こうねんは きょり あげはちょう いたんで いく 福田若之

所収:『自生地』(東京四季出版、2017)

 すべて平仮名で記されていることや、一字空きの連続でスピードアップ(またはその逆)していることの、表記的な面で目に留まる作品である。個人的には、字空きにはいくつかの種類があると思っていて、これはその中でもシンプルというか、意味どおりに切られているものだと思う(他には、意図的に意味や発音を破壊するために、無秩序に切る字空きもある)。ふつうの(?)形で必要とされる一字空きは、「きょり/あげはちょう」の意味が切れる部分だろう。敢えて他にも切られていくことで、連続する写真のように、切れながら(明暗繰りかえしながら)(まばたきのように)続いていく様子が想起できるようになっている。

 奥坂まやの〈芒挿す光年といふうつくしき距離〉(『縄文』2005)もあるが、「光年」という言葉の持つ美しさに加えて、美しさのもっている暴力性みたいなものにも目を向けて詠まれており、単純に蝶が光のなかにいるような美的な作品に留まることなく、光の句でありながら十分に影も感じられるような深みのある句であると思う。

 モンシロチョウのような小さな蝶であれば、傷んでいきそうな気もするが、あんなに光に慣れているような大きい鳳蝶でも、光年という「きょり」には傷んでいってしまうのは驚きがある。光に対する蝶の習性も思わせられながら、美しさとその影が同時に迫ってくる、鋭い一句であると思う。

記:丸田

縊死もよし花束で打つ友の肩 小宮山遠

 所収:『頂点』34号(出版年不明、分かり次第追記)

アンソロジーが組まれる際の政治性や恣意性に愚痴を吐き酒を煽る俳人は一定数いるようで、なるほどそれによって形成されるグルーピングが生んだ悲劇というのは確かにあるだろう。例えば一般的に昭和30年世代というときに夏石番矢が含まれないということはよく指摘されるし、夏石番矢が外されたのは俳壇政治的な判断があったのだろうという推測もよく聞く。俳壇が清らかな水の拡がるコミュニティでないことは百も承知だから、これらを一概に無益な物言いだとは思わないけど、ただこう言ったアンソロジーが産む悲劇を救うものもまたアンソロジーなのであろうし、アンソロジーはそうあるべきだと思う。

というのも掲句は、塚本邦雄の『百句燦燦』に取り上げられているものであり、恥ずかしながら筆者はこのアンソロジーがなければこの作者のことを知らないままだっただろう。小宮山遠は1931年静岡生まれで、高校在学中に秋元不死男を知り、「氷海」創刊と共に参加している。冨田拓也が豈に連載していた俳句九十九折では、斎藤慎爾や江里昭彦らが推すもののやはり現代においてはマイナーポエットと呼ぶしかないという認識を示されていて、しかしながら10代にして強靭な文体を持つ早熟な天才として広く覚えられてよいのではないかというかたちで評を付けている。

掲句も、私小説的なのか擬私小説的なものなのかは分からないけれども、そういう勘繰りは無用に思えるほどの充実がある。立ち上がる景は幾つかあって、縊死をするのが自分なのか友なのかによってぶれはするだろう。塚本も書くように、縊死をするのが自分なら、骨を拾ってくれよという意味合いで友の肩を叩くことになるだろうし、逆に友が縊死をするなら、またそれもよしと、花束で友の肩を叩くという、並々ならぬ友情としか言えない何かがある。主体がぶれるというのは通常俳句では嫌われるから、むしろよく塚本が拾ったものだと感心した。

記:柳元

入口のやうにふらここ吊られけり 齋藤朝比古

所収:『累日』角川書店 2013

ぶらんこのイメージとは非なる不気味な1句。

私は齋藤の句を『俳コレ』(邑書林 2011)でしか読んでいないので句集を読むとまたイメージは変わるのかもしれないが、端正でありながらどこか無気力、気怠げな印象を受ける。

自転車にちりんと抜かれ日短
どんど火に地球儀とけてゆきにけり (いずれも『俳コレ』より)

1句目は自転車に抜かれるというなんでもない事を「ちりん」という擬音で軽みを持って表現している。2句目は物が燃える刺激的な光景ではあるのに対し、描写は「溶ける」というシンプルな動詞と、句の温度感は1句目とそう変わらないように見える。
上記のような物事の把握、表現がどことなく大づかみな句が並んでいることで、周りの事象を少し離れてぼんやりと見る視線が見えてくる。

そんなぼんやりとした視線が異界を見つけてしまった、というのが掲句だ。〈自転車〉や〈どんど火〉の句と変わらない力みのない視線だからこそ、異界は摩訶不思議な事象のまま、より強烈な印象を残す。

記:吉川

天の川音のするまで右に廻し 岡野泰輔

所収: 『なめらかな世界の肉』(ふらんす堂、2016)

 岡野の句集を読むと、素直、奔放、あたりの言葉が思いつく。思ったことをそのままに言うことの力がある。〈音楽で食べようなんて思ふな蚊〉、〈菊膾こつこつやる人がえらい〉、〈花冷えや脳の写真のはづかしく〉など。それがあまりに素直すぎて、失敗に終わっている句も散見されるように思う。しかし、作者特有の妖しさがそれに加算されたとき、魅力的な句になっている。

〈永き日の死は犬よりも育てやすき〉は、死が「育てやす」いのが怖い。育てるものという認識が一番怖いのに、「犬よりも」という面白さで中和しようとしている奇妙すぎるバランス感覚がさらに怖い。〈しどけなきデージー見せてそれから銃〉の「デージー」からの「銃」の落差に迫力があり、「見せてそれから」の剽軽さもかなり怖く、魅力的である。

 掲句〈天の川音のするまで右に廻し〉も、一見、天の川を奔放に使って(使いまわして?)いる句だが、「音のするまで」がイメージの天の川を、生の(?)音の鳴る天の川にしている。何も情報がない状態で天の川を回そう、とは流石にならないだろうから、回せば音がすることをどこからか知ったのだろう。そして、「右に」という具体的な駄目押しから察すると、おそらくこの音はオルゴールのようなもともと音を主としているものではなくて、宝箱のようなものを解錠するときの音ではないだろうか(初めて音が鳴ることを発見したのなら、「右に回すと音がする」という語順になるのが自然)。この句を妖しいものとして捉え直したとき、天の川を右に回した後に起こることは何だろう。宇宙という大きな箱が開いて、主体は何かを目撃することになるのか。
 もしかすると、開けたあとの施錠の操作かもしれない。岡野の作品が一瞬見せる世界は、妖しく冷気をもって伝わってくる。

わが少女花火明りに浮きて駈く 岸田稚魚

所収:『自註現代俳句シリーズ・続編3 岸田稚魚集』(俳人協会 1985)

空へ花火が咲いて少女が照らされる。暗闇の中から浮び上がるようである。というありきたりな景として読みながら、それにしても「わが少女」とは強い表現で、エゴイスチックな匂いもあると思っていた。岸田稚魚の自註によると「千葉の長者町は幼きころよく遊びしところなり。折しもの燈籠流しあり。橋上を走るは孫娘なり。昔おもひて感に堪へざりき」駈けている孫娘を見て、自らの幼き日を思い出した。素直に読めば、そうなる。

しかし、どうしても「わが少女」の表現が気になる。「感に堪へざりき」とぼやかしてはあるが、一種の照れのようなものではないか。つまり「わが少女」とは〈わが胸のうちの少女〉である。裏に〈わがものに出来なかった少女〉の意を含む。

ひそかに懸想したものの、成就しなかった少女。その少女も、現在はお婆であろうか、それとも燈籠流しとみるに既に亡くなっているか。どちらにせよ、 花火を見ていて心に浮かぶ、かの少女の面影。溌剌とした少女のままで、胸のうちを駈けている。恋と懐旧は花火とよく合う。

記 平野

香水の一滴二滴籠りゐる 藤本美和子 

所収:『俳壇』10月号

シンガーソングライター、瑛人によるヒット曲「香水」の歌詞〈別に君を求めてないけど 横にいられると思い出す 君のドルチェ&ガッバーナの その香水のせいだよ〉に如実に現れているけれども、香水というのは人の記憶に結びつくようで、嗅覚が主だってその人を記憶させるということはどうやらあるようだ。

これはつまり、香水というものは、自分の匂いが他者に与える印象を加法的に操作可能にするものであるということであり、言い換えれば、香水というものは他者に嗅がれることを前提として商業的に流通しているものであるということだ。風呂に入る文化をもたなかったヨーロッパで匂い消しとして隆盛したことに鑑みても諾うことができるだろうけれど、おそらく香水の起源は他者にある。他者からのまなざしを内面化した文化であればあるほど、香水の香もその国土に広がると云うものだろう(もちろんその香りそのものの効用も楽しまれてきただろうけれど)。

ただし掲句は、家籠りのためにただ自分のために香水を付ける。一滴、二滴。確かめるように手首に落とす。掲句に書き込まれているのはそれだけだけれども、家篭りと言えども日々必要な勇気や決断のために、自分自身のために、朝のルーチンに香水を付けることが組み込まれている。

秋の蜂たたかひながらうち澄める 依光陽子

所収:『俳コレ』邑書林 2011

蜂同士が戦っているのか、蜂と他の虫が戦っているのか、それはこの句では定かではない。重要なのはそういった出来事ではなく、「うち澄める」と表現されているような戦う蜂の醸す緊張した空気感である。

蜂は人間にとって危険なもので、戦っているとなれば危険さは尚更だ。そんな蜂の周りに漂う緊迫した空気を「うち澄める」と表現したことで、この句には緊迫感だけでなく美的な感覚が現れてくる。蜂の動とその周りの空気の静との釣り合いが生む美。

蜂がただの蜂でなく、静かな秋の空気の中の蜂であること、「たたかひ」のひらがな表記が、この句の描く独特の美的感覚を支えている。

記:吉川

市売の鮒に柳のちる日哉 常世田長翠

所収:『近世俳句俳文集』(小学館 2001)

秋のよく晴れた、しかし夏の暑さがおさまった日。橋袂の市に魚売りがやって来る。鮒や他の魚が腐ってしまう前にと、魚売りは市を走り回る。路上の人を分けていく。喧噪のなかから、ようやく声がかかる。魚売りは天秤を肩からおろし、露地に置いた。まな板を取り出し、魚売りは魚を捌こうとする。その背後で色ついた柳が散っている。涼しい風が吹いている。川のにおいがあたりに漂う。柳の葉は魚売りをふき抜けて、桶の水に浮かぶ。一枚、二枚、と黄色の散り葉、水の面は秋の日射しを照りかえす。鮒は葉影をきゅうくつそうに泳いでいる。

鮒も、柳も、しっかり物として存在している。ふたつの物が市のなかで出会う、そこに衝撃ではないが調和のエネルギーが発生する。市の情景がよりリアルに立ち上がる。活写された市はどこか落ち着いて、それで涼やかである。

                             記 平野

雪片のつれ立ちてくる深空かな 高野素十

所収:『高野素十自選句集』(永田書房 1973)

つれ立ちてくるの動詞が巧みである。何もない空間にひとひらの切片が生じたと思えば、たがが外れたようにぞろぞろと降ってくる。時間の経過、そして雪への驚きがつれ立ちてくるで表現される。同じようなつれ立ちてくるの使われ方として、田中裕明の「夕東風につれだちてくる仏師達」がある。眼のまえに不意に仏師が現れて、この句もまたぞろぞろとである。

しかし不意とはいっても、ある程度予期していたのではないか、無意識の領域でなんとなく現れて来そうだな……と。つまり素十の句、冬の冴えた肌感からいよいよ雪になりそうだという予感がある。裕明の句は夕東風の生ぬるさから、また夕東風と雅な言葉で捉えたことによって、いかにも仏師が現れそうな感覚がある。考えるともなく考えていたものが、現に眼のまえで実現した驚き、それがつれ立ちてくるという動詞から受ける印象でもある。

                                 記 平野

畑打や鍬の光のたとへなく 小杉余子

所収:『余子句選』(岩岡書店 1936)

愉楽というか、恍惚とした世界がある。掲句を鑑賞しようとすると、大げさな表現をとるより他なく困る。

土を掘り起こす行為は、作物に命を宿す始まりとしてある。生きるために土を耕し、そして作物から命を頂戴するみたいな話である。自然と一体化した人間という言葉も浮んでくる。

土を耕す道具である鍬が、たとえようもなく光っているという。たとえようもない美しさと景を片付けるのは簡単で、しばしば決まり文句として使われる。しかし真実たとえる術ない美しさに出会ったならば、深く感じ入るより他はなさそうだ。表現しようと試みれば言葉が追いつかず、かえってその美を損なう結果になる。

光の度合いが人知を超越していることを、たとへなくは端的に表すが、陳腐に陥るおそれもある表現である。それが上手く活きている。

光という生の充溢、それを捉えられるだけの心境の深まりを思わせる。あらゆる事象の真実を直感する、といえばさらに胡散臭くなるが、自らの眼を欺かず、純粋な自然とのつき合い方である。またそうしたつき合い方でないと、たとえる術なき美とは出会えないのかもしれない。近年、こうした方面での佳句は少なくなったのではないだろうか。

                                  記 平野