所収:『夏の終りの』砂小屋書房 2008
昨今は葬儀屋もチェーン展開のものが跋扈し、全国的にサービスが画一的になっているらしい。
そもそも慶事・吉祥に用いられる「松竹梅」という語を等級としてコースに冠するこの葬儀屋が、誠実な業者であるとは全く思えない。おそらく遺体も乱雑に扱うだろうし、通夜の料理なども何ならつまみ食いくらいしそうである。悪徳というか不誠実である。
葬儀屋は資格がいらず、名乗るだけなら誰でも出来るという。それゆえ30ほどの民間資格が乱立しているというのはネットの情報だが、あながち当たらずとも遠からずといったのが実情だろう。
けれども、そのやる気のない葬儀屋の勧め通りに「まあそれでよいか、真ん中くらいで。あの故人にはちょうどよいコースだろう」と竹コースを頼む作中主体のドライな振る舞いかたの方をここでは特筆すべきだろう。
葬儀に松竹梅という等級があるばかばかしさ、そしてその愚かしさを自ら進んで引き受ける作中主体の乾いたユーモア。非知性的な行いに自らを投じ、かつそれを書きつけるときにのみ立ち現れる、免罪された諧謔。何とも形容し難いゆかしさがある。
記:柳元