こうやって暖炉の角に肘をつき 岡野泰輔

所収:『俳コレ』 邑書林 2011

笑える1句。ただ、笑える句といってもこの句は奇妙だ。

〈 芝居じみた枯葉の拾いかただよ君 〉池田澄子『拝復』という句があるが、この句はおかしみのある光景をそういうものとして見ている人間が作品の中に存在している。
一方掲句はおかしみのある光景が書き込まれているのみで、それを直接読者が見ることになる。勿論、このパターンが特に珍しいわけではない。

この句が奇妙なのは、暖炉というシチュエーションも相まって気取っているように見える動作をしている主体が、「こうやって」、と自身の気取ってみえる動作に自覚的であることにある。
この句の主体の生み出すおかしみにその主体が意識的であることに私は混乱させられる。前者の情報だけなら素直にクスリと笑えるはずなだが、この句はそうはさせてくれない。さきほど池田澄子の句を引いたが、あの句があくまで「芝居じみた」であるのに対し、掲句は意識的に動作が行われている点でまさに「芝居」的であるように思える。日常のおもしろいワンシーンでなく、芝居のおもしろいワンシーン、そのように受け取るべき句なのかもしれない。

記:吉川

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