集まつてだんだん蟻の力濃し 南十二国

所収:『俳コレ』邑書林 2011

大勢の蟻が食物に群がる様を平明な言葉で描いた1句。
特筆すべきは、「蟻の力濃し」という表現。蟻が群がる様を写実的に描写するのではなく、「力」というワードを用いることで、小さな蟻が集まった時の少し異様な迫力が伝わってくる。ただ客観的に観察するだけでなく、蟻の立場に一歩踏み込んだような表現によるリアリティ。また「濃し」という普通、色にかかる動詞を用いることで、蟻が密集した時にそのあたりが黒く見える様子が浮かんでくる。
少しグロテスクとも言えるような光景にも関わらず、「集まって」「だんだん」などののんびりした言葉のチョイスによって、さっぱりとした印象の句となっていて、明るささえ感じられる。

記:吉川

何もないが心安さよ涼しさよ 一茶

所収:『一茶三百句』( 臺灣商務 2018)

 「何」には「な」とふりがな。ブログに載せようとして調べたら、岩波の『新訂一茶俳句集』には載っていなかった。同時期に有名な「大の字に寝て涼しさよ淋しさよ」があるからだろうか。

 五月に入ってからめっきりと暑くなった。風通しの悪い部屋に住んでいるため、熱がこもってしまい如何ともしがたい。それでも夕方になれば涼が感じられる、日中は暑かったからなおさらのこと。本格的な夏に向けての前哨戦といったところだろう。秋口の涼しさとは違い、感覚が外へ開かれていく、そんなバランスの取りづらい時期でもある。

 掲句、「が」と逆説であるところにちょっとした凄味がある。「何もなくて」ならば、忙しい生活がやっと片付いて、ひと息ついている風である。しかしそんな平凡な感慨ではないのだ。日々なんにもないこと、それこそが心安い、そう言い切っている。力強い。

 台湾の訳本なので、ついでに。

 一無所有

 但心安――

 涼快哉          

         陳 ・張芬齡 訳

 読みが分からずとも、漢字の並びから雰囲気は伝わってくる。一・快の字が心境を強調しているようにも思える。

                                    記 平野

美しいデータとさみしいデータに雪 正木ゆう子

所収:「俳句」2020.5

自分が写真を撮るのは専らスマホでだ。ということは自分が主体的に撮った記録は全てデータで残っているのだな、と思った。自分の子どもが成長したとき、「あなたは幼い頃このような姿をしていたのだよ」とグーグルドライブへのアクセス権限を与える日が来るのかもしれない。

あらゆるものがデータで残る時代において、美しさやさみしさも変容したように思う。ベンヤミンの「アウラの喪失」を引くまでもないけれど、複製時代独特の美しさとさみしさというものがあろう。保存もコピーも出来る思い出。ワンタッチで消える思い出。

掲句におけるデータはどんなものなのだろう。「美しいデータ」と「さみしいデータ」という書かれ方からは具体的にうかがい知ることは出来ないけれど、ぼくたちは任意に、おもいおもいにこの余白に当てはまることが許される。

雪は、データと同じように降り積もるものだけれども、降って溶けて一回きりだ。「データに雪」というところは解釈が難しいけれど、まぼろしの雪がデータに降りつのるようなところを想像した。

記:柳元

十棹とはあらぬ渡しや水の秋 松本たかし

所収:『松本たかし句集』1935年

 船頭が棹で舟を10回も漕ぐことなく舟が向こう岸に着いた、という舟渡しの様子を詠んだ1句であろう。
 表現の抑制の塩梅が巧みだ。
 「渡し」の語の直後に「水の秋」と水のモチーフを置くことで舟渡しのイメージを補強している。また、直接舟という語を用いずに、動詞「渡す」を名詞にした形の「渡し」を用いることで船頭が棹で漕ぐ動きが見える。長い棹を静かに、しかし大きく動かす様は空間の広がりや、水の様子をイメージさせる。
 10回も漕ぐことはなかったのだから短い舟渡しであったのだろう。川幅の短さがイメージされる。舟に揺られる束の間は、秋のもつ儚さとも響き合うかもしれない。
 上5中7で、このように船頭の動作や川幅などの空間や、舟に乗っている短い時間をイメージさせることで、下5の「水の秋」は非常に活きてくる。「秋の水」は単に秋という季節の川や湖のことを指すが、「水の秋」は水が美しい秋という季節に思いを馳せる語である。「秋の水」よりも空間的にも時間的にもイメージの広がりが大きい「水の秋」という下5が、上5中7のイメージの広がりを受け止め、情緒の深い1句にしている。
 作者の松本たかしは能楽師の家に生まれ、能楽師を志すものの病弱のために断念した経歴をもつ。私は能に詳しくはないが、舟が登場する能の作品もあるようなので、そこにインスピレーションを得た1句なのかもしれない。

虹あとの通路めまぐるしく変る 鴇田智哉

所収:『凧と円柱』ふらんす堂 2014

 虹のあと、通路が目まぐるしく変わる。何度も見たことがあるようで、一度も見たことがない光景である。

 見たことがないものへの既視感。無いはずが、ありそうという感覚。
 この句を、できるだけ現実の説明がつくのように読むとすれば、「虹あとの」の「あと」を長めにとって、道路工事がなされてゆく街のことだと考えたり、「変る」を、実際の光景ではなく内側のイメージによる完全な錯覚、と考えたりするのが良いかもしれない。
 しかし、虹の雰囲気がこの句全体を覆っていること、虹が架かってしばらくすると消え、目撃できることがやや稀である性質を思うと、通路が虹と同じ時間くらいで変化を迎え、それを本当に目撃していて「めまぐるしく」と言っているように思われる。

 「あと」を、後ではなく跡と考えて、「通路」は虹自体を示し、虹という通路が消えかかり補うように空の道が変わっていく、というような読みも可能であるかもしれないが、その場合だと「めまぐるしく」があまり効かなくなること、そんなに「変」らないんじゃないか、ということで「あと」=後として解釈した。

 ①虹という空間的に高いものから、通路という地上のものへの視点移動、②虹の後に変わっていくという時間の経過、③因果関係とはまた違う、虹と通路の連動(陽にさらすと氷が融けるように……)を微かに思わせる点、この三つがしずかに重なっていることがこの句の魅力であろうと思う。通路が目まぐるしく変わるという実はよく分からないものが、既に感覚したことがあるようなものに変わる。

 『凧と円柱』では、他に〈蜜蜂のちかくで椅子が壊れだす〉、〈めまとひを帯びたる橋にさしかかる〉など、「ないようであり、あるようでない」光景が描かれたものが多くある。句集を読み終わるころには、この居心地が良いのか悪いのか分からない感覚がくせになっている。

(これは個人的な好みだが、「通路」という語の選択も気が利いていて、口調や語によって景がどう立ち上がるかを細かく意識している作家だと感じた。また、このページ上部の画像は、この句をイメージして制作した。楽しんでいただけたら幸いである。)

記:丸田

濡れてゆく鬼灯市の人影も 石田郷子

所収:『草の王』(ふらんす堂 2015)

 しばらく雷が続くこと、雨も降っていないのに騒がしいなと思っていたら、激しめの雨がすこし降って、それからちゃんと晴れた。今日の東京の天気、なぜだろう掲句を思い出した。

 おなじく雨の鬼灯市を詠んだ、例えば水原秋桜子の「傘を手に鬼灯市の買上手」と比べてみたとき、あきらかに対象が人でない。それは人が不在だったからではなくて、空気感が詠まれているから。

 濡れてという時点でなにが濡れたのかを探りながら読んでしまうが、それで人影と言われても肩すかしを食らった気分。実際のところはただ地面が濡れているだけであって、人影は濡れずに動いていくものだから。それゆえ影が実体を持ったようで気味が悪い。

 そして「も」というだけで他のなにが濡れているのか明示されない。ただあるのだよと示唆されるだけ、なんとも不気味。濡れたものが限定されないからこそ、鬼灯市の全てが濡れてしまう。目にはいる景色が全部濡れてしまう。つまりそれは空気が濡れてゆくということかもしれない。

 ゆくで時間の経過・変化をとらえる。「鬼」からくる冷たさ。「灯」の字によるぼうっと膨らむ明かり。鬼灯市の気配や空気感を言葉によって想像させる。景の層・言葉の層、ともに情報が詰まった、省略の効いている一句。

                                    記 平野

磨かれた消火器の赤明日また会う 鈴木六林男

所収:『櫻島』 アド・ライフ社 1957

無季の1句。
この句が詠まれた当時のことは分からないが、現代において消火器は学校や職場など様々な場所で毎日のように目にするだろう。だからこその「また会う」というフレーズ。
磨かれた消火器の色は、発色がよく、光もよく反射するのでどことなく安っぽく軽薄な印象を与える。消火器が連想させる火事という恐ろしい現象も切迫感をもって立ち現れることはない。
消火器の赤にぼんやりとした不穏さを感じながらも、「明日また会う」とこの不穏さが日々続くと考えるこの句の主体は、どことなく現実に対して冷めているような人物として立ち上がる。
577の形をとる句は、句末が伸びているために間延びした印象を与えがちであるが、「明日また会う」は、a・si・ta・ma・ta・a・uと、a音を多く含むからかリズミカルにも感じられる。

記:吉川

火は火のことをかの火祭の火のほこら 大井恒行

所収: 『大井恒行句集』ふらんす堂 1999

 初出は『秋の詩』1976。
 見てもすぐにわかる大量の「火」。私は短詩において口に出した時の発声の感覚、韻律というものが大事だと考えているため、いつも作品を口に出してその流れや気持ちよさ/気持ちわるさを確認している(静かにしないといけない状況のときは、心の中に見えない唇を用意して、それで発声している)。この句は、声に出したときにあまりに面白く、一読してすぐさまメモすることになった。

 内容は火の世界の幻想。火は火のことを思い、慕い、祭り、悼む。火と火のつながりを、火祭のなかの火のほこらに見ている。人間がどこにもいないような火まみれの景に憧れる。「かの」が無かったら、17音で収まってはいたが、この「かの」が効いている。抽象的な世界で、知らない何かが指示されることで、その世界がより一段説得力を持つ。火の世界にも「かの」と呼べるような順序、位置のようなものがあるのだろう。

 火の多さ、そして「かの」「の」で絞られていって最後は「ほこら」に行きつく。これは声に出す時も感じる。火(ひ)からハ行、「の」のOの母音によって、スムーズに「ほ」の音に行くことが出来る。自分が過敏に感じすぎている節もあるが、唇や息の感覚と、内容の展開が一致しているように感じられたのが、ものすごく気持ちがよかった。

 一応「火祭」は秋の行事の季語であり、人間もいるであろうし、人のように、火も火のことを思って火祭が行われている、という句として読むのが妥当であろう。「かの」も、何らかの祭を指定しているのであろう。ただ、私の直感では、人が消えうせた、火だけの世界のように思われた。それは、単に私の憧憬なのかもしれないし、韻律のためかもしれない。

記:丸田

浜木綿やひとり沖さす丸木舟 福永耕二

所収:『鳥語』(牧羊社 1972)

処女句集『鳥語』劈頭の句。 前書きに奄美大島とある。

福永耕二の代表句として第二句集『踏歌』に「新宿ははるかなる墓碑鳥渡る」があるが、風景・イメージ・色調という点でどこか通底しているように思う。まわりはすこし暗いけれども、遠く目をやれば残照が映えていると言えばよいか。

『鳥語』は句集の装丁からして紺色で、劈頭の掲句、その次に置かれた句、そしてその次も、と同様のイメージが続いていく。そして読み終えたときには、一色に染め上げられてしまう。

また、二十歳のときに「馬酔木」ではじめて巻頭を取った句でもあり、そう言われるとべたっとした青春の鬱屈や、沖をさすという決意・心意気が裏に表白されている気もしてくる。

四十二年という比較的短い生涯のはじめに、掲句があったことに対して意味を見出したくなる。もちろん、それは感傷に過ぎるが。

                                    記 平野

日本に目借時ありセナ爆死 光部美千代

所収:『色無限』2002 朝日新聞社発行

蛙に目を借りられるため眠くなるという俗説にちなむ季語「目借時」が何とも不穏。居眠り運転という方向に季語を働かせるのは句の魅力を減じると思う。理屈でなく二物衝撃として読みたい。

アイルトン・セナ(1960-1994)はサンパウロ出身のF1レーサーである。「レインマスター」「雨のセナ」と呼ばれるほど雨のレースに無類の強く、3度のワールドチャンピオンに輝いた天才ドライバーで、記録にも記憶にも残る選手だった。

1980年後半から1990年前半にかけて日本で起こるF1ブームとキャリアがほぼ重なっており、マクラーレン・ホンダのファーストドライバーでもあったことから、日本でもセナは「音速の貴公子」と呼ばれ大人気であった。(例えば少年ジャンプで連載されたアメフト漫画「アイシールド21」の主人公の名前は小早川セナであり、これはアイルトン・セナから取られた名前である。没後もメディアの各所にアイルトン・セナの面影を見ることは出来、人気のありようが伺えると思う)。

彼の衝撃的な事故死は1994年5月1日であった。イタリアのサンマリノグランプリにおいて左コーナーを首位で走行中のセナは突然コースアウト、実に時速211キロものスピードでコンクリートブロックにぶつかったのである。

幸い進入角度は浅かったため爆発事故には至らなかったが、致命的な頭部外傷をおい即死であったと伝えられている(そのため光部氏の掲句における「爆死」というのは事実と照らし合わせた場合には一応、正確ではないことを指摘しておく)。即死であったようだが記録としては搬送先の病院で死去ということになっており、この辺りは定かではないようである。

天才的なドライバーで技術的にも優れていたはずのセナの事故死は到底信じられるものではなく、様々な人間が追悼の意を表した。特に終生ライバル関係にあり犬猿の仲でもあったプロストも葬儀に参加し、涙している。母国ブラジルは国葬をもってセナを弔い、政府は3日間喪に服した。

これを境に日本のF1人気も落ち込んでゆくことになる。

記:柳元