所収:『崖にて』(現代短歌社、2020)
ちょうど良い場所に鍼を打たれているような気持ちになる一首。
「土曜日」という、日曜日を控えた実質一番気を抜ける日の、「午前と午後のさかいめ」。語の意味からいえば、正午の前が午前で後が午後になるわけだが、体感としてはたしかに「さかいめ」のぼんやり浮いている時間は存在する。午前だとも午後だとも言い切れない、正午あたりの時間帯。そこを「カーニバル」のように「自転車屋」が存在している。カーニバルの動きのイメージからすると、自転車の動きがどうのこうのの歌かと思ってしまうが、ここでは「自転車屋」で、そういわれると確かに、あれだけ狭い空間に(大きい自転車販売店もあるだろうが、ここでは狭い地味な町の自転車屋が自動的に想像された)自転車がぎゅうぎゅうに且つ綺麗に飾られているのは、カーニバルだなあと共感する。
この主体が、土曜日のその時間帯にそのカーニバルのような自転車屋を目撃して、その後どうなったかが気になる。ただカーニバルめいてるなと思って通り過ぎてその後何もなかったのか、カーニバルっぽいからこそなんだか楽しそうだぞ、と思って自転車屋の中に入っていったのか。「さかいめ」と捉えているところや「あり」の言い方から、その時間にちょうどその自転車屋を目撃できたこと自体が素晴らしいことであって、別に自分が入って行こうという意志まではない、もはやその自転車屋の状態をそのままに保存しておきたいとまで思っていそうな雰囲気がある。もし中まで入っていったとしたら、どうなってしまうのだろうか。変な時間軸の世界に飛ばされて、その世界で自転車と踊り狂わされ続ける、という未来もあったような気がする。
自転車屋といって思い出されるのは、塚本の有名歌〈医師は安楽死を語れども逆光の自転車屋の宙吊りの自転車〉で、個人的に塚本邦雄の歌の中でもトップ3くらいには好きな歌である。北山の歌も多少この歌を意識しているようには思うが、自転車屋独特の(自転車が大量に整然としている様子独特の)不穏感、眩しさが短歌で生き生きしていて面白く読んだ。上の句は雰囲気の演出として、実質この歌は「カーニバル」と「自転車屋」という語の印象だけに身を任せているなかなか豪快な作品だが、それでも十分想像が止まらない楽しい一首であると思う。
先日『崖にて』は第65回現代歌人協会賞、第27回日本歌人クラブ新人賞を受賞した。これを機にまたこの歌集が多く読まれることを、『崖にて』を好きな一読者として願う。
記:丸田