夕東風や海の船ゐる隅田川 水原秋桜子

所収:『ホトトギス雑詠選集 春』(朝日新聞社 1987)

大正14年の作品。かつて隅田川は水運の要として、江戸市民の生活を支えていた。 葛西へは屎尿をはこぶ舟が走り、吉原へ猪牙舟が往来する。それが明治の近代化により、水の東京から陸へと流通の中心が移っていくと、やがて舟は使われなくなった。「享楽地漫談会」 (『モダン東京案内』海野弘編平凡社1988所蔵) という昭和初期の、吉行エイスケや、龍膽寺雄など新興芸術派を含めた八人ほどの座談会を読んでいたら、川端康成が「船は乗る時に目立つから駄目です。隅田川などはあまり船が動いて居りませんよ」と発言していた。実際にそうだったのだろう、現在は屋形船が動いているが、あれはあれでかえってみっともない気がする。

掲句、東京湾から船が紛れこんだ状況だろうか。それとも旧来のものとは違う外来の船のことを、海の船と呼んでいるのだろうか。とにかく、船の存在感に時代の流れの興趣がある。掲句は隅田川の写生句であり、江戸情緒の中の隅田川ではなく、実際に秋桜子の眼前にあった隅田川である。また写生という手法によって現出した隅田川でもあるかもしれない。ただ、夕東風という季語の斡旋にはどこか、近世のにおいも感じられはしないだろうか。

                                    記 平野

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