

土筆淨土 柳元佑太
雪解山河曙く夜行バス睡り得ず
鳥語にも流行りや花の木乃伊寺
卽身佛は遙かに花の展くを見
卽身佛の頭蓋の中の星無量
花粉症屍を有難く拜む
地より鈴の音春ながら春を惜しむ
步むべし土筆淨土のたヾなかを
拉麵にみんなで竝ぶ氷河かな
鳥獸蟲魚カアステレオは何流そ
目瞑れば春の暴風雨[あらし]や磨崖佛
見つゝ行く春山一路犬連れて
天頂に日輪冷ゆる杉花粉
海に日の溶けて眞白し杉花粉
佛像が佛師殺しや海は春
黃は蝶々犬畜生を寺飼ひに

短詩系ブログ


土筆淨土 柳元佑太
雪解山河曙く夜行バス睡り得ず
鳥語にも流行りや花の木乃伊寺
卽身佛は遙かに花の展くを見
卽身佛の頭蓋の中の星無量
花粉症屍を有難く拜む
地より鈴の音春ながら春を惜しむ
步むべし土筆淨土のたヾなかを
拉麵にみんなで竝ぶ氷河かな
鳥獸蟲魚カアステレオは何流そ
目瞑れば春の暴風雨[あらし]や磨崖佛
見つゝ行く春山一路犬連れて
天頂に日輪冷ゆる杉花粉
海に日の溶けて眞白し杉花粉
佛像が佛師殺しや海は春
黃は蝶々犬畜生を寺飼ひに


ゆめみごこち 丸田洋渡
前泊の話長めに木瓜の花
煮卵は水菜のうえに春の昼
春はこれから法螺貝の試し吹き
転生のなんてすてきな檜苔
水温む即身仏の訳されて
しばらくはハロプロつづき春の車
三月のいくつかの海おもいだせる
夢はまだ少したいせつ花あせび
花札のように鳥海山を鳶
見えている山も風車も風力も
地衣類はゆめみごこちも山桜
蜂は腹抱えて笑う白椿
未来とは何の囮か沈丁花
春分の水草に水揺れている
永日の旅の写真をあつめては
※読み:木瓜(ぼけ)、檜苔(ヒノキゴケ)、鳶(とび)、囮(おとり)


水雲 平野皓大
煙らせてあり北国の春らしく
北へゆく旅情に似たる土筆かな
杉の花即身仏の歯はいづこ
ゆゑにいま近影撮らん磯遊び
穴出づる鰐うららかに叩かれし
春愁の蟹剥くときはちからづく
釜飯をゆつくりと蒸す春の月
この国はどこも麓で大朝寝
朝風呂を出でて水雲の噛みごたへ
苗市の玉蒟蒻の濃くありぬ
暗き戸の元禄餅や雛まつり
溝を澄むつめたい水にクローバー
菜の花の寺より便り送りたし
春昼を吠え回つたる寺の犬
日永なり三世の果ては此処がよし


いかさま 吉川創揮
つくづくし小橋つづきに車揺れ
せせらぎにほぐれてゆくは落椿
永き日を流れて泡の明と滅
三月の海さかさまかいかさまか
てのひらを集めて薄き春の波
磯遊び未来ほどではない話
頭頂に眠気浮かびて黄水仙
坂の上から花ここはさも故郷
鶯のみどりのかかる写真展
海が夜に押し入るホテル華夕美
春障子蟹の解体騒がしく
朝寝組の寝相見てゐる一旦は
旧賽の河原蕨餅を買いに
春の奥仏の笑みを蔦よぎる
一人づつ一時のある春の潮
庄内旅行記 記:丸田洋渡
紀行文というものを私はあまり書いたことがない。それは、書けないからではなくて、書こうとすれば無限に書き出してしまうと確信をもっているからである。/今回、私が旅行記を担当することになったが、いかに”書かないでいられるか”に注力して臨みたい。それでも書いてしまうものは何か、私も私の手に期待している。
(※写真をタップすると大きく表示されます。)
・退勤→帰宅→入浴→支度→電車。新幹線で秋田駅へ。夜のうちに隣の羽後牛島駅へ行き、ネットカフェで原稿を書きながら夜を越す。咳払いがうるさい客がいると思ったら店員だった。原稿は遅々として進まず。
・6:47発の羽越本線で酒田駅へ。8:51着。海の匂いがする。


・(右の写真の)「山形日和。」とは。
・12時酒田駅集合予定。/レンタカーを借りに行く。店員さんに「水族館がプレオープンしたらしいですよ」と言われ、プレ? と思う。
※以下、私の普段の呼び方とは異なるが、日記上の都合で他三人を苗字のみで記載する。
・柳元から連絡。寝ぼけて、夜行バスで手前の鶴岡で降りてしまった上にヘッドホンを置き忘れたとのこと。タクシー等を使用して何とか回収したらしい。
・とりあえず柳元と合流するため、土門拳写真美術館へ。


・戦時中の飛行訓練の少女の写真が心に残る。/建物自体が美しく、どの角度も画になる。谷口吉生の設計、勅使河原宏の前庭、ともに素晴らしい。/柳元と合流。
・吉川から連絡。前日の仕事と夜行バスの疲労が重なり、”午後からの旅を楽しむために”ネットカフェで昼まで睡眠を取るとのこと。
・10:20 流れで、近くの酒田美術館へ。改修に入るため4月から長期休館とのことで、滑り込みで見られて良かった。森田茂の黒川能を扱った油絵は奇妙な迫力があった。


・山居倉庫へ。庄内の米を保管しておくための倉庫群。/つい先日、アメリカとイランをめぐって起きている戦争の中で、テヘランのゴレスタン宮殿が攻撃を受け損傷した。目で見える文化を残すことの意味や価値を想う。
・”鵜飼は、実はカワウではなくウミウを用いている”という話を柳元から聞く。鮎を獲るための鵜を獲ってくるという複雑な行為。
・お土産屋さんに、コロネくらい大きな麸が売られていた。
・昼。酒田駅で合流。/平野は前泊しており、新潟付近の温泉宿にいたとのこと。ラーメンを食べたがっていたのでラーメンにする。

・「花鳥風月」というラーメン店の本店。自家製麺のちぢれ麺で、あごだしの醤油が澄んでいた。ワンタンの肉と海老、チャーシューもそれぞれ活きが良かった。/柳元は今回の旅において、このラーメンが美味しかったと最低でも10回以上は言っていた。そのたびに、三人で同意した。


・少し北上して出羽三山へ。/移動中、いちいち最上川がきれいだった。
・道中、柳元が”グミの魅力が分かっていない”と言うので、グミが得意な平野を中心に三人でオススメしたところ、ちょうど近くにドラッグストアがあり、そこで4種類くらいのタイプの違うグミを購入して食べ比べることに。彼にはタフグミが思いのほかハマったようだった。
・13:40 到着。早速羽黒山を見に行こうと思ったが、文化を何も知らないよりは知ってから見た方が良いのではという話になり、近くの〈いでは文化記念館〉へ。/法螺貝試し吹きコーナーがあり、平野が挑戦するととぎれとぎれのジャズサックスみたいになる。柳元は過去のトロンボーン経験が活きて一発で音が出て館内に響き渡る。


・その後国宝である五重塔を見に行く。杉林の林冠が混んでいるから、光が届かず、思った以上に雪が残っていた。/単純に建造物として計算して作った方々の実行力が素晴らしい。/その隣にあった天然記念物の樹齢千年以上の「爺杉」。一瞬名前がスラングかと思う。/登山はせず早めに道を戻ると、滝つぼの傍で、小島よしお的な妙なポーズをとって写真を撮っているグループがいた。記念館に先に寄らなかった場合こうなるんだなと思った。


・羽黒山を去り、酒田方面の海向寺へ向かって移動。/車でBluetooth接続した音楽を聞く。車内で誰かといるとき何の曲を流すといいかについて、好みが異なるうえ癖のある四人なので、話が膨らむ。吉川のハロプロ良曲説明タイムが入りつつ、模範解答はスピッツということで話が落ち着く。
・15:50海向寺着。即身仏が二体安置されている。16:00までということだったが、15:50になんとか滑り込む。/ガイドの方が背景を説明してくれる。私たちの他に、夫婦(海外の方)、男性二人(民俗学に興味のありそうな青年)がいた。海外の方に合わせるため、ガイドさんがポケトークを使用しており、即身仏の説明を日本語と英語で交互に聞いた。/どこまで書くか悩ましいが、一部スピリチュアルに偏った説明がなされた部分があった。私たちは懐疑的にそれを聞いていたが、男性二人組はむしろ食い入って聞いており、質問コーナーで五連続くらい質問した後でこちらの方を振り返り、「みなさんも無いですか、質問」「俺まだ三つくらいあるんだけど」と言ってきた。/大丈夫です、と断って、私たちはゆっくり後ろを通ってその場を後にした。


・すぐ外に広がる街並み。かつて坂の上で育った吉川が、”なぜか高いところから街並みを見晴らすと、ここで育ったなあ みたいな気持ちになる”と言い始める。最初は笑ったが、確かに、私も海の近くで育ったから、全国各地の海を見るたびに過去を思い出している気がする。
・海向寺の傍にある日和山公園に寄る。この灯台は日本最古級の木造六角灯台らしい。
・少しずつ日が傾く中、湯野浜のホテルへ向かう。チェックインを済ませ、7階に荷物を置きに行くと、窓がたいへんなことになっていた。

・17:13 歩いて湯野浜海水浴場へ。/砂浜の上には車の轍があり、波打ち際のすぐ近くでバーベキューをしている家族がいる。その炭の匂いが広がっていた。/ラインもルールも無いビーチバレーでぐだぐだ遊んでいるカップルもいた。/私たちは吟行旅行で海に行くことが何度かあったが、いつも、行ってわいわいと遊ぶわけではない。それぞれが景色を見ながら俳句を考えてうろうろしていて、基本静かである。じゃあ今から作るために散りましょう、とスタートを決めることはなく、行けば四人とも漫ろに動きだして、考えたり考えなかったりしている。それを私はとても心地いいものとして捉えている。/私は、俳句を考えてもいたが、それよりも、良い貝殻はないかと探し歩いていた。4つ拾った。ひとつは、変な色の変な形をした石で、それを見て平野が「(指の)第二関節(の骨)みたい」と言ってきて、いまいち共感はできなかった。/波が太平洋のように穏やかだった。


・ホテルに戻り、入浴。休憩スペースに漫画が置いてあり、それが『黒子のバスケ』、『ニセコイ』、『花のち晴れ』、『FAIRY TAIL』、『七つの大罪』、『ハイスコアガール』、『ドメスティックな彼女』、『東京喰種:re』、『20世紀少年』と絶妙に同世代付近で、ゴルゴ13とかこち亀とかを予想していたから、むず痒い気持ちになった。/露天風呂には猫がいた。
・19:30 晩御飯(バイキング)。/食べる部屋に通される前に待ちスペースがあり、ある子どもはお金を入れていない状態でワニワニパニックのハンマーを叩きまくっており、ある大人は卓球台の前で”昔卓球やってました”風の素振りを続けていた。


・ホテルの概観や内装から、適度なバブル期の名残を感じていて、晩御飯がどこまで期待できるかと思っていたが、想像の7倍は豪華だった。山形と言えば芋煮だと思っていたため、ここで食べれて良かった。カンパチの刺身、あら煮、カニの味噌汁、甘草・ばんけ(蕗の薹)の天ぷらが特に美味しかった。柳元はひたすら蟹を食べており、吉川はもう終わったかと思えばカレーを取りに行く勝負強さを見せた。
・子供が「マグロマグロ♪」と言いながら小走りして皿に盛っており、それを見ている親の顔が笑っているのが見えた。幼い頃の旅行って記憶に残るからなあと思った。嬉しそうにしている光景を見ているだけでなぜか泣きそうになった。
・食後しばらくして、アメニティを取りにフロントに降りていくと、近くの部屋にカラオケルームがあるのか、全くピッチの合っていない吉井和哉「HEARTS」が大音量で響いていた。
・朝早くから各自動いていたこともあり、夜に何かゲームや句作をするということはなく、平穏に寝た。
・起床後、朝食のバイキングへ向かおうと歩いているときに、私がひとつ重大なミスを犯していることを思いだす。/2日目は飛島へ定期船で向かう予定であり、それは前日までの予約が必須だった。分かっていたがつい、失念していた。電話で確認しようと思ったが電話の受付時間は10時からで、船の出発は9:30。行って懇願するしかないか……と思ってやや落ち込みかけていた。/しかし、よくよくサイトを見てみると、3月26日にエンジントラブルが発生してオーバーホールするため長期休航が見込まれる、とのニュースが書かれていた。27からは代替の船が確保されていたが、”貨物”と書かれていて、観光用の方は再開未定となっていた。

・トラブルがあっても、他の可能性を立てて楽しむことができる人が4人集まっているから、あまりにも悲しいということはなかったが、やや残念という気持ちになっていた。それを晴らすかのような朝ごはんだった。/晩御飯ほど豪華というわけにはいかないが、サラダも和も洋も美味しかった。
・部屋に戻り、旅程を考えながら過ごす。/昨日平野が買っていた元禄餅を食べる。わらび餅くらい柔らかくて非常に美味しかった。柳元はそれに合わせてお茶を飲もうと、湯を沸かして淹れた。/しかしそれがふつうのお茶ではなく、「きのこ茶」と書かれていた。柳元はきのこが苦手らしく、じゃあ他の私たちがと思って匂いを嗅ぐと、お茶の名残は一切なく、きのこそのものだった。もはやお吸い物だった。卵焼きに混ぜたら美味しいだろうなとだけ思った。
・10:00 とりあえず近場の由良海岸へと向かった。加茂水族館は休館日だった。


・由良海岸は日本の渚百選に選定されており、遠浅で穏やかだった。いかにも春の平らかさだった。/浅いところは海水が透きとおっていて、海藻が揺れるのをはっきり見ることが出来た。透明で美しかった。/松島のように赤い橋で繋がっているのが白山島で、そこに白山神社がある。
・「本殿参道は二七〇段の大変急な階段となっており、」とあり、入口十数段はかなりなだらかなコンクリートだったことから、軽薄にも登ってしまった。あまりにも急な階段で、二七歳の私たちにはそろそろきつい階段だった。



・下りが怖かった。下り終わる寸前で、今登ってきた親子とすれ違った。すると子どもがたった十数段で「しんどーい」と言っていて、母親が心配そうにしていた。丸田・柳元は感知しながらも敢えて無視して通過したが、吉川は”そういうの”には絶対一言伝えてあげたくなるエンターテインメント精神があるため、「まだまだこれからですよ」的な、先達としての応援をしていた。
・由良海岸を発った後、高速道路で北へ向かう。



・運転中はひたすらに景色が良かった。途中で風車のすぐ横を通るところがあり、静岡の御前崎灯台を見に行ったときを思いだした。”壮大”というのは人間にそれなりにインパクトを与えるものだなあと改めて思う。
・12:00 道の駅鳥海ふらっとへ到着。かなり混んでいた。朝が豪華だった分、昼はそれぞれ好きなものをフードコート的に食べた。/平野は蕎麦を食べたあとアイスクリームを食べていたが、なぜかコーンの下にコーンがあり(従業員のミスと思われる)、困惑している様子が面白かった。
・13:00 そこからすぐ近くの、荒磯海岸付近にある「十六羅漢岩供養石仏群」を見に行った。確かに十六あった。


・もし強風が吹いている日本海なら、あんなぎりぎりまで石仏を作ることはできないだろうと思う。込められている念や思いよりもまず、羽黒山の五重塔然り、作る人の気概や執念に驚く。

・14:00 近くのお寺・永泉寺(ようせんじ)へ。曹洞宗の寺。有形文化財の石造九重層塔がある。杉林のなかは驚くほど静かで息をのんだ。町指定天然記念物のトラノオモミ、桜の一部と、椿、キクザキイチゲが咲いていた。中庭の石庭と、入口の仁王像は立派で素晴らしかった。仁王門の格天井(天井の造作の一つ)もまた美しく、そういえば海向寺にも同様に格天井があったなあと思う(あちらは真言宗)。



・その永泉寺に入っていくときに、寺の中から犬が鳴いていて、(おそらく久々の観光客である私たちに)ちゃんと警戒心をもって吠え続けていて、それを寺の方が叱りつけていた。「鳴くな」的な。/囃しにきてすいません、と思いながら、帰りに車に乗り込もうとしたとき。運転手である私が最後にドアを開けて入る寸前、少し遠くで焚火か何かをしている寺の方が棒立ちでこちらを見ていて、何か嫌な気配を感じた。その人の傍にはさっきの犬がいる。2秒ほど目が合ったまま、車に入りあぐねていると、「コラ!」の声と同時に、犬が全速力でこちらへ駆けてきた。距離はおよそ20m。黒くて、小さい犬だった。/私は逡巡して、車に入って犬を無視することよりも、犬に攻撃されることを選んだ。犬が小さいからきっと耐えられる、そして車がレンタカーだから傷を付けられて修理になると怖い、と思った。/きれいなフォームで駆けてきた犬は遠慮なく私の脛のあたりを噛んできて、おー噛んでるなー と思った。ジーンズだったことも功を奏して、歯はほとんど貫通せず、軽い圧だけを感じた。寺の方が遅れて私の近くまで来て、「すいませんほんとに」と言ってくれる。私が「全然大丈夫です」、「(その子はちゃんと門番として活躍していて)良い犬ですね!」と声にする頃には、もう私の方は無視して、犬に対するお叱りモードに入っていた。/寺に行って犬に噛まれるという経験が私の中で1増えた。
・15:30までにレンタカーを返却するようになっていたため、酒田へ戻る。
・それぞれ、柳元・平野は酒田→庄内空港から飛行機、吉川は新潟まで移動して新幹線と散るため、お土産屋さんを見て回った後、帚のスケジュールを確認しあって、解散した。
・一番早く離脱したのが吉川だったが、改札前で手を振った後、通過後にもう一度振り返るかと思えば振り返らず、柳元が「振り返らないタイプだ」とツッコんでいた。私が、「信頼しているからこそ敢えて振り返らないというパターンもあるよね」と、誰に対してでもないフォローを入れた。
・私が一番遅く酒田を離れるため、柳元・平野をバス停まで見送った。さっきのことがあるから、手を振って分かれて十数歩歩いてからまたわざとらしく振り返って手を振った。
・その後、私はお土産を買い、気に入った小物を購入した(サクランボのキーホルダー、ラフランスのマスキングテープ、山形のつるし雛の飾りの小鞠)。
・16:30 酒田駅を出発し、秋田駅まで羽越本線で向かう。

・旅のつかれもあり、うとうと眠りに落ちていたとき、向かいに座っていた高校生が騒いでいて目が覚めた。何事だろうと思い車窓を見ると、一面海で、17:49-17:56の羽後亀田~岩城みなと駅付近でちょうどまんまるの赤い夕日が落ちているところだった。見たところ観光っぽくも無かったから、海沿いに暮らしていても夕日に感動するとは良いことだなと思った(海沿いで十数年暮らしていた幼少の頃を思い出しつつ)。高校生は「ねえなんでこんなに赤いの?」と繰りかえしつぶやいていた。
・秋田に到着。続けて19:10発の新幹線に乗り、盛岡へ移動しているとき。/Instagramで、旅の写真をいくつかストーリーに上げていたところ、小学6年のときの担任の先生から突如ダイレクトメッセージがあった。それが、「由良に来てたんですか?」という内容だった。/まず小6から15年くらい経っているから、よく私の存在を覚えていたなと思ってその感謝をした。そして、由良は由良でも山形なんですと答えた。私の故郷である愛媛県愛南町には「由良半島」という場所があり、それと勘違いしている。今回のは「由良海岸」。/先生も「今、気が付いた 日本海なのね」と言っていた。確かに、間違えそうなくらい、海は穏やかだった。
近況について少し伺った後で、「返信は良いから、旅を楽しんでね」という旨の言葉をもらった。実は旅は終わったところなんですよ、とは伝えたが、流石に小学校のころの先生に言われると、人生の旅と重ね合わせてしまう。名前も、お世話になった記憶もまだまだ覚えているから、変わらず良い人だ と思った。

・盛岡に着いた後、また電車を乗り継いで、当日のうちに帰宅した。この貝殻たちは本棚のおともの瓶のなかに入れる予定である。
・朝 出勤。
・夕 帰宅。おみやげの整理の続きと、レシートやもろもろを確認していたとき、そういえば昨日先生と話したなと思って、細かい部分を忘れたからもういちど見直そうとInstagramを開くと、まさかのメッセージが消滅していた。私が詳しくなくて押し間違えたからなのか、先生が気を遣ってそうしたのかは分からないが、いつの間にか24時間でメッセージが消える機能がオンにされていて、2ターンくらいの会話が消えていた。今までこんな機能を使ったことも、こんな機能があることも知らなかったから驚いた。/ただ、本来記憶というのはこういうものだよなとも思った。跡形が無くなっても、別のところで記憶している。それが完全でなくても全く問題はない。/帚の彼らとの付き合いや旅行はもちろん、私自身の旅もまた続いている。ベタだけど、そういう日常の肯定をしてみてもいいような気分になった。
・夜:旅行の俳句を作り始める。
(おわり)
所収:『神楽』(朝日新聞社、1999年)p.150
「囀り」という音、「聴覚」が、ひらがなを崩すという文字のありよう、「視覚」に接続される。比喩を通じて感覚のチャネルが切り替わるのが読者として楽しい。
ひらがなの崩し字を思うとイメージされる、線に現れる強弱・次の字への自然なつながり、曲線の多用といった特徴は囀りの形容の1つとして得心がゆく。
私は鶯のような鳴き声に音量もスピードも強弱がある囀りを思い浮かべた。
記:吉川
所収:『輪をつくる』角川書店、2021
比喩の強い歌。
私が、何を以て比喩の強弱を捉えているかについて改めて考える。/「母は太陽のようだ」という文章を例として考えると、こういう直喩の場合は、喩えられる元(「母」)と喩え(「太陽」)の間に、なにかの共通点や類似点がある。たとえば、陽気なところ、熱いところ、眩しいところ、など。/その共通点を一文の中で明かそうとすれば、「母は太陽のように眩しい」、「母の朗らかさは太陽のようだ」などの形になる。「母は太陽のようだ」という文は、つまりその共通点を明示せずに省略した形であるとも言える。
そのとき、喩えられるものと喩えの距離が遠ければ遠いほど、比喩として強いと私は感じている。/”距離が遠い”だと曖昧なので、いくつかの言い方で言い換える。/共通点が明示されていない形で、かつその共通点がすぐには推測できないとき、比喩の強度は高いと思う。また、その喩えるものと喩えと共通点の三者の、組み合わせの認知度・流行度にも左右される。/「元始、女性は太陽であった」は平塚らいてうが「青踏」創刊号(1911年)の巻頭言として書いた言葉であるが、これがよく知られているため、母→太陽は知られている喩えではある。そして仮に「明るい」が共通点だった場合、太陽を使って眩しさを表現することはあるあるだし、母が明るいという話も、別に珍しいものではない。/だからこの三者は近く、比喩としては弱いと感じる。
*
比喩が強ければ強いほどいいのか、という議論はここでは保留する。私自身は、とりあえず定型詩のなかで直喩をするのであれば強い方が良いと考えている。「(まるで)~のように」「みたいな」と音数をわざわざ取る目立つ技法だから、それに見合うくらいには強くないと甲斐が無いというか、小さく終わってしまうことになると思う。
今回挙げた竹中優子の歌については、比喩が強く、それゆえに良い歌であると思う。
なぜ強いと感じるかを、先ほどと同じように考えてみる。喩えられる元が「母」、喩えが「折り紙」、共通点は明示されていない。/共通点が書かれていないだけで、何をもってこの比喩が付けられたかの可能性が固定されないので複雑性が高い。/喪服を着つけているシーンを考えると、なんとなく寂しそうな雰囲気だけは直感で想像される。仮に「寂しさ」が共通点としたとき、母→寂しさは葬儀の雰囲気からも分かるとして、折り紙→寂しさは少し分からない。なんとなく分かるが、太陽→眩しい ほどに明確ではない。
この時点でまず、直喩の形を取っているから見た目的には分かりやすいが、内容的にはまだ不明な部分があることが分かる。
そのうえで上の句を改めて考えると、「係の人に喪服を着つけられている」は音数をたっぷり使った言い方であることに目が行く。強引に圧縮すれば、「喪服の母は折り紙のよう(に〇〇)だった」で足りるわけだから、「係の人」の暈けた言い方や「着つけられている」という受動態は、貴重な17音分を使ってもなお言いたかったことだと推測される。/とすると、先ほど明示されていなかった共通点は、この部分をヒントにするのが妥当だろう、と思う。
でも、その部分だけでは、どうして「折り紙」なのかが、ぴったりと腑に落ちることは無い。いくつか想像はできる。老化や悲しみで表情がくしゃくしゃになっているところと、折り紙の折り目を喩えた、とか。人が手で折っていくたびに折られるがままになってしまう折り紙と、係の人にされるがままの母を重ね見た、とか。でもそれだったら、「完成」に向かっていくはずだから、喜ばしいことに思えるけど、それは葬儀の悲しさと矛盾して感じられる、とか。
こんなに分かりやすそうに書かれているのに、比喩がすとんと腑に落ちない。それはこの比喩が珍しいからであり、わざと共通項が隠されているからであり、つまりこの比喩が強いからであると思う。/見たことの無い斬新な比喩だけど言っていることはめちゃくちゃ分かる というタイプの強い比喩も存在する。この歌も、「くしゃくしゃ感」や「されるがままの状態」が明示されていたら、そういうタイプになっていたと思う。
母が折り紙のように見えて、どう思ったのかを言わず、「ように見えた」で留めていることによって生まれている効果は、その比喩の強化が一番大きいがもう一つあると考えている。それは、〈比喩する者〉の態度の演出、である。
*
この歌を見てぎょっとしてしまうのは、比喩自体の新奇性よりも、その〈比喩する者〉の態度の測れなさに対してだと感じる。この歌のなかではつまり、母を見ている(おそらく娘の)主体のことである。
仮に、母の姿を見て、何かを感じ取って、それが脳内で折り紙に繋がったとして、それを言葉にしていいのかどうかという分岐がまずある。喩えとはいえ、母を折り紙のようだと思ってしまっていいのか。良いも何も、そう見えてしまったものは仕方ない、のか。
この発想が、言葉になって、作者によって短歌になり、ここに発表されたことによって、少なくともこの主体は「折り紙のように見えた」ことを隠そうという気はないことが分かる。思っても言わない、ではなくて、思ったことを言った、形になっている。/たとえ、主体の母がこの短歌を見たとしてもいいと思っているのかどうか、は知らないし、読みにもそれは関わってはこないが、喩えられるものが近親者であり・比喩する者が自身である場合、どう喩えるかはナイーブな話にもなってくる。
この母本人が打ち暮れている悲哀、にも想像が行くし、しわくちゃな母を折り紙とした主体、あるいは自分の意思がなく他の人にされるがままの母を折り紙とした主体、が今考えていること、も想像する。/折り紙のように見えて悲しい、とも取れるし、折り紙のように見えてしまったことで主体の感情の糸がぷつんと切れた重大な場面とも取れる。主体の感情の糸が先に切れてしまっていたからこそ、「係の人」「着つけられている」というのっぺりした見え方をして、「折り紙のように見え」てしまったのかもしれない。
*
母と折り紙の間にある共通点は何なのか。主体は、それを何だと思ったのか。そして何を思いながらこれを言葉にし、作者は短歌という形式でそれを保存したのか。上の句の言い方が、ヒントになりそうに見えたが、むしろ可能性を広げていく。
共感ベースで読もうかとも思うが、じゃあこの歌を読んで共感しようとするとき、私たちはどの部分に共感するのか。母なのか、主体なのか、「折り紙のように見えた」なのか、それを短歌にしようとする作者の心持ちなのか。そのすべてなのか。
一首のうちにさまざまな人物の気持ちが去来するような、強い比喩による良い歌であると思う。
というのが、私の読みである。この歌を鑑賞しようと決めてから、書いては消し、書いては消し、書ききるまでに一か月かかってしまった。こういう、「分かる」ことと「分からない」ことが同時に起きていて、その両面が保持されていることの複雑な面白さを言葉にするのはたいへん難しい。
とにかくこの歌の上手いところは、比喩よりも、その比喩の見せ方、持って行き方だと思う。それをどうにかして言葉にしたいと思ったが、うまく行ったかどうかわからない。
竹中優子は、短歌では2016年に「輪をつくる」で角川短歌賞受賞、2021年に同名の歌集を刊行。詩では詩集『冬が終わるとき』、小説では2024年に「ダンス」で新潮新人賞を受賞し、芥川賞候補にノミネートされた。マルチなジャンルで結果を残しており、どれについても竹中らしい表現の強さとしなやかさがあり、素晴らしい書き手だと思う(私は『冬が終わるとき』がお気に入り)。
同歌集内にも喩の強い歌が多々あり、
お尻の穴を見ているような他人の恋 本を読むため海へ出かける
三角定規で平行の線を引くときの力加減で本音を話す
馬のようなたてがみのような連休が終わってお湯をぴたぴた溜める
など。こんなに強い比喩が続いているのに、けろっとしている佇まいが不思議だなと思う。
以下、同歌集で私が他に好きな歌。
若い女をいずれ私は憎むだろう花びらに似た半開きの口
くちびるを嚙めば光るよビトイーンライオン歯ブラシコンパクトふつう
感情として不可能/という通知表 校門までの坂道くだる
小説はもう書いてない友達が車から顔出して笑ってくれた
記:丸田
所収:『万座』(角川書店、1968年)
どこまでも続くとおもわれた陸も岬に出るといよいよその先は海で、波のうねりの大きい日は岩壁にぶつかる波の、底知れない響きが迫ってくるのです。
長いこと岬の土中ですごした蟬たちにとって、海鳴りの恐ろしさというのは常識でしょう。もしかすると蟬のなかには、幼いころ子守唄のように聴いていた海鳴りの響きを覚えていて、喧しい鳴き声に、海鳴りのリズムをひそませる者もいるのかもしれません。
掲句は、真鶴岬七句と前書きされた句群の最後に置かれています。〈灼鳶の声先細り岬細る〉からはじまって、掲句の一つ前には〈崖打つてのぼる濤音蟻地獄〉が並びます。
波は力づよく、恐ろしく、まわりの音どころか人の命も奪います。それは事故かもしれませんし災害かもしれませんし、『万座』に戦後の空気が色濃くおさめられていることをおもえば海没した兵士たちのことも頭をよぎります。
私は海軍贔屓で、もし自分の分身を様々な時代に派遣できるとしたら、分身の用意が100体いや1000体もあれば、1人は海軍兵学校に送ってみたいと思っています。勿論それはロマンとしての海軍であって、自らの死を引き受けているわけではない、無責任な想像ですが。
船に乗って戦地におくられる海兵たちはいわば死にゆくわけです。甲板に出て、相撲を取ってみたりしていても、死ぬまでの寸暇を楽しむような体の悲しみが、あとの時代を生きる私たちの目には見えてきます。
いま、もし、その体を死にゆく体と呼ぶならば、戦後には生き延びてしまった体というものもあったのでしょう。不死男の代表句ともいわれ、『万座』におさめられている〈終戦日妻子入れむと風呂洗ふ〉には、そうした類いの悲しみがあって、平穏な社会になって妻子ができて内風呂ができて、しかし生活の狭間に、過去が身を離れずにつきまとっているような疲労感を読み取ってしまいます。
潮風の吹きつける岬の木にしがみつき、腹を震わせて鳴く蟬の目も同じような悲しさや疲労感を帯びているようです。蟬の寂かな目は、陽を受け白飛びしながら陽を照りかえす海の広がりの底に、あまたの思いが沈んでいることを知っています。
海のことを母なる海と呼び、人の意思を超えた巨大な存在としての海を讃えることも一つの祈りですが、それでも人の世界には人の感情があり、海に融和されない塊として心中に留まります。悲しみや怒りを見つめ、決して溶けることのないその痛みを抱える目が、寂かな目なのだと思います。
記 平野
所収:『或』(ふらんす堂、2025年)
凱さんはけっこう良い球を投げる。比喩ではなくベースボールの話である。筑波山の宿の前の道路でキャッチボールをしたのは、私も凱さんも学生だったから、だいぶ前のことだ。凱さんは小さなテイクバックから(そのフォームからかつては内野手だったのでないかと推測するが)スピンの効いたボールを放ち、ボールは糸を引くようにしてグラブに収まる。『或』にも野球の句が少なくないと言える程度には野球を材とした句がある。
恋びとを呼ぶナイターのうねりのなか 005
後逸を墓参の人が投げ返す 019
代走が木の実みたいにすぐ還る 019
鯛焼が冷めて野球をまぶしく見る 046
ナイターの歓声遠く尿熱く 136
涸れ川よふりさけみれば盗塁死 150
これらが技術的に良く出来ていることは当然として、これらを見て思うのは、ある熱狂のただ中に素直に身を置けないナイーブさである。野球を向日的に楽しむ訳ではなく、どこか醒めた観察者の位置におのれを設定する。〈鯛焼が冷めて野球をまぶしく見る〉であるとか〈ナイターの歓声遠く尿熱く〉は、まさしくそうしたポーズが野球という場において行われたものと見える。熱狂と自分のあいだには距離が設定されている。
けれども〈恋びとを呼ぶナイターのうねりのなか〉からも分かる通り、そこに疎外されながらも何ゆえか身を置こうとする態度も見える。ここにあるのは冷笑という態度とも違う。思うに、熱狂から身を引き剥がすのではなくて、そのうちに消費的に留まって、ナイーブに微笑むか、理知による処理が的確に行われる(「木の実」の喩や「ふりさけみれば」の言語遊戯など)。そしてこれが、『或』に見られる根本的な態度なのだろうと思う。『或』という句集で通奏低音的にとられるこの態度には、正直少し辟易するところがないわけではない。演出的私性の仮構が鼻につくということもまあそうなのだが(それはしかし他の句集だってそうだろう)、何よりもこうしたナイーブさも理知的な技術も、とはいえ「それが行われることが熱狂そのものに何ら働きかけない感じ」がするのだ。そして作中主体もあるいは作者もそれを了解している感じがする。野球という卑近なことに対してもそうだし、資本主義とか、アメリカの覇権主義とか、終わらない日常とか、震災とか、オウムとか、それらに対しても概ね似たスタンスがとられているように感じる。
つまり、わたしは、初読のとき、幾らか記号的・演出的に処理されたものとはいえ「諦め」のようなものを『或』からはつよく受け取ったのだった。どこにも外部がない息苦しさの反復、そのなかで生きていくしかないという感覚が『或』という句集に立ち込めている。これらを書き留めたことは言うまでもなく『或』の達成ではあるが、とはいえ、『或』がそう簡単にそのオルタナティブを示さなかったこと(と私は思っているのだけれど)が、大塚凱の世界認識の厳しさ・リアリズムなのだとすれば、それがしんどく、悲しかったのかもしれない。この世界がそういう世界であることは(自分の実人生だけでもお腹いっぱいなくらい)知っているから、そういうことよりも、この世界でどう遊べばいいのかをわたしは教えてほしかったのかもしれない(実世界で凱さんがそういう風にかつて関わってくれたように)。周囲の『或』読者と話したときにこの感覚は分かり合えないところだったから、ひっそりと胸の内に感想をしまっていたのであった。
ところで、春先の時期の休日は、プロ野球のキャンプ映像を見ながしながら作業をすることが多い。ノッカーがグラウンドにひたすらと打球を打つ。黙々と選手が捕球して、握り変え、流れるように送球して、元の位置に戻る。そのさまをだらだらと見る。これまでに積み重ねられてきた数限りなき反復が、その選手の動きに与える洗練された美しさ。それが、選手のその一回性ある身体の動きを通じて、この世にあらわれでるのには見とれる。
人っ気ひとつない侘しい球場で、彼らの野球はいかにも、妖しい美しさにみちあふれ、社会の誰からもかえりみられずに、むしろ、退廃にちかい孤絶の状態で、狂おしい饗宴をくりひろげている。人間のからだが、あのように伸び、曲がり、蹴り、投げ、走ることから、いわば、舞踊のエッセンスともいえる美の造形にむかって、もてる力のすべてを集中する。その集中の過程で、ひとはじふんの性格をしり、個性をみつけ、運命をかんじとり、世のなかを生きていく意味をわかりかけてゆく。彼ら選手たちのプレーが美しくうつればうつるほど、ひとびとの心のなかに、野球は生活そのものを反映する実体となってゆくのではないだろうか。(虫明亜呂無「名選手の系譜」より)
いまはわたしは『或』の句を、職業野球のノックのように眺めることが出来る。書きつけられた句を、書くという営為の末端にあるものとしてとらえ、その末端から、書くという営為そのものを、ノックの一連の身体所作を、その送球から逆回転的に想像するようにして眺めなおすとき、書かれたことを虚心に受け取るよりも充実した何かを、受け取ることができるのではないか。『或』はこういう読みにおいて、その洗練を強度として見せてくれる。それはテクニックというよりもテクネーと呼ばれるような、それ自体作者の生と関わりあったありようを開陳しているはずで、それを感受するとき、『或』は諦念の句集ではなくなる、と思った。
記:柳元