何もないが心安さよ涼しさよ 一茶

所収:『一茶三百句』( 臺灣商務 2018)

 「何」には「な」とふりがな。ブログに載せようとして調べたら、岩波の『新訂一茶俳句集』には載っていなかった。同時期に有名な「大の字に寝て涼しさよ淋しさよ」があるからだろうか。

 五月に入ってからめっきりと暑くなった。風通しの悪い部屋に住んでいるため、熱がこもってしまい如何ともしがたい。それでも夕方になれば涼が感じられる、日中は暑かったからなおさらのこと。本格的な夏に向けての前哨戦といったところだろう。秋口の涼しさとは違い、感覚が外へ開かれていく、そんなバランスの取りづらい時期でもある。

 掲句、「が」と逆説であるところにちょっとした凄味がある。「何もなくて」ならば、忙しい生活がやっと片付いて、ひと息ついている風である。しかしそんな平凡な感慨ではないのだ。日々なんにもないこと、それこそが心安い、そう言い切っている。力強い。

 台湾の訳本なので、ついでに。

 一無所有

 但心安――

 涼快哉          

         陳 ・張芬齡 訳

 読みが分からずとも、漢字の並びから雰囲気は伝わってくる。一・快の字が心境を強調しているようにも思える。

                                    記 平野

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