ゆふぐれをさぐりさゆらぐシガレエテ 小津夜景

所収:『フラワーズ・カンフー』ふらんす堂 2016

シガレエテとは紙巻き煙草のこと。視覚で捉えた煙草の煙のイメージを音韻という切り口で表現しているのがおもしろい。

3度でてくる「ぐ」の音の強烈な印象と、それとは対照的なやわらかな印象の「ゆふ」「さゆ」の響きが混在することで、音に緩やかなメリハリが生まれ、煙が昇る様を思わせる。
「さぐり」「さゆらぐ」の頭韻、「ぐれ」と「ぐり」の相似の響き、シガレットではなくシガレエテという語を選択し促音を避けたことなど、音韻への心配りが1句全体に行き届いており、口に出すと呪文のようで楽しい。

記:吉川

紫と雪間の土を見ることも 高浜虚子

所収:『虚子五句集(下)』(岩波書店 1996)

見ることも、と流すことで普段見る雪間の土が紫ではないことを示し、同時に雪間の土に親しい環境で生活していること、そして雪の積もる地帯で冬を越したこと、などの背景を想像させる。そのため、ふとした拍子に見た土が紫であったという一回性を楽しめばそれで足りるかもしれないが、今回は「紫」に比重を傾けて鑑賞したい。

見ることも、はこう解釈することも出来るだろう。いつもと同じ雪間の土のはずが、今日の精神状態だと同じようには見えなかった。例えるなら「紫」を見ている気分だ。というような実際には土の色が紫ではなかったとする考えだ。このとき重要になってくるのが先行する「紫」のイメージであり、実景から言葉の領域へと意識は飛んでいく。

では、紫のイメージとはなんだろう。ここで思い出したのが蕪村の〈紫の一間ほのめく頭巾かな〉の句。この句もまた「紫」が一句において決定的な役割を果たしている。ちらりと一間を覗いてみたら、紫色の頭巾が置かれていた。紫色の頭巾とは多分「梅の由兵衛」に由来している。元禄期の悪党・梅渋吉兵衛をモデルとする歌舞伎や浄瑠璃を指して「梅の由兵衛」と呼ぶ。ここでは紫の頭巾という扮装姿が一つの型となっているらしく、それは1736年に『遊君鎧曽我』で初世沢村宗十郎が演じてからの型だという。1736年と言えば蕪村は二十歳ぐらいのため、同時代的な影響があったかもしれない。

つまり、紫色の頭巾が置かれているのを見ることは、一間にいる客人の正体を暴くことと同義になる。虚子の句にもこうした紫のイメージが流れているのではないか、と想像を巡らしたい。頭巾の下に誰か客人の正体を暴くように、雪が溶けたところの土は普段見ている土よりも数段素顔に近い「土」で、奥深い、本質的な色を見せていたのだろう。次第に掲句は現実を離れていく。

記 平野

本の山くづれて遠き海に鮫 小澤實

所収:『砧』 牧羊社・昭和61年

本の山のうえに本が積みに積まれた一室、そこには鬱々とした密度が立ち込めていて、本棚の高さは部屋の中心に向かって内容物に重力が籠ったもの特有の、押し迫った感じを投げかけている。表紙と背表紙の幾摩擦によって形作られた紙の束の塔の静止は、実のところ位置エネルギイの歓喜の解放を待ち望んでいる。

古書新書入り混じった和洋東西の小説に学術書、全集の端本に艶本、友人知人から拝借した本もある――どれもがおのおの崩れ落ち、重力に従い六畳一間の床めがけて(実のところその床にも本が散乱しているのだが)力をたたきつける機会を虎視眈眈と狙い、伺っている。書斎、図書館、古書店の暗がりに沈潜する緊張こそは、以上のようなものによってもたらされるものなのだが、掲句はそのエネルギイの解放、ほとばしりが、激流をなしておちかたの世界へと流れ込んでゆき、遠方は外海の深き溝、海溝、そこを回遊する鮫と接続してしまったさまを書き留めている。

山体崩壊を起こした本のエネルギイは見えざる川を為して(それは遅遅と進む大河ではいけない。それは川底けずり渓なすような急流でなければならない、山から海へ向かうものを川と呼ばずになんと言おう)、眼にも止まらぬ速さを保持する。その速さは、いやむしろその川は無論六畳一間の床ですぐに力尽きるのであるから、その速度だけが、その言葉の水流が保持していた速さのみが、遠きわたつみに住みなす鮫に届き、交感し得るのである。その速さのことをぼくらは便宜的に二物衝撃とよぶけれど、ようするに異なる二世界を結ぶ扉の出現を切れに託すという一瞬の賭けを、舌端に句をのせるたびに感覚できる読者は幸せである。鮫のするどく青白い鼻先に突き付けられたのは虚しい速度だけ、その潔さをこそ賞味すべきだろう。それで十分なのだから。ぼくらは寒くて冷たい海にゆける。

無論書斎から、突如外海に引き出された読者は戸惑うだろう。しかしそこに鮫が、冷たい海流に身をもまれ、筋肉を鍛えた、躰の引き締まった鮫が泳いでいることによって、ぼくらは存在に対して畏敬を払う手続きをはじめて、瞬時に掲句の手柄を理解する。つまり鮫の実体感が導いてくれた場所は既に書斎ではない。遠き海でもない。今ここが海なのだ。ぼくらはもはや遠さを、距離を手放す。「遠き海」という認識は鮫の存在に耽ることによって放棄せざるを得ない。鮫がここにいる。

ぼくらは自分の躰に冷たい海流に押され始めていることを理解し、昏い海面を頭上に見上げれば、冷たく差し込むひとすじの光は月光であろうか。溶暗溶光、バクテリアの塵がしらじらと上下し漂うている。鈍い青とも見える黒色の鮫の肌は、月光と感光してこちらまで照りを届ける。躰のすみずみ、五指の先端まで寒海の冷えがゆき渡っているのを、現実世界における読者諸氏は夢の名残として感得するのである。

小澤實は1956年生まれ。1980年に「鷹」新人賞受賞、1982年「鷹」俳句賞を受賞。1985年、「鷹」編集長に就任する。「鷹」時代には第一句集『砧』(牧羊社、1986)、第2句集『立像』(角川書店、1997)を上梓する。そして1999年、「鷹」を退会し、2000年に「澤」を創刊・主宰。第三句集『瞬間』(角川書店、2005)を上梓している。第四句集『澤』はいつ刊行されるのだろう。句集が待ち遠しいという気持ちを抱ける師に出会えたことがぼくは何より誇らしい。

記:柳元

蓮飯の箸のはこびの葉を破る 皆吉爽雨

所収:『自注現代俳句シリーズ・Ⅰ期 皆吉爽雨集』(俳人協会 1976)

蓮飯というと観念のほうに寄ってしまいがちになるが、掲句は写生句らしく実体、質感を描き出している。飯の湿度でふやかされた蓮の葉を箸が破いてしまう。景に焦点を当てるならば〈箸に葉を破る〉のような絞られ方がなされて良いところだが、掲句はそうではなく破いたときの質感がより伝わる書き方が選ばれている。「はこび」という言い回しが巧みで、故意に破いたのではなくただ食べているうちに偶然破れてしまった素朴な哀しみが感じられる。また「は」音がくり返されているなど、作者の手つきが色濃く伺える句のようにも思う。自註によると「蓮の葉に白飯を盛った仏家の蓮飯を饗された。箸使いで破れる蓮の葉の瑞々しさ」とあるが、どちらかといえば蓮の葉が刻まれ白飯に混ぜ込まれているものとして読んでいた。それは好みによるだろう。しかし「破る」の感や、死と瑞々しさの対比は自注の方が強い。

記 平野

春夏秋冬/母は/睡むたし/睡れば死なむ 高柳重信

所収:『遠耳父母』1971

俳句の多行表現に関しての知識は浅い身なので、その観点から句を上手く掘り下げることはできないとは思うが一応触れておこう。意味内容での切れは「春夏秋冬」の後にしか存在しないが、その後のフレーズも多行書きという視覚的な切れを用いることで、読者がこの句を読むスピードが通常よりも遅くなるような気がする。それが、「春夏秋冬」と母の老い(もしくは病の進行?)という2つの時間の流れを補強しているともとれる。

春夏秋冬という永遠とも思える時間の繰り返しの運行と、人間が生きている限りにおいて繰り返す睡眠が並置されることで、睡眠と死が隣合う人の時間の危うさと季節の永遠が対比される。

象徴としての「母」の持つ生命を育むイメージは四季に通じるものであると考えると、この句における母と同じくして、「春夏秋冬」もまた、不意の終わりの可能性を持った危ういものとしてこの句に表れている、意味的に「春夏秋冬」と「母」が並列のようにも感じられる。

記:吉川

流れ合ふ卒業式の心かな 京極杞陽

所収:(調べて追記します)

「流れ合う」というフレーズは見慣れないものであるし、この句においてはその主語もはっきりしない。それに加えて「心」という抽象的なものを扱っているので、この句は私には捉えどころがない。

複数の人それぞれの心がお互いに流れる、つまりそれぞれの人の感情が川の流れのごとく緩やかに内面から外面へと表出されているということだろうか。実際、卒業式には喜びも悲しみも様々な感情が表情や会話に表れる。
以上のように意味を嚙み砕くことが可能であるならば、内容は特段珍しくない。しかし、その角度から読んでも、この句の良さは十分に分かっていないような気がする。

「流れ」「卒業」の取り合わせによって、時間、感情、川などの多様なイメージが「流れ」という言葉によって束ねられることで生まれるぼんやりとした抒情は、不明瞭な書き方によって引き立てられている。
先週私は卒業式を迎えたが、あの時間に感じたぼんやりした感情を反芻するようにこの句を読んでいる。

記:吉川

雲は夏港を出でて歸りたし 三橋敏雄

所収:『しだらでん』(沖積舎 1996)

「春はあけぼの」のような言い切り、雲は夏が美しい。そう言われてしまうと様々な雲のかたちがあるものの、丈の高い入道雲しか浮かばなくなる。水平線ちかく、海と混じるあたりに聳えた入道雲の姿は雄大で、白く見るものを惹きつける。港から船が出ていく。入道雲の麓、虹の根っこを探すような幼な心を抱いて船は進んでいく。一体どこに帰ろうというのだろう。港から出た船はいずれほかの港に辿りついてしまうが、掲句の船は大きな海をいつまでも漂うようであり、そのまま異なる世界へ迷いこんでしまいそうだ。海のかなたにあるというニライカナイのようなどこかへ、あてもなく、目的もなく出港する。無邪気に悠々と、船はいまもどこかを漂っている。しかしその船に乗ることは出来ない、いまは、いや、これから先もずっと、海の向こうに広がる世界に戻ることは出来ない。幼いころは居たかもしれないその世界に。

記 平野

卒業を見下してをり屋上に 波多野爽波

所収:『舗道の花』(書林新甲鳥 1956)

渋谷のスクランブル交差点を定点カメラで見ていると、歩いている人たちはどこから来て、どこに去っていくのだろうか不思議に思う。ミニチュアのような人たちはほんの偶然その場に居合わせたにすぎず時間の流れにのってどこかしらへ散らばっていく。その様子をテレビで見ている自分も不思議だ。なぜいま自分は家にいるのだろう。偶然渋谷にいないだけで、もしかしたら居た可能性だって大いにある。時間は等しく流れている。自分と同じように家でテレビを見ている人にも、まったく関係のないことをしている人にも(しかし関係ないとはなんだろうか)もちろん歩いている人にも。

学校は人生の短い交差点といえるだろう。たった数年、入学してから卒業するまで、同じ場所で同じ時間を過ごす。卒業式はその最後の一日にあたり、あとはみんなバラバラに、信号が青に変わるように散らばってしまう。掲句は卒業式を俯瞰しながらも、自分と隔たった光景として眺めていない。最後の「に」で自分の立っている一地点に視線が戻ってくるのだ。自分は、自分のこれからの人生は。もう会わないかもしれない人たちを眺めながら、眼は内側へと潜っていく。

記 平野

誰かまづ灯をともす街冬の雁 飴山實

所収:『少長集』(自然社 1971)

歴史の上に営まれる生活は金沢の空気を繊細にする。金沢という容器のなかに個々の生活があるのではなく、一人ひとりの生活が金沢という街を作りだしていく。そんな街と人の一体感が掲句にも伺える。灯をつける者は誰でもよい。誰か個人の意思ではなく、街の方から灯をともすように誘いかける。誰からともなく灯はともされ、うす暗い冬の一日は終わる。街が語りかける一瞬を掲句はとらえる。そして土地と生活が一体になった街の上を雁が通りすぎていく。曇りどおしの旅になる。もしくは雨も良いだろう。生活の温度を伝えるような灯のほてりと雨に冷やされた雁の対比は艶めかしく、しかし下品になることはない。先日、金沢の往来を歩き、飴山の句を肌に感じた。句ざわりと金沢の空気感が見事に一致するのだ。音の聞えるほどゆっくりとした時間が街を流れ、訪れる者を優しい気分で包みこむ。飴山の言葉はあの悠久な時間を伝えるために費やされている。

記 平野

田中裕明『花間一壺』を読む

柳元佑太

田中裕明の第2句集『花間一壺』(牧羊社、1985)という句集はぼくのバイブルである。自分の来し方を照らしてきた書物をあげよと問われればあやまたずこれを挙げるし、そのような書物を自分が比較的若いうちに一冊持てたということがたまらなく嬉しい。『花間一壺』からスタートし、『花間一壺』を信じ(或いは疑うことで)ぼくは句を書いてきたといっても過言ではないから、『花間一壺』を読み直すということは、自分の変化を見ることに他ならない。

とはいえ自分語りをしてもせんないので、『花間一壺』の話をしよう。これは1983年の角川俳句賞受賞作を含む、おおよそ20歳から26歳までの句が収められた田中裕明の第2句集である。集名は李白の「月下独酌」という五言詩の1行目、「花間一壺酒」から採られている。

花間一壺酒(花間一壺の酒、)
独酌無相親(独り酌んで相親しむ無し。)
挙杯邀明月(杯を挙げて明月を邀え、)
対影成三人(影に対して三人となる。)
月既不解飲(月既に飲むを解せず、)
影徒随我身(影徒らに我が身に随う。)
暫伴月将影(暫く月と影とを伴い、)
行楽須及春(行楽須らく春に及ぶべし。)
我歌月徘徊(我歌えば月徘徊し、)
我舞影零乱(我舞えば影零乱す。)
醒時同交歓(醒むる時は同に交歓し、)
酔後各分散(酔うて後は各々分散す。)
永結無情遊(永く無情の遊を結び、)
相期邈雲漢(相期す邈かなる雲漢に。)

漢詩の内容は、花の間で壺酒を抱き、ひとり呑まんというもので、付き合ってくれるものは自分の影法師と月のみ、しかしそれもまた良いだろう、というものである(疫病下の現在の模範的飲酒態度と言わざるを得ない)。漢詩における花は桜ではないと習ったことがあるけれども、それに従えばここにおける花は、梅か桃かあるいは李かといったところだろう。とにかく夜の花を眺めながらひとりでの酒盛りである。この集名は、素晴らしく裕明に似つかわしいと思う。

というのも、この句集に収められている一句一句それぞれに分有量の差はあれ、どこか孤独のおもかげがあって(それは芭蕉や西行に似た旅人だったり、ひとり美術館で絵を鑑賞する人だったりするのだが)、その孤独のかけらをきちんと集名で纏めあげて、明るく肯定してくれている。だから、素晴らしいのである。しかしそれは決して俗世を捨てる高踏的な生き方だったり一匹狼的な生き方だったりではなくて、友人や恋人と生活するなかでこそ際立つような、いわば生きていくことそのものの孤独、明るい孤独を描き出すことへの志向である。そしてここに、dilettante的な、古典への耽溺という少しくの調味料が加わって、『花間一壺』の世界となる。この世界を前にして読者は、裕明に倣って、ひとりで、静かに、したたかに酔えばよいのである。

さてここで、読者が独りで酔わねばならないことを考えれば、一句ごとに拙い鑑賞を添えるのは野暮な行為である気がしてくる。取り立てて好きな句を(といっても絞りきれず60句ほど)書き抜くので、読者は裕明世界に、気ままに滞在するのが良いと思う。裕明の句の中でついつい長居し過ぎてしまうのはぼくだけではないだろうから。眼差しの圧迫も、季題の専制もそこにはなくて、いつの間にか倍の速度で過ぎ去ってゆく時間の流れを、あるいは時間の逆行を、音楽を聴くようにして、昼から夜に、あるいは夜から昼に、心地よさに身を投げ出せばよいのだ。ぼくはここで筆をおこう。

花間一壺60句抄(柳元佑太選)

なんとなく子規忌は蚊遣香を炊き
川むかうみどりにお茶の花の雨
咳の子に籾山たかくなりにけり
いつまでも白魚の波古宿の夜
春立つやただ一枚のゴツホの繪

夕東風につれだちてくる佛師達
まつさきに起きだして草芳しき
引鴨や大きな傘のあふられて
遠きたよりにはくれんの開ききる
天道蟲宵の電車の明るくて

この旅も半ばは雨の夏雲雀
きらきらと葬後の闇の桑いちご
逢ふときはいつも雨なる靑胡桃
桐一葉入江かはらず寺はなく
雪舟は多くのこらず秋螢

悉く全集にあり衣被
野分雲悼みてことばうつくしく
蟬とぶを見てむらさきを思ふかな
穴惑ばらの刺繡を身につけて
好きな繪の賣れずにあれば草紅葉

いづれかはかの學僧のしぐれ傘
しげく逢はば飽かむ餘寒の軒しづく
いちにちをあるきどほしの初櫻
げんげ田といふほどもなく渚かな
雨安居大きな鳥が松のうへ

筍を抱へてあれば池に雨
大き鳥さみだれうををくはへ飛ぶ
降りつづく京に何用夏柳
思ひ出せぬ川のなまへに藻刈舟
約束の繪を見にきたる草いきれ

のうぜんの花のかるさに賴みごと
深酒とおもふ柳の散る夜は
ただ長くあり晚秋のくらみみち
春晝の壺盜人の醉うてゐる
草いきれさめず童子は降りてこず

二月繪を見にゆく旅の鷗かな
あゆみきし涅槃の雪のくらさかな 
向日葵に萬年筆をくはへしまま
葡萄いろの空とおもひし貝割菜
宿の子の寢そべる秋の積木かな

ほうとなく夕暮鳥に菜を懸けし
菜の花をたくさん剪つて潮の香す
うすものや渚あるきのよべのこと
見えてゐる水の音を聽く實梅かな
花茣蓙にひとのはかなくなりにけり

天の川間遠き文となりにけり
さだまらぬ旅のゆくへに盆の波
菌山あるききのふの鶴のゆめ
はつなつの手紙をひらく楓樹下
銳きものを恐るる病ひ更衣

暑き日の婚儀はじまるつばくらめ
白晝の夢のなかばに鮎とんで
昔より竹林夏の一返信
落鮎や浴衣の帶の黃を好み
渚にて金澤のこと菊のこと

橙が壁へころがりゆきとまる
梅雨といへどもつららのひかりながむれば
朋友に晝寢蒲團を用意せり
なしとも言へず冬草にまろびけり
いまごろの冬の田を見にくるものか