ノートパソコン閉づれば闇や去年今年 榮猿丸

所収:『点滅』ふらんす堂 2013

角川俳句歳時記によれば、「去年今年」という季語には一瞬で去年から今年へと移行していくことへの感慨があるという。それに依るのであれば、ノートパソコンで仕事をしている間にいつの間にか新年を迎えてしまった句であると考えられる。

同句集には「箱振ればシリアル出づる寒さかな」、「ダンススクール西日の窓に一字づつ」といったカタカナ語の使用と、ドライな文体が特徴の句が多く、少しハードボイルドな印象を受ける。
掲句もそうした1句だろう。「闇」という単語は含まれているものの、「ノート」の間延びした響きや、情景描写に徹する句の在り方によって、「新年まで働かなければならないブラック企業の闇!」といったイメージを喚起するのではく、あくまでも物質、空間としての闇という視覚的イメージを喚起する。
この句、句集の文脈の中では「去年今年」という言葉にも、ようやく仕事が終わった感慨、安堵感などは読み取りにくいように思う。そうした淡々とした年越しの在り方に私は現代の生活のリアルさを感じる。

記:吉川

春禽にふくれふくれし山一つ 山田みづえ

所収:『手甲』(牧羊社 1982)

山は動かないものとして心のより所になる。ながい冬をぬけ、ひっそり閑とした山に鳥がさえずる。春の到来は声をもって知らされる。気温が上がりはじめ、活気を取り戻していく山の様子を「ふくれる」と表現した。そこには生命への視線があり、鳥の声をいっぱいに溜めて、山の生命はふくれていく。このとき山という静は動に転じる。

鳥と山の交感、それは山田の他の句、例えば「山眠るまばゆき鳥を放ちては」にも見られる。この句において眠る山は厳粛な静であって、なおかつ鳥を放つという動でもある。山は外観落ち着きながら、その生命はいつも蠢いているのだ。

記 平野

霜の太杭この土を日本より分つ 加藤楸邨

所収:『まぼろしの鹿』1967年・思潮社

掲句には前書として

一日本人として(六句)
十二月中旬、二日にわたりて砂川を訪ひ、ここに迫るものをわが目にとどめる。同行知世子。

と記され、以下の五句が続く。

葱の芽の毛ほどの青さ守り育て
彼等約してここに静かな冬野を割く
冬欝たる麦をわが目に印し置く
霜に刈られてその香切切たる襷
さむし爆音保母は戸毎に子を戻す

 これらの句群は前書と発表年からして砂川闘争に当たって書かれたものだ。砂川は現在の東京都立川市に位置し、日頃より在日米軍機の離着陸における危険と不安に晒されていた(過去形で書いたが米軍基地は今なお日本に残っている)。そこへ基地用地を更に拡張しろとアメリカが日本政府へ要請したことを受け、住民たちは闘争を開始する。この運動は左派政党や労働組合、学生や文学者などを巻き込んだ社会現象となった。そして加藤楸邨(1905-1993)もこの問題に関心を強く持った一人だった。

 彼が「馬酔木」を辞して以降に顕著な、硬質で密度の文体が今は殆ど失われたことについて考えてみたい。師秋櫻子をして難解と言わしめる彼等の文体は、現代において史的に読もうとするものの肌感覚としては1970年代あたりには読者からの支持を失っているように感じる。

 勿論そこには戦後は終わり豊かな消費社会の到来や、学生運動の失敗などの象徴的な出来事の勃発が背景にはあっただろう。資本主義文化を謳歌し始めた読者には、彼等の革新的な文体は息苦しいだけであっただろうし、もっと開放的でゆとりがあり、分かり易く平明で、非政治的な、季語と癒着する穏やかな韻律が好まれたのだと思う(そしてはそれは現代においても尾を引いているだろう。平明さはあたかも詩形における道徳律であるように振舞う教条的な御仁が絶えないのもこのあたりをすっかり内面化してしまったのだろうと思うし、後述するがある種の表現主義もこれを補完するものだ)。

 呼吸や饒舌や韻律との連関の中で、ある種の典型的な左翼的思想と接着するのが加藤楸邨らに顕著な当時の文体だった。これらを共有するのは例えば金子兜太であり、赤城さかえであり、古沢太穂、原子公平、田川飛旅子、沢木欣一などであろう。仏の思想家サルトルが用いた用語である「アンガージュマン」は散文のための思想であったことを思い出してもよい。今にして思えば、社会との連帯のための散文性を取り込んだ文体が彼等だったと言えよう。

 そしてそれ以後、前述のような学生運動の敗北などを受けて、純日本的な韻文精神へ立ち戻らんとするバックラッシュが起こる。それが大まかに言えば1970年代以後であり、おのれの文体を非政治的であると信じたがる現代の書き手たちの直接的な祖の誕生であろう。

 初期作品を除けば澄雄や龍太は生活に根ざしつつも極めて純日本的だったし、高柳重信に端を発する前衛は芸術至上主義的でありながらそこにはノンポリめいた仕草が付き纏っていた。

 現代の俳句界は、自分も含めて、未だに生活と平明さの結託、あるいは表現主義とノンポリ仕草の結託を盾にした、1970年以後の非政治的な書きぶりの振幅に収まる書き手ばかりが見受けられるように思うというと書きすぎだろうか。だが非政治的なところに人間はない。楸邨のパラダイムに立ち戻るということでなしに、楸邨に学ぶことはまだあるように思う。

記:柳元

大晦日のエスカレータに 乗せられ 堀豊次

所収:黒川孤遊編『現代川柳のバイブル─名句一〇〇〇』理想社、2014*

「乗せられ」の反転のさせ方が光る一句。
 おそらく、エスカレーターに自分から乗っているにもかかわらず、「エスカレータに」運ばれているようだと考えた、という読みがシンプルだろう。一応、「乗せられ」は誰か他の人に押されてエスカレーターに乗ってしまった、という風に読むこともでき、そう考えると若干テイストが変わってくる。エスカレーターの中でぽつんと自分の発見が浮き上がってくるものと、他者によって無理矢理自分がエスカレーターに巻き込まれてしまうもの。ただ大晦日ほど人が集まっていれば、押されて乗ってしまうことは容易に起きそうだから、後者の読みだと「 乗せられ」があまり効かなくなってくるため、やはりシンプルな読みの方が合いそうだ。

 この句が何故か新鮮に思えるのは、エレベーターとの感覚の違いからだと思われる。どちらも自分から乗るものではあるが、エレベーターは連れていかれる感が強い。エスカレーターは乗っている最中も自身は歩くことが出来るし、箱型のエレベーターよりも運んでくれる感は少ない(個人的に)。もしこの句が「エレベーターに 乗せられ」だったら、たいして驚くものは無かった。もしかしたら、エレベーターよりもエスカレーターの方が、私たちはナメてかかっているのかもしれないとも思ったりした。
 ちなみに、私の地元は田舎であったため、町にエスカレーターは一基しかなく(農協にあった)、他の町に行ったときも、エスカレーターでさえドキドキしながら乗っていた。だから小学生のころの自分がこの句に出会っていたら、何を当たり前のことを(そりゃ「乗せられ」るものだろうと)、と思ったかもしれない。それを思えば、近くにデパートがあったり電車の駅があったり、そういう都市、都会の生活になじんでいる人の方が、この句に対する驚きは大きいのかもしれない。

 蛇足ではあるが、個人的に「大晦日」以外のことも考えたくなる。生活感あふれる「大晦日」もいいが、もしこれが「天国のエスカレータ」であったり、「まひるまのエスカレータ」であったりしたら。それこそ最初に述べた通り、「乗せられ」が発見としての反転ではなく、乗せられることの恐怖に変わっていくことになるが、それはそれで面白そうである(そう書いていて気付いたが、大晦日であることによって、エスカレーターに乗りながら年を越してしまう可能性も匂わせられているような気がする。時をまたぐエスカレーターに乗っているような。大晦日のそんな時間まで動いているエスカレーターがあるかどうかは怪しいが、そういう時間というエスカレーターにも乗せられているような感覚も、なんとなくこの句を良い雰囲気にしているように思う)。

 webサイト「週刊俳句」にて、樋口由紀子さんがこの句から「考えてみれば、人生は『させられ』の連続である」と述べている(2011年12月30日)。自分は自分で生きているかと思ったら、実は生きさせられているのかもしれない。そういう当たり前と思っていることが逆転するときの、寒気がするような不安と気持ちよさが、この句の一字空きに詰まっているのかもしれない。

*初出は、筆者は確認できていないので、この句が収録されているアンソロジーを置いた。上述した樋口さんの確認によると 「天馬」2号(河野春三編集発行 1957年)収録とのこと。

記:丸田

庭師禮讚 柳元佑太

 庭師禮讚  柳元佑太

夜明まで詩書く花車なる身體もて八重垣造れその八重垣を

花と樹を從へしかば君の邪氣活潑無比か庭造らむに

丁寧な生活欲す消費者は倣へ毒杯仰ぐぷらとん

天使等の戀わずらひは輕症いから H,He,Li,Be, 氣樂なものさ

天使とて神神の遊擊手なればMerry Christmas! Merry Christmas!

庭師兼天使拂ひを招き入れいたちごつこの永遠愛撫

くれなゐの雌蕊雄蕊も性器なれ中庭に集ひ天使錯亂

呪禁もて天使去らしむ最高の雪降る庭の亂反射光

枝切鋏たはぶれに振る君が統ぶ月の面の海蒸發も

超現實主義者も儚く逝きて草濤に炭化麒麟の燃え殘り立つ

 *中庭(パティオ)

チャールズ・シュルツ倒れし後もチャーリーは獨身のまま白球を追ふ 佐々木六戈

所収:『セレクション歌人14 佐々木六戈集』邑書林

チャールズ・シュルツは言わずとしれた漫画『ピーナッツ』の作者であり、世界で一番有名なビーグル犬・スヌーピーの創造者である。チャーリーというのもスヌーピーと同じく『ピーナッツ』の登場人物であり、どこか冴えないが心優しい少年である。チャーリーの前にはいつも失敗が待ち構えるわけだが、彼のひたむきな姿勢に心打たれ、内向的な趣きや卑屈さに共感した読者は世界中に居るはずだ。

さて、作者シュルツは2000年に死去したわけだが、大きく育った作品というものは恐ろしいもので、作者の亡骸などは目もくれずに、人々の記憶と想像力のもとで膨らみ続ける。『ピーナッツ』も例外ではなく、登場人物たちは物語的運動をやめない。死後20年経った今日でも哲学的思索が繰り広げられる漫画は増刷され、スヌーピーの長閑なほほ笑みはTシャツにプリントされる。チャーリーの恋も実らないまま、のろのろと白球を追い続ける。

ただ佐々木六戈が用意した「独身のまま」という措辞はどこか丸顔の少年に似合わない。『ピーナッツ』の世界を考察するウェブサイトを幾つか見たところ、チャーリーは1950年の連載時は4才、1971年の連載時は8歳らしく、そこからさして背丈が伸びていないことを考えてもせいぜい彼は小学校低学年のはずである。この年齢には結婚も何もない。「独身のまま」という措辞は時間的な成長がないお約束ごとの世界にはそぐわないのだ。

つまり氏は、チャーリーに対して漫画的設定からの逸脱を夢見ているのである。ここには成長したチャーリー・ブラウンがいるのではないか。作家の死によってチャーリー・ブラウンがお約束ごとから解放され、時間が正しく進み始め、大人になり、チャーリーが「赤毛の女の子」なり彼が憧れる想いびとと結ばれる世界線が可能性としては準備される。なのだけれども、なのだけれども、チャーリーは「独身のまま」……そういう措辞なのだ。大人になってもスヌーピーと戯れ白球を追う有り様はさながら独身貴族(?)である。ルーシーやライナス、サリー、他の登場人物らはどうなっているのだろう。チャーリーと同様に、シュルツが造形した通りの物語を遂行しているのだろうか。それとも。

チャーリーの関して言えば、ここに自分が知っている世界が継続している嬉しさと一抹の悲しさを思ったりもするのだが、ぼくらにそんな権利を行使される言われはなくて、連載が停止したのちにチャーリーがどんな人生を選びとっていようと彼の勝手であろう。彼はいつもいつでも白球を追っているのであり、そしてまた追っていなくともよいのである。ともかく幸せあれ!

記:柳元

もう何も見えなくなりし鷹の道 佐々木六戈

所収:『セレクション俳人08 佐々木六戈集』

 鷹という季語の一つの側面は狩に用いられることだろう。この場合は鷹匠などの傍題とセットで思い起こされ、そしてすでにこのような飼い殺しの鷹のあわれは正木ゆう子が

かの鷹に風と名づけて飼ひ殺す

と書き留めた。しかし生物ピラミッドの頂点に君臨する王者たる威厳を喪っていない鷹というものもまだ自然界には辛うじて残っている。そしてその中でも寒くなれば日本を脱出して南国へ避難する経済的余裕を持つ鷹というものもいて、それがサシバなどの渡りをする鷹である。彼らは日本の温暖湿潤な夏を楽しみ、冬は東南アジアの森林で寒さを凌ぐ。彼らが渡ってゆく様子を寒さに耐えつつウォッチして喜ぶ人間もいるらしい。

 何羽もの鷹が群れて螺旋を描くように上昇する「鷹柱」という季語はまさにその渡りの最中を捉えたものだ。鷹は賢い。上昇気流の発生する場を逃さず、その気流に乗ってまずは高度を稼ぐ。そしてその稼いだ位置エネルギーを徐々に運動エネルギーに変えつつ滑空することで、エネルギーを節制するのだ。上昇気流というのが起こる場所は限定されるため、自然にそこに鷹が集まり柱に見えるという寸法である。

 六戈氏が寒晴の空に描いた鷹の道というのは、この螺旋状の上昇の道、そしてその後の滑空の道に他ならない。その道ははるか東南アジアまで続く。六戈氏は日本に立ち尽くし、その道が掻き消えるのを見つめる。他の寒禽の句もよい。

寒禽の胸から腹へ風の渦

寒禽の聲一發で了りけり

上座なる一羽の聲に寒威あり

 佐々木六戈は1955年、北海道士別生まれ。「童子」に所属している。また2000年に「百回忌」で第46回角川短歌賞を受賞しており、詩形問わず巧みに語を操る。次の月曜日は六戈氏の短歌を鑑賞の予定。

記:柳元

おもかげ 平野皓大

 おもかげ  平野皓大

大川のゆらゆら灯す昼障子

凩が美味き魚をもたらせし

皸や温のコーヒー缶を得て

雪の日を歩けど廓は昔なり

燃えさうな匂ひの酒よ枯柳

湯豆腐や好いたる人の俤も

電力のくもり一面雪見酒

飲食の暖簾をぬけて息白し

あかあかと宴の色や暦売り

ぬけがらの白の鼻歌置炬燵

ふるさとがゆりかごならばぼくらみな揺らされすぎて吐きそうになる 山田航

所収: 『水に沈む羊』 港の人 2016

山田航はブログ(http://bokutachi.hatenadiary.jp/entry/20160420/1456822716)にて歌集『水に沈む羊』について『地元と学校が嫌いな人のために詠みました。』と説明している。今回とりあげる短歌における「ふるさと」、ブログの説明にある「地元」はどのような場所が想定されているのか、歌集の他の歌も読むと分かってくる。

果てなんてないといふこと何処までも続く車道にガストを臨む

ゴルフ打ちっ放しの網に桃色の朝雲がかかるニュータウン6:00

延々と伸びてゆく車道沿いにある「ガスト」や「ニュータウン」という語から分かるように、山田が「ふるさと」「地元」として想定したのは、特定のどこかでなく、かつどこにでもる「郊外」なのではないだろうか。

「郊外」は上記の歌にある通り「ゆりかご」のように住みやすい。しかし、赤ちゃんを喜ばせるための「ゆりかご」のやさしいゆれが、「ぼくら」にとっては吐き気をもたらす悪なのである。ことごとく平仮名にひらかれた「ふるさと」「ゆりかご」にはそれらに対する皮肉や憎悪が伺えるようにも思う。

私自身、広島市の中心部から離れた新興住宅街で子供の頃を過ごした。何も不都合を感じた記憶はないけれど、公園と特に深い面識のない人が住む家が立ち並ぶだけの退屈な場所だった。
嫌悪感など特に深い理由があるわけではないが、私は広島という「ふるさと」に帰る進路は選ばなかった。そんな今だからこそ、この歌が「ぼく」の歌でなく、「ぼくら」の歌であることを少しありがたく思う。

記:吉川

ともだちが短歌をばかにしないことうれしくてジン・ジン・ジンギスカン 北山あさひ

所収︰『崖にて』現代短歌社、2020

 相当嬉しかったんだろうと思う。どれくらい嬉しいかは直接言われていないが、「ジン・ジン・ジンギスカン」のノリの良さに任せているところから充分にそれは伝わってくる。ジンギスカンが歌詞に入っているノリのいい曲と言って思いつくのは、西ドイツのグループ・ジンギスカンの「ジンギスカン」と、北海道ソング(?)である仁井山征弘の「ジンギスカン」。ジンギスカンバージョンは「ジン・ジン・ジンギスカ〜ン」の感じ、仁井山征弘の方は「ジンジンジンジンジンギスカン、ジンジンジンギスカン」の感じで、表記的には前者の方が掲歌には近い気がする。ただ、声に出したときのリズムだと、「うれしくてじん/じん/じんぎすかん」の詰まっていく感覚が面白くなり、これを「ジン・ジン・ジンギスカ〜ン」と読んでしまうと、「うれしくて」の後に大きい一呼吸が空いてしまうことになり、それまでのきっちりした定型のリズム感が損なわれる。そのため速度的には仁井山版のスピードで読みたい。実際の所何でもいい。これらの曲でない可能性は十分にある。

 嬉しい、という感覚について思うとき、私は、自分が何かをして嬉しいというのがまず最初に思いつく。その後に、何か良いことをされて嬉しくなることが思いつく。
 友だちが短歌を「ばかにしないこと」が嬉しい。この、何かを「しないこと」が嬉しい、という感覚は、一回何かを経ているように思われる。例えばこれなら、いつも短歌を口にすると馬鹿にされることが多々あって、だから馬鹿にしないだけで嬉しいと思うようになった、というふうに。だから、この言い方は、相当に嬉しかったんだろうなと思った。

 それにしては一瞬気になるのが「ジン・ジン・ジンギスカン」。ページをめくってざっと目に入るぶんだけで言えば、かなり雑な表現にも思える。ただそれも、短歌への愛からくるものなのだろうと思う。一首の中で自由なことをやっていることに、短歌への信頼が窺える。途中までしっかり定型なのも、また。

 短歌の中で短歌の話をするメタな歌はままあるものだが、短歌の中で短歌を擁護する、わたしは短歌と両想いだ的なことを言う作品はそこまで見ない(老成した歌人の十を超えたあとの歌集とかには見られるが、若手にはあまり見かけない印象がある)。「ともだち」「うれしくて」の平仮名への開き、「ジンギスカン」の素材の選択から見える若さ(もっと言えば能天気さ)が、短歌の中でまで短歌を守ろうとする堅さと一見相反しているようで、そこがこの歌の魅力であると思う。ずっと気ままであったり、ずっと真剣で真顔であったりではなく、どちらもが重なりながら現れる。
 本当に信頼している上で、だからこそ自由に遊ぶ、という歌が北山あさひには多い。短歌っぽい短歌や、自由気ままな短歌、政治を鋭く突くような短歌など、色んな面が現れて見えてくるところが読んでいて楽しい。

 ちなみに、初谷むいに、〈ばかにされてとても嬉しい。どすこいとしこを踏んだら桜咲くなり〉(『花は泡、そこにいたって会いたいよ』2018)という歌がある。ある種の開き直り方に共通するものはあるように思う。何を嬉しいと思って、嬉しいから何をしようと思うのか。感情の理由と行方に着目すると面白い。

記︰丸田