虹あとの通路めまぐるしく変る 鴇田智哉

所収:『凧と円柱』ふらんす堂 2014

 虹のあと、通路が目まぐるしく変わる。何度も見たことがあるようで、一度も見たことがない光景である。

 見たことがないものへの既視感。無いはずが、ありそうという感覚。
 この句を、できるだけ現実の説明がつくのように読むとすれば、「虹あとの」の「あと」を長めにとって、道路工事がなされてゆく街のことだと考えたり、「変る」を、実際の光景ではなく内側のイメージによる完全な錯覚、と考えたりするのが良いかもしれない。
 しかし、虹の雰囲気がこの句全体を覆っていること、虹が架かってしばらくすると消え、目撃できることがやや稀である性質を思うと、通路が虹と同じ時間くらいで変化を迎え、それを本当に目撃していて「めまぐるしく」と言っているように思われる。

 「あと」を、後ではなく跡と考えて、「通路」は虹自体を示し、虹という通路が消えかかり補うように空の道が変わっていく、というような読みも可能であるかもしれないが、その場合だと「めまぐるしく」があまり効かなくなること、そんなに「変」らないんじゃないか、ということで「あと」=後として解釈した。

 ①虹という空間的に高いものから、通路という地上のものへの視点移動、②虹の後に変わっていくという時間の経過、③因果関係とはまた違う、虹と通路の連動(陽にさらすと氷が融けるように……)を微かに思わせる点、この三つがしずかに重なっていることがこの句の魅力であろうと思う。通路が目まぐるしく変わるという実はよく分からないものが、既に感覚したことがあるようなものに変わる。

 『凧と円柱』では、他に〈蜜蜂のちかくで椅子が壊れだす〉、〈めまとひを帯びたる橋にさしかかる〉など、「ないようであり、あるようでない」光景が描かれたものが多くある。句集を読み終わるころには、この居心地が良いのか悪いのか分からない感覚がくせになっている。

(これは個人的な好みだが、「通路」という語の選択も気が利いていて、口調や語によって景がどう立ち上がるかを細かく意識している作家だと感じた。また、このページ上部の画像は、この句をイメージして制作した。楽しんでいただけたら幸いである。)

記:丸田

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