針と針すれちがふとき幽かなるためらひありて時計のたましひ 水原紫苑

所収:『びあんか』深夜叢書社 2014

あなたの部屋の時計は2分遅れている。あなたはそれを知っている。知っていても時計の指し示す時間のずれを直さないのは、単にあなたが面倒くさがりであるというだけなのかもしれない。

とはいえ実際のところあなたは、そのずれている時計が何となく気に入っている。

あなたがそんなことを考えだすときは決まって深夜である。ベッドに入って寝付けないとき、日中は聞こえないような物音が気になりだすことがあなたにはよくある。

それはチクタクという秒針の音かもしれないし、あるいは分針が動くときのコッ、というかすかな音かもしれない。この歌では、針と針がすれ違うときの微々たる針の逡巡が作中主体に知覚され、それがためらいという感覚で言い留められている。

眠れない夜にはかすかな時計の息遣いがふいに聞こえ出すという瞬間があって、あなたはそのとき、聴いた、聴こえた、と思う。何かこの世ならぬものの感じを受けて、あなたはすっと冷や汗を覚える。

そして朝になればすべて忘れてしまう。

人でないものへの共鳴性が強いという意味でとても水原紫苑的な一首。

記:柳元

ふりそそぐ案山子悲しみ神のいしき 田島健一

所収:『ただならぬぽ』ふらんす堂 2017

 一面に広がる田にぽつんと立つ案山子。「ふりそそぐ」によって上下の動きが生まれ、立体的に景が見えてくる。要素がどんどんと追加されるような句だが、それに反して、句の世界は窮屈ではなく、むしろ空白が増していっているように感じる。この句の中で可視のものは案山子だけであり、際限なく広がって、ふりそそいで、最後に残っているのは案山子だけという空虚さが、妙に心地いい(案山子はこの句の中にすらおらず、全て見えないが在るものの話をしているだけなのかもしれない……)。案山子の孤独のようなものも感じるが、ここではなんだか、案山子の悲しみや神の意識が綯い交ぜになって、人間には言表出来ない状態で丁度よく安定して存在しているような、深いよろこびを感じる。

「ふりそそぐ」をどの語に掛けて読むか、降り注がれる対象を何と考えるかで景が容易に変わってしまう。しかし、句は k 音の連続に加え i 段で脚韻が踏まれて、綺麗に構成されている。この不安定が過剰に安定しているような気持ち悪さが、怖いくらいに美しいと思ってしまう。

記:丸田