雲は夏港を出でて歸りたし 三橋敏雄

所収:『しだらでん』(沖積舎 1996)

「春はあけぼの」のような言い切り、雲は夏が美しい。そう言われてしまうと様々な雲のかたちがあるものの、丈の高い入道雲しか浮かばなくなる。水平線ちかく、海と混じるあたりに聳えた入道雲の姿は雄大で、白く見るものを惹きつける。港から船が出ていく。入道雲の麓、虹の根っこを探すような幼な心を抱いて船は進んでいく。一体どこに帰ろうというのだろう。港から出た船はいずれほかの港に辿りついてしまうが、掲句の船は大きな海をいつまでも漂うようであり、そのまま異なる世界へ迷いこんでしまいそうだ。海のかなたにあるというニライカナイのようなどこかへ、あてもなく、目的もなく出港する。無邪気に悠々と、船はいまもどこかを漂っている。しかしその船に乗ることは出来ない、いまは、いや、これから先もずっと、海の向こうに広がる世界に戻ることは出来ない。幼いころは居たかもしれないその世界に。

記 平野

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