前川佐美雄『植物祭』を読む

柳元佑太

前川佐美雄(1903-1990)の第一歌集『植物祭』(1930)は、短歌に流入したモダニズムを確認出来て非常に興味深い。「幻視」の歌人といえば、葛原妙子や山中智恵子、水原紫苑など主に戦後の歌人が思い浮かぶ訳だけれども、元祖・幻視の歌人なる俗な呼称を冠することが許されるならば、それは戦間期における前川佐美雄だと言えるのではないか(このことは、むしろ戦後の反写実的な歌人、葛原たちが行ったことは、第二次世界大戦によって中断されたモダニズムのやり直しの側面もあったのではないかという見取り図を提供してくれるように思うけれども、ひとまず本稿では触れないでおく)。
さて、

胸のうちいちど空にしてあの青き水仙の葉をつめこみてみたし

このように、掲歌において作中の主体が、胸のうちに青き水仙の葉を詰め込んでみたいとたわぶれにのたまうのだけれども、たしかにこのような発想にはシュルレアリスムダダと通ずるような耽美とナンセンスな感覚があるように思える。色彩の感覚の豊かさは、および身体感覚との清らかな接着は、たとえば俳句においては渡辺白泉や富澤赤黄男などの新興俳句の俳人にもみられたし、短詩においてモダニズムを志向するときにはまず語彙から刷新されるのだろうなという検討がつく。言葉の表層に現れる語彙に着目すれば、佐美雄の歌とモダニズムの共通項は割合たくさん拾うことが出来るように思える。例えば

子供にてありしころより夜なか起き鏡のなかを見にゆきにけり

こんな世間がしづまつた真夜なかにわれひとり鏡に顔うつし見る

この歌のように鏡のような詩的素材を積極的に取り入れ、手ごろな形での異界への扉を繋ぎ止めたりもするし、

なにゆゑに室【へや】は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まはす

室の隅に身をにじり寄せて見てをれば住みなれし室ながら変つた眺めなり

のように、偏執的に室内をながめ、見廻してみたりもしていて、このような感覚の鋭敏がもたらす過剰さや、それにともなう異化効果などは、すでに充分、われわれもよく見知ったモダニズムであるように思う。一方で、もちろんわれわれは佐美雄がモダニズムを歌壇史に残るかたちで達成したこと(というか、それにともなう旧来的な価値観との格闘)には敬意を評するけれども、これらからは同時代的なモダニズムの潮流の勢いを感じこそすれ、歌や修辞そのものの充実ではないように思う。言葉は悪いけれども、モダニズムにかぶれてさえいれば、そこまでの短歌形式との格闘なしに書かれ得るようなある種のインスタントさを感じるというか、言ってしまえばモダニズムし過ぎているように感じるのだ(とはいえ彼が短歌におけるモダニズムのファーストペンギン世代なのだから、それは当然というか、後世に生きるものが容易に推し量れるようなものではないのだが)。

ぼくがそういう側面よりも面白いと思ったのは、厭世的だったり露悪的だったりするのだけれども、そのことを直截歌にしてしまうことで歌としては格調や深みが失われてしまい、しかしだからこそ切実な感じがする感じの歌である。

何もかも滅茶滅茶になつてしまひなばあるひはむしろ安らかならむ

君などに踏み台にされてたまるかと皮肉な笑みをたたへてかへる

街をゆくひとを引き倒してみたくなる美くしい心だ大事にしとけ

わけの分らぬ想ひがいつぱい湧いて来てしまひに自分をぶん殴りたし

土の暗さで出来上がつた我だと思ふときああ今日の空の落つこつてくれ

人間のまごころなんてそのへんの魚のあたまにもあたらぬらしき

馬鹿馬鹿しいと退けるのは簡単であるのだろうけれども、おそらくはプロレタリア短歌からの影響があるのか(実際、佐美雄は「プロレタリア歌人同盟」とも関わりがある)、生々しい肉声というものがうっすらと織り込まれているようにも思われて、口語と文語が混ざり合う文体に読んでいくうちにどんどん惹かれてゆく。ここに自己戯画や誇張はあってもインスタントさはなくて、それが簡単そうに書かれたように見えるのなら、生活表象がある種の簡単さを要求するというだけであろう。

ふうわりと空にながれて行くやうな心になつて死ぬのかとおもふ

誰もほめて呉れさうになき自殺なんて無論決してするつもりなき

なども妙に味があって、何ということのない歌なのだけれども、こういう歌の方が、都市やモダニズムのよるべなさのようなものが出ているのではないだろうか。蝶や鏡や電車などの素材より、詠みぶりにモダニズムが織り込まれている方が、ぼくは一等良いと思う。それから文体という面でぜひ指摘しなければいけないのは、

五月の野からかへりてわれ留守のわがいえを見てるまつたく留守なり

などの「見てる」という表現にみられるような「い抜き言葉」であろう。現代日本語の規範に照らして歌を詠もうとするとき相当な逸脱というか、こういうブロークンさはニューウェーブの世代が達成したことだと思っていたので非常に驚いた。これもプロレタリア短歌の口語からの輸入なのだろうか。プロレタリア短歌は(プロレタリア俳句もそうだが)、内容か表現かという二項対立においては内容を重んじたと捕らえられがちだけれども、むしろ表現にこそ旨味があるのではないかと思ったりもする。この遺産がなければ達成されなかったものというのは実は沢山あったはずだ。


最後に、最も好きだった三首を引いて筆を置きたい。

かなしみはつひに遠くにひとすぢの水をながしてうすれて行けり

われわれは互に魂を持つてゐて好きな音楽をたのしんでゐる

あるべきところにちやんとある家具は動かしがたくなつて見つめる

卒業を見下してをり屋上に 波多野爽波

所収:『舗道の花』(書林新甲鳥 1956)

渋谷のスクランブル交差点を定点カメラで見ていると、歩いている人たちはどこから来て、どこに去っていくのだろうか不思議に思う。ミニチュアのような人たちはほんの偶然その場に居合わせたにすぎず時間の流れにのってどこかしらへ散らばっていく。その様子をテレビで見ている自分も不思議だ。なぜいま自分は家にいるのだろう。偶然渋谷にいないだけで、もしかしたら居た可能性だって大いにある。時間は等しく流れている。自分と同じように家でテレビを見ている人にも、まったく関係のないことをしている人にも(しかし関係ないとはなんだろうか)もちろん歩いている人にも。

学校は人生の短い交差点といえるだろう。たった数年、入学してから卒業するまで、同じ場所で同じ時間を過ごす。卒業式はその最後の一日にあたり、あとはみんなバラバラに、信号が青に変わるように散らばってしまう。掲句は卒業式を俯瞰しながらも、自分と隔たった光景として眺めていない。最後の「に」で自分の立っている一地点に視線が戻ってくるのだ。自分は、自分のこれからの人生は。もう会わないかもしれない人たちを眺めながら、眼は内側へと潜っていく。

記 平野

肺臓、と言っても水浸しの 救済は火炎瓶のような右手の不透明さ 石井僚一

所収:『死ぬほど好きだから死なねーよ』短歌研究社、2017

 詩的な面白さにも色々なタイプがあるが、これは分かりにくいことが面白いタイプ、語をランダムに継いでいくタイプである。

生きているだけで三万五千ポイント!!!!!!!!!笑うと倍!!!!!!!!!!

 勢い。見た目から面白いタイプ。無条件に人を肯定する短歌にも見えるが、果たして「三万五千ポイント」は本当に多いのか。そのポイントで何が得られるのだろうか。

雨の空に破いた遺書をさよならと放てば読めない文字は逝く蝶

 意味が取れやすい上で、「雨の空に破いた」というロマンチックな動きと、「遺書」「さよなら」「逝く蝶」という素敵さを感じやすい単語が上手いバランスとテンポで並ぶ。要素が多く映像で魅せるタイプ。

 この『死ぬほど好きだから死なねーよ』には色んなタイプの歌が並んでいるが、その中でも〈肺臓、と言っても〉の歌はとびきり分かりづらいタイプの歌である。
「水浸し」に対して「火炎瓶」があることの水と火のイメージと、何かぼんやりと救済の話をしようとしているという点だけはなんとなく見えてくる。それ以外はいまいち分からない。「右手の不透明さ」とは救済からして手術のようなことを言おうとしているのか……。救済の対象は水浸しの肺臓なのか、それとも、関係ない大きな概念の話なのか。一字空きにどれくらいのウェイトをおいているのかも分からない。

 個人的にこの歌は、ランダム要素を強く受け取って読みたくなる。肺臓→血→水浸し⇔火炎瓶→(瓶→不透明)投げる→右手。そのランダムな語を繋ぐ接続詞的な役割を「と言っても」や「のような」が担っていると考える。ランダムに(ランダムというか、連想というか)語を繋いでいくタイプの現代詩はままあるが、それと同じ読み方・面白がり方をすればスムーズなのかなあと思う。肺臓という語を出発点に、火炎瓶を経由して不透明さで着地する、その作者の感性を味わう。そしてその連想ゲームへ一つ差し込まれたように見える、中空に浮いた「救済」の存在。全体が異質な歌の中で、より一層異質に見える。

 ただ、これは私の好き勝手な味わい方であり、同歌集の他の歌を見ると、意味が強く、かつ取りやすい歌が多いため、この歌も「と言っても」の誰かへの説明の雰囲気や、「救済」「右手の不透明さ」という語をもっと重く捉えて、意味を考えていったほうが適切であるような気もする。と言っても、あまりに主体が見えてこない歌なので、作者あるいは主体が脳内の単語プールの中からばーっと適当に取りだし、それが偶然深い意味を持っているように見える文になってしまったと考えた方が、この歌を面白く読めるのでは、と思うがどうだろう。
 そもそも、短歌を面白く読むとはどういうことなのだろうかと考えてしまう。より面白く読むのが適切ではない作品もあるだろうか。つまらなく読む方が歌のためになる作品もあるかもしれない。それはまたのちのち考えていきたいと思う。
 話は逸れてしまったが、こういう意味の分かりにくい単語の連想ゲームみたいなランダムチックな歌はとても好みなので(ランダムであるからこその不利(何でもありになってしまうから)もあるが)、増えていってほしいなと勝手に思っている。

記:丸田

誰かまづ灯をともす街冬の雁 飴山實

所収:『少長集』(自然社 1971)

歴史の上に営まれる生活は金沢の空気を繊細にする。金沢という容器のなかに個々の生活があるのではなく、一人ひとりの生活が金沢という街を作りだしていく。そんな街と人の一体感が掲句にも伺える。灯をつける者は誰でもよい。誰か個人の意思ではなく、街の方から灯をともすように誘いかける。誰からともなく灯はともされ、うす暗い冬の一日は終わる。街が語りかける一瞬を掲句はとらえる。そして土地と生活が一体になった街の上を雁が通りすぎていく。曇りどおしの旅になる。もしくは雨も良いだろう。生活の温度を伝えるような灯のほてりと雨に冷やされた雁の対比は艶めかしく、しかし下品になることはない。先日、金沢の往来を歩き、飴山の句を肌に感じた。句ざわりと金沢の空気感が見事に一致するのだ。音の聞えるほどゆっくりとした時間が街を流れ、訪れる者を優しい気分で包みこむ。飴山の言葉はあの悠久な時間を伝えるために費やされている。

記 平野

田中裕明『花間一壺』を読む

柳元佑太

田中裕明の第2句集『花間一壺』(牧羊社、1985)という句集はぼくのバイブルである。自分の来し方を照らしてきた書物をあげよと問われればあやまたずこれを挙げるし、そのような書物を自分が比較的若いうちに一冊持てたということがたまらなく嬉しい。『花間一壺』からスタートし、『花間一壺』を信じ(或いは疑うことで)ぼくは句を書いてきたといっても過言ではないから、『花間一壺』を読み直すということは、自分の変化を見ることに他ならない。

とはいえ自分語りをしてもせんないので、『花間一壺』の話をしよう。これは1983年の角川俳句賞受賞作を含む、おおよそ20歳から26歳までの句が収められた田中裕明の第2句集である。集名は李白の「月下独酌」という五言詩の1行目、「花間一壺酒」から採られている。

花間一壺酒(花間一壺の酒、)
独酌無相親(独り酌んで相親しむ無し。)
挙杯邀明月(杯を挙げて明月を邀え、)
対影成三人(影に対して三人となる。)
月既不解飲(月既に飲むを解せず、)
影徒随我身(影徒らに我が身に随う。)
暫伴月将影(暫く月と影とを伴い、)
行楽須及春(行楽須らく春に及ぶべし。)
我歌月徘徊(我歌えば月徘徊し、)
我舞影零乱(我舞えば影零乱す。)
醒時同交歓(醒むる時は同に交歓し、)
酔後各分散(酔うて後は各々分散す。)
永結無情遊(永く無情の遊を結び、)
相期邈雲漢(相期す邈かなる雲漢に。)

漢詩の内容は、花の間で壺酒を抱き、ひとり呑まんというもので、付き合ってくれるものは自分の影法師と月のみ、しかしそれもまた良いだろう、というものである(疫病下の現在の模範的飲酒態度と言わざるを得ない)。漢詩における花は桜ではないと習ったことがあるけれども、それに従えばここにおける花は、梅か桃かあるいは李かといったところだろう。とにかく夜の花を眺めながらひとりでの酒盛りである。この集名は、素晴らしく裕明に似つかわしいと思う。

というのも、この句集に収められている一句一句それぞれに分有量の差はあれ、どこか孤独のおもかげがあって(それは芭蕉や西行に似た旅人だったり、ひとり美術館で絵を鑑賞する人だったりするのだが)、その孤独のかけらをきちんと集名で纏めあげて、明るく肯定してくれている。だから、素晴らしいのである。しかしそれは決して俗世を捨てる高踏的な生き方だったり一匹狼的な生き方だったりではなくて、友人や恋人と生活するなかでこそ際立つような、いわば生きていくことそのものの孤独、明るい孤独を描き出すことへの志向である。そしてここに、dilettante的な、古典への耽溺という少しくの調味料が加わって、『花間一壺』の世界となる。この世界を前にして読者は、裕明に倣って、ひとりで、静かに、したたかに酔えばよいのである。

さてここで、読者が独りで酔わねばならないことを考えれば、一句ごとに拙い鑑賞を添えるのは野暮な行為である気がしてくる。取り立てて好きな句を(といっても絞りきれず60句ほど)書き抜くので、読者は裕明世界に、気ままに滞在するのが良いと思う。裕明の句の中でついつい長居し過ぎてしまうのはぼくだけではないだろうから。眼差しの圧迫も、季題の専制もそこにはなくて、いつの間にか倍の速度で過ぎ去ってゆく時間の流れを、あるいは時間の逆行を、音楽を聴くようにして、昼から夜に、あるいは夜から昼に、心地よさに身を投げ出せばよいのだ。ぼくはここで筆をおこう。

花間一壺60句抄(柳元佑太選)

なんとなく子規忌は蚊遣香を炊き
川むかうみどりにお茶の花の雨
咳の子に籾山たかくなりにけり
いつまでも白魚の波古宿の夜
春立つやただ一枚のゴツホの繪

夕東風につれだちてくる佛師達
まつさきに起きだして草芳しき
引鴨や大きな傘のあふられて
遠きたよりにはくれんの開ききる
天道蟲宵の電車の明るくて

この旅も半ばは雨の夏雲雀
きらきらと葬後の闇の桑いちご
逢ふときはいつも雨なる靑胡桃
桐一葉入江かはらず寺はなく
雪舟は多くのこらず秋螢

悉く全集にあり衣被
野分雲悼みてことばうつくしく
蟬とぶを見てむらさきを思ふかな
穴惑ばらの刺繡を身につけて
好きな繪の賣れずにあれば草紅葉

いづれかはかの學僧のしぐれ傘
しげく逢はば飽かむ餘寒の軒しづく
いちにちをあるきどほしの初櫻
げんげ田といふほどもなく渚かな
雨安居大きな鳥が松のうへ

筍を抱へてあれば池に雨
大き鳥さみだれうををくはへ飛ぶ
降りつづく京に何用夏柳
思ひ出せぬ川のなまへに藻刈舟
約束の繪を見にきたる草いきれ

のうぜんの花のかるさに賴みごと
深酒とおもふ柳の散る夜は
ただ長くあり晚秋のくらみみち
春晝の壺盜人の醉うてゐる
草いきれさめず童子は降りてこず

二月繪を見にゆく旅の鷗かな
あゆみきし涅槃の雪のくらさかな 
向日葵に萬年筆をくはへしまま
葡萄いろの空とおもひし貝割菜
宿の子の寢そべる秋の積木かな

ほうとなく夕暮鳥に菜を懸けし
菜の花をたくさん剪つて潮の香す
うすものや渚あるきのよべのこと
見えてゐる水の音を聽く實梅かな
花茣蓙にひとのはかなくなりにけり

天の川間遠き文となりにけり
さだまらぬ旅のゆくへに盆の波
菌山あるききのふの鶴のゆめ
はつなつの手紙をひらく楓樹下
銳きものを恐るる病ひ更衣

暑き日の婚儀はじまるつばくらめ
白晝の夢のなかばに鮎とんで
昔より竹林夏の一返信
落鮎や浴衣の帶の黃を好み
渚にて金澤のこと菊のこと

橙が壁へころがりゆきとまる
梅雨といへどもつららのひかりながむれば
朋友に晝寢蒲團を用意せり
なしとも言へず冬草にまろびけり
いまごろの冬の田を見にくるものか

金蠅も銀蠅も来よ鬱頭 飯島晴子

所収:『八頭』永田書房 1985

画数の多くずっしりとした印象を与える2字熟語が3つ連なることで、重たい印象を受ける1句。その印象は「鬱」をテーマとしたこの句の内容とも通じている。

「鬱」というのは心の状態を表す言葉であるが(うつ病ならば単に心の問題ではない)、「鬱頭」という熟語になると、頭という身体が見えてくる。だからこそ、この句における「金蠅」と「銀蠅」は「鬱」のメタファーとして機能しているだけでなく、本当に生身の蠅が生身の頭にやって来るような、そんなグロテスクさを醸している。

一方で、金と銀の並列によって、そこに美が生まれることもまた事実であり、鬱という現象の様々な面を捉える1句であると言えるだろう。

記:吉川

目の玉の断面図炉の断面図 鴇田智哉

所収:『エレメンツ』素粒社、2020

 断面という単語を用いた句はよくあるものの、ここまで「断面図」というモノのパワーで圧しているものはそうそう見ない。目玉の断面図と、炉の断面図が、一句の中に並べられる。断面図という共通点をもって、目玉と炉が一気に繋がっていく。

 断面図というと、その対象を線的に、機械的に捉えて、二次元に表したものである。それは単なる図面であるとともに、普段見えない内部の構造を露わにしたり、強引に平面にして表したりする、ある意味グロテスクな側面も持っている。「目の玉の」という言い方からして、この句はそういうグロテスクさを引っ張ってこようとしているのが伺える。

 取り合わせ、という技法が俳句にはあるが、それは異なる要素や景色や物語が同じ場所に居合わせられる、同居させられることで生まれる奇跡を目的としている。それが美しさであったり、(読者にとっての)(また作者にとっての)気持ち良さであったりを作り出す。
 掲句からは、二つのものが同じ場所に居合わせる・居合わせられることのグロテスクさを思わされる。本当に目の前にこの二つの断面図が「偶然」あったのかもしれないが、この二つが並ぶのは、ふつうなら何らかの意図が働いているだろう。それは作者の鴇田のレベルで起きたのかもしれないし、句の主体がこの句を作り上げるために「手伝って」カルテのように目の断面図と炉の断面図を同じ机の上に持ってきたのかもしれない。奇跡のように居合わせた二つの断面図の怖さとともに、そのような奇跡を演出したこと(いかようにも人間は演出することができるということ自体)への怖さもある。

 偶然この二つが並んだということよりも、この二つを並べたその意図を強く汲んで、この句に政治的なメッセージを読み取ることも可能であろう。目の玉と炉。

 簡単なようで、複雑な目と炉の断面図。この二つが並んだ一句の奇跡的な暗い輝きについて、読者として、いち作者として、現代社会に属する一人として、考え続けている。

記:丸田

ああ数えきれない数のドア過ぎてわが家のドアにいま手をかける 小島なお

所収:『サリンジャーは死んでしまった』角川書店、2011

 ドアに手をかけようとして、今まで通ってきたドアのことを思い出すという、ありそうでなかなか見ない発想の歌。人生の節目節目で、ああもうこんな遠いところまで自分は来てしまったのかと思うことはよくあり、「数えきれない数のドア過ぎて」は色々つらいことがあったけどここまで来た、くらいに意訳(?)は出来る。が、ドアを目の前にしてドアを思い出すというのはなんだか不思議な思い出し方な気がして、そういう単純に昔を回顧しているのとは違う印象がある。

「数えきれない数のドア」に、仕事で疲れた日とか、親が死んだ日とか、めちゃくちゃ楽しかった日とか、実家のドアとか、友達の家のドアとか、元恋人の家のドアとか、色んな日々・ドアが想像される。引越しのタイミングで、この町にもお世話になったなあ、色んな思い出があるなあと思い返すような感覚が、我が家のドアを開けるという何気ない瞬間に訪れた。その些細な一瞬に今までの記憶が一気に流れ込んできて、溢れそうなくらい感情で一杯になっているのが、「ああ」から伝わってくる。

 この歌の上の句が、たとえば「辛いことも楽しいこともあったなあ」だったら、ふつうの歌になってしまっていた。それ以上こちらが思い浮かべることは無く、ただ思い出している主体を想像するに終わっていた。
 ドアを開ける瞬間に今までのドアを思い出す。この若干おかしな想起の仕方によって、要素が一気に絞られて、読者はドアのことばかりを想像することになる。今までのドア、主体、我が家のドア、手。ドアという物の重要性がぐっと上がって、「いま手をかける」の映像の臨場感も上がった。

 関係のないことだが、数えきれないくらいの他人の短歌を読んできて、いま自分は自分の短歌を作ろうとしている。そこには、他人の短歌へのリスペクトがあり、向こうから影響されたりする。
 この歌の主体がただ過ぎてきただけのドアだが、かつての色んなドアと、今目の前の我が家のドアが、ドア同士で何か影響し合っているのではと思ってしまう。ドアとドアがあるだけなのに、かつてのドアがあったから今のドアがあるという、変なドア同士のつながりがうっすら見えてくる可笑しさも、この歌は持っている。

 最後にもう一つこの歌の面白さに触れる。これがドアではなく「大会」であった場合を考えてほしい。色んな大会を経て、この大きな大会に到れた、というふうに。スポーツプレイヤーが努力の果てに、より大きな舞台に上がることが出来たと。このとき、今の大会に辿り着いたのは今までの大会での努力や成果による。今までの大会が、自分の中に経験値として蓄積しているわけである。
 そこで「ドア」を考えると、別にどれだけドアを開けてこようが、今のドアを開ける技術に何のプラスもない。ドアをただ「過ぎ」るのに、今までの数えきれないくらいのドアは別に必要はないわけである。小さな大会で慣れておいて大きな大会、とは違って、今までのドアを開けてきたからこそ、このドアを開けることが出来るということは特に無いわけである。(開くのがよほど難しいドアとか、開け方にコツがいるドアとかなら話は変わるが、わが家にそんな変なドアは作らないだろう)
 それでもこの歌がなんとなく大会みたいに見えてしまうのは、過去の自分があるからこそ今の自分があるという過去ー未来の時間の連続性であったり、「ドア」というものからくる希望的なイメージ(開いて新しい場所へ進む、日々の安心の住処に帰ってくる、など)であったりを、過剰に思い浮かべてしまうからである。
 ドアに要素を絞ることによって、別に暗喩として書いていなくても読者は深い暗喩のように読み過ぎてしまう、シンプルなようでさらっと大量に想像させる巧い一首であると思う。

記:丸田

雪解くる道は療養所を出でゆく 石田波郷

所収:『臥像』(新甲鳥 1954)

療養所には門が二つあった。福永武彦は『草の花』で「正門から出て行くか裏門から出て行くか、――このサナトリウムに病を養う七百人の患者にとって、出て行く道は常にこの二つしかなかった。多くの者は正門から出た、そして幾人かは裏門から出た。私は鎖された裏門に手を掛ける度に、暗い憤りを禁じ得なかった」と記している。作中では東京郊外K村のサナトリウムとなっているが、清瀬の東京病院とみて問題ないだろう。福永と同時期に、波郷が入院していたこともある。

雪が解けることによって露わになる道、この道は生に続いている道なのか、死に向かう道なのか、一句から明確に読み取ることは出来ない。道に横溢する明るさは、妖しくきらめいて波郷を死へ誘うようでもあり、素直に春らしく生命を称えているようでもある。

福永武彦の日記が2012年に新潮社より出版されている。1949年2月8日の記述に「夕食後六番室に石田波郷さんを見舞ふ。俳人。二次成形後尚ガフキイが出るとのこと。一日も早く家庭に帰ることを目的としてゐるから気分にあせりがある。僕のやうにボヘミアンの気持に徹せざるを得ない者には、今日寝る場所が終の棲なのだが」終の棲とは、二人のあいだで一茶の話でもあったのだろうか。

福永の日記から波郷の眼は家庭に帰ること、生き続けることに強く向いていたと分る。波郷はその焦りのためか、外の世界まで自由に続いている「道」と、いつまでも療養所にいなくてはならない自分とを比較してしまう。雪解くるという上五には、一面雪だった冬が過ぎてもなお……という波郷の失望が込められているようにも感じる。ただ、冬が結核患者に厳しい季節だったことを踏まえると、冬を乗り越えた今、いずれ自分もあの道のように療養所を出てゆくのだという希望にも取れる。心のうちの明暗入り混じった句だろう。

記 平野

遠くにあるたのしいことの気配だけ押し寄せてきてねむれない夜 永井祐

所収: 所収:『広い世界と2や8や7』左右社 2020

遠足や修学旅行の前日、ワクワクして眠れなかった、というのはもはや定型文。だけどこの歌で書かれていることはそれとは違う。

遠足や修学旅行と先ほど書いたけれど、この歌における「たのしいこと」がそれとは限らないだろう。「遠く」にあり、「気配」でしかなく、「押し寄せて」くる(私は押し寄せる、という表現から1番最初に波を思う)もの。例えば、「春」という季節だとか、そういうものを私は想像したい。
何にせよ、この歌における「たのしいこと」はあまりにもぼんやりしている。しかし、予感というのはぼんやりとしているもので、そこに感覚としてのリアリティーを感じる。

遠足や修学旅行の定型文と違うもう1つの点は、高揚感というものが主体の中に存在するものではない、ということだ。この歌の「たのしいこと」はあくまでも気配として主体に「押し寄せて」くるのみであって、その主体の中から高揚感は生まれたものではない。なんなら、上6の醸すゆるやかな雰囲気もあいまって、この主体は「たのしいこと」の「気配」の中で淋しさを感じているような気さえしてしまう。

「ねむれない夜」に至るには、ねむれない理由、物語が書かれるものだけれど、この歌が書くのは感覚であり、それこそがJ-POPの歌詞でも多用される「ねむれない夜」というありきたりなフレーズの新たな面を描き出しているように思う。