所収:『少長集』(自然社 1971)
勝手にジュブナイル精神の句として、他の句と頭のなかでまとめている、つまり「十五の夜」である。十五歳はひきだしに物を隠したりする。親きょうだいに見られたくない物を学習机のひきだしに入れて、ときおり取りだして眺めたりする。隠した物はなにか、掲句では剃刀である。なんとも不気味だ、そして曇っている。十五の心の陰影をうつしたかのようにくもり、剃刀はひきだしの暗闇で佇んでいる。
なんといっても極めつけは旱り星だろう。この季語の斡旋は十五の焦燥感を引き出しているように思う。天にぽつりと赤い星がある。炎天つづきで渇ききったそれは、十五の心のように孤独かもしれない。赤い星は動かずにじっと僕を見ているかもしれない。引き寄せられていく心、ちょっとの震動で崩れそうになる心。
ところで、飴山實は社会性俳句の中心であった「風」に所属したのち、五年間の中断を経て、ふたたび作句をはじめる。そのとき芝不器男の句に触発された事は、よく知られているだろう。その芝不器男には「研ぎ上げて干す鉞や雪解宿」の句がある。これは心理の危うさで一脈通じていそうだ。また、飴山實に私淑した長谷川櫂には「研ぎあげて包丁黒し秋の空」がある。刃物はよく切れる。
記 平野