流れ合ふ卒業式の心かな 京極杞陽

所収:(調べて追記します)

「流れ合う」というフレーズは見慣れないものであるし、この句においてはその主語もはっきりしない。それに加えて「心」という抽象的なものを扱っているので、この句は私には捉えどころがない。

複数の人それぞれの心がお互いに流れる、つまりそれぞれの人の感情が川の流れのごとく緩やかに内面から外面へと表出されているということだろうか。実際、卒業式には喜びも悲しみも様々な感情が表情や会話に表れる。
以上のように意味を嚙み砕くことが可能であるならば、内容は特段珍しくない。しかし、その角度から読んでも、この句の良さは十分に分かっていないような気がする。

「流れ」「卒業」の取り合わせによって、時間、感情、川などの多様なイメージが「流れ」という言葉によって束ねられることで生まれるぼんやりとした抒情は、不明瞭な書き方によって引き立てられている。
先週私は卒業式を迎えたが、あの時間に感じたぼんやりした感情を反芻するようにこの句を読んでいる。

記:吉川

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