顰蹙 柳元佑太

顰蹙 柳元佑太

空の秋野球の夢を偶に見て

梨の木に林檎のやうな梨がなり

丹念に日輪太る案山子かな

殊の外顰蹙を買ふ墓參かな

寶なく古墳安けし赤蜻蜓

天體は惰性の線ぞ柿ふたつ

山猫も暑さを厭ひ月の雨

切株や月の光の熱だまり

銀河濃し蟲の世界に居候

天の川ひと筋かかる港かな

鯖壽し 柳元佑太

鯖壽し 柳元佑太

松風や夢も現も紙魚太り

火の中へ鮎燃え落つる晝寢かな

鯖壽しの鯖釣る夢も百日目

蟻地獄木の皮少し空を飛び

金魚來よ圖書室守の頬杖に

プロ野球面白かりし扇かな

夏萩を割つて出てきし犬の顏 

天道蟲幾年拭かれ柱瘦す

日輪ふとる蛞蝓の橫つ腹

魚涼しかの園丁も赤子抱き

Nietzsche 柳元佑太

Nietzsche   柳元佑太 

いまだ梅雨來ず古書店主ジャズかけ寢

また僞の記憶の水母浮沈【うきしずみ】

番犬の須臾の優しさ濃紫陽花

ひと待ちの極み涼しき cafe GOTO

Nietzsche is dead. 蝉の寫眞をインスタに

短夜や汝が陰毛に棲む夷狄

六月はたとへば鮫の欷歔【すすりなき】

旱星視て五輪可と卜【うらと】へや

立泳咳病【しはぶきやみ】を恐れつつ

われら神を擬すか汗かき人を殺め

在廊  柳元佑太

 在廊  柳元佑太

若鮎や宙で給油の戦闘機

腰かけてピアノ冷たし鯛の海

囀や金緣眼鏡放光す

キャラメルの銀紙に春惜しみけり

鯉幟渚の砂の冷たさに

在廊の画家のはにかむ金魚かな

はつなつのとほきくぢらをおもふなれ

音もなく鬱にぢり寄る簾かな

ぢつとしてゐる沢蟹と鬱を分つ

国破れても五輪とや冷蔵庫

岡田一実『光聴』を読む

柳元佑太

『光聴』(素粒社、2021)は岡田一実氏の第4句集である。氏の第3句集『記憶における沼とその他の在処』(青磁社、2018)が筆者のフェイバリットであったから当然本句集の期待値も高く、そして実際の読後の印象も、句集の構成や志向するものが変遷している(後書にもあるように本句集は編年体をとり、句群の背後に句を記し纏め上げた作者の虚像が結ぶようにセッティングされている。これは第3句集のテクスト論的な潔癖さとは異なっている)けれど、期待を裏切らないものであったことは最初に記しておきたい。装丁も素敵だった

そしてひとまず、本稿を書くにあたってのスタンスを示しておこうと思う。これまでの句歌集鑑賞で取り上げてきたものは現代で短詩を書くにあたっては古典と言えるものばかりで、刊行されたばかりの句歌集は取り上げてこなかった。というのも、刊行されたばかりの句集というのはジャーナリズムの海に出て帆を立てたばかりの船であって、すでに古典となり押しも押されぬ立ち位置を築いた句歌集とは別の批評の手続きが必要である。古典に関しては適当な戯言ばかり言っていても、失われるものはぼく及び帚の面々の信頼のみであるからまあどうてことないのだけれども、こちらはそうはいかぬ。聴くところによると以後読書会も控えているようだし、持ち上げるばかりでなくて少なくともその試金石となるようなことくらい書かねば格好がつかぬだろうし著者にも句集にも失礼であろう。とはいえつらつらと句から感じたことを書き連ねることしか出来ないから、一読者の愚なる一感想であること、諸氏は心に留めおかれたい。

さて、本句集で惹かれた句をまず幾つかあげてみると、冒頭の

疎に椿咲かせて暗き木なりけり

から始まって、

牡丹の蕊灼然と枯れにけり
海風や葵の揺れが地に届き
金魚田に空映る日の金魚かな
世の雨の縦にすぢなす雨月かな
冷酒やあはあは昨日【きぞ】の水平線

など、比較的集中においては端正(で程良く修辞として華美な)句群を筆者は好んでいる。動植物のいわゆる俳句的な素材にも心を寄せ、伝統的な価値との連帯も過度に厭うことなく、定型を冷やかに充たすような構築的な書きぶりから受ける印象は、前句集『記憶における沼とその他の在処』から引き継がれているように思う。おそらく岡田氏にとってもこのような文体はまだ書き尽くしていない、擦りきっていないという思いがあるのだろう。筆者にとっても、自分がこう言った書きぶりに対して反発することなくむしろ歓待の心をもって頁を繰ることが出来るのだなということに気づけた。

またトリビアルな書き振りも、岡田氏が変わらず磨き上げてきている技であって、以下幾つか引用するけれども、この精度、技術には舌を巻くしかないだろう。

熊蜂の花掴み花揺らし吸ふ
顔うづめ蒲公英を虻歩きけり
触覚で葉に触れ蟻の歩み止む
水馬の水輪の芯を捨て進む
向日葵の芯つぶだちて盛り上がる
熊ん蜂釣船草に頭を深く

「よく見たね」「じっと観察したね」であるとかなんとか、言葉の問題であるものを視覚の問題であるかのように転倒した評をしてしまいそうになる。流石である。

ただ、これは難癖だと思って聴き流していただいて構わないのだけれども、素材の拡張を伴わないあくまでも花鳥風詠的な素材を用いたトリビアルな書きぶりは、もうある種のレトリックに成り下がっているのではないか(もちろん全てはレトリックであるのだけれども)。もう少し具体的に言えば、これまでは偏執的な眼差しのみがもたらし得たトリビアルさは、昭和30年世代以降、具体的な名前をあげれば岸本尚毅氏や小澤實氏以降、まなざし抜きの言語的操作のみで表象可能になっていると思うのである。この主張をぼくは散々しているのだけれど、わりに顰蹙を買うばかりであまり共感された試しがない。岸本氏や小澤氏が(むしろそれゆえに)眼差や実感への回帰を説いているから、入り組んでいるのかもしれない。引用した句に沿って具体的に述べるならば、例えば「虫」と「花」を季重なり的に一句の中で処理すると、季語が季語性を喪失する代わりに「ものとしての側面」をあらわにするというメカニズムがあって(これを指摘したのは小川軽舟氏である)、これがコード化され技法として遺産化しているのだ、というのが筆者の主張である。岡田氏はこのコードを利用している。

であるから、こういうトリビアルな写生句は、岡田氏の技術の保証にはなっても、本質的な魅力にはなり得ないと思う(TOEFL何点とか英検何級などの資格がその人の技術を保証しはしても、人間的魅力を表す指標ではなかろう、変な喩だが)。しかしこれはもちろん誹りではなくて、TOEFLや英検が、しかし何がしかを指し示すように(たくさん勉強したんだろうな、とか)、そういう意味で岡田氏はここで信頼を稼いでいるのだ、と見ることは出来るし、実際のところこういう句がもたらしてくれる安心感が他の挑戦的な句づくりを土台で支えているのである。

また本句集は、生活や人事などに対する醒めた眼差しを機知で練り上げたような、ユーモラスな句も存外多く、こういった傾向の句を大いに楽しんだ。この傾向は有る程度文体が抑制的であればあるほどこちらとしては乗れるように思えて、

ハイターに色抜けにけり風呂の黴
話しあふ忘年会を思ひ出し
吾がキャンプ他家のキャンプと関はらず
興湧かぬまま大蟻の歩を眺む

くらいのドライでシニカルな文体で書かれるとつい誘われて笑ってしまう。十分に一般性を獲得していると思うし、その中でも

可笑しいと思ふそれから初笑

はかなり好きで、笑いという現象が実はかなり社会的なコードに依存していて、身体の奥底打ち震え、込み上げてくるような肉体的な笑いよりも先行して、観念としての笑いのような、社会に規定されている笑いのようなものが実はあって、それが先行して感覚される感じは体感的に納得する。この微妙な感覚を、言葉で表象し得たというところにも、驚く。もちろん、このラインを行き過ぎると、つまりある種の面白さが文体の抑制を超えてしまっていると、やや大味にも思えるというか、

句を残すため中断の姫始
タレ甘すぎて白魚のあぢ不明
汗染むる衣脱ぎにくし脱ぎ涼し
霊魂に信うすし盆菓子は欲し

くらいになると、面白すぎてやや興が醒める感も少しだけ、ある。

それから、これは書き方が難しいのだけれども誠実な感想として記すと、「幻聴譚」という詞書が伏された六句(もっと言えば、集名『光聴』、あるいは編年体という私性が前傾化する編み方が印象づくるようなありよう)に関しては、ぼくは少し乗り切れていないと思う。あくまで一般論として、私性を物語化して背後に忍ばせたとき、語る自分と語られる自分に乖離が生まれざるを得ないために、自己演出の匂いを消し去ることは困難であると思うのだけれども、ぼくはこの匂いに関して過度に敏感であるというか、気にしすぎというか、素直に乗れたことが殆どない。といっても、石田波郷や折笠美秋、あるいは晩年の田中裕明、歌人なら笹井宏之らですら、何らかの読み難さ(テクストの読み難さというよりも、そのテクストをいかに消費し得るのかという自分の倫理的態度を常に問われ続ける)を感じつつ読まざるを得ないのだから、これは岡田氏の責という訳ではなくて、むしろ自分の病理であると思う。ただやはり、句としての強度を志向するときには「幻聴譚」はやや直截的でありすぎたのではないかな、と思う。

けれども、本句集の構成が、作者というのは自分が所属する時代規範や社会、環境、自分の身体や精神から間逃れることが不可能であり、自分は時代精神のペンと紙であるということに向き合った結果であるということを重んじるとき、おのずから同時代の歴史の体重がのる句というのが稀に書かれると思っていて、その充実を集中に見れるのは幸福なことだと思う。参照性や構築的がどうしても呼び起こしてしまう虚無を、それらは追い払う。例えば、

疎に遊ぶ卯月の海に脛【はぎ】濡らし

のような掲句をCOVID-19と結びつけることは不必要な読みの手続かもしれないけれども、社会詠がリリカルさの質を高く保ちながら詠まれるということが困難であることを思えば、掲句が密集を避けながら浜辺にて戯れる卯月のこころもちに心を寄せない訳にはいかないし、

コスモスの影朦と落ち揺れてゐず

のような、朦朧とした感覚(じっさい、これは幻聴を描いた句群や、偏執的に向日葵を描写する連作が、丹念に時間をかけて準備してきた実に手の込んだ感覚である!)がコスモスの花影に仮託されたとき、最も素晴らしいかたちで、『光聴』が志向するものが立ち現れているように、ぼくには思われたし、引用していないだけで、こういう句が集中にはたくさんあるので、ぜひ手に取っていただきたく思っています。

耳は貝 柳元佑太

 耳は貝 柳元佑太

蝶も夢老子も夢やウヰスキイ

折紙の禽獣に春闌けにけり

水の世に椿童子と愛し合ふ

耳は貝卒業式を少し寢て

卒業はせずに煙草をぷかりかな

輩と旅路を分かつ櫻かな

戀猫と一萬圓と似非易者

学位記や夜櫻樹下に一人酌み

英語讀本に冒險譚や燕

珈琲や入学式をサボりゐて

前川佐美雄『植物祭』を読む

柳元佑太

前川佐美雄(1903-1990)の第一歌集『植物祭』(1930)は、短歌に流入したモダニズムを確認出来て非常に興味深い。「幻視」の歌人といえば、葛原妙子や山中智恵子、水原紫苑など主に戦後の歌人が思い浮かぶ訳だけれども、元祖・幻視の歌人なる俗な呼称を冠することが許されるならば、それは戦間期における前川佐美雄だと言えるのではないか(このことは、むしろ戦後の反写実的な歌人、葛原たちが行ったことは、第二次世界大戦によって中断されたモダニズムのやり直しの側面もあったのではないかという見取り図を提供してくれるように思うけれども、ひとまず本稿では触れないでおく)。
さて、

胸のうちいちど空にしてあの青き水仙の葉をつめこみてみたし

このように、掲歌において作中の主体が、胸のうちに青き水仙の葉を詰め込んでみたいとたわぶれにのたまうのだけれども、たしかにこのような発想にはシュルレアリスムダダと通ずるような耽美とナンセンスな感覚があるように思える。色彩の感覚の豊かさは、および身体感覚との清らかな接着は、たとえば俳句においては渡辺白泉や富澤赤黄男などの新興俳句の俳人にもみられたし、短詩においてモダニズムを志向するときにはまず語彙から刷新されるのだろうなという検討がつく。言葉の表層に現れる語彙に着目すれば、佐美雄の歌とモダニズムの共通項は割合たくさん拾うことが出来るように思える。例えば

子供にてありしころより夜なか起き鏡のなかを見にゆきにけり

こんな世間がしづまつた真夜なかにわれひとり鏡に顔うつし見る

この歌のように鏡のような詩的素材を積極的に取り入れ、手ごろな形での異界への扉を繋ぎ止めたりもするし、

なにゆゑに室【へや】は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まはす

室の隅に身をにじり寄せて見てをれば住みなれし室ながら変つた眺めなり

のように、偏執的に室内をながめ、見廻してみたりもしていて、このような感覚の鋭敏がもたらす過剰さや、それにともなう異化効果などは、すでに充分、われわれもよく見知ったモダニズムであるように思う。一方で、もちろんわれわれは佐美雄がモダニズムを歌壇史に残るかたちで達成したこと(というか、それにともなう旧来的な価値観との格闘)には敬意を評するけれども、これらからは同時代的なモダニズムの潮流の勢いを感じこそすれ、歌や修辞そのものの充実ではないように思う。言葉は悪いけれども、モダニズムにかぶれてさえいれば、そこまでの短歌形式との格闘なしに書かれ得るようなある種のインスタントさを感じるというか、言ってしまえばモダニズムし過ぎているように感じるのだ(とはいえ彼が短歌におけるモダニズムのファーストペンギン世代なのだから、それは当然というか、後世に生きるものが容易に推し量れるようなものではないのだが)。

ぼくがそういう側面よりも面白いと思ったのは、厭世的だったり露悪的だったりするのだけれども、そのことを直截歌にしてしまうことで歌としては格調や深みが失われてしまい、しかしだからこそ切実な感じがする感じの歌である。

何もかも滅茶滅茶になつてしまひなばあるひはむしろ安らかならむ

君などに踏み台にされてたまるかと皮肉な笑みをたたへてかへる

街をゆくひとを引き倒してみたくなる美くしい心だ大事にしとけ

わけの分らぬ想ひがいつぱい湧いて来てしまひに自分をぶん殴りたし

土の暗さで出来上がつた我だと思ふときああ今日の空の落つこつてくれ

人間のまごころなんてそのへんの魚のあたまにもあたらぬらしき

馬鹿馬鹿しいと退けるのは簡単であるのだろうけれども、おそらくはプロレタリア短歌からの影響があるのか(実際、佐美雄は「プロレタリア歌人同盟」とも関わりがある)、生々しい肉声というものがうっすらと織り込まれているようにも思われて、口語と文語が混ざり合う文体に読んでいくうちにどんどん惹かれてゆく。ここに自己戯画や誇張はあってもインスタントさはなくて、それが簡単そうに書かれたように見えるのなら、生活表象がある種の簡単さを要求するというだけであろう。

ふうわりと空にながれて行くやうな心になつて死ぬのかとおもふ

誰もほめて呉れさうになき自殺なんて無論決してするつもりなき

なども妙に味があって、何ということのない歌なのだけれども、こういう歌の方が、都市やモダニズムのよるべなさのようなものが出ているのではないだろうか。蝶や鏡や電車などの素材より、詠みぶりにモダニズムが織り込まれている方が、ぼくは一等良いと思う。それから文体という面でぜひ指摘しなければいけないのは、

五月の野からかへりてわれ留守のわがいえを見てるまつたく留守なり

などの「見てる」という表現にみられるような「い抜き言葉」であろう。現代日本語の規範に照らして歌を詠もうとするとき相当な逸脱というか、こういうブロークンさはニューウェーブの世代が達成したことだと思っていたので非常に驚いた。これもプロレタリア短歌の口語からの輸入なのだろうか。プロレタリア短歌は(プロレタリア俳句もそうだが)、内容か表現かという二項対立においては内容を重んじたと捕らえられがちだけれども、むしろ表現にこそ旨味があるのではないかと思ったりもする。この遺産がなければ達成されなかったものというのは実は沢山あったはずだ。


最後に、最も好きだった三首を引いて筆を置きたい。

かなしみはつひに遠くにひとすぢの水をながしてうすれて行けり

われわれは互に魂を持つてゐて好きな音楽をたのしんでゐる

あるべきところにちやんとある家具は動かしがたくなつて見つめる

田中裕明『花間一壺』を読む

柳元佑太

田中裕明の第2句集『花間一壺』(牧羊社、1985)という句集はぼくのバイブルである。自分の来し方を照らしてきた書物をあげよと問われればあやまたずこれを挙げるし、そのような書物を自分が比較的若いうちに一冊持てたということがたまらなく嬉しい。『花間一壺』からスタートし、『花間一壺』を信じ(或いは疑うことで)ぼくは句を書いてきたといっても過言ではないから、『花間一壺』を読み直すということは、自分の変化を見ることに他ならない。

とはいえ自分語りをしてもせんないので、『花間一壺』の話をしよう。これは1983年の角川俳句賞受賞作を含む、おおよそ20歳から26歳までの句が収められた田中裕明の第2句集である。集名は李白の「月下独酌」という五言詩の1行目、「花間一壺酒」から採られている。

花間一壺酒(花間一壺の酒、)
独酌無相親(独り酌んで相親しむ無し。)
挙杯邀明月(杯を挙げて明月を邀え、)
対影成三人(影に対して三人となる。)
月既不解飲(月既に飲むを解せず、)
影徒随我身(影徒らに我が身に随う。)
暫伴月将影(暫く月と影とを伴い、)
行楽須及春(行楽須らく春に及ぶべし。)
我歌月徘徊(我歌えば月徘徊し、)
我舞影零乱(我舞えば影零乱す。)
醒時同交歓(醒むる時は同に交歓し、)
酔後各分散(酔うて後は各々分散す。)
永結無情遊(永く無情の遊を結び、)
相期邈雲漢(相期す邈かなる雲漢に。)

漢詩の内容は、花の間で壺酒を抱き、ひとり呑まんというもので、付き合ってくれるものは自分の影法師と月のみ、しかしそれもまた良いだろう、というものである(疫病下の現在の模範的飲酒態度と言わざるを得ない)。漢詩における花は桜ではないと習ったことがあるけれども、それに従えばここにおける花は、梅か桃かあるいは李かといったところだろう。とにかく夜の花を眺めながらひとりでの酒盛りである。この集名は、素晴らしく裕明に似つかわしいと思う。

というのも、この句集に収められている一句一句それぞれに分有量の差はあれ、どこか孤独のおもかげがあって(それは芭蕉や西行に似た旅人だったり、ひとり美術館で絵を鑑賞する人だったりするのだが)、その孤独のかけらをきちんと集名で纏めあげて、明るく肯定してくれている。だから、素晴らしいのである。しかしそれは決して俗世を捨てる高踏的な生き方だったり一匹狼的な生き方だったりではなくて、友人や恋人と生活するなかでこそ際立つような、いわば生きていくことそのものの孤独、明るい孤独を描き出すことへの志向である。そしてここに、dilettante的な、古典への耽溺という少しくの調味料が加わって、『花間一壺』の世界となる。この世界を前にして読者は、裕明に倣って、ひとりで、静かに、したたかに酔えばよいのである。

さてここで、読者が独りで酔わねばならないことを考えれば、一句ごとに拙い鑑賞を添えるのは野暮な行為である気がしてくる。取り立てて好きな句を(といっても絞りきれず60句ほど)書き抜くので、読者は裕明世界に、気ままに滞在するのが良いと思う。裕明の句の中でついつい長居し過ぎてしまうのはぼくだけではないだろうから。眼差しの圧迫も、季題の専制もそこにはなくて、いつの間にか倍の速度で過ぎ去ってゆく時間の流れを、あるいは時間の逆行を、音楽を聴くようにして、昼から夜に、あるいは夜から昼に、心地よさに身を投げ出せばよいのだ。ぼくはここで筆をおこう。

花間一壺60句抄(柳元佑太選)

なんとなく子規忌は蚊遣香を炊き
川むかうみどりにお茶の花の雨
咳の子に籾山たかくなりにけり
いつまでも白魚の波古宿の夜
春立つやただ一枚のゴツホの繪

夕東風につれだちてくる佛師達
まつさきに起きだして草芳しき
引鴨や大きな傘のあふられて
遠きたよりにはくれんの開ききる
天道蟲宵の電車の明るくて

この旅も半ばは雨の夏雲雀
きらきらと葬後の闇の桑いちご
逢ふときはいつも雨なる靑胡桃
桐一葉入江かはらず寺はなく
雪舟は多くのこらず秋螢

悉く全集にあり衣被
野分雲悼みてことばうつくしく
蟬とぶを見てむらさきを思ふかな
穴惑ばらの刺繡を身につけて
好きな繪の賣れずにあれば草紅葉

いづれかはかの學僧のしぐれ傘
しげく逢はば飽かむ餘寒の軒しづく
いちにちをあるきどほしの初櫻
げんげ田といふほどもなく渚かな
雨安居大きな鳥が松のうへ

筍を抱へてあれば池に雨
大き鳥さみだれうををくはへ飛ぶ
降りつづく京に何用夏柳
思ひ出せぬ川のなまへに藻刈舟
約束の繪を見にきたる草いきれ

のうぜんの花のかるさに賴みごと
深酒とおもふ柳の散る夜は
ただ長くあり晚秋のくらみみち
春晝の壺盜人の醉うてゐる
草いきれさめず童子は降りてこず

二月繪を見にゆく旅の鷗かな
あゆみきし涅槃の雪のくらさかな 
向日葵に萬年筆をくはへしまま
葡萄いろの空とおもひし貝割菜
宿の子の寢そべる秋の積木かな

ほうとなく夕暮鳥に菜を懸けし
菜の花をたくさん剪つて潮の香す
うすものや渚あるきのよべのこと
見えてゐる水の音を聽く實梅かな
花茣蓙にひとのはかなくなりにけり

天の川間遠き文となりにけり
さだまらぬ旅のゆくへに盆の波
菌山あるききのふの鶴のゆめ
はつなつの手紙をひらく楓樹下
銳きものを恐るる病ひ更衣

暑き日の婚儀はじまるつばくらめ
白晝の夢のなかばに鮎とんで
昔より竹林夏の一返信
落鮎や浴衣の帶の黃を好み
渚にて金澤のこと菊のこと

橙が壁へころがりゆきとまる
梅雨といへどもつららのひかりながむれば
朋友に晝寢蒲團を用意せり
なしとも言へず冬草にまろびけり
いまごろの冬の田を見にくるものか

葛原妙子『葡萄木立』を読む

柳元佑太

『葡萄木立』(白玉書房、1963)は、葛原妙子の第4歌集である。第1歌集『橙黄』(女人短歌会、昭和25年)、第2歌集『飛行』(白玉書房、昭和29年)第3歌集『原牛』(白玉書房、昭和34年)に次ぐものであるのだけれども、『縄文』(未刊歌集、『葛原妙子歌集』(三一書房、昭和49年)所収)、それから『薔薇窓』(白玉書房、昭和53年)がこれよりも制作時期的に前に当たるので、第6歌集と見做すのが一般的なようである。とはいえ、ぼくとしては世に問われた順を序数とすべきではないかと思うのだが(なぜなら塚本邦雄のように未刊歌集を後出しで何冊も出されてはたまらないからだ)、異議申し立てをするほど立腹していて困難を感じているわけではない。

さて葛原妙子(1907―1985)は東京の本郷の生まれである。塚本邦雄をして「幻視の女王」と云わしめた超越的な(つまり経験的なリアリズムの批評語彙だと語り損ねるような)歌風で知られる、戦後を代表する歌人である。塚本も指摘しているけれども、彼女が太田水穂の「潮音」に1939年に参加していたことは、多くの作家に於いて師系というものが本質的にはほとんど何も語り得ないように、葛原の場合もあまり意味をもたないだろう。

葛原の作品を一読すれば何の無理もなく飲み込めると思うけれども、葛原の歌風というのは徹底的に葛原自身の中で醸成された短歌観の中に根差す具象空間と象徴空間との暗喩を介した一度きりのものである。先行世代の文体を安易に所与のものとすることに因る薄っぺらな写実作品ではない。葛原の身体性があり肉体があり、そこから屹立するものである以上、師系というものが作家の中で安易に幅を利かすことはあり得ない(いったい、その格闘無しに誰が作家たることなんて出来るのだろうか?)。

ぼくが葛原を読んでいて感嘆するのはそういう意味で作家であると感じられるからである。無論短詩という形式を選ぶ以上ある種の作品間での影響関係、時代への隷従からは逃れられないのであろうけれども、良品製造のコードと戯れるだけのおままごととは全く異なった、自分の言語が築くデーモニッシュな世界の強度をいかに練り上げるかという格闘があるように感じる。

そういう意味では『葡萄木立』所収の

なにの輪ぞわれに近づき広がりてまた目の前に閉ざしゆきたり(「魚・魚」より)

こどもようしろをみるなおそろしき雪の吹溜【ふきだまり】蔵王は冷えてゐる(「北の霊」より)

美しき把手ひとつつけよ扉にしづか夜死者のため生者のため(「爪」より)

黒いこども暗い潮に跳ね廻る しかも跳ねゐる音のきこえず(「吃音」より)

光源の真下に毛長き犬あそぶときふと犬のうしなはれたり(「垂毛」より)

椅子にして老いし外科医はまどろみぬ新しき血痕をゆめみむため(「風」より)

わが肺のネガフィルムを透かしみよ一本の黒き柿の木立ちたり(「片手」より)

ふとおもへば性なき胎児胎内にすずしきまなこみひらきにけり(「めざめをりき」より)

くらき壁に鉄塔かすかにあらはれ鉄塔はあらしに呻吟せり(「秋の人」より)

などはさすがに葛原妙子と思わせる凄みは十二分に感じさせるけれども(実際好きな歌もあるけれど)、いかんせん作り物でしかないだろう。この歌に異界はない。異界を引き寄せるコードを保持した語彙と書きぶりによって作られた、いわば異界のテーマパークなのであって、夕暮れに遊園地がその門を閉じれば、読者は異界を摂取し終えた疲労に心地よく浸りながら、親子友人と楽しく語らいながら立ち去ることが出来る。

というのも、存在しないものを存在させたり、存在するものが存在しなかったりするのは歌の世界においてさして困難ではない。であるから、謎の輪に取り巻かれたり、死者生者のためのノブが用意されたり、不気味な子供がいたり、犬が失われたり、不気味な医者がいたり、肺に柿の木があったり、胎児が目を見開いたり、壁に鉄塔があらわれても、それはその歌そのものが怖いのではなくて、その歌が引き寄せる既成の観念が恐ろしいのである。それを歌の手柄といって誉めそやすことには、ぼくには躊躇われる

歌が異界に扉を繋いだように見えてもその先にあるのはようするにお化け屋敷なのであって、観客を歓待するために造られた富士急ハイランドの戦慄迷宮と大差ないのだ(しかし臆病なぼくにとっては富士急ハイランドの戦慄迷宮が充分恐ろしいように、これらの葛原の歌もそういう意味では十分に恐ろしい。怪談には「テーマパークだと思ったら本当の異界だった」というパターンもあるのだし)。

しかしながら、例えば以下のような歌こそは、本当の異界であろうとぼくは思う。どうだろうか。

厨のくらがりにたれか動きゐて鋭きフォークをしばしば落せり(「爪」より)

厨のくらがりに誰かがいる気配を感知する。繰り返し、繰り返し、金属が床に落ちる音がする。しかし作中主体はなぜかその音をなすものがフォークであることを知っていて、あろうことかそのフォークの鋭さをまでも知っているのである。書きぶりからして既知だからということではなくて直感として知ってしまっているのである。この感覚の神経症的な鋭敏暗がりの中で繰り返し、繰り返し行われる不気味なフォークの落下。しかしギリギリのところで現に踏みとどまるような無作為さと偶然性を、アリバイということでなしにたっぷりと抱え込んでいる(だからほんとうに怖い)。ここに異界のコードは無いが、そういう意味ではこここそが異界である。つまり、経験的な世界を叙述の仕方をもっていつの間にか異界に変えるということこそがここで行われていることなのだ。

白き午後白き階段かかりゐて人のぼること稀なる時間(「ひとり」より)

あるいはこの歌ならどうだろう。「白き」という形容によっていくぶん抽象化されているといえ、全きうつつの階段でしかないはずであるのに、なぜこんなにも異界めくのか。ここには白昼の異界がある。叙述をもってして経験的な世界を異界に変じる歌にこそ、ぼくは『葡萄木立』最大の魅力を感じた。

他にも好きだった歌を記しておく。

あまたなる弧線入り混り夕光【ゆふかげ】のさかなは水槽の隈にあつまりき(「魚・魚」より)

白鳥は水上の唖者わがかつて白鳥の声を聴きしことなし(「片手」より)

いうびんを受け取るべく窓より差しいづるわが手つねなる片手(「雲ある夕」より)

硝子戸に鍵かけてゐるふとむなし月の夜の硝子に鍵かけること(「爪」より)

晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の瓶の中にて(「啄木鳥」より)

草の上にゆるやかに犬を引き廻し与えむとす堅きビスケット(「標」より)

メロンの果【くわ】光る匙もてすくひをりメロンは湖よりきたりし種【しゆ】ぞ(「湖の種」より)

白鳥は水上の唖者わがかつて白鳥の声を聴きしことなし(「片手」より)

ぎつしりと燐のあたまの詰まりたるマッチ箱ぬき しづかにわらふこども(「草の上の星」より)

猫の凝視に中心なし まひる薄濁の猫の眼なれば(「草の上の星」より)

それから最後になるけれど、カトリシズムの歌と第三句の欠落(「晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の瓶の中にて」など)の歌は浅学につき今回触れることが出来なかったので、ここに謝して稿を終えたい。乏しい教養が評を断念させることこそ虚しいことはない。

飯島晴子『蕨手』を読む

柳元佑太

飯島晴子(1921-2000)は何度読み返しても畏怖の気持を抱ける稀有な作家だ。かのごとき修羅と作品的な孤高を、大学生の片手間の凡評で捉えることは出来ないと怖気尽かせるには充分だし、その気持は恐る恐る筆を進めている今も変わらない。

『蕨手』(鷹俳句会・1972年)は晴子の第一句集である。このとき、晴子51歳。のちほど句を引用するが、早くも晴子の幾つもの代表句が我々の前に立ち現れる緊張感溢れる句集である。とはいえ晴子を「鷹」(あるいは俳句界)を代表する作家として見做しても何ら問題ない現代の評価の感覚からすると、第一句集の刊行はやや遅いように感じられる。

しかし晴子が俳句を始めたのが38歳の頃ということを考えればそんなものなのかもしれない(有名な譚だが夫の代理人として馬酔木の句会に出席したのが晴子と俳句の出会いである)。しかも藤田湘子の序文を信ずるに晴子は初学時代の句を落としているようだから、句集に所収されている句はほぼ40代中盤からの句と言うことになる。またこの時期は「鷹」の創成期とも重複するということもあり、晴子の資質や、「鷹」という句座(もっと言えば藤田湘子)が認め得た句のありよう、晴子を取り巻く時代的な状況など、非常に多くのことを物語ってくれる句集であるように思う。読み応えたっぷりである。

とはいえ読者諸氏は筆者による以上のような前置を全て忘れて頂いて構わない。何故なら『蕨手』が希求するのは純粋な言葉の世界に於ける火花であって、句を作者に収斂させることで読者の俗な欲求に応えるということではないからである。冒頭に置かれた、

泉の底に一本の匙夏了る

の伝説的な一句が全てを物語るだろう。泉の底にある匙という具象が帯びる象徴性(そしてそれを引き出す夏の終り頃の光のまぶしさよ!)は読者を晴子の領する異界に誘い込むに充分な強度を保持している。とはいえ、ぼくはこの句は幾ばくか、価値が分かり易すぎるのではないかと思う。判断がしやす過ぎる。詩情を引き寄せすぎている。その手付きが余りにも鮮やかすぎる。何かが物語られるという予感を残すという効果を期待して句集冒頭一句目に置かれる意味はあっても、どこか既存の詩情が大部分を占めるような気もするのだ。だがしかし、それは晴子の手ぬかりというよりも、湘子が理解し許し得たぎりぎりのラインであったとするなら仕方ないのかもしれない。
ともあれ『蕨田』における白眉はやはり、

一月の畳ひかりて鯉衰ふ

であると思う。書生の間借りするような六畳一間の畳ではなくて、地主や旧家、あるいは寺のような、庭に面している面積の大きな部屋の畳を思う(となると庭の池に鯉がいるというのも無理がなくなってくる)。

淑気に満ちた、冬の硬く冷たい光が差し込んでいるかもしれない。しかし人は居ないだろう。無人である。茫漠とした虚無が空間を統べている。そしてそこには幾分抽象化された畳があって、うすぐらくてましろい光を放っている。庭の池の中では鯉が静かに衰えてゆく。何かの価値の参照を安易に許さない厳しい措辞は美しい。

他に人口に膾炙した句を拾うと、

旅客機閉す秋風のアラブ服が最後

雪光の肝一つぶを吊す谷

樹のそばの現世や鶴の胸うごき

などであろうか。このあたりは奥坂まや氏の『飯島晴子の百句』(ふらんす堂)にも採録されていたはずである。特に〈樹のそばの現世や鶴の胸うごき〉は何度見ても凄まじい句で、「鶴の胸うごき」という写生めいた措辞がリアリティを引き寄せるのだけれども、一方で鶴の胸が動くさまというのはどことなく不可思議かつ崇高で、マジックリアリズムめいた感じもする。フィクションの艶を捨てていない。そして「樹のそば」以外は「現世」ではないのだろうかと考え始めたときには、すでに我々はうつつと異界の境界に立たされていることに気付くのである。掲句は永田耕衣や詩人の吉岡実も賞賛したときく。

また晴子は身体性の能力も獲得も抜きん出ていたとおもう。

こめかみに血の薄くなる返り花

喉くびに山吹うすく匂ひけり

いつまでも骨のうごいてゐる椿

曼珠沙華瞳のならぶ川向う

肉声をこしらへてゐる秋の隕石

などはかすかな身体性によすがとしてイメージがリアリティに繋ぎとめられる。ナイフの切っ先のような鋭利な感覚が句の中に緊張していて、単なる措辞を超えて、危なっかしいものが自分の前に差し出される感覚がする。

家にゐる父匂ひなく麦乾く

蟬殻の湿りを父の杖通る

藪虱横を兄たち流れてをり

六月の父よ生木の梯子持つ

冬簾やゝふくらみて母まよふ

やつと死ぬ父よ晩夏の梅林

どうにでも歪む浴衣を父に着せる

家族や血縁が読み込まれていると句から好みのものをざっと拾ってみた。全て拾えばこの倍はあると思う。父、母、兄などの語を晴子は積極的に句材として採用していることがわかる。とはいえそれは日本伝統の私小説めいた、告白を伴うベタついたものではない。それはどこか抽象化された家族の姿であり、血が通っていない感じがするものである。精神分析にも通じるような、ある種の比喩的なイメージとして語が弄ばれている印象があり、こういった書きぶりは”前衛”と呼ばれていた俳人たち、例えば高柳重信らと分かりやすく類似している。そして実際に彼らと交流があったことを思えば、それはあながち意外なことではない。

秋の宿黒き仏間を通り抜け

夏の禽位牌の金の乱れ立ち

さくら鯛死人は眼鏡ふいてゆく

走る老人冬の田螺をどこかで食ひ

晴子の句は、異界がすでに家の中というか、普通安全とされている空間に所与のものとして侵入しているところから、句が書かれ始めるから怖いのだと思う。よく異化ということが言われるけれども、晴子の句は、晴子が書くことが起点となって異化されるのではなくて、初めから異化している空間を、見たままに書いたような文体が獲得されている。だけれど、もちろんそんなことはあり得ないから、ほんとうに、ほんとうにそれは凄い文体の力なのである。

火葬夫に脱帽されて秋の骨

恐れ入った、という気持ちになる。