きみがこの世でなしとげられぬことのためやさしくもえさかる舟がある 正岡豊

所収:現代短歌クラシックス03『四月の魚』2020 書肆侃侃房

「きみ」という二人称で呼びかけるように書かれ始めたこの歌が、なにかとても優しいものであるように感じられるのは、「きみがこの世でなしとげられぬこと」があるという、ぼくたちが生きていく上で抱え込むある種の不可能性を前提にしている点だろう。何かを選ぶということは、何かを選ばないことであり、何かを諦めるということである。ああ、この世にあまた存在している妥協と挫折よ。

幾つもの夢を諦めてゆかざるを得ないということが、人生のもうひとつ名前であることは、ペシミストの言い分かもしれない。けれども、夢を諦めるしかなくなったとき、そのありのままを肯定せんという態度にはやはり心惹かれる。この歌にあるのは、安易な共感や同情ではない。この歌には、敗者の側から、夢を諦めざるを得なかった人に対して、労わるようなまなざしがある。

「もえさかる船」という具象は、そのために用意された措辞だろう。水の上をたゆたうやさしげな舟のイメージと、その舟がもえさかるという背反的なイメージが準備されていて、そのアンヴィバレントな心象風景こそ、諦念の安易な肯定ではない、誠実なより添いであるように思う。夢破れた人が、物事が上手くいきさえすれば注いであろう熱量を一心に引き受けて、身代わりのように炎上する、異界に浮かぶ一艘の舟。その炎のやさしいゆらめきこそが、なしとげたかった未来に対する、唯一の供養となる。

記:柳元

揚花火明日に明日ある如く 阪西敦子

所収:『天の川銀河発電所』左右社 2017

花火大会だろう。消えては揚げられ、消えては揚げられを繰り返す花火にとめどなく続く毎日を重ねているのだ。

花火は一瞬で消えてしまう儚さに注目されがちだが、この句の視点はそれとは異なる。
どこまでも続くかのように思われる明日の連続、それは人間1人1人の身には余る大きなもので、捉えきることはできないし、むしろ圧倒されてしまう。
それは花火も同じだろう。打ち上げられた時の大きな音に、夜空いっぱいに開く光に、その鮮やかな色彩に、私達は圧倒されてしまう。
この句から立ち上がる花火は、儚さではなく迫力を持っている。

「明日に明日ある如く」というフレーズは抽象的だけれど、何故か花火の様子がはっきりと浮かぶ比喩だ。先日、散歩している最中に花火を見たけれど、間髪なく花火が揚がり続けるフィナーレはまさにこの表現がピッタリだった。

ここまでいろいろと書いたけれど、結局のところ花火が終わってしまうことを私達は知っている。そのことがこの句の味わいをより深くしている。

記:吉川

しずかにうたをうたおう木の葉の下でなにかが変わってしまうから 高橋みずほ

所収:髙橋みずほ『白い田』(六花書林 2018)

 何が変わるのかは分からないが、何かが変わることは分かっている。良い変化なのか、災厄のようなものの予兆なのか。心的な変化なのか、身体的な変化なのか。私に起こる変化なのか、私以外のものが変わるのか。

 「しずかにうたを」歌うあたりから、なんだかいい事が起こるから呼びかけているのだと予測はできるが、「変わってしまう」という言い方には少しの翳りが見える。本当に望んでいる変化なのか。この「しまう」によって、この歌の印象が変わる。そんな不確かで、危うさを持っているものを、「うたおう」と勧誘しているのが、私には怖く思える。無責任に引き入れていることの怖さではなくて、おそらくこの主体はその変化を体験したのに尚も人にすすめていることの、言い表せない本質的な恐怖である(おそらく体験した、と考えたのは「しずかに」と「木の葉の下で」という妙に具体的な説明からである)。

 ここで確認しておきたいのが、「から」の読み方で、私はこの歌を初めて読んだときに直感した恐怖から上のように読んだが、おそらく二通りに読める。
 一方は、「雨が降るから傘を持っていこう」というような準備・対策・回避するときの「から」。もう一方は、「星が降るから夜空を見よう」というような、勧誘の「から」。
 回避の方であれば、変わるのを避けようとして「しずかに」歌おうということになる(=大声で歌えば「なにかが変わってしまう」)。勧誘の方であれば、変わるのを望んで、ぜひとも「うたをうたおう」ということになる(=歌わなければ何も変わらない)。

 この二つはふつう、内容の傾向(良いこと/嫌なことが起きるのか、良いように/悪くなるようにしようとしているのか)で判断ができる。が、この歌はそのどちらに属すのか分かり切らない部分がある。何かが変わるから歌うななのか、何かが好転するから歌っていこうなのかが、「しまう」と「しずかに」でぶれているのである。
 私はそのぶれこそがこの歌の魅力であるのだろうと考えている。誘っているのか教えてくれているのかが分からず、何が変わるかもわからず、変わってどうなるかもわからない。この不安定な状況で、「うたをうたおう」という言葉と、「木の葉の下」という場所の想像と、「なにかが変わってしまう」という聞かされた事実だけが残る。この歌を読んで、「はい!じゃあしずかにうたいます!」とも、「変わるなら私は歌いません!」とも言えないし、そもそも判別が出来ない。なにかがこちらに向かって言われているという違和感だけがこちらに残り、なんだか気になってくる。
 奇妙な浮遊をみせながら、でも何かを伝えようとしている、澄んだ独特な歌だと思う。

 掲歌を見たときに思いだした歌が一つある。

  公園に行こうよ、だんだん目が冴えていろんなものが見えてくるから/花山周子(『風とマルス』2014)

 この、〈勧誘→その理由〉の型の短歌はたまに見かけるが、どちらかが突飛なもの、何故誘っているか分からないもの、二つの接続(因果)がおかしいもの、が多いように思う。花山周子の歌は接続の変さと、「だんだん目が冴えて」の説明の妙なリアルさが面白い点になっている。こう見ると、型が分かりやすいというのは弱点になりやすいが、その分、型を味方につけてうまくいったときの成功は大きいのかもしれない。

記:丸田

それとなくひとの見てゆく春の川 飯田龍太

所収:『遅速』(立風書房 1991)

川を見ることはなんら特別でない。日常ありふれた行為である。川を見ることが重要な意味を持つようになるのは、ある結末を中心にしたときぐらいだろう。つまり一つの結末からこれまでの出来事をふり返って、それぞれに特別な意味を見出していくときである。人はある結末の要因として、過去の出来事を位置づけていく。そうすることで因果関係を作り出し、世の中を分かり良いものとして理解してきた。また、物語はそうやって作られるのが一般的である。

川を見るそれとない行為。そして川を見て過ぎ去る人びと。そんな記憶の隅に追いやられて当前のなにげない一コマが句にされる。一句なにか詠んでやろうと力んだ姿勢ではなかなか眼にとまらない光景である。しかし龍太は生活のなかで見落とされてしまう光景を、確かに一句として捉える。世界のなにもかもが新しく映る赤ん坊の眼を持っているかのように、肩の力をぬいて世界と接している。『遅速』は龍太最後の句集だが、そうした童眸ともいうべき句が多数見られる良い句集である。

                                    記 平野

穴惑ばらの刺繍を身につけて 田中裕明 


所収:『田中裕明全句集』2007 ふらんす堂

高校生のときから愛唱している句の一つ。穴惑というのは冬眠する穴を見つけ損ねている秋の蛇のこと。何という取り合わせだろう、と裕明には何度も静かに驚かされる。掲句も取り合わせと解するべきなのだろうけれども、ぼくの脳内には、ばらの刺繍を身に付けた蛇が、えっちらおっちらのんびりと彷徨う様子が目に浮かんで、微笑ましい気持ちになる。子供の頃そんな絵本を読んだような、読んでいないような。

ところで先日Twitterで堀田幾何さんが、『花間一壺』の句はBL読みが出来るという旨を述べていらっしゃって、たしかにこの句集は男色の感じがあるもんなぁと改めて思ったりした。BL読みには普段首をひねることが多いけれど、『花間一壺』に関してはそういう読みはかえってテクストを厚くするような気もした。

そう思わされるのは、裕明の師である波多野爽波には〈秋の蛇ネクタイピンは珠を嵌め〉という句があって、おそらく裕明の句はこれを本歌取りしているのではないかと思う。そこには師とのたわむれにも似た親しさの表明があるはずで、それがBLというかたちで消費してよいものなのかは別としても、なんだか非常によろしいものに感じられるのである。

記:柳元

遠雷や去年にはじまる一つの忌 高柳重信

所収:『前略十年』 端渓社  1954

去年は「こぞ」と読む。

掲句には「山本恵美子嫁きて三年、広島に在りと聞きしが、かの原子爆弾は彼女をも例外たらしめずと思へば、今年八月六日」と詞書が添えられている。
「遠雷」という季語の選択は原爆を微かに思わせ、中七下五のフレーズは事実を端的に述べるが故に「遠雷」の醸す気分に染まり、悲しみが滲みだすようだ。

詞書の山本恵美子とは誰なのかというと、重信が若い頃に縁のあった女性のようだ。(『高柳重信の一〇〇句を読む』澤好摩 飯塚書店 2015を参照)

「忌」はここでは忌日、命日を指すのではなく、死者を悼む喪の期間のことを指すのだと思う。「去年にはじまる」という言い方は、1年たってなお重信の中では喪が終わっておらず、そしてこれからも続いていくようにも受け取れる。

私は広島出身で、子供の頃学校で原爆に関する教育を受けた。小学生の頃は平和祈念式典のために毎年折鶴を学校で折ったし、8月6日は登校日だった。
だから今でも毎年8月になると思考が原爆のことに立ち止まる。私は重信のように身近な人を亡くしたわけでもなく、親族を亡くしたわけでもないので重信が原爆に対して抱く感情と、私が原爆に対して抱く感情は全く異なる。けれど、忌が続いているという感覚は分かるような気がしている。

記:吉川

よろしくね これが廃船これが楡 なかはられいこ

所収:『現代川柳の精鋭たち』(北宋社 2000)

 ジブリの映画『魔女の宅急便』で、キキが「私、魔女のキキです。こっちはクロネコのジジ」と言っていたのを思い出す。「よろしくね」の言い方から、「これが廃船これが楡」というのも、そのくらいのテンションで述べられたのだろうと推測できる。初読時は友達紹介をしているのだろうと思ったが、それにしては「これが」という表現が引っかかる。「これが」で思いつく状況として、「これは日本語で何というの?」というような外国語話者に質問されたり、子どもに名前を質問されているときなどがぱっと想像できる。要は、「これは何?」と聞かれて、「これが」と返答している、という状況。それなら「これが」も自然になる。
 しかし、この句では、一字空けをしているとはいえ、「よろしくね」からさほど時間が空いていないように思われる。挨拶の後、質問されて答えているというよりは、挨拶の延長として同じ人が喋り出しているように感じられる。

 そこで魅力的な謎、不明点として、どこで喋っているのかが分からないことがある。質問の返答なのであれば、「これが」は自然だが、キキのような場合であれば、「これが」は近いものを指していることになるだろう。であれば、「廃船」と「楡」をすぐに指せる場所とはどこなのだろう、と想像させる。楡の近くに廃船が放棄されているのか、廃船の近くに楡が植えられて育ったのか。そもそも外にいるのか室内にいるのか。ノートに廃船と楡の落書きをしていて、自分からそれを見せているのか(この句の場合、指すものが実際に目の前にあった方が迫力があるように思うから、この読み方は魅力的ではないが、「よろしくね」はしっくりくる)。キキのような場合なら、おそらく廃船と楡の近くである外で喋っているし、外で喋っているのなら外で「よろしくね」が起きたことになる。どの年齢の人と人が出会ったのかは分からないが(人ではない可能性も十分にある)、まだ「よろしくね」の関係である人物に向かって、「これが」「廃船」・「楡」だと説明する状況を、自分の経験の中に持っていない。不可解である。

 私が一番気にかかっているのはその部分である。この状況を想像しにくい=想像しにくい状況を作ったこと、がこの句の魅力であろうし、「これが」の連続で敢えて型っぽくすることで単語勝負に持って行った戦っているところが読みどころでもある。しかしそこが若干、灰汁のように引っかかっている。「これは何」と聞かれて返答している状況でも、キキのように紹介している状況でも、それが自然になるように無理矢理場面を想像することは可能であるが、それが読者に過度に負担をかけているように感じる。それが魅力なのは十分に分かっているが、作者が句を作るために「廃船」と「楡」という詩的な単語で飛ばしていったがために、単に作品内の世界で終わらず、作品外の作者の手つきでこちらが困っている、という節が強い。

 これは川柳や俳句や短歌に課せられた問題だと思うが、短いがあまりに、すべてが突然やってくる。表現も、言い方も、単語も突然である。いくら写生の作品であっても、突然それについて話しはじめ、それについて語り終える。そして短いがあまりに、作者の手つきというのがどうしてもそこに透ける。
 掲句に関しては、作者の手つきも混ざりあっているところが妙味であろうが、私にとっては、それによって作品世界がぶれて、乗り切れない部分があるなと感じた。ただ、「廃船」と「楡」という単語の距離で勝負するぞという気概は好みだった。

 楡といってすぐに思いだせる短歌に、

  楡の木となりある夜あなたを攫ひに来ると言はれて待つはさびしきものを/永井陽子
  鋭い声にすこし驚く きみが上になるとき風にもまれゆく楡/加藤治郎
  毒舌のおとろえ知らぬ妹のすっとんきょうな寝姿よ 楡/東直子
 *

があり、(短歌ということも一因としてあるのかもしれないが)楡はなんとなく性的な空気感であったり、〈わたしーあなた〉の線に登場しやすいイメージが勝手にあった。こういう単語勝負の作品はその語がどういうふうに想起されるかに左右されやすいが、私の中で、「廃船」と「楡」、「よろしくね」は、透明な悪意でまとまって、胸の中で暗く結晶している。

*引用は順に『樟の木のうた』1981、『サニー・サイド・アップ』1987、『春原さんのリコーダー』1996。

記:丸田

魚影のたまたま見えて水温む 井月

所収:『井月句集』(岩波書店 2012)

水の温度は眺めていてもよく分らない。触ってみるか飲んでみるか、肌にふれる。それで温度を理解する。そしてもう一つ、温度が分る方法がある。分るというと語弊があるかもしれない。温かいと信じれば水は温かくなる、温かいということになる。

春の日が射している。春は生きものが動く。生きものは影を引き連れる。影が動けばそこに動く物がいる。たまたまというのが動きを表す。姿は隠れていたけれど、影だけ眼にはいる。すばやい動きだと思う。たまたま良いタイミングで魚影を見た。瞬間、春を実感する。魚の元気が良い。水もまた温かくなっているのだろう、水が柔らかい。辺りも春である、心もまた緩んでいく。

記:平野

港区は好きな区秋の風もまた 岸本尚毅 

所収:『感謝』ふらんす堂 2009

この句が滑稽というか、くすりと笑えるようなおかしみに転じるのは、港区が何となく「おハイソ」で「成金」ぽい感じがするからだろう。完全に偏見なので港区にお住まいの方には先に謝しておくが、ぼくがこう思ってしまうのには理由があって、というのもぼくの東京の知識は漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(通称:こち亀)によるのである。

両津勘吉(主人公)が本田という後輩の新居探しを手伝うのだが、その本田が「港区に住みたい」「ベランダから東京タワーが見える場所がよい」とゴネにゴネて、両津勘吉を困らせるのである。両津勘吉が事故物件や犬小屋を紹介する、というオチだったと思う。これを読んで以来、港区というのはミーハーが住む場所なのだという思いがあって、岸本尚毅の句にもそういうおかしみを見出してしまう。

そういえば「港区女子」という言葉もあるけれど(ご存じない方はググってください)、でも岸本の句から見える態度は、港区に集まる人を小馬鹿にするような視線ではないのがよいな、と思う。

港区の東側は東京湾に面しており、考えてみればレインボーブリッジも港区だから、何となく秋の風と言われたときそれは潮風のような感じがする。所在なさげに散歩しているときにふいに磯の匂いと出会って、ふと海のありかに思いを馳せるような、そういった良さがこの地名には初めから組み込まれている。「港」句、なのだから。大変よろしき地名である。

記:柳元

花冷に紛るるほどの怒りかな 岩田由美

所収:『春望』(花神社 1996)

季節に振りまわされる。訳も分らぬ理不尽な仕打ちをうける事がある。例えば、梅雨の間はどうしようもなく地を這ってしまう。最近は気温も湿度もはね上がり、突如として気分が急降下する。花冷なんてもってのほかだろう。寒さがやっと緩んできたのに、ぽんと思い出したように寒い日が来る。しかし季節に対して怒ってみても仕方がない。全くもってやり場のない怒りである。

本当に怒っているときは我を忘れる。掲句は我を忘れない程度のちょっとした怒りで、季節に対する怒りもまたそうだろう。一心不乱に季節に対して怒れる人間がいるなら、ほんの少し、けれど心から尊敬する。生活していてムッとすることが少なからずある。正確にはその時点では別段気にもとめなかった事が、後でふり返ってなんだかなあと思う。そうした怒りはやり場があるだけまだマシで、季節はやり場がない。やり場があるならば多少は紛れる。季節への怒りといっても、我を忘れるほどではないだけまだマシである。怒りのグラデーションは確かにある。些細な怒りが積み上がらないように上手く季節とつき合っていきたい。掲句を読んでそう思う。

記:平野