血を分けし者の寝息と梟と 遠藤由樹子

所収:『寝息と梟』朔出版、2021

子なり孫なりの寝息が、おのれの躰から産まれ落ちた人間という奇異な存在に、冬の夜の寝床の穏和な感覚をその優しさを保ったまま導いてくれる。外の梟の鳴き声が稀に聴こえるという。その遠い距離、種を隔て距離を隔てる梟の存在感には、不可侵性と分かり合えなさ、それでもどこか通じ合えているような感覚が準備されている。これが掲句においてはとても優しい。

江藤淳が指摘するような日本の母子密着型の類型がある中で、血を分けていても所詮他人であり、別個のものであるという感覚が、偶然を装った梟の登場により担保されつつ、あらためて、血を分けている者が、今ここで寝息を立てているということの不可思議を考えられる。

「血を分ける」という行為は胎盤をもて子を自然環境に適応出来るくらいまで育てあげる哺乳類独特の喩だと思う。魚類爬虫類鳥類のような卵を産むことにより生を繋ぐ動物では「血を分ける」という感じはしない。臍の緒で母体と胎児が血流を交換するからこそ「血を分ける」という表現が成り立つ。なにかその、哺乳類全体に通じるような、子を自然環境や外敵から守るための育て方まで含んで響くような感じがある。むろん、身体の組成が同じであるということ、身体の約13分の1の質量をしめる血液を同じくしていること(まあ厳密に言えば異なるけれど)に、おのれのレプリカント的な、シュミラクル的なある種の気持ち悪さがあることは当然として。

だからこそ、梟の他者性と並列であることが、なんだかとても嬉しい。この種の愛情が降り注がれる子は幸福だったろう。

『寝息と梟』は遠藤由紀子氏の第二句集。50代前半から60代前半の375句を収めている。

記:柳元

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