隕石と思い己身の冷えていく 永田耕衣 

所収:『冷位』コーべブックス 1975

先日(2020年7時2日未明)関東では火球が観測されて、ぼくも今は東京に住んでいるものだから、深夜にドーンと天井から降ってきた音には思わず身を竦めた。そのときは上の階の住人が本棚を倒したりしたのだろうかと思って再び布団に潜ったのだけれども、翌日の報道によるとどうもその音は火球と関係があるらしい。火球というのは平たく言えば明るい流星の事であって、-3等級ないしは-4等級よりも明るければ火球と呼ぶに足るという。燃え尽きたかどうかは不明だが軌道を計算したところ落ちているとすれば千葉県あたりとのことで、もう少し暇ならば隕石探しもまた一興と思ったりした。

耕衣句、己身には「コシン」とルビ。仏語でおのれの身体のことを指す。何を隕石だと思ったのかは目的語が示されないから判然としないが、考えられるのは「(流れていった光を)隕石と思い」という読み、あるいは「(おのれの身体を)隕石と思い」という目的語が下に来ているため省略されていると捉える読み、そして一番可能性が高そうなのは「(何となくぼんやりと)隕石と思い」という読みで、最後の読みを採用する場合は「隕石と思い(浮かべれば)」くらい補ってやるとよいのかもしれない。

冷え切った闇の宇宙を飛んでいる小惑星のかけらが重力に弄ばれて大気圏へと滑っていく。なんとも寂しげな感じがするが、耕衣はそれをおのれの身体性へと接続させ、宇宙の冷え、隕石の冷えをおのれの身体の冷えへと流し込んでいる。

記:柳元

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