入口のやうにふらここ吊られけり 齋藤朝比古

所収:『累日』角川書店 2013

ぶらんこのイメージとは非なる不気味な1句。

私は齋藤の句を『俳コレ』(邑書林 2011)でしか読んでいないので句集を読むとまたイメージは変わるのかもしれないが、端正でありながらどこか無気力、気怠げな印象を受ける。

自転車にちりんと抜かれ日短
どんど火に地球儀とけてゆきにけり (いずれも『俳コレ』より)

1句目は自転車に抜かれるというなんでもない事を「ちりん」という擬音で軽みを持って表現している。2句目は物が燃える刺激的な光景ではあるのに対し、描写は「溶ける」というシンプルな動詞と、句の温度感は1句目とそう変わらないように見える。
上記のような物事の把握、表現がどことなく大づかみな句が並んでいることで、周りの事象を少し離れてぼんやりと見る視線が見えてくる。

そんなぼんやりとした視線が異界を見つけてしまった、というのが掲句だ。〈自転車〉や〈どんど火〉の句と変わらない力みのない視線だからこそ、異界は摩訶不思議な事象のまま、より強烈な印象を残す。

記:吉川

“入口のやうにふらここ吊られけり 齋藤朝比古” への2件の返信

  1. 「私は齋藤の句を『俳コレ』(邑書林 2011)でしか読んでいないので句集を読むとまたイメージは変わるのかもしれない」のにどうして句集が出典なんでしょう? 「俳コレ」より後に出た句集のようですし…。

    1. 丁寧にありがとうございます。ごもっともな質問です。帚の中で所収の欄に関して明確な基準を設けているわけではないので、これから書くことはあくまでも私個人の考えになります。
      所収の欄には自分がその句を読んだ本を書くのが素直だと思います。しかし、アンソロジーから引く場合、句集に変えた方が記事を読んで句の作者に興味を持った方には親切と思い、読んでいただいた記事のように書きました。
      今回の場合は、掲句をネットで検索にかけたところ句集『累日』から引用されている例をいくつか確認した上で書きました。
      記:吉川

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