あなたはおかあさん正真の雪正真の白  宇多喜代子

所収:『記憶』角川学芸出版 2011

私は自分の母のことを幼い頃から「おかあさん」と呼んでいるので、「おかあさん」と呼び掛けられることはさもありなん、と思う。だがこの句は「あなたはおかあさん」と念押ししてくる。この句では、私にとっては深い意味はない「おかあさん」の呼びかけが、あなた=母であると規定する(もしくはその事実を確認する)切迫した言葉へと意味を変えている。

そこに続く「正真の雪正真の白」もまた念押しといえるフレーズである。俳句においては基本的に、「雪」と書けば大気中の水蒸気が氷の結晶と化して降ってきたもののことを指すし、「雪」は「白」であるにも関わらず、偽りなく「雪」であり、その雪が「白」であることを強調する。

当然と思われることを念押しする切迫した言葉の連なりとして現れると、その当然と思われることに至る前に私は立ち止まってしまう。あなた=おかあさんなのだろうか、雪=白なのだろうか。
答えが「はい」であることに変わりはない。しかし「はい」と答えながら恐ろしくなってしまう。美しい「雪」、清廉潔白をイメージさせる「白」と並んで書かれた「あなたはおかあさん」は、一人の人間に、美しく清廉潔白な母親という役割を付与しているような気がするからだ。
私は男性であり、おそらくこの句における「おかあさん」になることはないから、想像でしかないが、この「あなたはおかあさん」は非常に重く、時にを人を苦しめる言葉であるだろう。

作者は雪と白で「おかあさん」を寿ぐことを意図したのかもしれず、かなり独りよがりな読み方かも知れない。

記:吉川

うつうつと最高を行く揚羽蝶 永田耕衣

所収:『驢鳴集』(播磨俳話会 1953)

程度を表す語としての「最高」が空間を示すように使われ、うつうつとした気分と組み合わさることで、転じて躁になりうるような感情の緊張が表現される。蝶の中でも大きな揚羽蝶が重たげで、なかなかに不気味である……というような解釈をして楽しんでいたのだが、先日、小島信夫の評伝『原石鼎』を読み、もしかしたら石鼎の「頂上や殊に野菊の吹かれ居り」と重ねて読むことが可能ではないかと思った。

もちろん、それは構図として「頂上」と「最高」が似ていて、神経衰弱に苦しんだ石鼎の状況と「うつうつ」が重なるからなのだが、その他にも以下の理由がある。

評伝『原石鼎』の中で、「頂上や殊に野菊の吹かれ居り」は、深吉野時代の代表句でありまた「景色とうつる世界と一体」になった「石鼎開眼」の句として扱われている。著者である小島信夫は九十歳になった耕衣のもとを訪れている。耕衣は言う。

「虚子は、〈頂上や〉の句には冷淡だね。『進むべき俳句の道』では評釈をしているが、景色としてみているだけで、身を挺して中へ入りこむということをしていないな。そう思わないか。安全なところで眺めている。ぼくは神戸新聞に書いたことがあるが、そこで〈頂上や〉の句は、〈人間不在の風景〉だといった。虚子は巨大な人ではあったがそういうことはわかろうとはしないな」

この〈人間不在の風景〉は「景色とうつる世界と一体」になることと似た意味をもっているだろう。耕衣は石鼎の「塵火屋」に一時期投句をしていた。耕衣の「うつうつと」にも同じく、自然の中へ人間が入っていき、自然の存在として一体化しているような境地が伺える。このとき揚羽蝶から「胡蝶の夢」が思い出されるのだが、もしかすると最高を行く揚羽蝶は耕衣その人だろうか……

小島に同行し、石鼎のことで様々な解釈を与える神林良吉が面白いことを言っていた。

「石鼎の句には、凡句、というよりも、愚句とでもいった方がいいような幼稚きわまる句が羅列されていることがあります。そのあとに目の覚めるような句が出現しています。あの人にとっては、その両方が重要なことだと思います」

これは耕衣にも同じことが言える。「うつうつと」に至るまでに「無力にてつめたくしたり黄揚羽に」「或る高さ以下を自由に黒揚羽」「揚羽よりいつも近づき来たるなり」の句が並べられ、耕衣の世界もまた混沌としている。

ところで小島信夫の評伝『原石鼎』だが、すべての資料を総覧して書くのではなく、自らの足場を読者と一緒に確かめながら書き進めるという、小島信夫特有の読みづらい、しかし誠実とも言える書き方がなされていて、ちょっと慣れが必要である。とはいえ、石鼎の周辺が石鼎に及ぼす影響や、石鼎の興味がどこに向かってどのようにうごめくか、といった精神の遍歴を追っていく視線は、小説家ならではのものがあり、その深度もまた小島信夫一流のものである。ある種の俳句の「外」から見えてくる世界が伺える面白い一冊だった。

記 平野

園丁の一緒に浸かる犀の水 田川飛旅子

所収: 『使徒の眼』角川 1993

 無季の句である。庭師が犀と一緒に水に浸かっている。ここでは動物園の景を想定して読むのが妥当だろう。「犀の水」というやや窮屈な言い回しはおそらく犀を飼う一帯に整備されている水辺を指すと思われる。あわれ犀たちはアフリカのゾーンとでも名付けられて駝鳥と一緒に囲われているのかもしれない。

 俳人歌人詩人みなモチーフとして犀を好むのは感覚として何となく分かるところがある。かつて地上を闊歩した恐竜を思わせるような巨体とするどい角、そして悲しげな瞳に、形容しがたい叙情を感じるのだろう。今では地上に存在する犀は5種のみであるが、昔は240種もの犀が南極大陸を除く全ての大陸で幅を利かせていたらしい。盛者必衰、栄枯盛衰、諸行無常である。今はレッドリストに載るまで数が減ってしまった。そういう対象として犀を捕らえた場合、おのずと詩情にどっぷりと浸った句が出来上がることが多く、そういうものはやはり食傷で読み手の気持ちをムカムカさせる。

 ただ田川飛旅子の場合は犀をもう少し可笑しく読んでいて、犀が水浴びしているところに園丁も闖入してくるのである。人間と犀が同じ水に使っているのは如何にものどかというかのんびりしていて、心惹かれるところがある。「一緒に浸かる」という直截的な言い方も、馬鹿馬鹿しくて好感が持てる。

 『使徒の眼』には〈浅蜊の殻に同じ柄なし個を重んづ〉という句もあって、これも面白く読んだ。

重ねた時間優しい鳩が僕を踏む 浦賀廣己

所収:『自由律俳句作品史』(永田書房 1979)

感傷的でべたついているけれど、ここまでやられると味が出てくるのも確かで、しばらく句を前にして唸った。時間に裏切られると自分を見失う。いくらでも使いようのある時間を、なにか目標の一点に向かい着実に重ねていく。その目標がもしも一瞬にして消えたとしたら、これまで重ねてきた時間は無意味にも思える。句の中で裏切られたとは書かれていないが、実際には不可能である鳩、それも優しい鳩に踏まれることを希求する「僕」の感傷は見えすぎている。時間のうしろに置かれた、一拍とも、さらなる沈思とも取れる深い間が「僕」の痛みを生々しく伝え、なかなか腹にこたえる句と、はっとさせられた。

略歴によると作者は一九二三年生まれ、東京府立工芸在学中には「寒雷」や「風」に投句していたらしい。この大正末期から昭和始めにかけての生まれは、終戦と青春期が重なる世代であり、大きな価値観の変化を受け止め戦後を生き抜いた世代である。浦賀の言うところの「重ねた時間」にはそうした背景があるかもしれない。

記 平野

山晴を振へる斧や落葉降る 飯田蛇笏

所収:『ホトトギス雑詠選集 冬』(朝日新聞社 1987)

からりと晴れた日射しのなか斧を手にして山へ行く。頭上に振り上げられた斧は日を受けてかがやき、力のままに枝木を分ける。くり返される行為はリズムを持って、音はさびしい木の間を抜けていく。リズムを持った人間の傍らで、自然は気ままに葉を降り落としている。そこにはなんの理屈も辻褄もない。熱を持っていく身体に坦々とした動作、乾いて粛々としながらも気ままな落葉、その対比が日射しで明瞭となる。龍太に「手が見えて父が落葉の山歩く」があるが、この句の父はぶらぶらとして気ままそうで、斧を振る者とは異なる、落葉のような冷え冷えとした父だと思う。

記:平野

手袋にキップの硬さ初恋です 藤本とみ子

所収:『午後の風花』文學の森 2013

手袋越しでも切符の硬さを感じとるなんて、この句の主体の感覚は(恋故にだろうか)非常に鋭敏になっているのだろう、と最初は読んでいたが調べてみるとどうやら違うような気がしてきた。
自動券売機登場以前に使われていた電車の切符は硬券と呼ばれ、厚紙のため今の切符よりもしっかりと硬いらしい。
この句は硬券があった時代の初恋、と解釈した方がいいだろう。

私自身は硬券が使われていた時代を知らないので想像でしかない部分は多いが、学生の初恋だろう。
通学する電車の中で初恋の相手を見かけた時の胸の高鳴りと緊張の混ざったひたむきな思いがキップの硬さに集約されているような気がするし、素手よりも感覚がおぼつかない手袋の状態でキップをしっかりと握っているのも初々しさや真っすぐな思いを感じさせる。
上5中7のイメージを喚起する力の豊かさが下5の甘いフレーズが上滑りしないように働いている。

そしてこの句の肝、「初恋です」である。
突然句の中に現れる口語の真っすぐな印象は句の内容にマッチしているし、まるで現在のことかのように言い切る口調が、初恋をノスタルジーに取り込むのではなく、初恋をした当時の感情を生き生きと伝えてくれる。

記:吉川

飛び込みの水面が怖くなかった頃 神野紗希

所収:『すみれそよぐ』(朔出版、2020)

 文章の書き出しのような句であり、書きおわりのような句である。そうあの頃は――と言って思い出すようでもあり、かつての記憶が走馬灯のように湧いてきて、そういえばあの時は飛び込みをするなんて全く怖くなんて無かった――と思っているようでもある。

 前句集『光まみれの蜂』(2012)から八年空いて今回の句集が発刊されたが、結婚や出産という人生の大きなイベントに沿いながら、考えながら句が綴られていくものになっている。前句集と異なる感触として、自身の現状をかなりの頻度で回顧している印象がある。〈牡蠣グラタンほぼマカロニや三十歳〉のように、いま私は三十歳なのだ、という感覚、これが前句集には無かったように思う(今の自分がどうであるかを考えるよりも先に行動や発想に移っているような勢いの良さが、それはそれで前句集の魅力であった)。
『光まみれの蜂』では〈飛び込みのもう真っ白な泡の中〉、〈校舎光るプールに落ちてゆくときに〉という句があったが、これらとはまた違った局面を描いた、良句であると思う(「飛び込み」が、ではなく、「水面が」である点など……)。「なかった頃」の語感も、前句集を引き継いでいるようで個人的に感動した。

 全体として母として子に接する句が多く、句における口語性は幼稚さや世界を初めて目にした時のような新しさと合体しながら現れている。口語のそういう一面もまた新しい感覚として見られたように思う。

 他に〈子が蟻を踏んできょとんと死ぬって何〉、〈友の恋あら大変シュトレンの胡桃〉、〈鳥交るラインマーカーきゅうううう〉、〈産み終えて涼しい切株の気持ち〉など。

記:丸田

満月の冴えてみちびく家路あり 飯田龍太

所収:『童眸』角川書店 1959

 窓を閉めて布団の中でうずくまっていても西武新宿線の発着に伴うアラーム音が聞こえるくらいには駅とアパートが近い。物件というのは駅に近づけば近づくほど家賃が高くなるものだから、当然ぼくが住んでいる幾築年数を経た六畳ユニットバス物件でも家賃がそれなりに高く、奨学金とバイト代からの捻出には月ごとに難渋する。

 しかしそれでもいわゆる駅近物件を選ぶ利点はあると言わざるを得ない。出不精で外出への精神的障壁が大きい人間は、駅への徒歩所要時間が短ければ短いほど所用の完遂確率も上がるのだ。であるからして、情緒もへったくれもない極論を言えば、自分の感性を刺激したり興奮させるようなものが、家と駅の間に無ければ無いほどよいのである。旨い焼物を出す飲食店のダクトから漏れる油臭に気を削がれたり、飼猫なんだか野良猫なんだか分からない薄汚れた猫と遭遇して全てが面倒くさくなって自室に引き返すという徒労がなくとも済むのだ。所用を済ませて家に帰るとなっても同様で、疲弊した体をベンチで休めたり、定食屋に吸い込まれたり、フィリピンパブの卑猥な呼び込みに反応せずに真っ直ぐ家に至ることが出来る。

 ここまで書いて思うのは、多分情報量の問題なのである。駅と家を結ぶ間の道なりに提示されている情報量が充実(自分の脳の処理能力から言えば飽和)しすぎていて、それに中てられることによる精神の疲弊が所用の完遂確率を下げていたのである。だからせめてもの抵抗として、駅近物件を選ぶことで精神が猥雑な情報に晒される時間を減らそうとしていたのだ。当然ここで思うのはなぜ自分が東京に住んでいるのかということ、のちのち田舎に帰った方が良いのではないかということである。ここで地元の北海道の家路を思い浮かべてみるわけであるけれども、畑や樹々や川があるばかりで、そこには記号的な意味に還元されない静けさが横たわっていたはずだ。幼少期からそのような土地で涵養された脳の情報処理能力が、たった数年程度住むばかりで都市の過剰な情報に適応できるとは、とてもではないが思えない。

 そういうことを一層思うのは、例えば龍太のこのような句を読んだときである。いったい都市に住んでいて、満月が冴え冴えするような感覚によって導かれるような家路の経験を得ることが出来るのだろうか。なるほど満月は都市にも田舎にも平等に掲げられるわけであるけれとも、その視覚情報が、おのれを冷たく灼きつけるようなものに感得されることは本当にあるのか。月明かりを際立たせるための全き闇こそ、ここでは必要に思われるし、それが猥雑なネオンによって打ち消されるようならそれこそ不可能に思えてしまう。まして、都市の過剰な情報すら所与のものとして受け取れるように形成された都市在住者の視覚のコードにおいて、そもそもそういう知覚の可能性が開かれているのかすら疑わしく思える。逆に言えば、神秘的とも言える月光がおのれの近くに冷え冷えと差し迫ってくるような経験を、言語から再生可能なようなかたちで一七音に封じ込めている龍太の凄みこそ、ここでは思うべきなのであろう。

記:柳元

萍のみんなつながるまで待つか 飯島晴子

所収:『儚々』角川書店 1996(「儚」は異体字)

『儚々』は飯島晴子の生前最後の句集。

飯島晴子には非常に表現が平明な句がいくつかある。例えば『儚々』に収録されている〈寂しいは寂しいですと春霰〉〈昼顔は誰も来ないでほしくて咲く〉とか。掲句もそうした系列の句として位置づけられるだろう。
平明ではあるが、読解が簡単というわけではない。一見これらの句は直情的だが、言葉が上滑りしているとでもいうべきかそこにある意図や感情は見えてこない。

一つ一つは小さい萍が水面を埋め尽くす様には淡い恐ろしさがある(私が集合体を見るのが嫌いだからかもしれない)し、萍の生える場所は水流のない池であるから停滞した印象も受ける。「つながるまで」という表現からは、萍の成長する時間が見えてくる。
この句は様々なイメージを喚起するが、それに対して何の文脈もなく「待つか」と思う主体が登場することが、前段で述べたこの句の読みにくさである。
理屈を飲み込んで、この句で展開されるイメージとそれを待つ主体の二物衝撃に思いを馳せることがこの句を読むにあたっては必要な気がしている。

この二物衝撃が表現の平明さ口語的な軽さとは裏腹な、切迫した印象を与える1句にしている。

記:吉川

雪中にふる雪満開とぞ言はむ 平畑静塔

所収:『平畑静塔全句集』(沖積舎 1998)

言いたいと抑制している。言葉は秘められ、体内で熱せられる。音は雪のなかに消え、自分と雪以外の気配もまた消えていく。雪との静かな対峙、まなざしに慈愛が宿り、自然との温かな交流が生まれる。雪は降りつづいているが、いまが満開でいつか止み、そして溶けてしまう。老人が若者を眺め、若き日を懐かしみ、自らの終わりを予感するような、諦念。自然への肯定、生滅への肯定が確かにここにはある。

記 平野