流れ合ふ卒業式の心かな 京極杞陽

所収:(調べて追記します)

「流れ合う」というフレーズは見慣れないものであるし、この句においてはその主語もはっきりしない。それに加えて「心」という抽象的なものを扱っているので、この句は私には捉えどころがない。

複数の人それぞれの心がお互いに流れる、つまりそれぞれの人の感情が川の流れのごとく緩やかに内面から外面へと表出されているということだろうか。実際、卒業式には喜びも悲しみも様々な感情が表情や会話に表れる。
以上のように意味を嚙み砕くことが可能であるならば、内容は特段珍しくない。しかし、その角度から読んでも、この句の良さは十分に分かっていないような気がする。

「流れ」「卒業」の取り合わせによって、時間、感情、川などの多様なイメージが「流れ」という言葉によって束ねられることで生まれるぼんやりとした抒情は、不明瞭な書き方によって引き立てられている。
先週私は卒業式を迎えたが、あの時間に感じたぼんやりした感情を反芻するようにこの句を読んでいる。

記:吉川

雲は夏港を出でて歸りたし 三橋敏雄

所収:『しだらでん』(沖積舎 1996)

「春はあけぼの」のような言い切り、雲は夏が美しい。そう言われてしまうと様々な雲のかたちがあるものの、丈の高い入道雲しか浮かばなくなる。水平線ちかく、海と混じるあたりに聳えた入道雲の姿は雄大で、白く見るものを惹きつける。港から船が出ていく。入道雲の麓、虹の根っこを探すような幼な心を抱いて船は進んでいく。一体どこに帰ろうというのだろう。港から出た船はいずれほかの港に辿りついてしまうが、掲句の船は大きな海をいつまでも漂うようであり、そのまま異なる世界へ迷いこんでしまいそうだ。海のかなたにあるというニライカナイのようなどこかへ、あてもなく、目的もなく出港する。無邪気に悠々と、船はいまもどこかを漂っている。しかしその船に乗ることは出来ない、いまは、いや、これから先もずっと、海の向こうに広がる世界に戻ることは出来ない。幼いころは居たかもしれないその世界に。

記 平野

卒業を見下してをり屋上に 波多野爽波

所収:『舗道の花』(書林新甲鳥 1956)

渋谷のスクランブル交差点を定点カメラで見ていると、歩いている人たちはどこから来て、どこに去っていくのだろうか不思議に思う。ミニチュアのような人たちはほんの偶然その場に居合わせたにすぎず時間の流れにのってどこかしらへ散らばっていく。その様子をテレビで見ている自分も不思議だ。なぜいま自分は家にいるのだろう。偶然渋谷にいないだけで、もしかしたら居た可能性だって大いにある。時間は等しく流れている。自分と同じように家でテレビを見ている人にも、まったく関係のないことをしている人にも(しかし関係ないとはなんだろうか)もちろん歩いている人にも。

学校は人生の短い交差点といえるだろう。たった数年、入学してから卒業するまで、同じ場所で同じ時間を過ごす。卒業式はその最後の一日にあたり、あとはみんなバラバラに、信号が青に変わるように散らばってしまう。掲句は卒業式を俯瞰しながらも、自分と隔たった光景として眺めていない。最後の「に」で自分の立っている一地点に視線が戻ってくるのだ。自分は、自分のこれからの人生は。もう会わないかもしれない人たちを眺めながら、眼は内側へと潜っていく。

記 平野

誰かまづ灯をともす街冬の雁 飴山實

所収:『少長集』(自然社 1971)

歴史の上に営まれる生活は金沢の空気を繊細にする。金沢という容器のなかに個々の生活があるのではなく、一人ひとりの生活が金沢という街を作りだしていく。そんな街と人の一体感が掲句にも伺える。灯をつける者は誰でもよい。誰か個人の意思ではなく、街の方から灯をともすように誘いかける。誰からともなく灯はともされ、うす暗い冬の一日は終わる。街が語りかける一瞬を掲句はとらえる。そして土地と生活が一体になった街の上を雁が通りすぎていく。曇りどおしの旅になる。もしくは雨も良いだろう。生活の温度を伝えるような灯のほてりと雨に冷やされた雁の対比は艶めかしく、しかし下品になることはない。先日、金沢の往来を歩き、飴山の句を肌に感じた。句ざわりと金沢の空気感が見事に一致するのだ。音の聞えるほどゆっくりとした時間が街を流れ、訪れる者を優しい気分で包みこむ。飴山の言葉はあの悠久な時間を伝えるために費やされている。

記 平野

田中裕明『花間一壺』を読む

柳元佑太

田中裕明の第2句集『花間一壺』(牧羊社、1985)という句集はぼくのバイブルである。自分の来し方を照らしてきた書物をあげよと問われればあやまたずこれを挙げるし、そのような書物を自分が比較的若いうちに一冊持てたということがたまらなく嬉しい。『花間一壺』からスタートし、『花間一壺』を信じ(或いは疑うことで)ぼくは句を書いてきたといっても過言ではないから、『花間一壺』を読み直すということは、自分の変化を見ることに他ならない。

とはいえ自分語りをしてもせんないので、『花間一壺』の話をしよう。これは1983年の角川俳句賞受賞作を含む、おおよそ20歳から26歳までの句が収められた田中裕明の第2句集である。集名は李白の「月下独酌」という五言詩の1行目、「花間一壺酒」から採られている。

花間一壺酒(花間一壺の酒、)
独酌無相親(独り酌んで相親しむ無し。)
挙杯邀明月(杯を挙げて明月を邀え、)
対影成三人(影に対して三人となる。)
月既不解飲(月既に飲むを解せず、)
影徒随我身(影徒らに我が身に随う。)
暫伴月将影(暫く月と影とを伴い、)
行楽須及春(行楽須らく春に及ぶべし。)
我歌月徘徊(我歌えば月徘徊し、)
我舞影零乱(我舞えば影零乱す。)
醒時同交歓(醒むる時は同に交歓し、)
酔後各分散(酔うて後は各々分散す。)
永結無情遊(永く無情の遊を結び、)
相期邈雲漢(相期す邈かなる雲漢に。)

漢詩の内容は、花の間で壺酒を抱き、ひとり呑まんというもので、付き合ってくれるものは自分の影法師と月のみ、しかしそれもまた良いだろう、というものである(疫病下の現在の模範的飲酒態度と言わざるを得ない)。漢詩における花は桜ではないと習ったことがあるけれども、それに従えばここにおける花は、梅か桃かあるいは李かといったところだろう。とにかく夜の花を眺めながらひとりでの酒盛りである。この集名は、素晴らしく裕明に似つかわしいと思う。

というのも、この句集に収められている一句一句それぞれに分有量の差はあれ、どこか孤独のおもかげがあって(それは芭蕉や西行に似た旅人だったり、ひとり美術館で絵を鑑賞する人だったりするのだが)、その孤独のかけらをきちんと集名で纏めあげて、明るく肯定してくれている。だから、素晴らしいのである。しかしそれは決して俗世を捨てる高踏的な生き方だったり一匹狼的な生き方だったりではなくて、友人や恋人と生活するなかでこそ際立つような、いわば生きていくことそのものの孤独、明るい孤独を描き出すことへの志向である。そしてここに、dilettante的な、古典への耽溺という少しくの調味料が加わって、『花間一壺』の世界となる。この世界を前にして読者は、裕明に倣って、ひとりで、静かに、したたかに酔えばよいのである。

さてここで、読者が独りで酔わねばならないことを考えれば、一句ごとに拙い鑑賞を添えるのは野暮な行為である気がしてくる。取り立てて好きな句を(といっても絞りきれず60句ほど)書き抜くので、読者は裕明世界に、気ままに滞在するのが良いと思う。裕明の句の中でついつい長居し過ぎてしまうのはぼくだけではないだろうから。眼差しの圧迫も、季題の専制もそこにはなくて、いつの間にか倍の速度で過ぎ去ってゆく時間の流れを、あるいは時間の逆行を、音楽を聴くようにして、昼から夜に、あるいは夜から昼に、心地よさに身を投げ出せばよいのだ。ぼくはここで筆をおこう。

花間一壺60句抄(柳元佑太選)

なんとなく子規忌は蚊遣香を炊き
川むかうみどりにお茶の花の雨
咳の子に籾山たかくなりにけり
いつまでも白魚の波古宿の夜
春立つやただ一枚のゴツホの繪

夕東風につれだちてくる佛師達
まつさきに起きだして草芳しき
引鴨や大きな傘のあふられて
遠きたよりにはくれんの開ききる
天道蟲宵の電車の明るくて

この旅も半ばは雨の夏雲雀
きらきらと葬後の闇の桑いちご
逢ふときはいつも雨なる靑胡桃
桐一葉入江かはらず寺はなく
雪舟は多くのこらず秋螢

悉く全集にあり衣被
野分雲悼みてことばうつくしく
蟬とぶを見てむらさきを思ふかな
穴惑ばらの刺繡を身につけて
好きな繪の賣れずにあれば草紅葉

いづれかはかの學僧のしぐれ傘
しげく逢はば飽かむ餘寒の軒しづく
いちにちをあるきどほしの初櫻
げんげ田といふほどもなく渚かな
雨安居大きな鳥が松のうへ

筍を抱へてあれば池に雨
大き鳥さみだれうををくはへ飛ぶ
降りつづく京に何用夏柳
思ひ出せぬ川のなまへに藻刈舟
約束の繪を見にきたる草いきれ

のうぜんの花のかるさに賴みごと
深酒とおもふ柳の散る夜は
ただ長くあり晚秋のくらみみち
春晝の壺盜人の醉うてゐる
草いきれさめず童子は降りてこず

二月繪を見にゆく旅の鷗かな
あゆみきし涅槃の雪のくらさかな 
向日葵に萬年筆をくはへしまま
葡萄いろの空とおもひし貝割菜
宿の子の寢そべる秋の積木かな

ほうとなく夕暮鳥に菜を懸けし
菜の花をたくさん剪つて潮の香す
うすものや渚あるきのよべのこと
見えてゐる水の音を聽く實梅かな
花茣蓙にひとのはかなくなりにけり

天の川間遠き文となりにけり
さだまらぬ旅のゆくへに盆の波
菌山あるききのふの鶴のゆめ
はつなつの手紙をひらく楓樹下
銳きものを恐るる病ひ更衣

暑き日の婚儀はじまるつばくらめ
白晝の夢のなかばに鮎とんで
昔より竹林夏の一返信
落鮎や浴衣の帶の黃を好み
渚にて金澤のこと菊のこと

橙が壁へころがりゆきとまる
梅雨といへどもつららのひかりながむれば
朋友に晝寢蒲團を用意せり
なしとも言へず冬草にまろびけり
いまごろの冬の田を見にくるものか

金蠅も銀蠅も来よ鬱頭 飯島晴子

所収:『八頭』永田書房 1985

画数の多くずっしりとした印象を与える2字熟語が3つ連なることで、重たい印象を受ける1句。その印象は「鬱」をテーマとしたこの句の内容とも通じている。

「鬱」というのは心の状態を表す言葉であるが(うつ病ならば単に心の問題ではない)、「鬱頭」という熟語になると、頭という身体が見えてくる。だからこそ、この句における「金蠅」と「銀蠅」は「鬱」のメタファーとして機能しているだけでなく、本当に生身の蠅が生身の頭にやって来るような、そんなグロテスクさを醸している。

一方で、金と銀の並列によって、そこに美が生まれることもまた事実であり、鬱という現象の様々な面を捉える1句であると言えるだろう。

記:吉川

目の玉の断面図炉の断面図 鴇田智哉

所収:『エレメンツ』素粒社、2020

 断面という単語を用いた句はよくあるものの、ここまで「断面図」というモノのパワーで圧しているものはそうそう見ない。目玉の断面図と、炉の断面図が、一句の中に並べられる。断面図という共通点をもって、目玉と炉が一気に繋がっていく。

 断面図というと、その対象を線的に、機械的に捉えて、二次元に表したものである。それは単なる図面であるとともに、普段見えない内部の構造を露わにしたり、強引に平面にして表したりする、ある意味グロテスクな側面も持っている。「目の玉の」という言い方からして、この句はそういうグロテスクさを引っ張ってこようとしているのが伺える。

 取り合わせ、という技法が俳句にはあるが、それは異なる要素や景色や物語が同じ場所に居合わせられる、同居させられることで生まれる奇跡を目的としている。それが美しさであったり、(読者にとっての)(また作者にとっての)気持ち良さであったりを作り出す。
 掲句からは、二つのものが同じ場所に居合わせる・居合わせられることのグロテスクさを思わされる。本当に目の前にこの二つの断面図が「偶然」あったのかもしれないが、この二つが並ぶのは、ふつうなら何らかの意図が働いているだろう。それは作者の鴇田のレベルで起きたのかもしれないし、句の主体がこの句を作り上げるために「手伝って」カルテのように目の断面図と炉の断面図を同じ机の上に持ってきたのかもしれない。奇跡のように居合わせた二つの断面図の怖さとともに、そのような奇跡を演出したこと(いかようにも人間は演出することができるということ自体)への怖さもある。

 偶然この二つが並んだということよりも、この二つを並べたその意図を強く汲んで、この句に政治的なメッセージを読み取ることも可能であろう。目の玉と炉。

 簡単なようで、複雑な目と炉の断面図。この二つが並んだ一句の奇跡的な暗い輝きについて、読者として、いち作者として、現代社会に属する一人として、考え続けている。

記:丸田

雪解くる道は療養所を出でゆく 石田波郷

所収:『臥像』(新甲鳥 1954)

療養所には門が二つあった。福永武彦は『草の花』で「正門から出て行くか裏門から出て行くか、――このサナトリウムに病を養う七百人の患者にとって、出て行く道は常にこの二つしかなかった。多くの者は正門から出た、そして幾人かは裏門から出た。私は鎖された裏門に手を掛ける度に、暗い憤りを禁じ得なかった」と記している。作中では東京郊外K村のサナトリウムとなっているが、清瀬の東京病院とみて問題ないだろう。福永と同時期に、波郷が入院していたこともある。

雪が解けることによって露わになる道、この道は生に続いている道なのか、死に向かう道なのか、一句から明確に読み取ることは出来ない。道に横溢する明るさは、妖しくきらめいて波郷を死へ誘うようでもあり、素直に春らしく生命を称えているようでもある。

福永武彦の日記が2012年に新潮社より出版されている。1949年2月8日の記述に「夕食後六番室に石田波郷さんを見舞ふ。俳人。二次成形後尚ガフキイが出るとのこと。一日も早く家庭に帰ることを目的としてゐるから気分にあせりがある。僕のやうにボヘミアンの気持に徹せざるを得ない者には、今日寝る場所が終の棲なのだが」終の棲とは、二人のあいだで一茶の話でもあったのだろうか。

福永の日記から波郷の眼は家庭に帰ること、生き続けることに強く向いていたと分る。波郷はその焦りのためか、外の世界まで自由に続いている「道」と、いつまでも療養所にいなくてはならない自分とを比較してしまう。雪解くるという上五には、一面雪だった冬が過ぎてもなお……という波郷の失望が込められているようにも感じる。ただ、冬が結核患者に厳しい季節だったことを踏まえると、冬を乗り越えた今、いずれ自分もあの道のように療養所を出てゆくのだという希望にも取れる。心のうちの明暗入り混じった句だろう。

記 平野

螢籠一夜明くれば乾きゐて 宗田安正

所収:『個室』(深夜叢書社 1985)

橋本多佳子の〈螢籠昏ければ揺り炎えたゝす〉が下敷きにあるとして、情念が燃え上がるような多佳子の句に比べると、いかにドライな目線をもっていることか。最後の力を振り絞って燃えたあとの、抜け殻、燃えて、燃え尽くして、それでおしまい、そんな螢をあざ笑うみたいに、ことごとく我が事から引き離し、心も乾き、ニヒルな笑みを浮べ、そんな自分をさらに他人として眺め、燃えていた時間をばからしく思う。ゐて、と突き放す、若かったんだな、と思わずにいられない。俳句から離れていったという宗田、その十九歳から二十四歳までの句が『個室』に収められている。

記 平野

母と海もしくは梅を夜毎見る 岡田一実

所収:『記憶における沼とその他の在処』(青磁社・2018)

日が落ちて夜のとばりが降りる。母を連れ立っての夜の散歩には二た通りの道がある。一つ目は海を見に行く道。二つ目は梅を見に行く道。その日の気分や体力、天候条件などが母子の散歩のルートを決定する。すっかりルーチン化した行程は特に母子に感慨をもたらすこともない。しかしそこには習慣しかもたらす事の出来ない美しい静寂がある。家を出て、歩き、家へ戻る。むろん若干の会話はあるのかもしれないが、二者の成熟した関係性の落ち着きは静寂を損なわない。互いに抱いていたわだかまりは長大な時間が溶解させた。互いを老いゆくものとして意識したとき、母子関係というよりもひとりの個としてお互いがお互いを見つめ直す。

——そんなことがあったりなかったりする夜の逍遥である。道のりの途中には夜の海辺に打ち寄せる波音が待ち受け、あるいはともすれば妖艶にも見える梅の花が香りを放っている。春が来ている。構成的にも見える、冷徹な手つき、修辞の充実にも一言触れねばなるまい。

岡田一実氏は第四句集『光聴』を上梓されるとのこと。2021年3月25日発売。版元は素粒社。

記:柳元