所収:『富田木歩全集』(素人社書屋 1935)
これまで多くの人が月に魅了されてきたが、その美しさを感じるポイントは人それぞれである。満月が良いと言う人もいれば、ほっそりとした三日月を愛する人もいる。雲がかかって、それでも収まりきらない月の大きさを褒める人もいるし、雲にうち延べられた月光に眼をとめる人もいる。厚い雲に覆われ、輪郭だけが伝わる月もある。そして掲句のように、視野いっぱいの夜空で皓々と輝く月もある。掲句は「あらはに、きはまる」と描写を重ねることで月の姿に迫っていく。見えすぎている月の照りになんだか吸い寄せられていく気分になる。
富田木歩は1897年に向島で生まれた。幼いころの病から足の自由がきかなくなり、以降生涯を通して歩くことは出来なかった。筆名は木の義足に由来する。歩きたい一心で自作したという。そんな木歩の眼に月はどう映ったのだろう。頭上で照り輝く月を見て、憧れにも似た気持ちになったのではないか。屋根の上にあがることも、月の方角へ歩くことも不可能な木歩である。きっと月に向かって手を伸ばした日もあっただろう。木歩のほかの月を詠んだ句に「背負われて名月拜す垣の外」があるが、ただ中秋の名月を称えている句とは趣きが違う。もっと真剣な、悲しみと言うべき感情が表白されているように思える。こうした様々な苦労のなか、句作に慰安の道を求めたという木歩だったが97年前の九月一日、関東大震災で亡くなる。そのとき木歩、二十六歳だった。
記 平野