飛び込みの水面が怖くなかった頃 神野紗希

所収:『すみれそよぐ』(朔出版、2020)

 文章の書き出しのような句であり、書きおわりのような句である。そうあの頃は――と言って思い出すようでもあり、かつての記憶が走馬灯のように湧いてきて、そういえばあの時は飛び込みをするなんて全く怖くなんて無かった――と思っているようでもある。

 前句集『光まみれの蜂』(2012)から八年空いて今回の句集が発刊されたが、結婚や出産という人生の大きなイベントに沿いながら、考えながら句が綴られていくものになっている。前句集と異なる感触として、自身の現状をかなりの頻度で回顧している印象がある。〈牡蠣グラタンほぼマカロニや三十歳〉のように、いま私は三十歳なのだ、という感覚、これが前句集には無かったように思う(今の自分がどうであるかを考えるよりも先に行動や発想に移っているような勢いの良さが、それはそれで前句集の魅力であった)。
『光まみれの蜂』では〈飛び込みのもう真っ白な泡の中〉、〈校舎光るプールに落ちてゆくときに〉という句があったが、これらとはまた違った局面を描いた、良句であると思う(「飛び込み」が、ではなく、「水面が」である点など……)。「なかった頃」の語感も、前句集を引き継いでいるようで個人的に感動した。

 全体として母として子に接する句が多く、句における口語性は幼稚さや世界を初めて目にした時のような新しさと合体しながら現れている。口語のそういう一面もまた新しい感覚として見られたように思う。

 他に〈子が蟻を踏んできょとんと死ぬって何〉、〈友の恋あら大変シュトレンの胡桃〉、〈鳥交るラインマーカーきゅうううう〉、〈産み終えて涼しい切株の気持ち〉など。

記:丸田

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です