遠雷や去年にはじまる一つの忌 高柳重信

所収:『前略十年』 端渓社  1954

去年は「こぞ」と読む。

掲句には「山本恵美子嫁きて三年、広島に在りと聞きしが、かの原子爆弾は彼女をも例外たらしめずと思へば、今年八月六日」と詞書が添えられている。
「遠雷」という季語の選択は原爆を微かに思わせ、中七下五のフレーズは事実を端的に述べるが故に「遠雷」の醸す気分に染まり、悲しみが滲みだすようだ。

詞書の山本恵美子とは誰なのかというと、重信が若い頃に縁のあった女性のようだ。(『高柳重信の一〇〇句を読む』澤好摩 飯塚書店 2015を参照)

「忌」はここでは忌日、命日を指すのではなく、死者を悼む喪の期間のことを指すのだと思う。「去年にはじまる」という言い方は、1年たってなお重信の中では喪が終わっておらず、そしてこれからも続いていくようにも受け取れる。

私は広島出身で、子供の頃学校で原爆に関する教育を受けた。小学生の頃は平和祈念式典のために毎年折鶴を学校で折ったし、8月6日は登校日だった。
だから今でも毎年8月になると思考が原爆のことに立ち止まる。私は重信のように身近な人を亡くしたわけでもなく、親族を亡くしたわけでもないので重信が原爆に対して抱く感情と、私が原爆に対して抱く感情は全く異なる。けれど、忌が続いているという感覚は分かるような気がしている。

記:吉川

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