プリン・ア・ラ・モードの模型ガラス越し 頭おかしくなるならちゃんと 絹川柊佳

所収:『短歌になりたい』(短歌研究社、2022.5)

 上の句の詰まるリズムと描写から、刺すように下の句が広がっていく。
 きれいすぎて・つらすぎて、感情が極まって「頭おかしくなる」、あるいは、頭がおかしくなるくらい感情がいっぱいだ、という言い方はいろいろなところで見かける。そういう表現からこの歌が突出しているのは、「ちゃんと」まで言い切ったことにある。/適当に「頭おかしくなる」と言っているのではなくて、「頭おかしくなる」とはどういうことかを想像して、それに向き合って、「なるならちゃんと」まで思考を届かせたことの誠実さが表れている。

 当然のことながら、「ちゃんと」「おかしく」なった場合、困るのはこの主体の方なのに、きっぱりと「なるならちゃんと」と言い切れるそのスタンスのかっこよさ、潔さがある。そしてそれが「プリン・ア・ラ・モード」の言い方や、「模型ガラス越し」のリズムの詰まりと内容の透明感・近くにあるのに遠い感覚 と響きあっている。

 作者の絹川がどこまで意図して作っているかは分からないが、「アラモード」「ガラス越」「頭お」の部分が、a → o の流れで重なっており、見た目以上に発声したときに音が気持ちいい。この韻律の流暢さ(むしろaからoに上下する忙しなさ)が、「頭おかしくなるならちゃんと」をより裏側から支えているというか、インパクトを強めていると思う。

 そしてこの歌は、プリンアラモードのことが大好きすぎて頭がおかしくなりそうだという読みと、頭おかしくなる理由とプリンの模型はそこまで関係ないという読みの2種類が考えられる。まあ、プリン大好き読みも面白いが、90%は後者の読みで合っていると考えられる。関係ない、というか、それが悩みの直接の種ではないが、悩んでいることを思い出させるトリガーとして「プリン~模型ガラス越し」が機能したということだと思う。/思い切ったことを真剣に言う切実な歌で、それを韻律がしっかり支えている、ずっと記憶しておきたい歌の一つである。

『短歌になりたい』は良歌ばかりで、引きはじめると大量に好きな歌はあるが、特にこの歌に関係するような歌をいくつか紹介する。

わたしがわたしを守ってあげる シャーペンの芯を多めに詰める
目を閉じて限定ボイス聴いた夜 心の位置に灯っていった
音もなく上から下に降る雪を見ていた人格が消えるまで
極端に大きいものか極端に小さいものにしか惹かれない 私の人生は筒の中
後戻りできないように無理をしてきたのに ちょうちょ型水溜まり

 これは絹川が特にそうというよりは、単に私が、心が遊離するような・自分を客観視するような文章が好きだから、そういう歌を意識的に集めているというだけのことかもしれない。/「わたしがわたしを」の時点で、思惟する私と、対象の私の二つが分離している。そこにシャーペンの仕組みが重なってくる。/「心の位置」。灯る心と、それを把握する主体(脳・気持ち)。/「人格が消えるまで」のはっきりとした言い方。ただ私はこの歌に暖かさを感じていて、それは「消える」という自動詞的な言い方にある。”人格を消す”という他動詞の言い方であれば冷たいなと思うけど、「消えるまで」だから、ぎりぎり「人格」に対しては少し優しそうに見える。/「人生は筒の中」。頭がおかしくなったら困るのは主体、と同じように、自分の人生を「筒の中」と例えることで辛くなるのは主体自身じゃないのか? と心配になる。意外にけろっとしているものなのか、開き直って言っているのか分からないから、どう声をかけていいか分からない歌。/「無理をしてきた」とここではっきりと心のことについて述べている。この歌における「ちょうちょ型水溜まり」は、機能として「プリン・ア・ラ・モードの模型ガラス越し」と同じだと思う。プリンの歌と合わせて、悲しく切実な名歌だと思う。

 というように、自分自身や心について、ガラス越しに眺めてあっさりと言い切るような姿勢が見られる。この妙なさっぱりの気質が、定型詩である短歌と相性がいいと傍から見て思う。余計なことを語らせない短歌と、余計なことを語る気が無い作者と。/絹川のnote(https://note.com/kngwshk/portal)で作品がときおり更新されているため、ぜひそちらをチェックしていただきたい。いつになるかは分からないが、第二歌集がもしいつか刊行されるとすれば、本当に心から楽しみにしている。

記:丸田

 

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