香水の一滴二滴籠りゐる 藤本美和子 

所収:『俳壇』10月号

シンガーソングライター、瑛人によるヒット曲「香水」の歌詞〈別に君を求めてないけど 横にいられると思い出す 君のドルチェ&ガッバーナの その香水のせいだよ〉に如実に現れているけれども、香水というのは人の記憶に結びつくようで、嗅覚が主だってその人を記憶させるということはどうやらあるようだ。

これはつまり、香水というものは、自分の匂いが他者に与える印象を加法的に操作可能にするものであるということであり、言い換えれば、香水というものは他者に嗅がれることを前提として商業的に流通しているものであるということだ。風呂に入る文化をもたなかったヨーロッパで匂い消しとして隆盛したことに鑑みても諾うことができるだろうけれど、おそらく香水の起源は他者にある。他者からのまなざしを内面化した文化であればあるほど、香水の香もその国土に広がると云うものだろう(もちろんその香りそのものの効用も楽しまれてきただろうけれど)。

ただし掲句は、家籠りのためにただ自分のために香水を付ける。一滴、二滴。確かめるように手首に落とす。掲句に書き込まれているのはそれだけだけれども、家篭りと言えども日々必要な勇気や決断のために、自分自身のために、朝のルーチンに香水を付けることが組み込まれている。

秋の蜂たたかひながらうち澄める 依光陽子

所収:『俳コレ』邑書林 2011

蜂同士が戦っているのか、蜂と他の虫が戦っているのか、それはこの句では定かではない。重要なのはそういった出来事ではなく、「うち澄める」と表現されているような戦う蜂の醸す緊張した空気感である。

蜂は人間にとって危険なもので、戦っているとなれば危険さは尚更だ。そんな蜂の周りに漂う緊迫した空気を「うち澄める」と表現したことで、この句には緊迫感だけでなく美的な感覚が現れてくる。蜂の動とその周りの空気の静との釣り合いが生む美。

蜂がただの蜂でなく、静かな秋の空気の中の蜂であること、「たたかひ」のひらがな表記が、この句の描く独特の美的感覚を支えている。

記:吉川

市売の鮒に柳のちる日哉 常世田長翠

所収:『近世俳句俳文集』(小学館 2001)

秋のよく晴れた、しかし夏の暑さがおさまった日。橋袂の市に魚売りがやって来る。鮒や他の魚が腐ってしまう前にと、魚売りは市を走り回る。路上の人を分けていく。喧噪のなかから、ようやく声がかかる。魚売りは天秤を肩からおろし、露地に置いた。まな板を取り出し、魚売りは魚を捌こうとする。その背後で色ついた柳が散っている。涼しい風が吹いている。川のにおいがあたりに漂う。柳の葉は魚売りをふき抜けて、桶の水に浮かぶ。一枚、二枚、と黄色の散り葉、水の面は秋の日射しを照りかえす。鮒は葉影をきゅうくつそうに泳いでいる。

鮒も、柳も、しっかり物として存在している。ふたつの物が市のなかで出会う、そこに衝撃ではないが調和のエネルギーが発生する。市の情景がよりリアルに立ち上がる。活写された市はどこか落ち着いて、それで涼やかである。

                             記 平野

雪片のつれ立ちてくる深空かな 高野素十

所収:『高野素十自選句集』(永田書房 1973)

つれ立ちてくるの動詞が巧みである。何もない空間にひとひらの切片が生じたと思えば、たがが外れたようにぞろぞろと降ってくる。時間の経過、そして雪への驚きがつれ立ちてくるで表現される。同じようなつれ立ちてくるの使われ方として、田中裕明の「夕東風につれだちてくる仏師達」がある。眼のまえに不意に仏師が現れて、この句もまたぞろぞろとである。

しかし不意とはいっても、ある程度予期していたのではないか、無意識の領域でなんとなく現れて来そうだな……と。つまり素十の句、冬の冴えた肌感からいよいよ雪になりそうだという予感がある。裕明の句は夕東風の生ぬるさから、また夕東風と雅な言葉で捉えたことによって、いかにも仏師が現れそうな感覚がある。考えるともなく考えていたものが、現に眼のまえで実現した驚き、それがつれ立ちてくるという動詞から受ける印象でもある。

                                 記 平野

畑打や鍬の光のたとへなく 小杉余子

所収:『余子句選』(岩岡書店 1936)

愉楽というか、恍惚とした世界がある。掲句を鑑賞しようとすると、大げさな表現をとるより他なく困る。

土を掘り起こす行為は、作物に命を宿す始まりとしてある。生きるために土を耕し、そして作物から命を頂戴するみたいな話である。自然と一体化した人間という言葉も浮んでくる。

土を耕す道具である鍬が、たとえようもなく光っているという。たとえようもない美しさと景を片付けるのは簡単で、しばしば決まり文句として使われる。しかし真実たとえる術ない美しさに出会ったならば、深く感じ入るより他はなさそうだ。表現しようと試みれば言葉が追いつかず、かえってその美を損なう結果になる。

光の度合いが人知を超越していることを、たとへなくは端的に表すが、陳腐に陥るおそれもある表現である。それが上手く活きている。

光という生の充溢、それを捉えられるだけの心境の深まりを思わせる。あらゆる事象の真実を直感する、といえばさらに胡散臭くなるが、自らの眼を欺かず、純粋な自然とのつき合い方である。またそうしたつき合い方でないと、たとえる術なき美とは出会えないのかもしれない。近年、こうした方面での佳句は少なくなったのではないだろうか。

                                  記 平野

水族館の肥満家族陰惨なマカロニ跳ね 赤尾兜子

所収:『虚像』(『赤尾兜子全句集』より )昭和57年 立風書房

水族館の肥満家族」という語が持つアイロニカルな響きは「見る/見られる」というまなざしの逆転に関係しているように思われる。一面ガラス張りの水槽で構成された水族館というのはもちろん展示された魚や海洋哺乳類を観察するための施設であって、われわれ人間はその場において、いつだってまなざしを投げかける側であった。

しかしながらここでは「肥満家族」はまなざしを投げかけられる側であって、水族館の親子連れは魚を観察する一方、冷徹な観察をもって「肥満家族」と位置付けられる。見ている側のはずがいつの間にか見られる側へと転落しており、まずそこにおいてユーモアがある。そして観察の視線を受け入れたが最後彼らは暗喩となってしまうのである。

暗喩としての「肥満家族」というものが仄めかすものについて正確に語ることは困難ではあるが、この句集は1959年から1965年までという、まだ戦後の気分が濃厚でありながらも高度経済成長期である頃に書かれたということが、気分として充足している感じがする。つまり「肥満家族」というのは、第二次世界大戦の敗戦を忘却しながら、アメリカナイズされつつ経済規模を太らせてゆく日本の姿そのものであり、それに対してぶつけられるイメージの「陰惨なマカロニ跳ね」というグロテスクさは、対米従属する戦後日本に対する兜子のペシミスティックな態度を示すものだったのではないか。

ちなみに兜子が住んでいた神戸にある須磨水族館は、諸説あるものの日本の水族館発祥の地であるらしい。

神戸に着いてもう少し述べると、永田耕衣が近所であったり、金子兜太も神戸に赴任していたり、他にも鈴木六林男、林田紀音夫、堀葦夫、伊丹三樹彦らも関西であって、関西に前衛が割拠していた状況があったことも同時に思い出したい。あの時代こそが、文学青年が俳句に真剣に打ち込める最後の時代だったのではないか、と悲観的に思ってみたりもするが、果たして兜子の鬱にあてられてしまっただけなのだろうか。

記:柳元

現れて消えて祭の何やかや  岸本尚毅

所収:『感謝』ふらんす堂 2009

綿あめや焼きそばなどの立ち並ぶ屋台、浴衣を着て歩く人々、祭り囃子などなど、祭は一晩で全て消えてしまう。
この句が書くのは上記のような当たり前のことだ。しかし、この句が普通のことを書いた句では終わらないのは、「現れて消えて」というフレーズにある。

終わった物事を惜しむ情、というのは俳句においてもよく見られるが、この句は祭が「消えた」ことだけに着目するのでなく、「現れた」ことにも着目する。
「現れて消えて」というように、相反する語が間髪なく連ねられることで奇妙な時間感覚が立ち上がる。祭が現れてから消えるまでに実際は数時間はあるはずだが、この句の上では実際の何倍ものスピードで時間が流れ出す。途端に祭の賑やかさ、熱気、エネルギーが現れ、途端に祭の熱気は消えて、寂しさ、儚さが立ち上がる。

すごいスピードで「現れて消えて」した祭は、もう「何やかや」と言うようなぼんやりとしたイメージしかもたらさない。
夢か奇術を見ていたのか、それとも狐に化かされていたのかという気分になってくる。
まるで朝起きた直後に、夢の輪郭だけ覚えているような不思議な感覚を思い起こす句だ。

と、ここまで奇妙さを強調して書いてみたものの、一瞬で過ぎ去った祭の楽しい時間から一晩明けて、祭の痕跡が一つもない会場の跡地を通った時の違和感は多くの人に共通するものだろう。
不思議ながらも普遍的なことを詠んだ句と表現するべきなのかもしれない。

月あらはにきはまる照りや夏柳 富田木歩

所収:『富田木歩全集』(素人社書屋 1935)

これまで多くの人が月に魅了されてきたが、その美しさを感じるポイントは人それぞれである。満月が良いと言う人もいれば、ほっそりとした三日月を愛する人もいる。雲がかかって、それでも収まりきらない月の大きさを褒める人もいるし、雲にうち延べられた月光に眼をとめる人もいる。厚い雲に覆われ、輪郭だけが伝わる月もある。そして掲句のように、視野いっぱいの夜空で皓々と輝く月もある。掲句は「あらはに、きはまる」と描写を重ねることで月の姿に迫っていく。見えすぎている月の照りになんだか吸い寄せられていく気分になる。

富田木歩は1897年に向島で生まれた。幼いころの病から足の自由がきかなくなり、以降生涯を通して歩くことは出来なかった。筆名は木の義足に由来する。歩きたい一心で自作したという。そんな木歩の眼に月はどう映ったのだろう。頭上で照り輝く月を見て、憧れにも似た気持ちになったのではないか。屋根の上にあがることも、月の方角へ歩くことも不可能な木歩である。きっと月に向かって手を伸ばした日もあっただろう。木歩のほかの月を詠んだ句に「背負われて名月拜す垣の外」があるが、ただ中秋の名月を称えている句とは趣きが違う。もっと真剣な、悲しみと言うべき感情が表白されているように思える。こうした様々な苦労のなか、句作に慰安の道を求めたという木歩だったが97年前の九月一日、関東大震災で亡くなる。そのとき木歩、二十六歳だった。

                  記 平野

人間に火星近づく暑さかな 萩原朔太郎

所収:『萩原朔太郎全集 第三巻』

俳句総合誌で髙柳克弘氏が引用しておられて掲句を知ったが、不思議と文人俳句の見えるディレッタンティズム的なゆとりが表れておらず、むしろ、うだるような暑さが、火星接近と嘘の因果付けをされて、われわれに差し迫ってくるような、強い印象がある。

原石鼎に〈火星いたくもゆる宵なり蠅叩〉というほぼ句材を同じにした、よく知られた句があるけれども、掲句においてのみという留保つきで言えば、石鼎のような本業俳人と比べても遜色ないばかりか、身体性との結びつきは朔太郎の方が幾分か上のようにも思えてくる。

しかし少し調べればそれもそのはずで、朔太郎は芥川龍之介や室生犀星の俳句を評して

一体に小説家の詩や俳句には、アマチユアとしてのヂレツタンチズムが濃厚である。彼等は皆、その中では真剣になつて人生と取組み合ひ全力を出しきつて文学と四つ角力をとつてるのに、詩や俳句を作る時は、乙に気取つた他所行きの風流気を出し、小手先の遊び芸として、綺麗事に戯むれてゐるといふ感じがする

だとか、

彼等の俳句には、芭蕉や蕪村の専門俳人に見る如き、真の打ち込んだ文学的格闘がなく、作品の根柢に於けるヒユーマニズムの詩精神が殆んどない。言はばこれ等の人々の俳句は、多く皆「文人の余技」と言ふだけの価値に過ぎず、単に趣味性の好事としか見られないのである。(いずれも「芥川龍之介と室生犀星の俳句」青空文庫より)

と述べているくらい、小説家の余儀としての俳句に関して厳しかった。そのまなざしは当然おのれにも向けられていたはずで、だとすれば朔太郎の俳句がむしろ「ヒユーマニズムの詩精神」を担保していなければおかしいのであった。

しかしながら現在からみるとさすがの朔太郎も打率の方はよろしくなかったようで、彼の句を見る限り全ての句が粒揃いというわけにはいかないけれど、それでも、〈プラタヌの葉は散りはてぬ靴磨き〉〈虹立つや人馬にぎはふ空の上〉といった句には確かにヒューマニズムを信じている人間のみが持ちうる危うさが満ち満ちていて、特に二句目における空中都市の幻視は非常にみるものがあるように思える。文人俳句というくくりで彼を捉えようとしたことを申し訳なく思ってみたりもするのだった。

記:柳元

鵙がをり鵙の論理はきらきらと 加藤楸邨

所収:『まぼろしの鹿』思潮社 1967

 鵙の句で楸邨といえば、〈かなしめば鵙金色の日を負ひ来〉(『寒雷』1939)の方が有名かと思う。三橋敏雄に〈かもめ来よ天金の書をひらくたび〉(『まぼろしの鱶』1966)もあるが、金色と鳥の相性の良さを思わせられる佳句である。

 鵙の様態や習性を見ていて「鵙の論理」という言葉に到着した時点で、おそらくこの句はもうそれで十分なほどの満足がある。残酷にも思える習性に対して、「論理」というシャープで冷えた言葉で仕留められたら、私だったらすっかり満足してしまう。
 この句はそこで留まらない。鵙がいるという状況を最初に提示することで、映像に緊張感が生まれ、「鵙の論理」という内的なものが宙ぶらりんになることなく、今そこにいる鵙に論理がたしかに内在しているのだという説得力と迫力が生まれた。
 そして「きらきらと」。きらきらという言葉は非常にライトで、それだけだと手放しに褒めているような浅さを伴ってしまう(ことが多い)。童謡の「きらきら星」のような形で、幼稚なイメージも若干ある。掲句ではその付帯する幼稚さや軽さのイメージが、邪魔することなく、かえって武器になっている点が魅力になっていると思う。
 ここが例えば「整然と」であった場合、別に悪くはないが、論理が整然としているんだな、ということだけで終わる。「論理」という語もそれほど効いてこない。他に「どろどろと」であった場合、鵙のイメージ通りに終わってしまう。そりゃあどろどろしてるよなあ、と簡単に飲み込まれて終わる。
 そこが「きらきらと」であることによって、鵙のイメージ(恐怖・残酷……)との乖離と、言葉としての「きらきら」の軽さと(論理の)内実の重さの対比が、重なって深みが生まれている。皮肉、のような。「きらきらと」の「と」の残し方も良い。明るいようで暗くもある後味が愉しめる。

 上五の入り方で臨場感を出し、「論理」という言葉で仕留め、「きらきらと」で現実でも言葉の面でも裏を透かして深さを増す。非常に構成が凝っていて、さらっとしているようで読めば読むほど重くかつ眩しく響いてくる、名句だと思う。
 楸邨は動物の句がかなり多く、鵙の句も他に十数句ある。「きらきらと」は皮肉めいた部分だけではなく、鵙への愛着からくる本心の「きらきらと」でもあるのだろうと思う。動物句では真っ先に思いだすお気に入りの一句である。

記:丸田