未来から過去へ点いたり消えたりしている電気 普川素床

所収︰『現代川柳の精鋭たち』(北宋社 2000)

「ユモレスク」中の、広がりのある一句。内容についても韻律についても、言いまくる。私だったら、未来か過去の一つ、点くか消えるかの一つで済ましているように思う。この句は全部言っている。言わなければ、言えなかったのだろう。
 この句の不思議なところは、「現在」が消えている(ように見える)ことだと思う。例えばここで、「未来へ過去へ」だったら、現在を中心に、未来と過去があり、現在から違う時間に向かって電気が明滅していると取れる。それならスムーズに読める。(犬が、過去に向かって吠えている、というような作品をどこかで見たことを思い出す。)
 ただこの句では、未来出発の過去到着であり、現在はスルーされている。もし、これが「電車」であれば、現在も同じように通過していくのだろうと想像ができるが、これは「電気」である。「点いたり消えたり」の二つの動作に、通過のイメージは考えにくい。点く瞬間と消える瞬間があって、その動機として未来や過去があるだけであり、なんの意味も与えられていない、点いている/消えている現在は、ほぼ無視されている。ここが、不気味に感じる。
 韻律を大きくはみ出すことを厭わず、ここまで全部言っているのに、現在が書かれていない。今この電気はどの時点で発見され、誰がそれを見ているのか。もしくは、誰も見ていないのか。現在も、そして同時に人間もスルーされてしまったような句の空間に、ただ流れる時間と、浮かび上がる電気。

 もし、人間が全員、パタンと死滅してしまった世界は、こうなっているのかもしれないとも思う。残った電力で、電気がただちかちかと点灯する。電気と時間が、静かに応答する。「点いたり消えたり」の、「たり」が、もしかしたら違う動作もあるのではないかと思わせてくる。私たちが知っている電気、電球などは点くか消えるかだけだろうと思っていたが、実はそれ以外のこともしているのかもしれない。話したり、何かと連絡しあっていたり、大きなプロジェクトのために準備していたり。
 私たちには気づかないところで、知られない方法で、何か巨大なイベントが進行していてそれを見過ごしてしまっているような、底知れぬ恐ろしさを感じる。

記︰丸田

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