きみがこの世でなしとげられぬことのためやさしくもえさかる舟がある 正岡豊

所収:現代短歌クラシックス03『四月の魚』2020 書肆侃侃房

「きみ」という二人称で呼びかけるように書かれ始めたこの歌が、なにかとても優しいものであるように感じられるのは、「きみがこの世でなしとげられぬこと」があるという、ぼくたちが生きていく上で抱え込むある種の不可能性を前提にしている点だろう。何かを選ぶということは、何かを選ばないことであり、何かを諦めるということである。ああ、この世にあまた存在している妥協と挫折よ。

幾つもの夢を諦めてゆかざるを得ないということが、人生のもうひとつ名前であることは、ペシミストの言い分かもしれない。けれども、夢を諦めるしかなくなったとき、そのありのままを肯定せんという態度にはやはり心惹かれる。この歌にあるのは、安易な共感や同情ではない。この歌には、敗者の側から、夢を諦めざるを得なかった人に対して、労わるようなまなざしがある。

「もえさかる船」という具象は、そのために用意された措辞だろう。水の上をたゆたうやさしげな舟のイメージと、その舟がもえさかるという背反的なイメージが準備されていて、そのアンヴィバレントな心象風景こそ、諦念の安易な肯定ではない、誠実なより添いであるように思う。夢破れた人が、物事が上手くいきさえすれば注いであろう熱量を一心に引き受けて、身代わりのように炎上する、異界に浮かぶ一艘の舟。その炎のやさしいゆらめきこそが、なしとげたかった未来に対する、唯一の供養となる。

記:柳元

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