〈ゆるやかなわたしたち〉について おぼえがき   柳元佑太

 この批評は2024年12月28日(土)に開催された第128回現代俳句協会青年部勉強会「名付けから始めよう 平成・令和俳句史」の柳元作成レジュメをほぼそのまま掲載したものです。勉強会では私の他に赤野四羽さん、岩田奎さんがパネリストとして参加し、それぞれ基調発表&クロストークをしています。俳句史の新たな議論の種を作りだせていると幸いです。アーカイブが視聴可能ですので、ぜひお申しこみください!

1.新たな共同体〈ゆるやかなわたしたち〉の勃興

 元号が令和となってから結成された俳句共同体を思いつくままに挙げてみる。「楽園」(堀田季何主宰、2020年-)、「麒麟」(西村麒麟主宰、2022年-)、そして「noi」(神野紗希/野口る理代表、2024年-)。もう少し遡れば「蒼海」(堀本祐樹主宰、2018年-)などもある。

 時代的な分析を試みれば、東日本大震災を契機とした「繋がり」「絆」の称揚や、コロナ禍を背景とした非オンラインでのコミュニケーションの見直しは「人間はリアルな共同体無しでは生きられない」という感覚を醸成した。とはいえ我々は、家父長的な共同体に所属し、個を集団に奉仕させ、個をすり減らしたいわけではない。しかしインターネットでの緩やかなつながりよりはもう少ししっかりと繋がりたい。

 このような共同体回帰のニーズの具体的な現れが、前述の俳句共同体なのではないか。先に断っておくと私はこのうちどの団体にも関わっておらず参与観察できているわけではない。これから言表しようとしていることは、以上の団体に当てはまらない部分の方がむしろ多いと思うから、あくまでもたたき台として使われたし。

 ここでこの現代的な共同体のありようを〈ゆるやかなわたしたち〉と名指してみたい。ゆるやかに〈わたし〉を包摂する〈わたしたち〉。フラットながらもどこかナイーブで、安易で、欺瞞めいていて、それでいてほっとするような〈ゆるやかなわたしたち〉。運動体としての連帯を可能にしながら、ときにわたしを疎外して困惑させる〈ゆるやかなわたしたち〉。私の周りを霧のように取り囲んでいるものはこの〈ゆるやかなわたしたち〉的な共同体であるということには、少なくとも私には身体的実感がともなうように思う。今、この時代に立ち現れている〈ゆるやかなわたしたち〉という共同体のありようを言表してみたい。またこの共同体性は俳句にどのような影響を及ぼしているのか。

2.〈ゆるやかなわたしたち〉の特徴

 代表的な俳句共同体の類型を図にした。以下、この図をもとに説明したい。

 伝統的結社前衛的文学共同体〈ゆるやかなわたしたち〉
中心家父長カリスマわたし(たち)
目的(芸事としての)俳句の上達(文学としての)表現可能性の追及わたしの生の充実
イデオロギー無(「隠れたカリキュラム」として存在)
時間感覚円環的直線的(進歩主義)今・ここ
読みのモード私小説的テクスト論的(「作者の死」)制作における実存の重視(「作者の死」の死)
他者の句に対して批評言語化

 

3-1.中心

 伝統的結社は家父長が中心となって形作られ、ツリー状の構造を持つ。また前衛的文学共同体はカリスマが中心となって形作られ、相互承認が原理であることが多いが、実際はカリスマからの承認によるところも多く主宰や代表が中心となる点においては、伝統的結社とさほど構造が変わらないとみてよい。対して〈ゆるやかなわたしたち〉はその中心は〈わたし(たち)〉である。むろん主宰や代表が存在しており、選があることも多いからして、いっけん主宰や代表が中心の権力構造のように見えるが、〈ゆるやかなわたしたち〉において主宰や代表はあくまでも〈わたし〉のために存在している。

投句欄には選句がありますが、欄の選者は「先生」「師」としてではなく、一冊の雑誌を世に出す立場として、編集権限で句を選びます。 それぞれの「誌友」を「作家」として照らし出す心で選句にあたります。作品発表の場として、方向性の指針を得る羅針盤として、投句欄を生かしてもらえたら幸いです。(「noi」X公式アカウントより)

 共同体は〈わたし〉に対しての絶対性をもたない。あくまでも共同体は「作品発表の場」であり「方向性の指針を得る羅針盤」でしかない。ここにおいてかつてのように、共同体のために〈わたし〉が存在するのではなく、〈わたし〉のために共同体が存在すると言ってよい。しかしこれは自己中心的というわけでなく、むしろ〈わたし〉が複数集まることにより立ち上がる倫理というものが濃厚にある。

3-2.目的

 〈わたし〉が中心となるとおのずから目的も変わってこよう。伝統的結社は「芸事としての俳句の上達」を目的とし、前衛的文学共同体が「文学としての表現可能性の追求」をすることに対して、〈ゆるやかなわたしたち〉においては「わたしの生の充実」が第一義である。とはいえ芸事としての俳句の上達や、文学としての表現可能性が目指されていないわけではない。むしろこれらを媒介として「わたしの生の充実」が目指されている。しかしながら、「わたしの生の充実」をなげうってまで「芸事としての俳句の上達」や「文学としての表現可能性の追求」を行おうとする風潮がもはや無いこともまた事実であろう。かつてのようには一応は文学的ポーズとして表現至上主義的な身振りをとって資本主義外部の価値を目指すことは諦められている。終わらない資本主義の中でいかに「わたしの生の充実」を最大化するかということ、このニーズにこたえたサードプレイス的な共同体であると言えよう。

3-3.イデオロギー

 伝統的結社と前衛的文学共同体は基本的にそれぞれに固有のイデオロギーを持つ。「花鳥諷詠」であるとか「有季定型」であるとか「俳句の周縁の探求」とかを思い浮かべればよい。そのイデオロギーとの思想的合致により共同体が選ばれる。対して〈ゆるやかなわたしたち〉は、語弊を恐れずに言えば、イデオロギーは無い。より正確に述べるのであれば、「イデオロギーが無い」ことをイデオロギーとしている。これは自由、多様性、寛容というリベラルな諸価値と親和性が高い。

野をめぐるように自由に創作に打ち込み語り合う場を作りたく。(「noi」X公式アカウントより)
楽園俳句会は俳句・連句を中心とした詩歌結社です。/俳諧自由の理念に基づき、俳諧普及のため、堀田季何によって2020年3月20日に設立されました。(楽園俳句会HPより)
僕は基本的には有季定型の句を作ります。ただし選句は作品として良ければ採る、というシンプルな選を心掛けます。口語や文語、又は破調や無季であろうともその考えは変わりません。作品の出来が全てですので、それぞれの作句スタイルをこちらが限定することはありません。(麒麟俳句会HPより)

 〈ゆるやかなわたしたち〉は多様な〈わたし〉たちを迎え入れるために、イデオロギーを全面に出さない。しかしながら、ここで本当にイデオロギーが無いかどうかは疑問である。ここで「隠れたカリキュラム(Hidden Curriculum)」という教育社会学の概念を援用したい。これは学校の中でカリキュラム化はされていないものが意図しないままに非公式的に生徒に伝わってしまうということを指す(例えば、教員における主任や管理職のジェンダーが男性ばかりだと「女性は社会的に活躍できない」というメッセージを伝達してしまう)。〈ゆるやかなわたしたち〉も「隠れたカリキュラム」を持つと考えることが出来る。例えば西村麒麟が「作品として良ければ採る」「作品の出来が全て」とどんなに言ったところで、ある価値判断がそこにある以上、そこには依拠しているイデオロギーがある。句会において虚子の句を引用することが多ければ、虚子が「隠れたカリキュラム」となっている。こうした「隠れたカリキュラム」は、イデオロギーが明確になっていて相対化も容易であった以前に比べてやや厄介であると言わざるを得ない。

3-4.時間感覚

 時間感覚も共同体において異なっている。伝統的結社は「円環的時間」、前衛的文学共同体は「直線的時間」である。ここにおいて特筆すべきは前衛的文学共同体における「直線的時間」であって、これは史観としては進歩史観として捉えなおすことが出来る。俳句においては俳句表現史が一歩ずつ着実に前進している(前進してしかるべき)と信じることが可能になるためには、ある程度はこの進歩史観を前提としなければいけない。

今号では「俳句史を進める」という大きな話をしようと思う。/作品固有の価値とは何か、あえて極論すれば、それは唯一無二性ということになる。そして、過去・現在において、存在しなかった句を書き、誰もなし得なかった仕事をする、それこそが俳人の価値と言える。(板倉ケンタ「現代俳句時評 時評ではなく」「俳句」2024.12より)

 板倉が半年間書いていた時評において顕著だったのはこの素朴ともいえる進歩史観である。しかしながらこの進歩史観はどれくらい信じ得るのか。あるいはもっと踏み込めば「俳句史はそもそも進めないといけないものなのか」という板倉時評において所与となっているこの前提はもう少し問われてもよかったはずだ。あるいは板倉が半年間、ときにセンセーショナルな言葉でもってこの進歩史観が共有されていないことを嘆きつづけたこと自体が、すでに進歩史観の時代が終わっているということの証左になるかもしれない。

「鬣」っていうコミュニティのテンションには「俳句表現史というものを見据えて、そこを踏まえつつ、自分なりの新たな一句、まだ見ぬ一句、書かれざる一句というものを立ち上げていくっていうことを、どこまでも追及することは諦めちゃいけないんじゃないか」っていうことがやっぱりどっかにあると思うんですよ。そこを完全に否定するっていうテンションはないと思うんですよね。だけど、私はそこにちょっと……疑問を持ってるんですね。そういう立場はすごく尊重はするんですけど、ただ私はそういうものがだいぶきついなって思いながらずっと過ごしてきていたんですよ。二十代の私は、こんなに前に進めない感じで、でも前に進めないことに対して否定的に捉えたくないっていう気持ちがあったというか。つまり「昨日と同じ今日があって何がいけないのか」と。「俳句は昨日のような今日を書くような形式じゃないのか」と。(外山一機「特集 俳句だった前衛」後編『ねじまわし』第9号より)

 外山一機は、期せずして板倉の言説と真っ向から対立する考えを示している。俳句表現というものを考え抜いてきた前衛的文学共同体の遺産を屈折しつつも引き継いでいる外山が、俳句表現史の更新に関して、諦念に似た感覚をいだいているということは非常に示唆的であろう。「昨日のような今日」というのは「円環的」な時間と言っていいし、俳句表現史を自分の手によっては進めえないことのナイーブな肯定である。もし俳句が「進歩史観」から取りこぼされた者の切実さを託しえない詩形なのだとしたら、つまり「進歩史観」を信じ得る人間によってのみ俳句のメイン・ストリーム(そんなものがいまだあるとして)が形成され、それ以外の人間は周縁で自己慰撫に耽っていればいいというのが俳壇一般の認識になるべきなのだとしたら、それは果たして思い描くべき未来の姿なのだろうか。

俳句には伝統という側面がある。作品固有の唯一無二性を考えた時に、極論、「伝統」自体に価値は無い。誰かがすでにやっていることをなぞっても、その俳人はいなかったことと同じとすら言える。(板倉ケンタ「現代俳句時評 時評ではなく」「俳句」2024.12より)

 様々な事情で「進歩史観」から脱落せざるを得ない製作者がいる。「昨日のような今日」を書かざるを得ない人間がいる。「過去・現在において、存在しなかった句を書き、誰もなし得なかった仕事をする、それこそが俳人の価値」であり「誰かがすでにやっていることをなぞっても、その俳人はいなかったことと同じとすら言える」のだろうか。また、そもそもその唯一無二性を判定するのが特殊な個人であらざるを得ない以上、その特殊な個人の判定によって誰かが「いなかったことと同じ」になる価値体系は危ういと言わざるを得ない。ジャーナリズムがいかに恣意的であるかは言を俟たないし、周縁はいとも容易く消去されるだろう。それに、俳句は50音から17個とるという極めて単純な順列組み合わせで表し得ているという立場に立つなら、そもそも「唯一無二性」などは現在の人類の技術的制約により制限された視野の中だけに立ち現れる、甘美な夢でしかない

 とはいえ、では「進歩史観」を完全に捨て去ることは出来るのか。自分の表現が何か新しいものであることを願わず、それが「史」なるものの前進に寄与せんとすることを願わずに書いていけるのか。このアポリアに対して、〈ゆるやかなわたしたち〉はどのように対処していくのかというのが、目下の興味である。〈ゆるやかなわたしたち〉は(少なくとも正面から)「直線的時間」を共有してはいない。かわりに採用される時間感覚は「今・ここ」である。「今・ここ」における自己実現、「今・ここ」において書くことによって都度再構成され、見る/見られる「わたし」。あるいは「今・ここ」における他者、こういったものの中に豊かさを見出そうとしているように思えるが、どうだろうか。

3-5.読みのモード

 伝統的結社は「私小説的」に、前衛的文学共同体は「テクスト論」的に読解が行われることが多い。特に後者におけるいわゆる「作者の死」は、一見すると不可逆的なパラダイムシフトのように思えた。しかしながら「ゆるやかなわたしたち」においては、この一度死んだはずの作者が復権してきていると言わねばならない。

書き手の反映を基本とするロジックは、その後、テクスト制作における実存の重視として、彼ら(柳元註:保坂和志と佐々木敦)の意図からずれつつも時代の推移としては順当に一般化したと考えられます。具体的には、「日記」や「随筆」、「私小説」や「生活史(ライフヒストリー)」の流行、そして社会的主題の表出を書き手の実存との関係(の有無)のもとで評価する制作/批評観の主流化といったかたちで。(山本浩貴『新たな距離』フィルムアート社、2024)

 書かれた言葉は、その時代性やその言葉を取り囲む権力勾配の中でしか厳密には理解不可能であるし、特に多様な「わたし」の在り方を認めようとすればするほど、それらを一つの普遍的な言語としてみなすのではなく、個々の肉体や精神から立ち上がる一回性のある発話としてみなす方が適切になってくる。

3-6.他者の句に対して

 伝統的結社は「選」をし、前衛的文学共同体は「批評」をする。昨今はこの「批評」の不在が叫ばれて久しい。これは〈ゆるやかなわたしたち〉において採用されるシステムが「批評」ではなく「言語化」だからであると考える。「批評」から「言語化」へと、緩やかにシステムが変化していると思われる。

 「言語化」の称揚は俳壇に限らず一般的な潮流とみえて、書籍タイトルに「言語化」を含む図書の出版件数を調べてみると、2016年から2020年では215件だったのに対して、2021年から2025年では421件もの図書が出版されており、ほぼ倍増している(国立国会図書館サーチ、2025年2月10日閲覧)。自己啓発本の分野でも「言語化」は大きな脚光を浴びていて、社会自体が「言語化」に対して肯定的な価値づけを与えているといってよい。では「批評」と「言語化」はどう違うのだろうか。

批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか(小林秀雄『様々なる意匠』1929年)

 「批評」というものが小林秀雄の言う通りのものだとすれば、「批評」は「己れの夢(=自己)」が起点である。「批評」は自己と他者が交わるため否応がなく傷つくときがある。そういうことを覚悟のうえで止揚しあう場としてかつて「批評」というものはあった。「己れの夢」と「他者の夢」との差分を認めながらも「己れの夢」として語る。そこにまず間違いなくマッチョな価値観があったことは否めないが、それが作品の水準を担保する機能があったこともまた事実だろう。

 他方で、「言語化」は他者の作品そのものが起点であって、すでにそこに客体として存在しているものを、所与の前提としたうえで、いかに語り損なわずに語り起こすかかというゲームである。だから「言語化」では、「上手に読む」ということは起り得ても、相手の作品それ自体は所与の前提だから、大きな枠組みでの価値観の対立の止揚などは起らない。「言語化」は建前としてそこにすでにあるものを明確にするだけであって、語弊を恐れずに言えば創作的な行為ではない。相手の作品それ自体を所与の前提として受け入れるという態度を「優しさ」とか「誠実さ」とかと呼ぶかどうかは私は判断しかねるが、踏み込んではいけない自己と他者の境界が規定されて、より他者倫理が強くなったのは事実だろう。一例として、私は「俳句甲子園」に18回大会から今まで関わってきていてその変化を定点的に観測しているが、俳句甲子園は明らかによしとされる価値観が「言語化」になったと思う。

 以上、ざっと〈ゆるやかなわたしたち〉についてのおぼえがきを示した。

銃よりもおもしろい  丸田洋渡

 銃よりもおもしろい  丸田洋渡

金魚売あわれあらわれては消えて

火祭の煙る浴衣や帰っても

霧しゃべる理髪師がおとす銀の道具

がむしゃらに歩くがいこつ百日紅

火が蠟に憑いている百物語

麒麟にも犬のともだち居待月

つながりのきれいな電車糸もみじ

鈴の色して会いにくる人も木も

よるの署の紙とぺんしる下弦の月

栗色の俳書にお似合いのランプ

ほんとうに砂の砂糖や秋うらら

おにぎりに謎の魚や神無月

新雪や毒の知識がすこしずつ

冬の日の銃よりもおもしろい花

ミルクティーみたいな冬のサスペンス

こせこせとクリスマスだから音楽

全身が仄明るくて蜜柑風呂

ガム噛めば梅のにおいの空は雪

俳句むずかし厚焼き玉子用の皿

   ❆

シャッターは生まれる前に押している

命綱なんてあるわけ山桜

寒天のみるみるうちに夏みかん

花火かとおもえば戦争のテレビ

あるまじきところに心ところてん

風鈴や島から島へ橋ひとつ

甲板に私が立っていて触る

幽霊はバターのにおい半夏生

原っぱのトランペットの子と話す

桟橋へ月見えすぎているような

山椒の木や人生は涼しくして

いわし雲三日後のこと考える

消えやすい秋の子どもの遊び方

卵のない卵パックの風通し

鶺鴒や哲学が哲学で紙

てのひらに文字書いている秋思かな

秋の夜コンビニが想像できる

お月見のおもちをもちあげるおもち

日向にも好き好きあって十月など

水族は三日月を考えている

ばらばらも非ばらばらも鯛ごはん

窓枠に窓ちゃんとある秋の朝

鶏頭や爆弾処理班の休日

チェロ色の大学前の停留所

口癖に口は欠かせず冬薔薇

かえりみる百舌鳥ことばからもう一度

凍土や小学校を遠回り

宇と宙のうかんむり感鐘氷る

荷づくりは窓を見ながら春の雪

一文字も書けていない花柄の遺書

   ❆

雪のなかで銃をうまく想像できない。


*読み:仄明るい(ほの-)、鶺鴒(せきれい)、百舌鳥(もず)


  

片仮名の多い詩集を読んだあと手のひらでグー・パー・グーやった 川村有史

所収:『ブンバップ』書肆侃侃房、2024

記:丸田

「あるある」には段階がある。この歌は良いあるあるを、良い言い方で言っているちょうどいい歌だと思う。
 この歌を評価するために、迂回にはなるが、「あるある」について考えてみたい。

 *

  今から即興で五つの例を挙げる。

 ①トマトのあるある:赤い
 これは特徴レベルで、ほぼあるあるではない。

 ②遠足のあるある:楽しみで前日眠れない
 これはふつうのあるある。

 ③真夜中の学校のあるある:怖い
 これは特殊なあるある。

 ④冷蔵庫のあるある:たまに宇宙みたいな音がしてうるさい
 これも特殊なあるある。

 ⑤短歌のあるある:夏しか詠まれない
 これは行き過ぎている・もしくは「ないない」。

 *

 あるあるとは、「あるある」と比較的多数が共感できる内容のことを指すため、「ない」に到達してしまうと、それはあるあるではなくなる。だから、まず、「あるーない」の軸が存在する。⑤で言うと、短歌は「夏がよく詠まれる」という言い方であればあるあるの範囲内で、「しか~ない」と断定してしまうと、そんなこともないと思われてしまって、「ない」に近づいていく。
 この「あるーない」の軸は、両端・真ん中に寄らないちょうどいい位置である必要があり、①のトマト→赤いは、極端に「ある」に寄りすぎているがために、「あるある」ではなく、特徴の説明になってしまう。全員が即答できるような事実、は、良いあるあるにはならない。

 ②遠足→前日寝れない は、比較すると一般的なあるあるだと思う。多くの人が共感できるような内容で、かつ、「みんながそうらしいということが既に流行っている」タイプのあるあるである。似たようなもので言えば、「テスト勉強をしていないと言う人ほど実はしている」みたいな。ノーマルにあるあるであり、もはや知名度の高いあるあるになっている。自分が共感できるかどうかではなく、それが既にあるあるであろうからあるあるだと納得できるという仕組み。
 一般的な会話の流れであるあるが必要になる場合は、このような知名度の高いあるあるを使用することがほとんどだと思う。皆が共感して、そこから会話を進められたらいいからである(お笑いで言うと土佐兄弟が行っているような学校あるある)。
 ただし、この知名度の高いあるあるは、共感の度合いや想起させるスピードは高いが、面白さという点には欠けている。鮮度が低い。もしより面白いあるあるを狙いに行くには、知名度の高くない、新しいあるあるを求めに行く必要がある。

 ③真夜中の学校→怖い は特殊と書いたが、何が特殊かというと、「お題が変形している」ことにある。簡単なお題に対して、ちょうどいいあるあるを言うのが「あるある」あるあるであって、お題自体が変であれば、アプローチが変わってくる。もっと極端に、「火星の病院あるある」とかを想定してもいい。
 お題自体が「ない」側に近づいているとき、あるあるのアプローチは大きく分けて二つある。一つは、完全正答を狙いに行くこと。今までの例に倣って、ちょうどいいあるあるを、変なお題に対しても見つけに行く。もう一つは、完全に「ある」に振りきること。完全に「ある」が+100、完全に「ない」が-100として、理想が80くらいだとすると、完全正答で一発で80を出すか、お題の-20に+100をぶつけて結果80くらいに見えるようにするかの二択になると考える。③でいうと、「真夜中の学校」はそもそも行ったことがない人の方が多いはずで、何を当てても共感には至りにくい。そのため、真夜中の学校の印象の+100「怖い」をぶつけて、あるあるまで持っていっている、ということである。
 ここで付け加えておきたいのが、(私の個人的な感覚として、)100「ある」で中和させるタイプは、完全正答には少し負ける。テクニックとして80に見せるのと、初めから80なのには、ほんの少しだけ差がある。

 続いて、③はお題自体の変形があったが、④は回答自体の変形、という特殊なタイプになる。冷蔵庫→ブーンと音がなってうるさい くらいが、知名度の高いあるあるの範囲内であり、「宇宙みたいな音」まで行くと、かなり内容が盛られている。よくよく考えれば、宇宙の音を聞いたこともないわけで、若干「ないない」に振れているが、⑤とは違うのは、あるあるベースで表現だけが盛られている、という点である。「宇宙みたいな音」という比喩が、「ブーン」を差していることは容易に想像がつくから、あるあるを離れすぎない。
 このパターンで発生しているのは、あるあるの伝達に加えて、「あるある」感を増幅させる形で回答者の表現上の個性が見られる、ということであり、①~③には希薄だった回答者の影が濃く見えてくることになる。

 *

 上記の点を整理する。あるあるには、「あるーない」の軸があり、両端や真ん中に寄らない方が「あるある」感が高い。あるあるが使われていくことで、あるある自体の知名度の高低が発生する。そしてお題が変形しているときは、回答の形は完全正答か100「ある」でぶつけて中和する方法があり、完全正答が理想ではある。回答が変形しているときは、あるあるとは別に、回答者の表現の個性を伝えることできる。

 あくまで個人的な体感によるため、この時点で誤っていると思われる方もいると思うが、一旦これで進めることにする。

 今確認した事項の他に、もう一つ、重要なことがある。面白いあるあるを目指すとき、真逆の「ないない」も面白いと感じてくる場合が時折発生する。これはどうしてそうなるかというと、「あるある」あるあるが、「ないない」に向かっていくからである。
 というのは。あるあるを考えるという行為は、ちょうどよく「ある」を考えることであるが、それは「ありすぎてもいけない」「なさすぎてもいけない」という二つの思考を同時に行うことである。だから、あるあるを考えるほど、同時に「ないない」も考えることができていて、無意識のうちに「ないない」は溜まっていっている。
 という前提に加えて、「あるある」あるある(「あるある」を考える行為そのものの「あるある」)として、知名度の高いものは使いたくない というのが生まれてくる。知名度の高いものを流用していても仕方ないから、自分でまだ見ぬものを見つけてこなければならないという感覚が、「あるある」あるあるである。
 この二つが混ざっていくと、手元に一杯溜まっている「ないない」が、面白そうに見えてくるときがある。「あまりにもない」は、「すこしくらいはある」に見えてくる。(英語で「few / little」と言うと「少ししかない」で、「a few / a little」だと「少しはある」になるのと雰囲気は似ている。)ちょうどよくある、よりも、「全くない」とかの方が潔くて面白いと思うターンがある。

 ただしこれは、「面白い」を追求した先にあることであって、共感を前提としたコミュニケーションの上ではノイズになってしまう。のんびり遠足あるあるを話している時に、「遠足あるある 車で行く」とか言い出すと、会話が変な方向に行ってしまう(遠足あるあるを考え続けていると、「車で行く」くらいのないないが面白くなってきたりする)。
 そのため、あるあるのフィールドでないないで攻める場合は、聞き手を選ぶことを覚えておくのが重要である。聞き手が、一つのあるあるに対して知名度の高い回答を多数知っている場合であれば、ないないが面白さとして力を発揮することができる。上記⑤であれば、短歌読者がみんな、「短歌→夏の作品が多い」という回答を知っており、それに飽き飽きしてきていると、「短歌→夏しか詠まれない」が面白いとされるようになる。聞き手がどこまで知っていて、どれくらい面白いものを求めていて、どれくらい知名度の高い回答に飽き飽きしているか、それらを勘案して初めてちょうどいい「ないない」が成立する
(読者不在で、伝わるだろ面白いだろという顔で「ないない」を突然投げてくるような作家はたくさんいる。それを面白がるために反対のあるあるを調べようとする良い読者もいるが、大半はぽかんとして終わりである(なぜなら、一周回っていない、ただの「ないない」だから。そのあたりに注意が必要になる。)

 *

 とずいぶん遠回りをしたが、それらを前提に、川村有史の表題歌を見てみる。

 片仮名の多い詩集を読んだあと手のひらでグー・パー・グーやった

「読んだあと」を一旦つなぎの言葉として(音楽の楽譜でいうタイみたいなイメージ)、「片仮名の多い詩集→手のひらでグー・パー・グー」というあるあるが書かれていると考えると、非常に特殊で複雑な操作が入っていることが分かる。
 先述した③のように、ただの詩集ではなく「片仮名の多い詩集」とお題が若干変形して細かくなっている。一見して分かる通り、まずこの書き手は100の中和は目指していない様子。完全正答を目指している(メタにいえば、下の句の行為(回答)を引っ張り出すために、それに合わせた細かいお題を作者が設定した、とも言える)。
 そして、その回答もまた、変形している。カタカナが多くて閉塞感や窮屈さを感じていて、その真逆の行動を体でしたいということなので、たとえば「お布団で大の字で寝た」とか、「ラジオ体操第一をした」とか(こうなれば大喜利になってくるが)でも意図するところは表現できた。
「からだを動かしたくなった/からだが動くか確かめたくなった」が第一の回答、その変形が「手のひらを開いて確かめた」、さらにそれを変形して、「手のひらでグー・パー・グーやった」になる。少なくとも二回の変形を受けた下の句になっている。

 先述した通り、この回答の変形には回答者の個性が出る。手のひらを開いたり閉じたりを、グーとパーに例えていること。「グー・パー」と中黒を挿入していること。「グーやった」という言い方を選んだこと。少なくともその三つが、この下の句から見える回答者を想像するヒントになる。私としては、陽気な人を想像した。そしてリズム感の良い人だなと思った。ラップとか聞きそう、みたいな(この推測には歌集タイトル「ブンバップ」が影響している。しているというか、私が影響させている。ブンバップはHIPHOPの用語で、90年代くらいのサンプリングビートのこと)。

 そして、回答をお題とセットで引いてみたとき、「グー・パー・グー」もまた「片仮名」であるということに目が行く。窮屈さからの解放かと思いきや、ちゃっかりカナの影響を受けている様子。しかもよく見ると、「グー・パー」で終わっておらず、手の形は「グー」で終わっている。手は窮屈さに戻っていく形になっている。とすると、解放というよりは、一度パーを挟むこと、手の動きが正常に行えるかどうかの確認、の方が意味合いとしては大きいのかなと想像する。

 そして、あるあるという視点から離脱したとき、タイの「読んだあと」が微妙な時間の流れを作っていることが分かる。「読んでいて」とか「読みながら」も可能ではあるが、主体は読み終えるまではその状態で耐えたことが分かる。映画のエンドロールを全て見終わってから立ち上がるように、「読んだあと」初めて、手のひらを動かした。このあたりの些細でありながら素直な言い方で、主体の動きの流れや性格がうかがえるようで、面白い。

 最後に、お題にある「片仮名」が漢字であることを考える。カタカナが多い詩集を振り返って、「グー・パー・グー」なのに、「片仮名の多い詩集」となっているのはなぜなのか。この歌でここだけは、意見が分かれるところだと思う。これは、書き手(主体)というよりは作者の個性が出てしまっていて、「カタカナ」という文字列よりも「片仮名」という文字列の方がいいと判断したのではないか。私としては、「詩集」という単語の近くにあるから漢字三文字の方が居座りがいいことと、「グー・パー・グー」に読者の視線を集中させるために余計なカナを登場させないという意図から、「片仮名」でも納得する。見ていると意外と、漢字も漢字で「グー・パー・グー」したくなる感はあるなあと思う。
 総合的に、あるあるの完全正答でありがなら、ぱっと分からないくらいの変形と、気取らない雰囲気が良質で、創作の順序は頭で追えても、自分の手ではなかなか作ることができないと思う、強い歌だと感じた。

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 短歌が共感ベースで進んでいくものとして語られることは多いが、その仕組みを大きくあるあると捉えてみたとき、共感をより煽れるのは知名度の高いあるあるということになるが、詩として面白いものを目指そうとすると、知名度の低いあるあるを見つけるか、新しく創出する必要がある。それが行き過ぎて「あるある」ではなくなってしまった場合、それは共感できないことを表し、読み手はぐっと距離を取ってしまうことになる。どこまでがあるある足りえるか、どこまで共感可能な世界として想像してもらえるかを想像することが肝心である。

 *

 五つの例で考えたのは、だいたいお題が与えられている場合の回答のことであって、短歌だとそのお題の設定から自分で行えるため操作できることはかなり増える。

 冷蔵庫の音か夜明けの来る音か /星野高士『残響』

 これは俳句だが、あるあるの変形と見ることもできる。例④みたいに、冷蔵庫→夜明けの来る音みたい、という回答の変形を、二択の形に持って行っている。あるあるから発想を開始して、「あるある」という形式自体の変更を行えば、わりとあらゆるタイプの作品が作れるようになる。おすすめしたい。

 *

 川村さんの他の短歌も、あるある視点で捉えるとよくそんな回答を持ってこれたなと思うものが多々ある。〈この海でするチル飽きてきたような気もする 鳥をぜんぶ数える〉とか、〈和らげる作用の事を指しながら柔らかく言う議員の笑いじわ〉とか、〈大理石っぽいテクスチャーのタイル 消しカスみたいなグラインド跡〉とか。大理石っぽい~の歌に関しては、お題が隠されていて、回答だけがあり、お題を後から想像する型と考えれば読解がしやすい。
 もちろんあるあるだけでは分析できない、〈次に会う時には次の良さだけどこの楽しさも固定できたら〉の「固定」みたいな選択も素晴らしいと感じた。

 良い歌の多い歌集だったと思います。読んだ後、手のひらで「グー」しました。

 

フリーペーパー「紙の帚」

 2022年8月10日に、紀伊國屋書店国分寺店で開催していた「短詩型フェア なつ空にじいろ自由研究」のコーナーにおいて、暁光堂さまの選書スペースにて「帚」のフリーペーパーを設置していただきました。

 その際のフリーペーパーの内容を公開いたします。ぜひご笑覧ください。
(サイズが大きいため拡大してご覧ください。)

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 天體による永遠  柳元佑太

天體や精密しくうごく蟻の觸覺つの
寂しうて氣海えーてる立泳ぐ吾ら
草いきれ天文臺は午睡り
夏至前夜柱時計の狂ひ打ち
大宇宙年かたつむり片目瞑り
晝顏や思惟の渚の水音みのと聽く
八月や灣にいこへる海自體
蓄積たくはへて腦は藏なり黴赤く
足元に地下鐵疾驅はしる李かな
方舟に天道蟲は乘り損ね
夏痩や月の惰性を見て過ごす
光線と共に天使の天降あもる金魚かな
天體やもぐらの穴が縱橫無盡たてよこ
衝突ぶつかり星鑄直さる蟬夕べ
薄羽蜻蛉月にもありて綿津海

 思い思い  丸田洋渡

ふらふらと夏の水晶体は虚
夢で行ける塔一望の植物史
ここまで来ると雲も聞こえる玉簾
足が喋って顔落ちてくる昼寝覚
餡蜜や彫刻刀は久しぶり
膨らんで祭の中に家が入る
ねむいルビーの夜に婚礼滝の背景
月の孵化観る冷房の車から
青い部屋で蟻の代表者と話す
振り向いて夢遊の鹿はそれ以降
曇ったら傘が恋しくジャムの瓶
曲想に光を据えて噴水も
覚醒の映写機は海を流した
推敲は海にかもめを呼んできて
秋海棠思い思いの席に着く

 一部屋  吉川創揮

絵葉書を密にばら撒き避暑の景
歯磨きの余りの腕にうすく汗
水羊羹時計かちこちそんな時
一部屋に思考一杯しろめだか
かみ・なり縦書きによくつんのめる
香水に透くる映画の券の褪
グラジオラス写真の奥の扉開く
夏、空そこに立体の秩序が
雨音の遠近感や瓶に茎
水道を辿るイメージひょいと虹
西日差す壁に見えるは何か顔
閉じてふと手酷く遠き冷蔵庫
ビール飲む一口ごとにじつと見て
シャワー浴ぶぐつと爪先立ち気分
まどろみに湿布の匂い夏の月

 暮  平野皓大

而して小蛸とともに壺に住む
筒に棲む魚に杏の落としもの
あをあをと溶けて金魚の肉鱗
白目高岩を小突くも泡のごと
蟹来ると揺らぐ草の根木の皮
大なまづ糸に俗界へといたる
  *
青蘆を薙ぎわたり来る風の中
暮らしつつ径を覚えて河鹿笛
青田風口乾くほど日をかさね
愚かものどもを祭は祀るかな
絵団扇や湖のをみなが瓜実の
秋隣鳥の貌してシーシャ吸ふ

(紹介)

〇暁光堂さんのHP https://gyokodo.com/

〇紀伊国屋書店国分寺店 https://store.kinokuniya.co.jp/store/kokubunji-store/

日月潭  柳元佑太

 日月潭  柳元佑太

松島や春は名のみの千々の濤

 (前書)平野皓大、遲刻癖あり

朋友(ともがら)を長待つしまや春の海

旅に讀む本薄(いささ)かや濤も春

朋友(ともがら)來春外套を脫ぎながら

春の旅ごゝろよ着けば卽汲まん

晝酒に晝酒かさぬ榮螺をあて

火に榮螺噴くや榮螺の身かゞやき

蒲鉾の微發光せよ春の晝

 (前書)吉川創揮、事情通なれば

韓國(からくに)のidolばなし百千鳥

糟丘(さうきう)に坐し春の海眺めんか

幻視(そらみ)よや春を翁が浮步(うけあゆ)み

橋かけて渡らんとしき椿島

 (前書)丸田洋渡、園丁なれば

春や汝もはや植物學者哉

これよりは牡蠣殼島と申すべき

島々を花粉經廻りゐたる哉

さう思ふべしや花粉も過客なりと

霞なる舟霞なる島嶼(しまこじま)

灣のもの皆霞むなり吾も又た

甲板に出て春風を縱(ほしいまま)

それも又た一興春の氣球詐欺

みらくる  丸田洋渡

 松島旅行に際して。

 みらくる  丸田洋渡

うどん屋のくもり硝子や大白鳥

絶筆の万年筆の音がする

松島は牡蠣味の風吹いている

絶景に大ウケうみねこも海も

今は何書いても海になるから書く

つぶ貝の音録れそうに春の宿

これでは私が海老大好きみたいになる日

露天風呂とは類想の気持ちよさ

眼に映れ トランプの春色の騎士 

    〇

みるからに夢の気球が飛んでいた 

    〇

生きるみらくる熱気球のりこむ春

 水の地球すこしはなれて春の月/正木ゆう子『静かな水』

熱気球すこし離れて春の地球

船に海ついてくるなり突き放す

春涛や友だちが詩を思いだす

お日柄も良く春風のサイゼリヤ

空調工事博物館の空調を浴びる。

手札には名句いくつも飛行機雲

春眠や城趾はいつまでも趾

していてもしたくなる旅さくら貝

これからの気球不足の空広々

【後日談】

 作中にある「城趾」は、多賀城市にある多賀城跡のことである。
「出題者が名句を一つ設定し、その他3人は質問をして、その名句が誰の何という句かを当てる」というゲームが多賀城駅付近から突然に始まったが、それがあまりに盛り上がった結果、多賀城跡に辿りついても、誰もまともに城のことを考えてはいなかった。城跡から城を想像するのと同じように、断片から立ち上がる名句を想像していた。
 出題者が一周して、(何かの跡の前に置かれているベンチに座りながら、)柳元くんが出題者となり、私たちが質問し得たヒント「季語は冬」「男性が作った」「定型ではない」「作者は昭和より前に亡くなっている」というところから、井泉水でも禅寺洞でもなく、橋本夢道でも横山林二でもなく……と考えて考えて考えた結果、雷のように閃いた〈咳をしても一人/尾崎放哉〉を答えて当たったときの快感と、そのときの強風に煽られて揺れていた青い竹の光景はおそらく死ぬまで忘れることは無い。

 それからしばらくのこと、この松島特集号を作るために原稿を調整していたら、付けっぱなしにしていたテレビから、耳馴染みの良い単語「タガジョウ」が聞こえてきた。
 2024年3月31日夕方の、そのときのテレビ画面に目をやると、見慣れた家族であるサザエさん一家が、家を飛び出して、旅行をしていた。日本三大史跡を回っていて、次は多賀城だ、仙台に行けば牛タンとずんだもちが食べられる♪ とカツオが言っている。
 どうやらサザエさんは放送55周年目前であり、旅行スペシャル回だったようで、一家はあっさり仙台に移動して、多賀城跡へ向かい、私が最近見たばかりの風景の場所に立っていた。波平やサザエが説明して、乗り気じゃなかったカツオとワカメも、城跡を目の前にして「見える!見えるわ!」とか言い始めて、CGのように空想の昔の多賀城がカラフルに立ち上がっていた。

 その様子を私はちゃっかり撮影して、早速、帚のメンバーに共有したところ、「われわれよりはしっかり見てる」という返信が来る。「間違いない」と私は返した。私の中での多賀城は、かなしくも、名句の中に埋もれている。

気球乗りたち  平野皓大

それは早朝というより、未明と呼ぶべきだろう。坂の上からのぞめるはずの松島湾も暗色に包まれ、近くのデイサービスセンターも閑散としていた。われわれのほかに起きている人の気配もなく、冷たい風が吹いている……。日が出ていても寒さののこる時期だというのにわれわれ四人、こんなに早起きをして宿を出たのは熱気球のためである。

熱気球に乗って、地上を離れ、海にうかぶ島々を一望する。旅程というほどの決まりきったものを持たないわれわれにとって、熱気球は唯一の旅程だった。気球でバカ早朝に起きて朝日を見るのでそのつもりでよろしく。旅行の一週間前にや氏から送られたラインは日々の生活に疲れたわれわれに活力を与えた。や氏にしてもふだんの口調とちがう強引さがあり、松島旅行をより充実したものにする妙案に自ら昂ぶっているようでもあった。

滾る、とよ氏がいち早く反応し、気球が頭から離れないとま氏がツイートした。

僕にとっても、気球はあこがれだった。祖父からカッパドキアに行こうと誘われたのは五六年前のことだ。今生の思い出に孫と旅をする。祖父の目的はハッキリとしていたが、僕としては長時間のフライトによる祖父の疲労と、こちら側の疲労を考えるとあまり乗り気になれなかった。

しかし勝手なもので、コロナウイルスが流行し本格的にカッパドキア行きが白紙になると惜しくなり、多少の申し訳なさとともにカッパドキアの黄褐色の大地と、そこに浮かぶ熱気球のことを考えるようになった。

熱気球の旅は大地にその小さな影を落とすところからはじまるだろう。家々の窓から差し伸べられた手は旗のようにひらめき、気球乗りたちは地上からでも視認できるように頭のうえで大きく手をふるにちがいない。岩を刳りぬいてつくったという家も、そこに住む人々もみるみるうちに小さくなり、地上の雑音は消え、カンカンと大地に照りつけていた太陽が、気球乗りの目の前で輝く。

そんな情景を僕は思い浮かべ、松島の熱気球を楽しみにしていた。
本当はまだ眠っていたい時間から外に出て、街灯しか頼るところもなく、風を避けるところもない道を歩いて来られたのも、気球というイメージの力に励まされたからだ。

だけど、実物の気球は薄っぺらなもので、コンクリート舗装の地面に広げられている球皮を前にして、こんなものに命を預けて良いものか不安になった。みずから提案したにもかかわらず高いところが怖いと言うや氏も、中空で泣くはじめての体験と軽くおどけていたよ氏も、寒さだけではない震えが口々に漏れはじめていた。

熱気球は、大型送風機で球皮をふくらませ、バーナーの炎の力で球皮の中の大気をあたためて浮いたり沈んだりする。

風任せに飛んでいるように見えて、風向きは高度によってちがっているんです。左右に動かしたいときは風の層を読んで、球皮の中の温度を調節しています。慣れれば、数センチ単位で自在にあやつることもできます。

ヤンヤンと名乗ったお兄さんの説明は、すこし理屈ぽかった。もっとロマンあふれる気球譚を話してくれれば心も温まっただろう。

約五十メートル四方の小さな広場がわれわれ気球乗りたちの舞台だった。予想と反した狭さではあったが、平生目にしない機材のならびに大がかりな実験がはじまるようでワクワクはした。デッカい昆虫や恐竜をかっこいいと思うのと同じ熱量で、送風機やバーナーの大きさ、そして風を溜めて起き上がりかけた気球にワクワクするのだ。

ヤンヤンの説明はクイズを交えながら、軽快に進んでいった。さて問題です、世界一大きい気球には何人まで乗れるでしょう・・・・・・8、はい、そこのお兄さん、10、15、5、なんだかオークションみたいになってきましたねぇ。

子ども向けのシナリオなのだろうから子ども相手に徹しても良いだろうに、ヤンヤンはシャイなのか、それとも単に子どもが苦手なのか、こけた頬にシワを寄せ、矢鱈とわれわれのほうを見た。テーマパークのキャストのような体に染みついた客向けの仕草はなく、端々に人間らしさを感じる好ましい振る舞いだった。

今日の風はどうやら微妙に強いらしい。気球はふくらんでも風に圧せられ、球皮に溜まったはずの空気がにげてしまう。ヤンヤンの背後を振りかえる回数も増えていった。子どもたちはわれわれと同じく気球を夢見て朝早く起き、この場にいるはずだった。気球に乗りたいという願いも自然の前では無力で、とうとう中断、様子見となり、親に連れられて車の中へ戻っていった。

かわいそうに。

と言ったのは、ま氏とよ氏のどちらだっただろう。

かわいそうに、このまま中止になったら耐えられないよな。自分が小学生だったらきっと泣いてる。

とどちらかが言うと、

本当に。きっとクラスメイトに、週末、熱気球に乗ることを自慢してきただろうに。

とどちらかが応えた。

正直に言うと、このあたりのことはあまりの寒さに耐えるばかりで記憶から抜け落ちている。それでも、鼻水を垂らしながら自分たちのことではなく子どもたちのことを心配する姿勢は、われわれの人柄の良さをしめすエピソードとして、書かざるをえない。

ありがたいことに、スタッフの方がピンクのうさぎやダルメシアンの描かれた可愛らしい毛布を貸してくれて、それを脚なり首なりに巻くことで少しは寒さが和らいだ。早く早くと僕は体を揺すり、ベンチの上で直向きに待った。

送風機の停止と、諦めることのない再開。何度もくり返されるその光景は、中止という結末におわる可能性が高そうに見えただけに愛おしかった。

中止じゃないだろうかと僕は言った。そう望む気持ちもどこかにあった。気球という天気商売の、風や雨に振り回されてしまうどうしようもなさが気球というものの本質のようにも思え、それが見られただけで十分じゃないか、と言いたかった。

中止だろう、と僕はもう一度言った。スタッフの方々もどうしようもないことが分かっていて、それでも素っ気なく中止を宣言するとバツが悪いから頑張っているのではないだろうかと、寒さで殺伐とした心の中で考えた。

限界だった。足の指先が痛み始めていた。気球から見るはずの朝日によって、東側の空は明るく染まっていた。帰ろうと思った。

写真撮りまーす、と呼びかける声が聞こえたのは、ちょうどそのときだった。

松島に来てからというもの、頭のあがらないことばかりである。遅刻はするし、誰よりもはやくくたびれてしまうし。風に流されるままふらふらと浮いている熱気球はまるで、気の良い帚の面々みたいだなどと、旅の準備をしながら思いをはせていたものだが、それは僕がとりわけのんきだから、彼らのこともひとくくりにのんびり生きていると考えてしまうのだろう。

彼らはこまやかに気を回し、僕などにはとうていうかがい知ることのできない苦労をかさね、みずからの内と外の間を生きている。こんな言い方をすると、彼らのことをキチンとした人であると主張しているようで、僕としては不服だし、もちろんそんなエラい人々ではないのは確かである。

月が出ている、良い匂いがする、など、ふとしたことに気がつき、時には、足もとがぶよぶよすると、その場で跳ねて土ぼこりを上げるよ氏にしても、足場の悪いテトラポットをひょいひょいと渡り、冷めているようでいながら興味のおもむくまま進んでいくま氏にしても、広島の牡蠣はホタテの外殻を使って養殖をしているという話に、それはホタテも怒るでしょとよく分からないことを言うや氏にしても。

彼らにはむじゃきさと、好奇心があって、そのあたたかな空気に支えられながら僕は今回の松島旅行を乗り切れた気がする。

きっと僕のことなので、次も遅刻をするだろうがそれでも良ければ、次回はみんなでカッパドキアに行ってはくれないかと思う、それくらい、気球は楽しかった。

どーですかぁ、とヤンヤンは言った。

その呼びかけに応えたものは誰もいない。知らないうちに脚幅が開いて、膝がまがり、恐怖に堪える姿勢をとっていた。今にも抜けてしまいそうな腰にムチを打ち、立っているのがやっとだった。

地上からはスッカリ離れているのにスニーカーの中で指を曲げ、地面にしがみつこうとしているのだから思えば滑稽だ。

風のせいで気球はやはり揺れ、それでも高度はまだなかばといったあたりでゴンドラから垂れ下がっているロープもたわんでいた。それじゃあ、どんどん昇っていきましょー。操縦士ヤンヤンのかけ声とともに、バーナーから巨大な炎が噴出される轟音が耳もとで響いた。

しばらくしてバーナーの音が消えた。まわりの景色が明るく見えると、どーですかぁと、またもヤンヤンがいきいきと言う。どうもこうもない、ひろがる海とそこに浮かぶ島々、見たかった風景が広がっている。

気球で昇ってみて、地上で見えていた島のさらにうしろに島が連なり、そのずっと向こうにも島があり、白くぼやけるほど奥までつづいていることを知った。風を受け、ぼーっとしていると、ウミネコが二三羽、羽の裏側を見せつけるように海と空のあいだの広いところを、輪を描いて飛んだ。

時間にして、十分にも満たないくらいだろう。球皮の中の空気が冷えるにまかせ、ゆらゆらと地上に戻ってくるまで、われわれは気球から見わたす松島を堪能した。

怖かった。

ああ、怖かった。

無事に帰ってこられた解放感からハイテンションになり、示しあわせたように怖かったと言い合う中で、仕事の関係で高いところに登ることも慣れているま氏もまた、怖かったと言う。

スマホ落とされたらどうしようかとおもった。そんな補償はないだろうに・・・・・・

どうも操縦士ヤンヤンは、怖がっているわれわれが面白いらしく、こちらが慌てるような無茶を平気でやってのけた。ま氏のスマホを奪い取ると半身をゴンドラからのけぞり、写真を撮ったのもその一つだ。

宿に帰ると、ま氏が写真を共有した。

気球乗りとなったわれわれは青みがかって広く見える空の手前で疲れ切った笑顔を浮かべていた。

影踏み 吉川創揮

影踏み  吉川創揮

  

  夜行バス一杯のゆめ窓余寒

  風が春はじめる竹帚の並び

  壺焼や松ごしの海平らかに

  春の潮秩序正しく崖の層

  縄があるゆるく春泥に捩じれて

  三月の旅道連れの影を踏み

  口ぶりの長き受付フリージア

  春の海てふ航跡の混ざり様

  糸桜むかしばなしの夜の暗さ

  幽景に半月貼つてゐる宴

  靴は白春のこの夜を抜け出すに

  いぬふぐりすぼむ気球を寝かせ置く

  一息を長く気球操縦士の遣ふ

  気球灯す春のどこかの曙に

  うみねこのひらめきあえば春日傘

  時折の桜車窓を長回し

  なぞなぞに感嘆の声春の山

  春シャツや波の端なる泡その後

  春の暮れなずみに地下のサイゼリヤ

  帰路朧画中人にも手を振りて

松島号〈特集・旅吟〉

2024年3月16日・17日、帚のメンバー4人で松島に一泊二日の旅行に行きました。
各人による旅行記・旅吟を掲載しています。
それぞれの内容から、旅行の様子や、松島の風景を想像しながら、ご笑覧ください。

(以下、各タイトルをクリックすれば作品へ飛びます)

・平野皓大 エッセイ「気球乗りたち

・丸田洋渡 俳句20句「みらくる

・柳元佑太 俳句20句「日月潭

・吉川創揮 俳句20句「影踏み

 

宿の窓から見渡せた松島

プリズム 丸田洋渡

 プリズム 丸田洋渡

さらさらと秋は絶版海の石

濡れる石英の構造の荷解き

 ◇

月もまた飽きれば毒に観覧車

雷の遠いむかしの木のおもちゃ

弟はうとうととびたとうとしている

階段は屋上止まり金水引

来たる日の明くる日の洞みたいな戸

秋分の午後のぷりずむぷりずまず

脚色はきみを神へと七竃

 ◇

火星にも霊いたりして掘炬燵

長月のつなげてレゴブロックの家

封筒の入る封筒秋暑し

カンパニュラ通りすがりの時計店

のうぜんかずら猫は集会の時間

かろやかに浮く風神の風贔屓

鯛飯や城なくしては籠城も

鯛の目の上を醤油が濡れている

部屋よりも足跡多く塩鰹

地縛とは霊とは紅葉狩のこと

袖みえて舞だとわかるデルフィニウム

 ◇

ホルンに手突っ込んで吹く未草

船内にピアノが無くてピアニスト

夢よりも喇叭細かく描けるはず

ふくろうの毛布のごとき掛布団

蝙蝠のうわさうのみのうわのそら

犬つれて行くべき祭たとえ雪でも

 ◇

考えたオーロラのこと旅のこと

雪の日の白米に沢庵なんて

雪の鹿 悪はあるべくしてあるか

憂いとは螺旋するもの雪の花

雪が糧 熊のねむりが底つくまで

これ以上温泉に雪よ降りやめ

夢溶けて銅に鋼に春の犬

 ◇

さすらいの卵八ヶが丘の春

桜には夢と機関車予め

骨董に菫のかおり灰神楽

花みずき醤油皿にもお気にいり

口からも言葉でてきて蓮華躑躅

蝶にのみ聞こえるのなら喜んで

 ◇

草原に気球の影が消えていく