所収:『加藤楸邨句集』(岩波 2012)
俳句を始めたころに好きだった一句、もちろんいま見てもよい句だと思うのだが、勘どころに多少の変動がある。というのも以前はその空間、つまり薄明るい背景に一点の黒として燕が紛れていく姿。そして滲むような暮色に浮かびあがる、法隆寺の屹然とした縦の存在感、と一枚絵の美しさに惹かれていたのだ。
ところが現在は句の丈にながれる時間の長さ、もしくは多重さに心惹かれる。それは燕から渡り鳥として、眼前に至るまでの来歴の想像が膨らみ、法隆寺は世界最古の木造建築と言われるように、その歴史としての厚みは言うまでもないだろう。そして掲句のような景色はこれまで幾度も、繰りかえし現われては消えて、現われては消えて。反復しながら現在まで失われることはなかった、それは翻って無常である。
時間と空間が織りなす網目を自分たちは生きていて、その一瞬を切り取ることだって可能なのだ。そしてその網目のなかに居てこそ、景色は景観ではなく豊かさをもって現われてくるに違いない。
記 平野