所収:『虚子五句集 上』「五百句」(岩波書店 1996)
失って気づくものという叙情の一類型があるが、掲句もその一つだろう。失ったことを知り、嘆いている自分に驚く。自分への驚きはそのまま、心の空所への驚きに繋がる。気づきの「けり」である。「濁しけり」と言うことで、失うと同時に、失ったものの清らかさにも気づくという心の動きが感じられる。掲句は日常にさりげなく叙情を立ち上げるがその手つきがあまりにさりげないため、よほど大きな喪失を以前に経験したのだろうかと想像したくなる。掲句を読んでいると腹も痛くなるのは水飯の饐えた酸味もそうだが、味噌がぼとりと太く重たく糞のように落ちているからだろう。
記 平野