もう何も見えなくなりし鷹の道 佐々木六戈

所収:『セレクション俳人08 佐々木六戈集』

 鷹という季語の一つの側面は狩に用いられることだろう。この場合は鷹匠などの傍題とセットで思い起こされ、そしてすでにこのような飼い殺しの鷹のあわれは正木ゆう子が

かの鷹に風と名づけて飼ひ殺す

と書き留めた。しかし生物ピラミッドの頂点に君臨する王者たる威厳を喪っていない鷹というものもまだ自然界には辛うじて残っている。そしてその中でも寒くなれば日本を脱出して南国へ避難する経済的余裕を持つ鷹というものもいて、それがサシバなどの渡りをする鷹である。彼らは日本の温暖湿潤な夏を楽しみ、冬は東南アジアの森林で寒さを凌ぐ。彼らが渡ってゆく様子を寒さに耐えつつウォッチして喜ぶ人間もいるらしい。

 何羽もの鷹が群れて螺旋を描くように上昇する「鷹柱」という季語はまさにその渡りの最中を捉えたものだ。鷹は賢い。上昇気流の発生する場を逃さず、その気流に乗ってまずは高度を稼ぐ。そしてその稼いだ位置エネルギーを徐々に運動エネルギーに変えつつ滑空することで、エネルギーを節制するのだ。上昇気流というのが起こる場所は限定されるため、自然にそこに鷹が集まり柱に見えるという寸法である。

 六戈氏が寒晴の空に描いた鷹の道というのは、この螺旋状の上昇の道、そしてその後の滑空の道に他ならない。その道ははるか東南アジアまで続く。六戈氏は日本に立ち尽くし、その道が掻き消えるのを見つめる。他の寒禽の句もよい。

寒禽の胸から腹へ風の渦

寒禽の聲一發で了りけり

上座なる一羽の聲に寒威あり

 佐々木六戈は1955年、北海道士別生まれ。「童子」に所属している。また2000年に「百回忌」で第46回角川短歌賞を受賞しており、詩形問わず巧みに語を操る。次の月曜日は六戈氏の短歌を鑑賞の予定。

記:柳元

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