いい巧い作品になっていることは間違いないと思う。

 川田絢音の詩の一節、〈青空に 近い広場で/好きな人を/ひとりずつ 広場に立たせるように思い浮かべて/酢みたいなものが/こみあげた/ここで みんなに 犯されたい〉(「グエル公園」より一部、『ピサ通り』1976)を思いだす。青空には何か、素直な感情を吐露させるような力があるのかもしれない。
 早坂類の短歌を、詩を強めに思いながら読むと新しい発見が幾つもある。また折に触れて歌を鑑賞できればと思う。

記:丸田

畑打や鍬の光のたとへなく 小杉余子

所収:『余子句選』(岩岡書店 1936)

愉楽というか、恍惚とした世界がある。掲句を鑑賞しようとすると、大げさな表現をとるより他なく困る。

土を掘り起こす行為は、作物に命を宿す始まりとしてある。生きるために土を耕し、そして作物から命を頂戴するみたいな話である。自然と一体化した人間という言葉も浮んでくる。

土を耕す道具である鍬が、たとえようもなく光っているという。たとえようもない美しさと景を片付けるのは簡単で、しばしば決まり文句として使われる。しかし真実たとえる術ない美しさに出会ったならば、深く感じ入るより他はなさそうだ。表現しようと試みれば言葉が追いつかず、かえってその美を損なう結果になる。

光の度合いが人知を超越していることを、たとへなくは端的に表すが、陳腐に陥るおそれもある表現である。それが上手く活きている。

光という生の充溢、それを捉えられるだけの心境の深まりを思わせる。あらゆる事象の真実を直感する、といえばさらに胡散臭くなるが、自らの眼を欺かず、純粋な自然とのつき合い方である。またそうしたつき合い方でないと、たとえる術なき美とは出会えないのかもしれない。近年、こうした方面での佳句は少なくなったのではないだろうか。

                                  記 平野

水族館の肥満家族陰惨なマカロニ跳ね 赤尾兜子

所収:『虚像』(『赤尾兜子全句集』より )昭和57年 立風書房

水族館の肥満家族」という語が持つアイロニカルな響きは「見る/見られる」というまなざしの逆転に関係しているように思われる。一面ガラス張りの水槽で構成された水族館というのはもちろん展示された魚や海洋哺乳類を観察するための施設であって、われわれ人間はその場において、いつだってまなざしを投げかける側であった。

しかしながらここでは「肥満家族」はまなざしを投げかけられる側であって、水族館の親子連れは魚を観察する一方、冷徹な観察をもって「肥満家族」と位置付けられる。見ている側のはずがいつの間にか見られる側へと転落しており、まずそこにおいてユーモアがある。そして観察の視線を受け入れたが最後彼らは暗喩となってしまうのである。

暗喩としての「肥満家族」というものが仄めかすものについて正確に語ることは困難ではあるが、この句集は1959年から1965年までという、まだ戦後の気分が濃厚でありながらも高度経済成長期である頃に書かれたということが、気分として充足している感じがする。つまり「肥満家族」というのは、第二次世界大戦の敗戦を忘却しながら、アメリカナイズされつつ経済規模を太らせてゆく日本の姿そのものであり、それに対してぶつけられるイメージの「陰惨なマカロニ跳ね」というグロテスクさは、対米従属する戦後日本に対する兜子のペシミスティックな態度を示すものだったのではないか。

ちなみに兜子が住んでいた神戸にある須磨水族館は、諸説あるものの日本の水族館発祥の地であるらしい。

神戸に着いてもう少し述べると、永田耕衣が近所であったり、金子兜太も神戸に赴任していたり、他にも鈴木六林男、林田紀音夫、堀葦夫、伊丹三樹彦らも関西であって、関西に前衛が割拠していた状況があったことも同時に思い出したい。あの時代こそが、文学青年が俳句に真剣に打ち込める最後の時代だったのではないか、と悲観的に思ってみたりもするが、果たして兜子の鬱にあてられてしまっただけなのだろうか。

記:柳元

現れて消えて祭の何やかや  岸本尚毅

所収:『感謝』ふらんす堂 2009

綿あめや焼きそばなどの立ち並ぶ屋台、浴衣を着て歩く人々、祭り囃子などなど、祭は一晩で全て消えてしまう。
この句が書くのは上記のような当たり前のことだ。しかし、この句が普通のことを書いた句では終わらないのは、「現れて消えて」というフレーズにある。

終わった物事を惜しむ情、というのは俳句においてもよく見られるが、この句は祭が「消えた」ことだけに着目するのでなく、「現れた」ことにも着目する。
「現れて消えて」というように、相反する語が間髪なく連ねられることで奇妙な時間感覚が立ち上がる。祭が現れてから消えるまでに実際は数時間はあるはずだが、この句の上では実際の何倍ものスピードで時間が流れ出す。途端に祭の賑やかさ、熱気、エネルギーが現れ、途端に祭の熱気は消えて、寂しさ、儚さが立ち上がる。

すごいスピードで「現れて消えて」した祭は、もう「何やかや」と言うようなぼんやりとしたイメージしかもたらさない。
夢か奇術を見ていたのか、それとも狐に化かされていたのかという気分になってくる。
まるで朝起きた直後に、夢の輪郭だけ覚えているような不思議な感覚を思い起こす句だ。

と、ここまで奇妙さを強調して書いてみたものの、一瞬で過ぎ去った祭の楽しい時間から一晩明けて、祭の痕跡が一つもない会場の跡地を通った時の違和感は多くの人に共通するものだろう。
不思議ながらも普遍的なことを詠んだ句と表現するべきなのかもしれない。

どんな三角形にも黒猫が似合う 罪あるかぎり 罪あるかぎり 我妻俊樹

所収: 『足の踏み場、象の墓場』(「率10号」誌上歌集 2016)

 三角形と黒猫の語の衝突と、「罪あるかぎり」の繰り返しがおしゃれで強烈。三角形に黒猫が本当に似合うのか? と考えるところから読者は出発する。

 三角形と黒猫と罪。私の浅い知識を辿ると、直ぐに思いつくのは推理小説の、森博嗣『黒猫の三角』。瀬在丸紅子のVシリーズの一作目にあたる。私の中でこの三つの要素は、どうしても推理小説にむずびつく。ミステリ最初期の作品である、ポー『黒猫』も思いだされる。これによって今でも黒猫が登場する推理小説があるが(個人的に一番強烈な黒猫は、麻耶雄嵩『夏と冬の奏鳴曲』)、そういう空気感を「黒猫が似合う」で捉えていると感じた。
 そこで見ていきたいのが「どんな三角形にも」の部分。(三角形といったら黒猫だ、というような親和性の高さやそういう習性があるのであればそれで解決するが)私の中には三角形と黒猫が直通で繋がるものは推理小説しかなく、下の句の展開からもそれが誘導されているようにも思う。そのとき、「推理小説には黒猫が似合う」(またはその逆)はスムーズに通る。そして、海野十三「三角形の恐怖」、内田康夫『不等辺三角形』のようなものを思うと、「推理小説には三角形が似合う」もまあ通るかと思う(綾辻行人『十角館の殺人』のような多角形の雰囲気も加味して)。その中で「三角形には黒猫が似合う」だけは、通らない。森の『黒猫の三角』はあるにしても、「三角形には黒猫が似合う」の一文だけであれば、不明度が高い。

「どんな三角形にも黒猫が似合う」。「黒猫には三角形が似合う」、ならまだ個人の感覚度合いが強いが、「三角形にも」となると倒錯している。それに、「どんな黒猫にも」なら黒猫の多様さが想像できるような気もするが、「どんな三角形にも」と言われると不思議な感覚になる。三角形、と言われて思い描くのは正三角形のようなシンプルなもの(概念というか、イデアというか)で、そこに「どんな~にも」が付くと、頭の中の三角形がぐにゃぐにゃと変形してくる。それに黒猫が似合うと言われれば、混乱が極まる。

「罪あるかぎり」。この一言によって、絶妙なバランスで上の句が存在できたのだと思う。推理小説という言葉を出さずにその風味を醸し出すことで、透明になった「推理小説」が、「三角形」と「黒猫」を繋ぎ、「どんな三角形にも黒猫が似合う」が成り立つことになる。言葉同士の衝突の結果を、既に分かり切っているかのような配置で、ものすごく几帳面で、親切で、でも少しあくどいような主体(引いては作者)が見えてくる。

 ただ、二回目の「罪あるかぎり」は、纏っている空気が違う気がする。念押しのように、本当に「どんな三角形にも黒猫が似合う」のだ! と言いたいのではなくて、もっと不穏なもの……。探偵が、殺人事件が起きた村に入って最初の村人に言われるときの感じ……。もしくは悲痛な事件の解決を迎え、主人公が悲嘆にくれて呟いているような……。

 言葉のバランスや表現にこだわられたスタイリッシュな一首のようにも思うが、同時に、言わざるを得なかった辛さのような余韻もある。平凡な日常のようにも思うし、大きな事件が終わった後の独白のようにも思う。安定しながらも凄く不安定な、魅力的な一首である。

記:丸田

月あらはにきはまる照りや夏柳 富田木歩

所収:『富田木歩全集』(素人社書屋 1935)

これまで多くの人が月に魅了されてきたが、その美しさを感じるポイントは人それぞれである。満月が良いと言う人もいれば、ほっそりとした三日月を愛する人もいる。雲がかかって、それでも収まりきらない月の大きさを褒める人もいるし、雲にうち延べられた月光に眼をとめる人もいる。厚い雲に覆われ、輪郭だけが伝わる月もある。そして掲句のように、視野いっぱいの夜空で皓々と輝く月もある。掲句は「あらはに、きはまる」と描写を重ねることで月の姿に迫っていく。見えすぎている月の照りになんだか吸い寄せられていく気分になる。

富田木歩は1897年に向島で生まれた。幼いころの病から足の自由がきかなくなり、以降生涯を通して歩くことは出来なかった。筆名は木の義足に由来する。歩きたい一心で自作したという。そんな木歩の眼に月はどう映ったのだろう。頭上で照り輝く月を見て、憧れにも似た気持ちになったのではないか。屋根の上にあがることも、月の方角へ歩くことも不可能な木歩である。きっと月に向かって手を伸ばした日もあっただろう。木歩のほかの月を詠んだ句に「背負われて名月拜す垣の外」があるが、ただ中秋の名月を称えている句とは趣きが違う。もっと真剣な、悲しみと言うべき感情が表白されているように思える。こうした様々な苦労のなか、句作に慰安の道を求めたという木歩だったが97年前の九月一日、関東大震災で亡くなる。そのとき木歩、二十六歳だった。

                  記 平野

人間に火星近づく暑さかな 萩原朔太郎

所収:『萩原朔太郎全集 第三巻』

俳句総合誌で髙柳克弘氏が引用しておられて掲句を知ったが、不思議と文人俳句の見えるディレッタンティズム的なゆとりが表れておらず、むしろ、うだるような暑さが、火星接近と嘘の因果付けをされて、われわれに差し迫ってくるような、強い印象がある。

原石鼎に〈火星いたくもゆる宵なり蠅叩〉というほぼ句材を同じにした、よく知られた句があるけれども、掲句においてのみという留保つきで言えば、石鼎のような本業俳人と比べても遜色ないばかりか、身体性との結びつきは朔太郎の方が幾分か上のようにも思えてくる。

しかし少し調べればそれもそのはずで、朔太郎は芥川龍之介や室生犀星の俳句を評して

一体に小説家の詩や俳句には、アマチユアとしてのヂレツタンチズムが濃厚である。彼等は皆、その中では真剣になつて人生と取組み合ひ全力を出しきつて文学と四つ角力をとつてるのに、詩や俳句を作る時は、乙に気取つた他所行きの風流気を出し、小手先の遊び芸として、綺麗事に戯むれてゐるといふ感じがする

だとか、

彼等の俳句には、芭蕉や蕪村の専門俳人に見る如き、真の打ち込んだ文学的格闘がなく、作品の根柢に於けるヒユーマニズムの詩精神が殆んどない。言はばこれ等の人々の俳句は、多く皆「文人の余技」と言ふだけの価値に過ぎず、単に趣味性の好事としか見られないのである。(いずれも「芥川龍之介と室生犀星の俳句」青空文庫より)

と述べているくらい、小説家の余儀としての俳句に関して厳しかった。そのまなざしは当然おのれにも向けられていたはずで、だとすれば朔太郎の俳句がむしろ「ヒユーマニズムの詩精神」を担保していなければおかしいのであった。

しかしながら現在からみるとさすがの朔太郎も打率の方はよろしくなかったようで、彼の句を見る限り全ての句が粒揃いというわけにはいかないけれど、それでも、〈プラタヌの葉は散りはてぬ靴磨き〉〈虹立つや人馬にぎはふ空の上〉といった句には確かにヒューマニズムを信じている人間のみが持ちうる危うさが満ち満ちていて、特に二句目における空中都市の幻視は非常にみるものがあるように思える。文人俳句というくくりで彼を捉えようとしたことを申し訳なく思ってみたりもするのだった。

記:柳元

鵙がをり鵙の論理はきらきらと 加藤楸邨

所収:『まぼろしの鹿』思潮社 1967

 鵙の句で楸邨といえば、〈かなしめば鵙金色の日を負ひ来〉(『寒雷』1939)の方が有名かと思う。三橋敏雄に〈かもめ来よ天金の書をひらくたび〉(『まぼろしの鱶』1966)もあるが、金色と鳥の相性の良さを思わせられる佳句である。

 鵙の様態や習性を見ていて「鵙の論理」という言葉に到着した時点で、おそらくこの句はもうそれで十分なほどの満足がある。残酷にも思える習性に対して、「論理」というシャープで冷えた言葉で仕留められたら、私だったらすっかり満足してしまう。
 この句はそこで留まらない。鵙がいるという状況を最初に提示することで、映像に緊張感が生まれ、「鵙の論理」という内的なものが宙ぶらりんになることなく、今そこにいる鵙に論理がたしかに内在しているのだという説得力と迫力が生まれた。
 そして「きらきらと」。きらきらという言葉は非常にライトで、それだけだと手放しに褒めているような浅さを伴ってしまう(ことが多い)。童謡の「きらきら星」のような形で、幼稚なイメージも若干ある。掲句ではその付帯する幼稚さや軽さのイメージが、邪魔することなく、かえって武器になっている点が魅力になっていると思う。
 ここが例えば「整然と」であった場合、別に悪くはないが、論理が整然としているんだな、ということだけで終わる。「論理」という語もそれほど効いてこない。他に「どろどろと」であった場合、鵙のイメージ通りに終わってしまう。そりゃあどろどろしてるよなあ、と簡単に飲み込まれて終わる。
 そこが「きらきらと」であることによって、鵙のイメージ(恐怖・残酷……)との乖離と、言葉としての「きらきら」の軽さと(論理の)内実の重さの対比が、重なって深みが生まれている。皮肉、のような。「きらきらと」の「と」の残し方も良い。明るいようで暗くもある後味が愉しめる。

 上五の入り方で臨場感を出し、「論理」という言葉で仕留め、「きらきらと」で現実でも言葉の面でも裏を透かして深さを増す。非常に構成が凝っていて、さらっとしているようで読めば読むほど重くかつ眩しく響いてくる、名句だと思う。
 楸邨は動物の句がかなり多く、鵙の句も他に十数句ある。「きらきらと」は皮肉めいた部分だけではなく、鵙への愛着からくる本心の「きらきらと」でもあるのだろうと思う。動物句では真っ先に思いだすお気に入りの一句である。

記:丸田

連衆に足らざる傘や泥鰌鍋 大庭紫逢

所収:『氷室』(1985 牧羊舎)

連歌・連句の席上、酒も入り一騒ぎしたあとで、外へ出ようと傘を探せばどうやら数が足りない。互いを疑う気持ちも起るが、先ほどまで和気あいあいと過ごした仲である。取り立てて騒ぐこともなく、傘へ誘いあって後は小話になるのみ。そうして楽しい時間は終わり、それぞれの帰路につく。

しつこいまでの江戸ぶりだが、それがいきているとも思える。内にながれる和やかな時間と、雨が降っている外との対比。それがちょっとした事件でより明瞭となる。しかし内と外は裂け目がなく、ゆるやかに接続している。それにしても失くなった傘はなんだろう。和傘だろうか、個人的には蝙蝠傘で読みたい気分になる。

                                    記 平野