名曲に名作に夏痩せにけり 高柳克弘

所収:『未踏』ふらんす堂 2009

夏バテなのか最近体調が優れない。この記事も本来は木曜日に挙げていなければいけないのだけれど、体調の優れなさに身をまかせているとすっかり忘れていた。すみません。

掲句の季語、「夏痩せ」は夏の食欲減退で体重が減ってしまうことを指す。
しかし、掲句を読むと「名曲」と「名作」によって「夏痩せ」が起きているかのように書かれている。

「名曲」や「名作」の持つ力は鑑賞者を感動させるなどのポジティブな方向に働くとは限らない。作品の持つ力に圧倒されて滅入ってしまうこともある。「名曲」と「名作」が連なって書かれることで重みが増し、そのニュアンスが強く掲句には表れている。

掲句の収録されている句集『未踏』には〈 マフラーのわれの十代捨てにけり 〉〈 卒業は明日シャンプーを泡立たす 〉等の青春詠が多くあるが、掲句にもその匂いは感じられるかもしれない。

記:吉川

酒が飲める ことがうれしい CM の歌 むごすぎる 「けっこう 見ていきましょう 伊舎堂仁

所収:「ねむらない樹 vol.4」書肆侃侃房 2020

 連作「たすけて」より。当書は新人賞の選考結果が掲載されている号であり、どうしても小さくまとまってしまう(傾向的に)応募作品たちの後の二つ目にこの連作が載っていて、その差が非常に印象的だった。見た目から自由の作品で、最後の一首は下の句が手書きになっている。

 伊舎堂仁の短歌には、ふざけているような面白いものが多い。ただ大喜利をしているだけなのではないかというような歌も見られる(そもそも短歌そのものが、短歌という大喜利の蓄積でしかないのかもしれないが……)。ただ、ここで考えさせられるのが、そのふざけ方が、ふざけるしかなかったように見える瞬間があることだ。それは、自分がいじめられた経験を、敢えて笑い話にすることで乗り越えようとする感覚に似ている(違うかもしれない……)。別に誰かを笑わせようと思って書いているのではなく、真に思ったことを表現するにはその在り方でしかなかったというふうな。
 歌集『トントングラム』(書肆侃侃房、2014)で、加藤治郎は帯に「少し笑ってから寝よう。」「短歌エンターテインメントの世界」と書いている。売り出すために「笑い」「ユーモア」のジャンルに入れられたのだろうが、加藤が解説で触れているように、簡単に笑っていられるような作品ばかりではない。

  献血かぁ 始発までまだあるしねと乗ったら献血車ではなかった  『トントングラム』
  はだいろの団地にいたのです すさまじいもの埋めてでてきたのです  同
  由来は、ときいてもすぐにはこたえてはくれずにカップをおいて「蛍が、  同

 献血の「かぁ」の感じ、乗った車が分からない恐怖。「はだいろ」の団地とは、埋めた「すさまじいもの」とは何か。名前の由来ですぐに答えださない理由。シンプルなお笑い短歌を作っている人だと見られはしないかと、帯を見るたびに未だに心配になってしまう。

 笑う、ということは、冷酷さと表裏一体であったりする。無防備に笑える歌と、ぞっとするようなユーモアの歌が頻繁に交替することで、そういう「笑い」の性質について思わされる。

 短歌、というものも、冷酷さと一体なのではないかと思う。短歌にするということは、リズムと文脈の上に乗るということだから、過剰に装飾されてしまう部分や、省かれてしまう部分、取りこぼしてしまう部分、歪曲してしまう部分などがある。それを暴力と言っては極端かもしれないが、冷たいな、と思うことは今も頻繁にある。
 短歌というか、書くこと、話すこと自体にそもそも、そういうものが付きまとうのだろうとは思う。伊舎堂の作品は、定型でないものだったり、短歌っぽくない単語(短歌っぽい単語とはなんだ、とも思うが、「桜」「光」「夏」などよりは「闇金ウシジマくん」「2000万」(連作「たすけて」より)の方が、ぽくない単語だと感じる)が多い。それは、「っぽく」なって、思っていることが歪められるのをできるだけ拒否しようとしているのではないかと思う。その拒否の力が強いあまりに、独特の寄せ付けない力が歌群に在るように思うが、それこそがオリジナリティだろうと私は思う。

 さて〈酒がのめる ことがうれしい〉の歌について、怖い、と最初に思った。誘拐されているような気持ちになったからである。一字空きの多用が、上から読んでいって、どういう風に続いていくかがまったくわからなかった。「酒が飲める」から、仕事終わりとかかなと思えば、「ことがうれしい」になって、20歳になったのか、急に酒に感謝し始めたのかと思えば、「CM」になって、CMの話だったのかとなり、「歌」「むごすぎる」になって、歌?惨い?とCMの歌を思いだそうとしている瞬間に、「「けっこう」で、混乱する。何かの酒のCMの声が入ってきたのか、誰かがCMに対して喋りだしたのか(「けっこう」で始まる有名なCMがあるのかもしれないが、私は知らなかった)。混乱しているときに、「見ていきましょう」と言われる。CMの歌がむごいと言っているのに、それを見ていこうというのはどういうことか。惨いから逆に見たくなる、スプラッタ系の映画の感覚なのか。もしかしたら見ていく対象がCMではないかもしれない。何が何だか分からない。目隠しして攫われて、誘拐犯同士で全く関係ない話をし始めたみたいな(「コンビニで飲み物買っていこうぜ」的な)恐怖がある。
 他の歌、連作タイトル「たすけて」も考慮すると、私たちは、気付かないうちに笑うしかないような怖い事実に囲まれていることが分かる。
 以下、まとめに代えて。

 すこし怖い 日常 のリズム(笑)(詠)「これからも 見ていきましょう

 

記:丸田

葬儀屋の薦めもありて松竹梅のうち竹コースで葬儀を頼む 王紅花

所収:『夏の終りの』砂小屋書房 2008

昨今は葬儀屋もチェーン展開のものが跋扈し、全国的にサービスが画一的になっているらしい。

そもそも慶事・吉祥に用いられる「松竹梅」という語を等級としてコースに冠するこの葬儀屋が、誠実な業者であるとは全く思えない。おそらく遺体も乱雑に扱うだろうし、通夜の料理なども何ならつまみ食いくらいしそうである。悪徳というか不誠実である。

葬儀屋は資格がいらず、名乗るだけなら誰でも出来るという。それゆえ30ほどの民間資格が乱立しているというのはネットの情報だが、あながち当たらずとも遠からずといったのが実情だろう。

けれども、そのやる気のない葬儀屋の勧め通りに「まあそれでよいか、真ん中くらいで。あの故人にはちょうどよいコースだろう」と竹コースを頼む作中主体のドライな振る舞いかたの方をここでは特筆すべきだろう。

葬儀に松竹梅という等級があるばかばかしさ、そしてその愚かしさを自ら進んで引き受ける作中主体の乾いたユーモア。非知性的な行いに自らを投じ、かつそれを書きつけるときにのみ立ち現れる、免罪された諧謔。何とも形容し難いゆかしさがある。

記:柳元

蛍火のほかはへびの目ねずみの目  三橋敏雄

所収: 『長濤』 沖積舎  1996

「へび」と「ねずみ」の平仮名表記のせいか子供の頃のことを思い出した。
親に、夜に口笛を吹くと蛇が来ると教えられていたこと。
『おしいれのぼうけん』(ふるたたるひ、たばたせいいち 作 童心社)という絵本では、押入れの中の不思議な世界には怖いねずみばあさんがいたこと。
暗がりと「へび」「ねずみ」は結びつくと幼心に怖いものだった。
この句では蛍火と並列に「へびの目」「ねずみの目」が並列して配されることによって、光るはずもないそれらが夜の草むらの中でひっそりと獲物を狙って妖しく光っているような気がしてくる。
蛇や鼠の目が光る、というのはフィクションなのだけれど、そのはったりをかますことで蛍が照らすことはできない草むらの暗がりの不気味さが描かれている。

幼い頃蛍を見た時のことを思い出すと、蛍に目も心も奪われながらも、蛍のいる草むらにまでは近寄れなかった気がする。具体的に「ねずみ」や「へび」に怯えていたわけではないけれど、この句の描く不気味さが確かにそこにはあったのだろう。

記:吉川

佇てば傾斜/歩めば傾斜/傾斜の/傾斜 高柳重信

所収:『蕗子』東京太陽系社 1950

 横書きでは本来の味は出ないが、

  佇てば傾斜
   歩めば傾斜
    傾斜の
     傾斜

 というふうになっている。「傾斜の/傾斜」という展開のさせ方に眩暈感を覚える。「佇てば」は、「たてば」なのか「まてば」なのかは分からないが、「歩めば」との繋がりで、なんとなく「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」の言葉を想起する。立っても歩いても傾斜があるばかり。傾いて傾いて仕方がない。傾斜自体も傾斜してしまって。
 この連続する感覚は、〈「月光」旅館/開けても開けてもドアがある〉(同)にも共通するものがあるように思う。どこまで行ってもそれしかないことの冷たい恐怖。

 視覚的な効果をよくよく練られて作られた句が重信には多いが、この句も各行の先頭が一字ずつ下がって、傾いた斜めの線が見えるようになっている。ただ、二行目「歩めば傾斜」の「斜」が一字だけ飛びだしてしまっている。ここに狙いがあるのかもしれないが、個人的には、ここが揃っていれば整然として(いい意味で)より気持ち悪くなるだろうと思う。または最後の「傾斜」を三行目に持ってきて、平行四辺形のようにしていたかもしれない。こう見ていると、ふだんの俳句表現とは全く違う見方で見ているなと思う。文字をどう配置するか、文字自体がどう見えてくるか、という視点。文字で行う芸術であるから、当たり前のものではあるが。

〈●●〇●/●〇●●〇/★?/〇●●/ー〇〇●〉(『伯爵領』1951)のような意味がとことん排除されていったもの(「?」の疑問や、〇と●の交替からなんらかの規則・意味を見出せるかもしれないが)は極端だが、句自体を文字の集合として、全体の見え方を思考・操作するというのは非常に大事だと読むたびに気づかせてくれる。

記:丸田

追記:〈●●〇●/〉の句について、重信作のように記述しましたが、澤好摩 『高柳重信の一〇〇句を読む』(2015)にて重信作ではないと指摘されているとのコメントをいただきました(当書は筆者未確認)。林桂の時評を扱ったサイトにも、弟・年雄が作ったものを重信が句集に掲載することを黙認したとあります。『伯爵領』掉尾の句が弟作であったとは知らず驚きました。訂正に代えてそのほど追記しておきます。(2020/7/29 19:55)

クレヨンの黄を麦秋のために折る 林桂

所収:『銅の時代』(牧羊社 1985)

クレヨンを折ったのはなぜだろう。

麦の穂を描くために、折れたクレヨンの尖りを利用したから……実用的に考えるならば何ら不足のない読みに思える。しかし果たしてそれだけで良いのだろうか。

クレヨンは幼さのイメージと結びつく。クレヨンを折るという行為には幼さから脱すること、いわば成熟への願いが込められる。麦秋を(描く)ために、クレヨンを折らなくてはならない。そこには折る必要性があり、焦燥感に駆られているようにさえ思う。幼い自分のままで、麦秋を描くことは出来ないのだ。

このとき描かんとする麦秋とは「母」である。鬼房の「陰に生る麦尊けれ青山河」を引き合いに出すまでもなく、麦は生命力と強く結びつく。生命を供給してくれるのが大地であり、人類は「母」なる大地の懐に抱かれながら成長してきた。ものを描く第一歩は、対象を自分から引き剝がす事だという。「母」の懐に抱かれていたままでは、決して「母」を描くことは出来ない。だからクレヨンを折って成熟することで、麦秋という「母」から乳離れをしようとする。

掲句の初出は昭和49年。作者が21歳の時で、ちょうど今の僕らとおなじ歳の頃だ。『銅の時代』の帯文で、加藤郁乎が「林桂君の青春喪失を祝福しよう」と記している。江藤淳の『成熟と喪失』を思いうかべながら、背景となる時代と、その心理への影響、そして現在との差がぼんやりと見えてくる。

記:平野

桟橋の絵に掛けかへた自室だが、僕が戻つて来ることはない 松平修文

所収:歌誌『月光』No.54

木組みの浮き桟橋には穏やかに波が寄せ、帆を畳んだヨットが繋ぎ止められて上下する。港の様子のなかでも桟橋の景は殊に美しい。飛んでいる海猫に光が散らつく。絵に写し取られると優しげな波音は失せてしまうが、海に反射する光は染料を得てカンバスの上に定着する。

僕は桟橋の絵に自室の絵を掛け替える。絵が窓の役割を果たすなら、室内からはその桟橋の景が見えたに違いない。海の光はその部屋を明るくしたのだろうか。おそらく明るくしただろう。

松平修文は北海道出身、画家でもあった。掲歌は遺稿「よいいちにちを」から。迫る死が意識されながら書かれたものであるはずである。2017年の11月に直腸癌で永眠している。

記:柳元

かたちなき空美しや天瓜粉 三橋敏雄

所収:『鷓鴣』(南柯書局 1979)

なんてことない景色が妙に懐かしく、頭のなかでしばらく咀嚼していると、思いもよらない記憶をたぐり寄せてしまうことがある。どこで見たのかも分らないし、自分で眼にしたはずがない景色に出会ったりする。

八月十五日の空は雲一つない快晴で、明瞭としない天皇の言葉によく分からないまま首を垂れていた。というような話をよく聞く。それで、戦後、あまりに晴れた夏空を見上げていたら、当時のことを思い出してしまう。こう話は続くわけだが、僕には夏の空がそのまま終戦の記憶につながる事はない。体験していないのだから当然の話だ。

でも、掲句を読んだときに八月十五日の空が眼の前に広がった。それが単なる晴れた空ではなく、確かに終戦の日の空だと分る。実際には見ていないから、昔テレビかどこかで作られた空が重なっているのだろう。へんてこな空だと思う。言われてみれば確かに空はかたちがない。この不定形というのが自由な想像を許す。様々なイメージを空に仮託して、もの思いに耽ることを可能にする。視野に区切られた空が空の全てではないし、眼前に広がる空は太古より変わりがない。不定形なのに変わりがない。青の奥の茫洋とした空間に歴史が隠されている気がする。そんな空の面を雲は自在に流れるばかりである。

記:平野

すすみ来し空間かへす一蛍火 山口誓子

所収:『青女』中部日本新聞社 1950

山口誓子の蛍の句と言えば、同じ句集におさめられている「蛍獲て少年の指みどりなり」が有名だろうか。この句とはまた違う趣が掲句にはある。

こちらに向かって飛んできた1匹の蛍が引き返していった、というだけの内容ではあるが、「空間」という語の選択がこの句に奥行を与えている。蛍の光は小さく周囲を照らし、まさに空間を立ち上げる。こちらに来た蛍がまた引き返すことで、蛍が立ち上げる空間はより強く意識され、暗い視界の中、蛍が飛んできた暗がりだけが奇妙に浮き上がる。蛍を見るという体験にある不思議な感覚、その1つを言い留めている1句なような気がする。

記:吉川

バスが来るまでのぼんやりした殺意 石部明

所収︰『現代川柳の精鋭たち』(北宋社 2000)

 バスが来るまでぼんやりとした殺意を抱く。抱く、というほどでもないかもしれない。ぼんやりと頭のなかが、体が、殺意でいっぱいになっている。バスが来たあと、この殺意はどうなったのだろう。消えたのか、忘れたのか、違う気持ちに変化したのか。その殺意は「ぼんやり」と言いながら、たしかに「バスが来るまで」はあったという事実に、ひやりとするものがある。バスがもし永遠に来なかったらと思うと、更に……。

記︰丸田