蛍火のほかはへびの目ねずみの目  三橋敏雄

所収: 『長濤』 沖積舎  1996

「へび」と「ねずみ」の平仮名表記のせいか子供の頃のことを思い出した。
親に、夜に口笛を吹くと蛇が来ると教えられていたこと。
『おしいれのぼうけん』(ふるたたるひ、たばたせいいち 作 童心社)という絵本では、押入れの中の不思議な世界には怖いねずみばあさんがいたこと。
暗がりと「へび」「ねずみ」は結びつくと幼心に怖いものだった。
この句では蛍火と並列に「へびの目」「ねずみの目」が並列して配されることによって、光るはずもないそれらが夜の草むらの中でひっそりと獲物を狙って妖しく光っているような気がしてくる。
蛇や鼠の目が光る、というのはフィクションなのだけれど、そのはったりをかますことで蛍が照らすことはできない草むらの暗がりの不気味さが描かれている。

幼い頃蛍を見た時のことを思い出すと、蛍に目も心も奪われながらも、蛍のいる草むらにまでは近寄れなかった気がする。具体的に「ねずみ」や「へび」に怯えていたわけではないけれど、この句の描く不気味さが確かにそこにはあったのだろう。

記:吉川

佇てば傾斜/歩めば傾斜/傾斜の/傾斜 高柳重信

所収:『蕗子』東京太陽系社 1950

 横書きでは本来の味は出ないが、

  佇てば傾斜
   歩めば傾斜
    傾斜の
     傾斜

 というふうになっている。「傾斜の/傾斜」という展開のさせ方に眩暈感を覚える。「佇てば」は、「たてば」なのか「まてば」なのかは分からないが、「歩めば」との繋がりで、なんとなく「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」の言葉を想起する。立っても歩いても傾斜があるばかり。傾いて傾いて仕方がない。傾斜自体も傾斜してしまって。
 この連続する感覚は、〈「月光」旅館/開けても開けてもドアがある〉(同)にも共通するものがあるように思う。どこまで行ってもそれしかないことの冷たい恐怖。

 視覚的な効果をよくよく練られて作られた句が重信には多いが、この句も各行の先頭が一字ずつ下がって、傾いた斜めの線が見えるようになっている。ただ、二行目「歩めば傾斜」の「斜」が一字だけ飛びだしてしまっている。ここに狙いがあるのかもしれないが、個人的には、ここが揃っていれば整然として(いい意味で)より気持ち悪くなるだろうと思う。または最後の「傾斜」を三行目に持ってきて、平行四辺形のようにしていたかもしれない。こう見ていると、ふだんの俳句表現とは全く違う見方で見ているなと思う。文字をどう配置するか、文字自体がどう見えてくるか、という視点。文字で行う芸術であるから、当たり前のものではあるが。

〈●●〇●/●〇●●〇/★?/〇●●/ー〇〇●〉(『伯爵領』1951)のような意味がとことん排除されていったもの(「?」の疑問や、〇と●の交替からなんらかの規則・意味を見出せるかもしれないが)は極端だが、句自体を文字の集合として、全体の見え方を思考・操作するというのは非常に大事だと読むたびに気づかせてくれる。

記:丸田

追記:〈●●〇●/〉の句について、重信作のように記述しましたが、澤好摩 『高柳重信の一〇〇句を読む』(2015)にて重信作ではないと指摘されているとのコメントをいただきました(当書は筆者未確認)。林桂の時評を扱ったサイトにも、弟・年雄が作ったものを重信が句集に掲載することを黙認したとあります。『伯爵領』掉尾の句が弟作であったとは知らず驚きました。訂正に代えてそのほど追記しておきます。(2020/7/29 19:55)

クレヨンの黄を麦秋のために折る 林桂

所収:『銅の時代』(牧羊社 1985)

クレヨンを折ったのはなぜだろう。

麦の穂を描くために、折れたクレヨンの尖りを利用したから……実用的に考えるならば何ら不足のない読みに思える。しかし果たしてそれだけで良いのだろうか。

クレヨンは幼さのイメージと結びつく。クレヨンを折るという行為には幼さから脱すること、いわば成熟への願いが込められる。麦秋を(描く)ために、クレヨンを折らなくてはならない。そこには折る必要性があり、焦燥感に駆られているようにさえ思う。幼い自分のままで、麦秋を描くことは出来ないのだ。

このとき描かんとする麦秋とは「母」である。鬼房の「陰に生る麦尊けれ青山河」を引き合いに出すまでもなく、麦は生命力と強く結びつく。生命を供給してくれるのが大地であり、人類は「母」なる大地の懐に抱かれながら成長してきた。ものを描く第一歩は、対象を自分から引き剝がす事だという。「母」の懐に抱かれていたままでは、決して「母」を描くことは出来ない。だからクレヨンを折って成熟することで、麦秋という「母」から乳離れをしようとする。

掲句の初出は昭和49年。作者が21歳の時で、ちょうど今の僕らとおなじ歳の頃だ。『銅の時代』の帯文で、加藤郁乎が「林桂君の青春喪失を祝福しよう」と記している。江藤淳の『成熟と喪失』を思いうかべながら、背景となる時代と、その心理への影響、そして現在との差がぼんやりと見えてくる。

記:平野

かたちなき空美しや天瓜粉 三橋敏雄

所収:『鷓鴣』(南柯書局 1979)

なんてことない景色が妙に懐かしく、頭のなかでしばらく咀嚼していると、思いもよらない記憶をたぐり寄せてしまうことがある。どこで見たのかも分らないし、自分で眼にしたはずがない景色に出会ったりする。

八月十五日の空は雲一つない快晴で、明瞭としない天皇の言葉によく分からないまま首を垂れていた。というような話をよく聞く。それで、戦後、あまりに晴れた夏空を見上げていたら、当時のことを思い出してしまう。こう話は続くわけだが、僕には夏の空がそのまま終戦の記憶につながる事はない。体験していないのだから当然の話だ。

でも、掲句を読んだときに八月十五日の空が眼の前に広がった。それが単なる晴れた空ではなく、確かに終戦の日の空だと分る。実際には見ていないから、昔テレビかどこかで作られた空が重なっているのだろう。へんてこな空だと思う。言われてみれば確かに空はかたちがない。この不定形というのが自由な想像を許す。様々なイメージを空に仮託して、もの思いに耽ることを可能にする。視野に区切られた空が空の全てではないし、眼前に広がる空は太古より変わりがない。不定形なのに変わりがない。青の奥の茫洋とした空間に歴史が隠されている気がする。そんな空の面を雲は自在に流れるばかりである。

記:平野

寝室や冷房が効き絵傾き 太田うさぎ

所収:週刊俳句 第691号 https://weekly-haiku.blogspot.com/2020/07/10_19.html?m=1

一読して読み直したとき、上五を「冷房や」に空目した。掲句の上五は「寝室や」である。いやしかし、意味からして普通、上五は「冷房や」として書き始めるのが定石なのではなかろうか。季語の方が上五や切れとは膠着するから。

そういう風に思ってしまうのは、ぼくが(われわれが)季語に思考を促されるかたちで句型を決定することが多く、句を書くときだけでなく読むときにも無意識にその手順を再現してしまうからだと思う。つまり「冷房」が季語だから、上五や切れと親和的だろうと思い、頭の中で勝手に上五や切れを「冷房」を置き換えて、「冷房や寝室にして絵傾き」くらいで掲句を無意識に別の次元で認識している自分がいる。そしてその自分に否をつきつけるぶん、読みのスピードが落ち、句の読みがメタになるのである。

掲句はそういう定石をハックしていることがその旨味の主たる部分と言わないまでも面白みのそれなりの部分を占めていて、となると、その読みの定石をハックしているか否か、というときに、言うならば勝負を賭けられているのは、われわれの読み手の偏差値に対してであり、読みの共同幻想に対してであり、読みの信頼性に対してなのである。こういうことを書くと、エリーティシズムだとか蛸壷的だとか何とか言われがちだけれど、しかしそういう風に書かれている句に対して誠実さを示す方法は今のところぼくはそのメタに応答する読みを試みることにしかないと思う。その営為の善し悪しはまた別にして。貨幣経済が信頼をもとに再生産していくというのが何となくよく分かった。

記:柳元

たとへなきへだたりに鹿夏に入る 岡井省二

所収:『山色』 永田書房 1983

「たとへなきへだたりに鹿」というフレーズは人間と鹿の距離感を言い留めている。
ディズニーのアニメーション映画『バンビ』(1942)に代表されるように、多くの人は鹿を無垢で純粋で触れがたい動物としてイメージする。だからこそ鹿は、親しみを覚えながらも犬のように愛でる対象でもなく、猪のように恐れる対象でもない。野山でふと出会う鹿と人間には近く、遠い「たとへなきへだたり」があるのだ。

この人間と鹿の間にある微妙な距離、そこから生まれる緊張感が「夏に入る」と、季節と動詞による動きが加わることで上5中7の空気とはまた違う味わいが生まれる。
「入る」という動詞は鹿の動きのことのようにも思える。人間と鹿が見つめ合うことで生まれていた「たとへなきへだたり」の緊張感は、鹿が動くことによって失われる。その緩んだ瞬間に、時間の流れが、夏という季節が現れたのだろうか。

抽象的な言葉の連なり故の透明感と句の内容が合っている。

記:吉川

日向ぼこあの世さみしきかも知れぬ 岡本眸

所収:『矢文』(富士見書房 1990)

そりゃあ、あの世はさみしいでしょうよ。と一読して思ったものの、ではこの世はどうか? と問えば、同じものでさみしいものでしょうと答えている。その手順を踏んでみてから、掲句が現世の温かさ、肯定感に支えられた句だと気付かされた。それにしても『矢文』である。〈汗拭いて身を帆船とおもふかな〉とか〈生きものに眠るあはれや龍の玉〉とか、生の幸せが確かにあって、身体的な実感で捉えられている。ぽかぽかの日にあたりながら呆ける幸せが日向ぼこだとしたら、身体を捨てて速さを求める若い者の反対をゆく、老いの幸せというべきだろう。僕もいつかは味わいたいものだ。

                                    記 平野

きつねのかみそり一人前と思ふなよ 飯島晴子

所収:『春の蔵』永田書房 1980

きつねのかみそりはヒガンバナ科の植物で、お盆の頃になるとややオレンジがかった朱色の花を咲かせる。花弁は6枚あって、そのいちまいいちまいが鋭い形状をしている。山中で狐が剃刀として使っているのだろうという連想からこう言った呼び名になったようである。

「一人前と思ふなよ」という呼びかけがこの季語と呼応するのは、剃刀というものが髭なり体毛を剃るものであり、剃刀を使い始める時期がちょうど大人と子供を分ける境目に当たるからだろう。

思えば初めて剃刀を使ったのは中学生の時で、産毛のような毛が口周りに生えてきて濃くなっていくものだから気持ちが悪かった。それを見兼ねた母親が安全剃刀を与えてくれたのだが、妙に気恥ずかしかったのを覚えている。

記:柳元

紫陽花や傘盗人に不幸あれ 西村麒麟

所収:『鴨』 文學の森  2017

傘をわりと失くす性分なので思い出す機会の多い1句。

この句から立ち上がる主体の姿はおかしくも可愛げがある。
「傘泥棒」ではなく、あえて古めかしく大仰な印象を与える「傘盗人」という造語の選択、これまた大仰な「不幸あれ」というフレーズ。この大仰さはなんとなく冗談めかした物言いの印象を生む。この句の主体は、自分の傘が盗まれたことに落胆半分、傘を盗んだ人を呪ってやる!!とその状況を楽しもうとする気持ち半分なのだろう。そんな主体のありようから、盗まれたのが数百円の透明なビニル傘であろうことも見えてくる。

傘と紫陽花の組み合わせは、梅雨頃に小学校で配られるプリントの端にあるイラストで必ず見るベタさがあるけれど、そのベタさがこの句の戯画的な情緒を十分に引き出している。

記:吉川

夕東風や海の船ゐる隅田川 水原秋桜子

所収:『ホトトギス雑詠選集 春』(朝日新聞社 1987)

大正14年の作品。かつて隅田川は水運の要として、江戸市民の生活を支えていた。 葛西へは屎尿をはこぶ舟が走り、吉原へ猪牙舟が往来する。それが明治の近代化により、水の東京から陸へと流通の中心が移っていくと、やがて舟は使われなくなった。「享楽地漫談会」 (『モダン東京案内』海野弘編平凡社1988所蔵) という昭和初期の、吉行エイスケや、龍膽寺雄など新興芸術派を含めた八人ほどの座談会を読んでいたら、川端康成が「船は乗る時に目立つから駄目です。隅田川などはあまり船が動いて居りませんよ」と発言していた。実際にそうだったのだろう、現在は屋形船が動いているが、あれはあれでかえってみっともない気がする。

掲句、東京湾から船が紛れこんだ状況だろうか。それとも旧来のものとは違う外来の船のことを、海の船と呼んでいるのだろうか。とにかく、船の存在感に時代の流れの興趣がある。掲句は隅田川の写生句であり、江戸情緒の中の隅田川ではなく、実際に秋桜子の眼前にあった隅田川である。また写生という手法によって現出した隅田川でもあるかもしれない。ただ、夕東風という季語の斡旋にはどこか、近世のにおいも感じられはしないだろうか。

                                    記 平野