紫陽花や傘盗人に不幸あれ 西村麒麟

所収:『鴨』 文學の森  2017

傘をわりと失くす性分なので思い出す機会の多い1句。

この句から立ち上がる主体の姿はおかしくも可愛げがある。
「傘泥棒」ではなく、あえて古めかしく大仰な印象を与える「傘盗人」という造語の選択、これまた大仰な「不幸あれ」というフレーズ。この大仰さはなんとなく冗談めかした物言いの印象を生む。この句の主体は、自分の傘が盗まれたことに落胆半分、傘を盗んだ人を呪ってやる!!とその状況を楽しもうとする気持ち半分なのだろう。そんな主体のありようから、盗まれたのが数百円の透明なビニル傘であろうことも見えてくる。

傘と紫陽花の組み合わせは、梅雨頃に小学校で配られるプリントの端にあるイラストで必ず見るベタさがあるけれど、そのベタさがこの句の戯画的な情緒を十分に引き出している。

記:吉川

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