現れて消えて祭の何やかや  岸本尚毅

所収:『感謝』ふらんす堂 2009

綿あめや焼きそばなどの立ち並ぶ屋台、浴衣を着て歩く人々、祭り囃子などなど、祭は一晩で全て消えてしまう。
この句が書くのは上記のような当たり前のことだ。しかし、この句が普通のことを書いた句では終わらないのは、「現れて消えて」というフレーズにある。

終わった物事を惜しむ情、というのは俳句においてもよく見られるが、この句は祭が「消えた」ことだけに着目するのでなく、「現れた」ことにも着目する。
「現れて消えて」というように、相反する語が間髪なく連ねられることで奇妙な時間感覚が立ち上がる。祭が現れてから消えるまでに実際は数時間はあるはずだが、この句の上では実際の何倍ものスピードで時間が流れ出す。途端に祭の賑やかさ、熱気、エネルギーが現れ、途端に祭の熱気は消えて、寂しさ、儚さが立ち上がる。

すごいスピードで「現れて消えて」した祭は、もう「何やかや」と言うようなぼんやりとしたイメージしかもたらさない。
夢か奇術を見ていたのか、それとも狐に化かされていたのかという気分になってくる。
まるで朝起きた直後に、夢の輪郭だけ覚えているような不思議な感覚を思い起こす句だ。

と、ここまで奇妙さを強調して書いてみたものの、一瞬で過ぎ去った祭の楽しい時間から一晩明けて、祭の痕跡が一つもない会場の跡地を通った時の違和感は多くの人に共通するものだろう。
不思議ながらも普遍的なことを詠んだ句と表現するべきなのかもしれない。

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