卒業を見下してをり屋上に 波多野爽波

所収:『舗道の花』(書林新甲鳥 1956)

渋谷のスクランブル交差点を定点カメラで見ていると、歩いている人たちはどこから来て、どこに去っていくのだろうか不思議に思う。ミニチュアのような人たちはほんの偶然その場に居合わせたにすぎず時間の流れにのってどこかしらへ散らばっていく。その様子をテレビで見ている自分も不思議だ。なぜいま自分は家にいるのだろう。偶然渋谷にいないだけで、もしかしたら居た可能性だって大いにある。時間は等しく流れている。自分と同じように家でテレビを見ている人にも、まったく関係のないことをしている人にも(しかし関係ないとはなんだろうか)もちろん歩いている人にも。

学校は人生の短い交差点といえるだろう。たった数年、入学してから卒業するまで、同じ場所で同じ時間を過ごす。卒業式はその最後の一日にあたり、あとはみんなバラバラに、信号が青に変わるように散らばってしまう。掲句は卒業式を俯瞰しながらも、自分と隔たった光景として眺めていない。最後の「に」で自分の立っている一地点に視線が戻ってくるのだ。自分は、自分のこれからの人生は。もう会わないかもしれない人たちを眺めながら、眼は内側へと潜っていく。

記 平野

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