ちみつななみだ、ちみつなこころをわすれずに。永遠に準備中の砂浜 藪内亮輔

所収:『海蛇と珊瑚』KADOKAWA、2018

 緻密さ。緻密さとは、緻密であればあるほど、気づきにくいものなのかもしれない。

 準備中の砂浜は、のちに来る人のために整備されてあわただしく可哀相な印象があるが、「永遠に準備中の砂浜」となると、人も入ってこない、本来の砂浜に戻っていくような感覚がある。

 心も、砂浜と一緒で、人々や色々な感情が訪れにやって来る観光地であったりする。
 藪内亮輔の短歌には格言や箴言のようなものが多く、読むたびに心にしみる短歌が変わっていたりする。心の緻密さを忘れずにいたい。

記:丸田

見えてゐて京都が遠し絵双六 西村麒麟

所収:『鴨』(文學の森 2017)

江戸の身分秩序が崩壊した明治期、人々は中央に夢を見た。誰でも成功をおさめるチャンスがあり、誰でも出世できる。青雲之志を抱き、青年たちは中央へ向かう。その姿は双六の駒に似て、前途は不明ながらも道は拓けている。青年たちは一心不乱に駆けのぼる。

かつての青年は歳をとった。来し方に目を向け、その高さに目を瞠る。高さは自らの今いる地位に相当し、道のりは過ごしてきた年月に等しい。なんとまあ、遠いところまで来たものだ。青年はそう呟く。

あがりの位置に駒はいる。駒は京都から出発し、長い道のりを経てゴールした。このとき作者は垂直的なまなざしを得ている。掲句は多くその逆、つまり駒のおもては京都に向かい、作者のまなざしは平面的な広がりを獲得している、と鑑賞されてきた。しかし双六という遊具において、スタートからゴールまでが一直線に並んでいるとは限らない。スタートから裾野をぐるぐる、頂上のゴールまでらせん状に回って辿りつくものもある。駒は中心へ、そして高いところへと向かう。駒の動きは垂直的になり、ゴール地点からスタート地点は見下ろせる。それは立身出世の歩みと一致する。

双六の出発地点は京都になる。朝廷がおかれた京都から東京へ、時代は流れていった。ふり返って京都を見下ろす。国家の立身出世という夢、果たしてそのふり返るうなじは美しいだろうか、高さに憧れて走ってきた現在は、過去から仰がれるものだろうか。そんな問いが浮かんでくる。

記 平野

結婚が許されないなら前ぶれなしに心中湾にセスナをつっこんで二人で死ぬつもりです 松平修文

所収:『月光』1988年春号

心中というとやはり鬱々と暗いイメージが付き纏う。愛しているパートナーとの未来が、金銭的行き詰りや家柄の不釣合い等、ある現実的な事情で完全に閉ざされるがために、そのような未来に二人の死をもって否を突きつけるのが心中であろう。彼らは死後ロマンティズムの世界に棲むのである。とはいえ現実世界における二人の生に終止符が打たれる以上、リアリスティックな冷笑主義に与して言えばこれは愚行でしかないわけだが、身分制度や家柄などがまだ重要な意味を持っていた近世近代においては心中は、恋の成就を許さない社会に対する有力な抗議の手段であった。死体の発見者は陰鬱な気持ちにならざるを得なかっただろうし、憐れな二人の行く末に心を寄せもしただろう。心中は普通、悲劇的な色彩と文学的な情緒を帯びるはずである。能や戯作も好んで心中を材とした。

しかし修文の心中はひと味違う。湾にセスナをつっこんで二人で死ぬつもりなのである。前触れもなく。なんと豪勢で華やかな事だろう。二人の最後の愛の言葉はプロペラの音にかき消される。○○だよ。え。◇◇だよ。何て言っているの、聞こえない!次の瞬間盛大にあがる水柱。

セスナの運転免許を持っているくらいだから社会的な身分としてはそう悪くもないだろう。否、だからこその心中なのかもしれないが。当人たちは至って真面目で実直に決意を語るのだが、どこかユーモラスである。

長律にも触れねばなるまい。松平修文には稀に長律を用いた散文的な短歌がある。とはいえ修文は基本的に定型にて歌を為すし、掲歌もそういう歌群の中にひっそりと交っているためにあまり違和感がない。読んでいるうちに妙に長さを感じ、指折り音数を数えてみると破調に気付くという感じである。

目のくらむやうな紫やももいろの野や森をとほり病院へ連れられてゆく/松平修文

同じ連作にこんな破調もある。サイケデリックな病院道中である。治るものも治らなさそうである。

記:柳元

ある朝の大きな街に雪ふれる 高屋窓秋

所収:『白い夏野』(龍星閣 1936)

はじめて読んだ句集は『白い夏野』で大学図書館から拝借した。いま目の前に俳句を読み始めようとする人がいて、『白い夏野』を手にしていたとしよう。きっとその人に僕は歩み寄って、やめておいた方が無難だよ、と声をかける。しかし、なぜなのか。はじめて読んだときの感触として、特に難しいことは書かれていなかった。それどころか表題の「頭の中で白い夏野となつている」は分かりやすいほどで、真っ白な眩暈の感覚に魅了されていた。

俳句史における『白い夏野』の位置を踏まえてから、この句集は読んだ方が良い。だから「難しい」と初心者に向けて言う。それは俳句に脳をおかされている人の了見で、まっさらな初心者からしてみれば心底どうでも良い。事実、『白い夏野』は初心者であるところの僕を魅了した。それどころか、かつての自分は今よりも強烈な清新さを一句一句から感じ取っていたように思う。

掲句はちょうど三年前の僕が『白い夏野』から十三句を抜き出した、そのうちの一句である。単純明快で、解釈をあまり要しないだろう。単調につづく日常のある朝、カーテンを開いてみたら一面の雪景色だった。眼を圧するような白に意識は奪われ、そのまま視点がつり上がっていく。圧倒するばかりの雪に心をうたれる視点人物とその人を中心に広がっていく街という空間、人にも建物にも雪は等しく降る。すべてが雪に埋もれている。

広々とした世界にかつての自分は惹かれた。既存の俳句に飽き足らず、逸脱しようと試みた窓秋だからこそ、初心者の自分と波長が合ったのかもしれない。本当に、真剣に、初心者に勧めるべき俳句とは高屋窓秋に違いない、と皿洗いをしながら思った。

記:平野

コンドルの貧乏歩きも四日かな 飯島晴子

所収:『寒晴』 本阿弥書店 1990年

飯島晴子はたびたび動物園で吟行をしたというから、掲句もその時の1句だろう。

首から頭にかけて毛にも羽にも覆われていない点や、鳥特有の重心が定まっていないかのような歩き方は確かに貧乏くささを感じさせる。高村光太郎に「ぼろぼろな駝鳥」という詩があるとおり、鳥とみすぼらしさを結び付けるのは特段目新しいものではない気もするが、この句は季語の采配がおもしろい。
三箇日が明けて四日、というのは仕事はじめの人も多く、「四日」はなんでもない1日でありながらも普段よりも俗な空気感をまとっている。「四日」という季語のなんでもなさによって、この句は鳥の心に寄り添おうとする高村光太郎の詩とは異なり、コンドルの様と「四日」の響き合いに重きを置いた、軽みのある1句となっている。

記:吉川

生きていることはべつにまぐれでいい 七月 まぐれの君に会いたい 宇都宮敦

所収:『ピクニック』現代短歌社、2018

 生きる、生きているということに、強く理由を求められているような感覚になることがたまにある。なぜ生きるのか、なぜ今生きているのか、その原動力は何か、動機は何か、と執拗に尋ねられていると思うときがある。そして、それが言葉に出来ないと、理由もないのに生きているのかと責められているような気持ちになる。車に乗るなら免許が必要だ、と同じくらいの熱で、生きるのであれば生きるぞという強い心が必要だ、と言われているような気持ち。何らかの意味があって生きている、という考え方からそもそも、自分には馴染まないものだといつも思っている。
 掲歌を読むと、それをさらっと掬ってくれるような気持ちになる。「べつにまぐれでいい」、偶然生きていて、それが偶然続いている。それ以上のことは良いんだと言ってくれている気持ちになる。「べつに」という言葉が出てくるのも、「まぐれ」以上のことを求めている人がいるから、だろう。無理はしなくていいのだと楽な気持ちにもなる。

 ただ、この歌には少し気になるところがある。最後の「まぐれの君に会いたい」の部分で、何か違和感がある。おそらく、純粋に優しい気持ちから発された言葉だろうと推測できる。だから、その思い自体にどうこう言うつもりはあまりないが、もし自分がこの主体に「まぐれの君に会いたい」と言われたら、素直にありがとうとは言えない気もする。

 というのも、主体が、生きていることはまぐれでいいのだと思っているということと、「君」側がまぐれで生きているかどうかは別の話ではないか。
 別にまぐれで生きていていいんだという励ましは、別にまぐれでもいいけどそれ以外でも何でもいいんだよ、という励ましだと思う。だから、ここは「生きている君に会いたい」で充分じゃないのか、と思う。なぜここが「まぐれの君」に会いたいと変形されてしまうのか。今「君」側が大変な状況に居て、生きることに苦しんでいて、だから最低限「まぐれ」でも生きている君に会えたらそれだけで良い、ということだろうか。

 ここが「まぐれ」になった他の理由を、短歌の創作面から邪推すると、リフレインというか、そういう技術的なところが大きいのではないか。「べつにまぐれでいい」の跨いでいる韻律や、二つの一字開きの間に「七月」を差し込むテクニックに、その気配がする。この歌にとっては、生きていることに「まぐれ」という言葉を付けられたことが何よりの勝利であり、それをさらに印象付けるために繰り返して「まぐれの君」という少し変わった表現にして表したのではないか、と私は考えている。「まぐれで君に会いたい」だと意味は変わるが「まぐれ」という言葉は自然に働くのに対し、「まぐれの君に」はやはり詩の力が働いている。個人的に「七月」という謎の季節のカットインも、夏のかっこよさをなんとなく引くためだけの道具立てなのではないかとさえ思ってしまう。

 ところで、宇都宮敦の歌において、他者について語るとき、必要以上の情報は割かれない傾向があると感じている(以下引用はすべて『ピクニック』より)。

  ひたすらにまるい陽だまり ひまわりの種の食べかたを教えてくれた
  とうとつに君はバレリーナの友達がいないのをとても残念がった
  左手でリズムをとってる君のなか僕にきけない歌がながれる

 他者には他者の思考や感覚があることを分かっていて、それ以上は踏み込まない、という印象がある。例えば〈左手で〉の歌が、最後が「僕の知らない歌がながれる」であれば、踏み込み度合いは変わる。あくまでも「きけない」という事実だけでとどまっている。

  新幹線から見えたネコ 新幹線からでもかわいい たいしたもんだな
  ネコかわいい かわいすぎて町中の犬にテニスボールを配りたくなる
  カーテンが光をはらんでゆれていて僕は何かを思い出しそう

 こういう自身が思ったことをそのまま喋っているように言うところが特長である作家だが、この二つが混ざったときに、違う印象の歌が生まれている。

  コインランドリーで本を読んでいる もちろん洗濯もしているよ
  三月のつめたい光 つめたいね 牛乳パックにストローをさす

「もちろん洗濯もしているよ」という弁明、「つめたいね」という確認・共感は誰に対してなされているのか。自分自身とも考えられるし、書かれていないがその場にいる第三者にとも、読者に、とも考えられる。このとき、「もちろん洗濯もしている」と言わないといけないのは、「コインランドリーで本なんか読んで、まさか洗濯はしてないなんてことはないよね?」という声があったからだろう。もしくは、そういう声がありそう、と思って先回りして言っているかだろう。その声を、主体はどこから感じているのかが分からない。ずっと独り言を言っているようにも、恋人に言っているようにも、読者に語り掛けているようにも見える。このよく分からないところからの声に応じている主体、という歌の揺れ具合に魅力があると言える。

 依然として、私は「まぐれの君に会いたい」には引っかかっている。他者が出てくる歌で、「まぐれの君」と言うのは、らしくないように感じる。「会いたい」という自身の感情が勝って、「ネコかわいい」くらいのテンションで「まぐれの君」が出てきたのかもしれない。
 よく分からない声に応じる、という点で言えば、「べつにまぐれでいい」も、どこから来ているかは色々読みようがある。現代社会全体の雰囲気に対してか、生きづらい「君」への励ましなのか、主体自身の思想か、などなど。それによっては、「君」が単に一人を指していないようにも感じられる。もっと言えば、「君」と言って指すような人物は最初からいないかもしれない。
 この歌自体が、まぐれで存在しているような、そんな気もしてくる。

 記:丸田

 

面接のごとく向き合ふ初鏡 鷹羽狩行

所収:「俳句」2020年12月号「家居」特別作品50句より

 新年気持新たに鏡に向い合う。鏡の映る己の姿も淑気満ち満ち、見慣れた顔も新規の物事を成し遂げんとする面持か。あるいは時間を倶にしてきた己の顔立を改めて眺め波瀾曲折の人生を振り返っているか。顔は歳月に鑿を震わせた彫刻である。深く刻まれた皺にはおのれの来歴が書き込まれる。我が国の歴史書「大鏡」「増鏡」や中国の歴史書「資治通鑑」を思い出せば分かるように、鏡は過去を写して未来を占うものであった。

 かつて鏡には魔物が棲んでいた。鏡は人を惑わせた。希臘神話のナルキッソス、白雪姫のお妃様、コクトーの映画「オルフェ」等を思うがよい。彼らはみな鏡の魔力にあてられてしまった者たちである。しかしかつて青年を誘惑した自己愛や希死観念も、年を経て減衰した。老いは鏡を磨き上げる。曇りなく、磨かれた鏡には観念の隔てなく己自身が映る。今まじまじと見つめよう。面接されるのも己、その彼を判じるのも己である。

記:柳元

ノートパソコン閉づれば闇や去年今年 榮猿丸

所収:『点滅』ふらんす堂 2013

角川俳句歳時記によれば、「去年今年」という季語には一瞬で去年から今年へと移行していくことへの感慨があるという。それに依るのであれば、ノートパソコンで仕事をしている間にいつの間にか新年を迎えてしまった句であると考えられる。

同句集には「箱振ればシリアル出づる寒さかな」、「ダンススクール西日の窓に一字づつ」といったカタカナ語の使用と、ドライな文体が特徴の句が多く、少しハードボイルドな印象を受ける。
掲句もそうした1句だろう。「闇」という単語は含まれているものの、「ノート」の間延びした響きや、情景描写に徹する句の在り方によって、「新年まで働かなければならないブラック企業の闇!」といったイメージを喚起するのではく、あくまでも物質、空間としての闇という視覚的イメージを喚起する。
この句、句集の文脈の中では「去年今年」という言葉にも、ようやく仕事が終わった感慨、安堵感などは読み取りにくいように思う。そうした淡々とした年越しの在り方に私は現代の生活のリアルさを感じる。

記:吉川

春禽にふくれふくれし山一つ 山田みづえ

所収:『手甲』(牧羊社 1982)

山は動かないものとして心のより所になる。ながい冬をぬけ、ひっそり閑とした山に鳥がさえずる。春の到来は声をもって知らされる。気温が上がりはじめ、活気を取り戻していく山の様子を「ふくれる」と表現した。そこには生命への視線があり、鳥の声をいっぱいに溜めて、山の生命はふくれていく。このとき山という静は動に転じる。

鳥と山の交感、それは山田の他の句、例えば「山眠るまばゆき鳥を放ちては」にも見られる。この句において眠る山は厳粛な静であって、なおかつ鳥を放つという動でもある。山は外観落ち着きながら、その生命はいつも蠢いているのだ。

記 平野

霜の太杭この土を日本より分つ 加藤楸邨

所収:『まぼろしの鹿』1967年・思潮社

掲句には前書として

一日本人として(六句)
十二月中旬、二日にわたりて砂川を訪ひ、ここに迫るものをわが目にとどめる。同行知世子。

と記され、以下の五句が続く。

葱の芽の毛ほどの青さ守り育て
彼等約してここに静かな冬野を割く
冬欝たる麦をわが目に印し置く
霜に刈られてその香切切たる襷
さむし爆音保母は戸毎に子を戻す

 これらの句群は前書と発表年からして砂川闘争に当たって書かれたものだ。砂川は現在の東京都立川市に位置し、日頃より在日米軍機の離着陸における危険と不安に晒されていた(過去形で書いたが米軍基地は今なお日本に残っている)。そこへ基地用地を更に拡張しろとアメリカが日本政府へ要請したことを受け、住民たちは闘争を開始する。この運動は左派政党や労働組合、学生や文学者などを巻き込んだ社会現象となった。そして加藤楸邨(1905-1993)もこの問題に関心を強く持った一人だった。

 彼が「馬酔木」を辞して以降に顕著な、硬質で密度の文体が今は殆ど失われたことについて考えてみたい。師秋櫻子をして難解と言わしめる彼等の文体は、現代において史的に読もうとするものの肌感覚としては1970年代あたりには読者からの支持を失っているように感じる。

 勿論そこには戦後は終わり豊かな消費社会の到来や、学生運動の失敗などの象徴的な出来事の勃発が背景にはあっただろう。資本主義文化を謳歌し始めた読者には、彼等の革新的な文体は息苦しいだけであっただろうし、もっと開放的でゆとりがあり、分かり易く平明で、非政治的な、季語と癒着する穏やかな韻律が好まれたのだと思う(そしてはそれは現代においても尾を引いているだろう。平明さはあたかも詩形における道徳律であるように振舞う教条的な御仁が絶えないのもこのあたりをすっかり内面化してしまったのだろうと思うし、後述するがある種の表現主義もこれを補完するものだ)。

 呼吸や饒舌や韻律との連関の中で、ある種の典型的な左翼的思想と接着するのが加藤楸邨らに顕著な当時の文体だった。これらを共有するのは例えば金子兜太であり、赤城さかえであり、古沢太穂、原子公平、田川飛旅子、沢木欣一などであろう。仏の思想家サルトルが用いた用語である「アンガージュマン」は散文のための思想であったことを思い出してもよい。今にして思えば、社会との連帯のための散文性を取り込んだ文体が彼等だったと言えよう。

 そしてそれ以後、前述のような学生運動の敗北などを受けて、純日本的な韻文精神へ立ち戻らんとするバックラッシュが起こる。それが大まかに言えば1970年代以後であり、おのれの文体を非政治的であると信じたがる現代の書き手たちの直接的な祖の誕生であろう。

 初期作品を除けば澄雄や龍太は生活に根ざしつつも極めて純日本的だったし、高柳重信に端を発する前衛は芸術至上主義的でありながらそこにはノンポリめいた仕草が付き纏っていた。

 現代の俳句界は、自分も含めて、未だに生活と平明さの結託、あるいは表現主義とノンポリ仕草の結託を盾にした、1970年以後の非政治的な書きぶりの振幅に収まる書き手ばかりが見受けられるように思うというと書きすぎだろうか。だが非政治的なところに人間はない。楸邨のパラダイムに立ち戻るということでなしに、楸邨に学ぶことはまだあるように思う。

記:柳元