大やんま渾身ひかりきつて死す 鷲谷七菜子

所収:『銃身』 牧羊社 1969 

鷲谷七菜子の句をそう多くは知らない身だが、彼女の俳句の特徴は暗さを抱えた叙情性や、刹那的な美的感覚にあると理解している。だからこそ、この句集の後書きには少し驚かされた。

後書きには『甘美な叙情を俳句の出発の起点とした私にとって、不得手中の不得手である写実の道に体当たりしようと決心したのはその頃からであった。そうして私にとっては〈もの〉は次第に仮象から実体へと移っていったのである。』とあり、この句集はそうした俳句観の変化のさなかに書かれた句が多く含まれているようだ。
そう言われると確かに掲句も蜻蛉の死体という実体を描いた句ではあるが、「渾身」「ひかりきつて」という表現は辞書的な意味での「写実」の表現ではない。むしろそこには、精一杯生きた蜻蛉の生命の輝きを死に様に読み取ろうとする鷲谷七菜子独特の美的感覚が伺える。

『私は自然の内奥深く閉ざされた真理の扉を、ほんの少しでもいいから自分の手で開いてみたい。』とも後書きには書かれている。鷲谷七菜子にとっての「写実」 は「自然の真理」に至る手段であり、その「真実」が先述の「渾身」「ひかりきつて」に表れているということなのだろう。
しかし後の世代に生まれた読者としては、鷲谷七菜子の描き出す「真実」というものが俳句の歴史の中で何度も繰り返し書かれた叙情であることを知っているが故に、「真実」ではなく俳句独特の「虚構」であるように感じてしまうのが淋しい気分である。

記:吉川

コンテナに収納されて運ばれてゆくものは、象牙でも珊瑚でもなく僕の高く売れない古本ですよ 松平修文

所収:『トゥオネラ』(ながらみ書房・2017)

嘆きにみせかけた蔵書自慢というものは、ふつう聞き苦しい。というのも生業の怠惰により社会から指弾されることの多い愛書家諸氏にとって、かなしいかな、本を所有すること自体が唯一の自己同定である。承認願望がみせかけの嘆息のうちに充満するから、やはり傍目にはよろしいものではない。

が、修文が〈コンテナに収容されて運ばれてゆくものは、象牙でもなく珊瑚でもなく〉と歌いあげるとき、ここに束の間立ち現れるのはまごうことなき港湾風景である。潮風に錆びついたコンテナ、それを上げ下ろしするクレーン。荷は象牙か珊瑚か、はたまたな如何なる危険不穏な荷であるか。引き締まった体躯の港湾労働者に、彼等を統括するヤクザものもいるかもしれない。そんなグレーな輸出入(ありていに言えば密輸かもしれない)の舞台となるような、少しく危険な香りのする港の景が思われる。

もっとも、その景は修文によって、即打ち消される。コンテナの中身は〈僕の高く売れない古本〉だそうだから、自宅における引越しの一風景くらいのものと推知されよう。べつにコンテナの中身は象牙でも珊瑚でもない。古本である。危なかしいものでもなんでもない。むしろ平穏極まりない。しかし、修文自身がそのことを残念がっているような、この純粋なる少年性と日常のペーソスがたまらない

大きな破調があるにも関わらずそれを全く気にかけぬ読みぶりは松平修文調とでも言ったところで(しかも集内にはふつうに定型をこなす歌もある)、かような文体がぼくらに超然としたここちをももたらすことは言うに及ばぬ。

記:柳元

朱鷺(ニッポニア・ニッポン) 柳元佑太

朱鷺(ニッポニア・ニッポン)   柳元佑太

石斧(せきふ)もてば觀念論者たる人よ花粉の河のとはの水切

全て虹彩は光の車輪なりや疑ふならば子猫の眼を見よ

濤音は濤より白く濱を打ち英語讀本(リーダー)に未完の冒險譚

朝に夕(け)に思ひ出す、ネモ船長はノーチラス號と共に沈みき

稻妻は靑を媒介とする電流、ダ・ヴィンチ手稿に魚釣のことも

逝く夏の洗ひ晒しのかひなとは汽車を知らざる靜脈鐵路

流星は例へば銳目(とめ)を持つと思(も)ひ阿修羅三面淚眼の晝

鶉溶けて潦なす夕まぐれ前職の源泉徵收票受く

言語野の草木全き紅葉してゐるかあるひはプシュケの火事か

蜜蜂の羽色は薄く黃金がかり植字工の掌に渚廣がる

まひるまのかの繩跳の少女等も繭と化す頃野菜屑煮らる

頬削る泪(なだ)こそあらめその溪に一匹の魚棲まはせむとす

朱鷺(ニッポニア・ニッポン)、戦後の恩惠としての拉麵、その油膜美し

鷹派政治家が料亭で魚を突き今や鼬の形狀とる風

氷且つ火なるは晚年のカント、土星とはとことん無縁の

金木犀とは金曜から木曜へ逆流する犀の群れのことなりき

象の記憶の新築增改築を請け負ふ施工業者のAutumn intern

敏感型皮膚炎(アトピー)の處方箋には天道蟲が祕めてゐる星空を處すとこそ

月の光は稀に凝固の針をなせり電氣冷藏庫から氷取り出す

猫にもながき夢精やあらむ月氷る一ト夜の月の光の中に

ぼくら幽靈(ゴウスト)だつたのだ、幾たびでも叩けば修繕る舊式のテレヴィ

もはやわれら水槽に浮く腦とほぼ異ならずとはにYouTube觀る

花粉てふ花の精子(スペルマ)浴び盡くし鼻炎か極東のアイヒマン達

ポッド湯沸の音聽きいざ腦內の都市を絨毯爆擊しにゆかむ

稅とりたてられ希死觀念も奪はれ、庭の茄子に充足しゆく紺いろよ

輕症い躁より逃れさす輕症い鬱欲してゐたり……土星近く來

葦船に吾を載せしは誰ならむ 吾なりき 明日視る夢のなかにて

水蛭子とは誰れの名なりやまかがやく渚に坐してとはの足萎

暗がりを好んで步む驢馬があり遙か彼方のからすむぎまで

敎育が國家の柱 輸入品カーペットのペガサスの毛皮よ

すすり泣く儀式からずり落ちる 榊陽子

所収:小池正博編『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房、2020)

「儀」の字の右側は、羊の首と、ぎざぎざの刃がついているノコギリの象形で出来ている。

 この句を大きく方向づけているのは「ずり落ちる」という単語である。「すすり泣く儀式」までは、そういう式典もあるだろうとふつうの想像の範囲で収まるが、「ずり落ちる」となると、ただの儀式ではなさそうな気配が立ち込める。

 ずれて儀式からドロップアウトした、その先はどうなっているだろうか。「儀式」が異常そのものであり、そこから脱出できた、ずり落ちて正常な現実に戻れた。もしくは、「儀式」の場自体が正常で、自分自身の方こそが「ずり落ち」て変な方へ行ってしまった。どちらでも考えられる。眠りから覚めるようでもあり、眠りに落ちるようでもある。

 どちらにしても、「儀式」という場から、ずれながら(ずれてから)落ちている。停電したときのようにいっぺんにではなく、徐々にすべりながらである。
「すすり泣く」のが「ずり落ちる」の主体と同一であるかどうかは分からないが、この「すすり泣く儀式」に半身を残しながら自身が去っていく感覚が非常に妙で独特である。短いながらも意識の溶暗が感じられて、対照的に「儀式」の力も強くなっていく。

 この「ずり落ちる」が存分に発揮されたのは「から」のおかげだろう。「儀式から」と儀式を直接相手取ることで、儀式全体と自分が直で繋げられることになった。そして何がの部分を特に言わないことで、「私が」以外に意識、記憶、時間、魂、体の部位、自分に憑いている霊、と色々なものが代入できることになった。まるごと全体、自分に関連するすべてのものごとずり落ちたようにも感じられる。

 どんな儀式なのか、そこから具体的に何が「ずり落ち」たのか分からない状況で、味が出てくるのが「すすり泣く」である。なんだか(主体かもしれない)誰かが悲しそうにしている。それは自発的に悲しくてそうなっているのか、狂信的に洗脳されて自動的に泣いているのか。でもやはり、「むせび泣く」や「泣きじゃくる」など他の言葉と比べると、より寂しそうな、哀しそうな気がする。

 この文章の始めに、儀式の儀という字の不穏さをアピールした。私は直感的に、まずい儀式のなかで意識が飛んでいく句だと思った。いけにえになる人物が、死の直前になって泣いていて、それを見ながら意識が落ちていくような。
 ただ、この「すすり泣く」が、本当に悲しそうなものであるとすれば。初めに触れたように、自分が「すすり泣」かれる側なのかもしれない。この儀式は葬儀のことを指していて、自身は既に死んでしまっており、遺影側から見ている。参加者として来た親しい人物が泣いているのが見える。そして自分はそれを見て安心して、死の世界の方へ戻っていく。そうすると「ずり落ちる」動きも少し分かるような気がする。

 榊の他の句を見ていると、その読みはそこまで当たってはいなそうである。〈歌います姉のぶんまで痙攣し〉、〈残酷は願うものなり伝言ゲーム〉、〈確実に絞めるさんにんぶんの鳥〉など、悪や恐怖が後ろで待っている作品が多くある。
 この「儀式」は、未だ終わっておらず、どこかで行われ続けているのかもしれない。ということは、どこかで誰かが「すすり泣き」つづけているということである。

(「すすり泣く/儀式からずり落ちる」と読んで、すすり泣くことがずり落ちることに繋がる行為だった、というふうに読むことも可能かもしれない。何をしても脱出できない儀式というゲームの中で、すすり泣くことでようやくクリアすることが出来たというふうに。これは「すすり泣く」がただの機械的な行為のレベルに下がってしまうので好きな読みではないが、これはこれで「儀式」が変形して見える一つの読みである。とにかく、この句からは、「何が」よりも先に、「なぜ」が欠けているのである。その構造自体が「儀式」と似ていて、何度読んでもヒヤリと思わされる。)

記:丸田

誕生も死も爽やかに湯を使ひ   高橋将夫

所収: 『俳句』九月号・作品一六句「王道の塵」より

伊の哲学者アガンベンはCOVID-19が死者の尊厳をスキップさせてしまうと嘆いた。人類は死にゆくものの周りにつどい、死ぬまでを見届け、祈り、泣いた。しかし疫病はそのような行程を飛ばしてしまう。入院すると面会は叶わず、遺骨になって戻ってくるまで関与出来ない。疫学的観点からみるとアガンベンの指摘はたぶんに情緒的ではあるが、とはいえいかに人間が葬送儀礼を発達させていたかを明るくしたように思う。

世に生まれ落ちた赤子には産湯を、世から退く死者には湯灌をする習俗がある。ぼくらは湯に言祝がれ、見送られる。産湯は熱湯に水を加えて温度を調整するが、逆に湯灌は水に熱湯を加えて作る。逆さ事と呼ばれる習俗は生者と死者の世界を区別するためにあるが、ひとえに死者の世界を恐れていたがためであろう。ゆえに非合理的な過程を増やしてでも死者を丁重に弔った。

死が科学の対象となり合理的に捉えられる今、かような習俗も減じてゆくだろうが、せめて心持だけでも死への敬意は忘れたくない。掲句は「爽やかに」の清々しさが、宗教を持つ種族としてのホモサピエンス史を燦燦と照らす。

記:柳元

踊る 平野皓大

踊る 平野皓大

小鳥来る売地しばらく管残る

国またいつか一枚の秋簾

鹿の骨浜に焦げては転げては

根魚釣潮と踊ることにせん

口開くや蜜のごとくに今年米

ずつしりと光を吸へる柿を吸ふ

誰しもの秋の蛍に顔を寄せ

ばつさりとうしろを使ふ松手入

竜田姫田の一枚を膝に折る

ゐてくるるそちらも秋か月の道

水飯に味噌を落して濁しけり 高濱虚子

所収:『虚子五句集 上』「五百句」(岩波書店 1996)

失って気づくものという叙情の一類型があるが、掲句もその一つだろう。失ったことを知り、嘆いている自分に驚く。自分への驚きはそのまま、心の空所への驚きに繋がる。気づきの「けり」である。「濁しけり」と言うことで、失うと同時に、失ったものの清らかさにも気づくという心の動きが感じられる。掲句は日常にさりげなく叙情を立ち上げるがその手つきがあまりにさりげないため、よほど大きな喪失を以前に経験したのだろうかと想像したくなる。掲句を読んでいると腹も痛くなるのは水飯の饐えた酸味もそうだが、味噌がぼとりと太く重たく糞のように落ちているからだろう。

記 平野

菌山あるききのふの鶴のゆめ 田中裕明 

所収:『花間一壺』(牧羊社・1985)

「菌山」というからには山じゅうにきのこが生えていてほしい。ありとあらゆるきのこが生えていてほしい。みちばたに、崖のうえに、木の下に、川のほとりに、色とりどりのきのこが生えていてほしい。歩いているうちにたのしくなりたい。きのこは菌である。胞子を飛ばし、菌糸をのばし、どんどん大きくなってゆく。わたくしのまわりを覆うように、成長してゆく気配が、いまこのまわりで、たちどころに濃密になってゆく。そこいらにあるということの気配が立ち込めてきて、存在にうっすらととりこまれ、ひらかれて、それに応じることでわたくしの存在はなにとなく希薄になってゆく。

きのう見た夢は何だったろう。不確かさすら心地よい。鶴が出てきた。あるいはわたくしが鶴であったか。とにかもかくにも、鶴、それは覚えている。毎夜みては忘れてゆく夢の積み重なる層があるとしたら、それは数億年後の地表でどんな断面をさらすだろうか。そしてその断面の中で、わたくしがきのうみた鶴の夢はいかなる結晶化をみるのだろうか。石英のようないろをたわむれに思い浮かべてもみる。忘れられゆくものへのさびしさをうち抱きながら、あるく山みちである。

記:柳元

未来 吉川創揮

未来  吉川創揮

青楓通りて日差し折り重なり

水母から水母の機関溢れかけ

紙は這う火に折れて睡蓮開く

冷蔵庫は未来の匂い眠れない

今日夏の終わりに一人一つガム

蜻蛉の目のつやつやの落ちている

迷路なぞる目玉渦巻く秋時雨

名月の団地に電波ゆき届く

中二階雨の伴うある夜長

考えたつもり林檎を並べては

化学とは花火を造る術ならん 夏目漱石

所収:『日本の詩歌 30 俳句集』中央公論社

広く知られるように文人・漱石は俳句をなしており、そのほとんどが熊本の第五高等学校教師だった頃の作である。それらはぼくらからして決して佳句だらけというわけではないが、とはいえそれは漱石がぼくらの時代と読みのパラダイムを異にしていることによるずれが大きいのだから、漱石に責を帰しても仕方あるまい。かえって妙味のようなものは感じられて味わい深いのだし、ぼくにとって漱石俳句はかなりフェイバリットである。

さて、掲句はかなりのところ理知から構成されるものであり、化学とはたとえば花火を造る技術のことだろう、というように少しくおどけてみせる漱石流のユーモアがある。たしかに花火は金属の炎色反応を利用するものであるから化学には違いあるまいが、とはいえ化学という分野を代表すべき技術の対抗馬は他にもあるだろう。石塚友二に〈原爆も種無し葡萄も人の智慧〉なる句があるが、化学を原爆に代表させるような戦後のペシミスティックな化学観と比すと、漱石の化学観はいくぶん能天気に見える。明治の時代にいくら西洋に対していち早く懐疑のまなざしを向けた漱石といえども、この程度には明るく化学を捉えていたことも、なにとなく面白く思われる。

記:柳元