手をあげて遠のくものや稲光 川崎展宏

 所収:『観音』(牧羊社 1982)

 三橋敏雄には「手をあげて此世の友は來りけり」(『巡禮』 南柯書局 1980)

 同時期に書かれた句ではあるが、そこに意味はあまりないだろう。それよりも、戦時下に青春期を過ごした作家、または世代に特有の感覚があると思う。それは、自分が生きているのは偶然であり、戦後はついでに生きている余生のようなものだ、という感覚。

 「手をあげて」は天皇陛下バンザイと進んだ人びとの姿とも読める。掲句が発表された当時の読者は、実体験と簡単に結びつくのかもしれないが、現在ではこの読みはともすると読み過ぎになるだろう。どちらが誠実とかいう話ではなく、句を鑑賞することの困難さを感じる。時間的なものが間に横たわっていれば、いるほど。

 戦争と結びつけて考えるならば、遠のいていく仲間の背をただ見送るしかない、そこには哀悼の意が込められているはずだ、と後世に生きている自分は思う。しかし、そんなに甘い感傷ではなく、もっと苛烈な感情があったのかもしれない。

                                    記 平野

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