きつねのかみそり一人前と思ふなよ 飯島晴子

所収:『春の蔵』永田書房 1980

きつねのかみそりはヒガンバナ科の植物で、お盆の頃になるとややオレンジがかった朱色の花を咲かせる。花弁は6枚あって、そのいちまいいちまいが鋭い形状をしている。山中で狐が剃刀として使っているのだろうという連想からこう言った呼び名になったようである。

「一人前と思ふなよ」という呼びかけがこの季語と呼応するのは、剃刀というものが髭なり体毛を剃るものであり、剃刀を使い始める時期がちょうど大人と子供を分ける境目に当たるからだろう。

思えば初めて剃刀を使ったのは中学生の時で、産毛のような毛が口周りに生えてきて濃くなっていくものだから気持ちが悪かった。それを見兼ねた母親が安全剃刀を与えてくれたのだが、妙に気恥ずかしかったのを覚えている。

記:柳元

涼し 吉川創揮

 涼し   吉川創揮

夏立つや白熊の黄の腹這いに

蛇の衣うすぼんやりの続きたり

校庭のこゑを見下ろす目高かな

うっとりとスプーンの落下更衣

夕立や戸棚開けば奥匂ふ

花あやめ水たまりとは繰り返す

空つぽの胃のかたちある端居かな

白い天井泳ぎきし髪一束に

夏の蝶ペットボトルに吸殻が

てのひらの白くすずしく別れかな

紫陽花や傘盗人に不幸あれ 西村麒麟

所収:『鴨』 文學の森  2017

傘をわりと失くす性分なので思い出す機会の多い1句。

この句から立ち上がる主体の姿はおかしくも可愛げがある。
「傘泥棒」ではなく、あえて古めかしく大仰な印象を与える「傘盗人」という造語の選択、これまた大仰な「不幸あれ」というフレーズ。この大仰さはなんとなく冗談めかした物言いの印象を生む。この句の主体は、自分の傘が盗まれたことに落胆半分、傘を盗んだ人を呪ってやる!!とその状況を楽しもうとする気持ち半分なのだろう。そんな主体のありようから、盗まれたのが数百円の透明なビニル傘であろうことも見えてくる。

傘と紫陽花の組み合わせは、梅雨頃に小学校で配られるプリントの端にあるイラストで必ず見るベタさがあるけれど、そのベタさがこの句の戯画的な情緒を十分に引き出している。

記:吉川

未来から過去へ点いたり消えたりしている電気 普川素床

所収︰『現代川柳の精鋭たち』(北宋社 2000)

「ユモレスク」中の、広がりのある一句。内容についても韻律についても、言いまくる。私だったら、未来か過去の一つ、点くか消えるかの一つで済ましているように思う。この句は全部言っている。言わなければ、言えなかったのだろう。
 この句の不思議なところは、「現在」が消えている(ように見える)ことだと思う。例えばここで、「未来へ過去へ」だったら、現在を中心に、未来と過去があり、現在から違う時間に向かって電気が明滅していると取れる。それならスムーズに読める。(犬が、過去に向かって吠えている、というような作品をどこかで見たことを思い出す。)
 ただこの句では、未来出発の過去到着であり、現在はスルーされている。もし、これが「電車」であれば、現在も同じように通過していくのだろうと想像ができるが、これは「電気」である。「点いたり消えたり」の二つの動作に、通過のイメージは考えにくい。点く瞬間と消える瞬間があって、その動機として未来や過去があるだけであり、なんの意味も与えられていない、点いている/消えている現在は、ほぼ無視されている。ここが、不気味に感じる。
 韻律を大きくはみ出すことを厭わず、ここまで全部言っているのに、現在が書かれていない。今この電気はどの時点で発見され、誰がそれを見ているのか。もしくは、誰も見ていないのか。現在も、そして同時に人間もスルーされてしまったような句の空間に、ただ流れる時間と、浮かび上がる電気。

 もし、人間が全員、パタンと死滅してしまった世界は、こうなっているのかもしれないとも思う。残った電力で、電気がただちかちかと点灯する。電気と時間が、静かに応答する。「点いたり消えたり」の、「たり」が、もしかしたら違う動作もあるのではないかと思わせてくる。私たちが知っている電気、電球などは点くか消えるかだけだろうと思っていたが、実はそれ以外のこともしているのかもしれない。話したり、何かと連絡しあっていたり、大きなプロジェクトのために準備していたり。
 私たちには気づかないところで、知られない方法で、何か巨大なイベントが進行していてそれを見過ごしてしまっているような、底知れぬ恐ろしさを感じる。

記︰丸田

夕東風や海の船ゐる隅田川 水原秋桜子

所収:『ホトトギス雑詠選集 春』(朝日新聞社 1987)

大正14年の作品。かつて隅田川は水運の要として、江戸市民の生活を支えていた。 葛西へは屎尿をはこぶ舟が走り、吉原へ猪牙舟が往来する。それが明治の近代化により、水の東京から陸へと流通の中心が移っていくと、やがて舟は使われなくなった。「享楽地漫談会」 (『モダン東京案内』海野弘編平凡社1988所蔵) という昭和初期の、吉行エイスケや、龍膽寺雄など新興芸術派を含めた八人ほどの座談会を読んでいたら、川端康成が「船は乗る時に目立つから駄目です。隅田川などはあまり船が動いて居りませんよ」と発言していた。実際にそうだったのだろう、現在は屋形船が動いているが、あれはあれでかえってみっともない気がする。

掲句、東京湾から船が紛れこんだ状況だろうか。それとも旧来のものとは違う外来の船のことを、海の船と呼んでいるのだろうか。とにかく、船の存在感に時代の流れの興趣がある。掲句は隅田川の写生句であり、江戸情緒の中の隅田川ではなく、実際に秋桜子の眼前にあった隅田川である。また写生という手法によって現出した隅田川でもあるかもしれない。ただ、夕東風という季語の斡旋にはどこか、近世のにおいも感じられはしないだろうか。

                                    記 平野

隕石と思い己身の冷えていく 永田耕衣 

所収:『冷位』コーべブックス 1975

先日(2020年7時2日未明)関東では火球が観測されて、ぼくも今は東京に住んでいるものだから、深夜にドーンと天井から降ってきた音には思わず身を竦めた。そのときは上の階の住人が本棚を倒したりしたのだろうかと思って再び布団に潜ったのだけれども、翌日の報道によるとどうもその音は火球と関係があるらしい。火球というのは平たく言えば明るい流星の事であって、-3等級ないしは-4等級よりも明るければ火球と呼ぶに足るという。燃え尽きたかどうかは不明だが軌道を計算したところ落ちているとすれば千葉県あたりとのことで、もう少し暇ならば隕石探しもまた一興と思ったりした。

耕衣句、己身には「コシン」とルビ。仏語でおのれの身体のことを指す。何を隕石だと思ったのかは目的語が示されないから判然としないが、考えられるのは「(流れていった光を)隕石と思い」という読み、あるいは「(おのれの身体を)隕石と思い」という目的語が下に来ているため省略されていると捉える読み、そして一番可能性が高そうなのは「(何となくぼんやりと)隕石と思い」という読みで、最後の読みを採用する場合は「隕石と思い(浮かべれば)」くらい補ってやるとよいのかもしれない。

冷え切った闇の宇宙を飛んでいる小惑星のかけらが重力に弄ばれて大気圏へと滑っていく。なんとも寂しげな感じがするが、耕衣はそれをおのれの身体性へと接続させ、宇宙の冷え、隕石の冷えをおのれの身体の冷えへと流し込んでいる。

記:柳元

the fifth season’s texture 丸田洋渡

 the fifth season’s texture  丸田洋渡

律の移動わたしと接している闇

雨のなか花のきもちで石のきもちで

雨のあとの三角形が分からなかった

川に海に婚姻ふるびている日照

季 いくら剥がしてもまだある布の

空の書法織って織られて水に似て

心臓に魚のこころ見えている

死は一生分の閃きとともに

雲として現れたいよ格子窓

レモネード空はいつでも回転式

風船の欠片は灼けて空しづか 依光陽子

所収:『俳コレ』 邑書林  2011

 「風船」は春の季語だけれど、ここは夏の季語「灼く」から、夏の風景だと読みたい。「風船」はいつの季節でもあるものだし、欠片となって灼かれたことでこの句における風船は春の気分が全くない。

 風船の人工的で派手な色、少し縮れながら灼ける微かなゴムの匂いが喚起される。そのジリジリとした空気感が「空しづか」に接続されて、立っているだけで汗をかいてしまう風のない静止した夏のある日の空気が立ち上がる。鮮明ななんでもなさに心が惹かれる。

 物語性のようなものを読み取るべき句ではないのだろうけど、空へと飛んでいくはずの風船が地面で灼けているという状況が、「夏の空」を「風船のない夏の空」へと変換するために、前項で述べたこととは対照的にどことなく欠落した印象も与える。そんな複雑さをたたえているからこそ、この句に漂う夏の空気感は肌で感じるだけでなく、なんとなく心に触れる美しさがあるような気がしている。

記:吉川

晩夏晩年水のまはりの水死の木 中島憲武

所収:『祝日たちのために』(港の人 2019)

 死の影で充ちている。夏も、人も、水も、木も。静謐で、風景を見ているような気持ちになる。風景よりは絵に近いかもしれない。澄んだ、暗い、水と木の絵。
 「晩夏晩年」のゆるやかな加速、「水死の木」のやや強い止め方が、より不穏で、より終止感(死)を演出している。読むうちに、気がつけば、内側に浸食してきている。

 私の中では、この句は「水死」という単語からイメージされた。水の中に埋もれて(囲まれて)木が立っていて、水死しているのだと思ったが、よく見れば逆だった。水死している木が、水のまわりに立っている。この、周りが淵に変わる感覚が、急激に人生に重なって、心が冷えた。
 今、私は「水」に自分を代入して読んでいるが、晩年にさしかかれば、自然と「水死の木」に共感できるようになるのだろうか。晩年とは、いつからなのだろうか。死ぬと自動的に晩年が決まるが、生きながらにして、晩年に入ったと自覚できるだろうか。人生が今も刻々と、なめらかに、滅んでいっていることに、未だ納得できていない自分に、この句は冷ややかに侵入してくる。晩夏が来れば、それはもっと。

 

記:丸田

ちゝはゝの墓に詣でゝ和歌めぐり 川端茅舎

所収:『現代俳句文學全集 川端茅舎集』(角川書店 1957)

茅舎という名前が好きだ。新しいスタイルが求められていく時代の反動から、忘れられていく物事へ思いを寄せる人々がいる。大正時代は特にそんな作家がたくさん出現した。現代にまで、そうした人の流れは続いている。もしかしたら加速しているかもしれない。その中でも、名前でビシッと態度を示す茅舎である。

墓に参る態度としては、これくらいがちょうど良い。あまり真摯になりすぎてもいけないし、墓の下にいる身としても、そんなに思い詰めて来られたところで逆に心配になる。墓参のついでに和歌めぐりもしちゃお、くらいで良いのだ。逆でも良いかもしれない。和歌めぐりのついでに近くに来たことだし墓にも行っとくか、くらいの感じ。そして歌碑とかのめぐりをして、のんびり暮らしているくらいが良い。それにしても和歌めぐりってなんだろうか。歌碑を見て回ることぐらいで捉えたが、それで良いのだろうか。

                                               記 平野