コンドルの貧乏歩きも四日かな 飯島晴子

所収:『寒晴』 本阿弥書店 1990年

飯島晴子はたびたび動物園で吟行をしたというから、掲句もその時の1句だろう。

首から頭にかけて毛にも羽にも覆われていない点や、鳥特有の重心が定まっていないかのような歩き方は確かに貧乏くささを感じさせる。高村光太郎に「ぼろぼろな駝鳥」という詩があるとおり、鳥とみすぼらしさを結び付けるのは特段目新しいものではない気もするが、この句は季語の采配がおもしろい。
三箇日が明けて四日、というのは仕事はじめの人も多く、「四日」はなんでもない1日でありながらも普段よりも俗な空気感をまとっている。「四日」という季語のなんでもなさによって、この句は鳥の心に寄り添おうとする高村光太郎の詩とは異なり、コンドルの様と「四日」の響き合いに重きを置いた、軽みのある1句となっている。

記:吉川

生きていることはべつにまぐれでいい 七月 まぐれの君に会いたい 宇都宮敦

所収:『ピクニック』現代短歌社、2018

 生きる、生きているということに、強く理由を求められているような感覚になることがたまにある。なぜ生きるのか、なぜ今生きているのか、その原動力は何か、動機は何か、と執拗に尋ねられていると思うときがある。そして、それが言葉に出来ないと、理由もないのに生きているのかと責められているような気持ちになる。車に乗るなら免許が必要だ、と同じくらいの熱で、生きるのであれば生きるぞという強い心が必要だ、と言われているような気持ち。何らかの意味があって生きている、という考え方からそもそも、自分には馴染まないものだといつも思っている。
 掲歌を読むと、それをさらっと掬ってくれるような気持ちになる。「べつにまぐれでいい」、偶然生きていて、それが偶然続いている。それ以上のことは良いんだと言ってくれている気持ちになる。「べつに」という言葉が出てくるのも、「まぐれ」以上のことを求めている人がいるから、だろう。無理はしなくていいのだと楽な気持ちにもなる。

 ただ、この歌には少し気になるところがある。最後の「まぐれの君に会いたい」の部分で、何か違和感がある。おそらく、純粋に優しい気持ちから発された言葉だろうと推測できる。だから、その思い自体にどうこう言うつもりはあまりないが、もし自分がこの主体に「まぐれの君に会いたい」と言われたら、素直にありがとうとは言えない気もする。

 というのも、主体が、生きていることはまぐれでいいのだと思っているということと、「君」側がまぐれで生きているかどうかは別の話ではないか。
 別にまぐれで生きていていいんだという励ましは、別にまぐれでもいいけどそれ以外でも何でもいいんだよ、という励ましだと思う。だから、ここは「生きている君に会いたい」で充分じゃないのか、と思う。なぜここが「まぐれの君」に会いたいと変形されてしまうのか。今「君」側が大変な状況に居て、生きることに苦しんでいて、だから最低限「まぐれ」でも生きている君に会えたらそれだけで良い、ということだろうか。

 ここが「まぐれ」になった他の理由を、短歌の創作面から邪推すると、リフレインというか、そういう技術的なところが大きいのではないか。「べつにまぐれでいい」の跨いでいる韻律や、二つの一字開きの間に「七月」を差し込むテクニックに、その気配がする。この歌にとっては、生きていることに「まぐれ」という言葉を付けられたことが何よりの勝利であり、それをさらに印象付けるために繰り返して「まぐれの君」という少し変わった表現にして表したのではないか、と私は考えている。「まぐれで君に会いたい」だと意味は変わるが「まぐれ」という言葉は自然に働くのに対し、「まぐれの君に」はやはり詩の力が働いている。個人的に「七月」という謎の季節のカットインも、夏のかっこよさをなんとなく引くためだけの道具立てなのではないかとさえ思ってしまう。

 ところで、宇都宮敦の歌において、他者について語るとき、必要以上の情報は割かれない傾向があると感じている(以下引用はすべて『ピクニック』より)。

  ひたすらにまるい陽だまり ひまわりの種の食べかたを教えてくれた
  とうとつに君はバレリーナの友達がいないのをとても残念がった
  左手でリズムをとってる君のなか僕にきけない歌がながれる

 他者には他者の思考や感覚があることを分かっていて、それ以上は踏み込まない、という印象がある。例えば〈左手で〉の歌が、最後が「僕の知らない歌がながれる」であれば、踏み込み度合いは変わる。あくまでも「きけない」という事実だけでとどまっている。

  新幹線から見えたネコ 新幹線からでもかわいい たいしたもんだな
  ネコかわいい かわいすぎて町中の犬にテニスボールを配りたくなる
  カーテンが光をはらんでゆれていて僕は何かを思い出しそう

 こういう自身が思ったことをそのまま喋っているように言うところが特長である作家だが、この二つが混ざったときに、違う印象の歌が生まれている。

  コインランドリーで本を読んでいる もちろん洗濯もしているよ
  三月のつめたい光 つめたいね 牛乳パックにストローをさす

「もちろん洗濯もしているよ」という弁明、「つめたいね」という確認・共感は誰に対してなされているのか。自分自身とも考えられるし、書かれていないがその場にいる第三者にとも、読者に、とも考えられる。このとき、「もちろん洗濯もしている」と言わないといけないのは、「コインランドリーで本なんか読んで、まさか洗濯はしてないなんてことはないよね?」という声があったからだろう。もしくは、そういう声がありそう、と思って先回りして言っているかだろう。その声を、主体はどこから感じているのかが分からない。ずっと独り言を言っているようにも、恋人に言っているようにも、読者に語り掛けているようにも見える。このよく分からないところからの声に応じている主体、という歌の揺れ具合に魅力があると言える。

 依然として、私は「まぐれの君に会いたい」には引っかかっている。他者が出てくる歌で、「まぐれの君」と言うのは、らしくないように感じる。「会いたい」という自身の感情が勝って、「ネコかわいい」くらいのテンションで「まぐれの君」が出てきたのかもしれない。
 よく分からない声に応じる、という点で言えば、「べつにまぐれでいい」も、どこから来ているかは色々読みようがある。現代社会全体の雰囲気に対してか、生きづらい「君」への励ましなのか、主体自身の思想か、などなど。それによっては、「君」が単に一人を指していないようにも感じられる。もっと言えば、「君」と言って指すような人物は最初からいないかもしれない。
 この歌自体が、まぐれで存在しているような、そんな気もしてくる。

 記:丸田

 

面接のごとく向き合ふ初鏡 鷹羽狩行

所収:「俳句」2020年12月号「家居」特別作品50句より

 新年気持新たに鏡に向い合う。鏡の映る己の姿も淑気満ち満ち、見慣れた顔も新規の物事を成し遂げんとする面持か。あるいは時間を倶にしてきた己の顔立を改めて眺め波瀾曲折の人生を振り返っているか。顔は歳月に鑿を震わせた彫刻である。深く刻まれた皺にはおのれの来歴が書き込まれる。我が国の歴史書「大鏡」「増鏡」や中国の歴史書「資治通鑑」を思い出せば分かるように、鏡は過去を写して未来を占うものであった。

 かつて鏡には魔物が棲んでいた。鏡は人を惑わせた。希臘神話のナルキッソス、白雪姫のお妃様、コクトーの映画「オルフェ」等を思うがよい。彼らはみな鏡の魔力にあてられてしまった者たちである。しかしかつて青年を誘惑した自己愛や希死観念も、年を経て減衰した。老いは鏡を磨き上げる。曇りなく、磨かれた鏡には観念の隔てなく己自身が映る。今まじまじと見つめよう。面接されるのも己、その彼を判じるのも己である。

記:柳元

ノートパソコン閉づれば闇や去年今年 榮猿丸

所収:『点滅』ふらんす堂 2013

角川俳句歳時記によれば、「去年今年」という季語には一瞬で去年から今年へと移行していくことへの感慨があるという。それに依るのであれば、ノートパソコンで仕事をしている間にいつの間にか新年を迎えてしまった句であると考えられる。

同句集には「箱振ればシリアル出づる寒さかな」、「ダンススクール西日の窓に一字づつ」といったカタカナ語の使用と、ドライな文体が特徴の句が多く、少しハードボイルドな印象を受ける。
掲句もそうした1句だろう。「闇」という単語は含まれているものの、「ノート」の間延びした響きや、情景描写に徹する句の在り方によって、「新年まで働かなければならないブラック企業の闇!」といったイメージを喚起するのではく、あくまでも物質、空間としての闇という視覚的イメージを喚起する。
この句、句集の文脈の中では「去年今年」という言葉にも、ようやく仕事が終わった感慨、安堵感などは読み取りにくいように思う。そうした淡々とした年越しの在り方に私は現代の生活のリアルさを感じる。

記:吉川

春禽にふくれふくれし山一つ 山田みづえ

所収:『手甲』(牧羊社 1982)

山は動かないものとして心のより所になる。ながい冬をぬけ、ひっそり閑とした山に鳥がさえずる。春の到来は声をもって知らされる。気温が上がりはじめ、活気を取り戻していく山の様子を「ふくれる」と表現した。そこには生命への視線があり、鳥の声をいっぱいに溜めて、山の生命はふくれていく。このとき山という静は動に転じる。

鳥と山の交感、それは山田の他の句、例えば「山眠るまばゆき鳥を放ちては」にも見られる。この句において眠る山は厳粛な静であって、なおかつ鳥を放つという動でもある。山は外観落ち着きながら、その生命はいつも蠢いているのだ。

記 平野

霜の太杭この土を日本より分つ 加藤楸邨

所収:『まぼろしの鹿』1967年・思潮社

掲句には前書として

一日本人として(六句)
十二月中旬、二日にわたりて砂川を訪ひ、ここに迫るものをわが目にとどめる。同行知世子。

と記され、以下の五句が続く。

葱の芽の毛ほどの青さ守り育て
彼等約してここに静かな冬野を割く
冬欝たる麦をわが目に印し置く
霜に刈られてその香切切たる襷
さむし爆音保母は戸毎に子を戻す

 これらの句群は前書と発表年からして砂川闘争に当たって書かれたものだ。砂川は現在の東京都立川市に位置し、日頃より在日米軍機の離着陸における危険と不安に晒されていた(過去形で書いたが米軍基地は今なお日本に残っている)。そこへ基地用地を更に拡張しろとアメリカが日本政府へ要請したことを受け、住民たちは闘争を開始する。この運動は左派政党や労働組合、学生や文学者などを巻き込んだ社会現象となった。そして加藤楸邨(1905-1993)もこの問題に関心を強く持った一人だった。

 彼が「馬酔木」を辞して以降に顕著な、硬質で密度の文体が今は殆ど失われたことについて考えてみたい。師秋櫻子をして難解と言わしめる彼等の文体は、現代において史的に読もうとするものの肌感覚としては1970年代あたりには読者からの支持を失っているように感じる。

 勿論そこには戦後は終わり豊かな消費社会の到来や、学生運動の失敗などの象徴的な出来事の勃発が背景にはあっただろう。資本主義文化を謳歌し始めた読者には、彼等の革新的な文体は息苦しいだけであっただろうし、もっと開放的でゆとりがあり、分かり易く平明で、非政治的な、季語と癒着する穏やかな韻律が好まれたのだと思う(そしてはそれは現代においても尾を引いているだろう。平明さはあたかも詩形における道徳律であるように振舞う教条的な御仁が絶えないのもこのあたりをすっかり内面化してしまったのだろうと思うし、後述するがある種の表現主義もこれを補完するものだ)。

 呼吸や饒舌や韻律との連関の中で、ある種の典型的な左翼的思想と接着するのが加藤楸邨らに顕著な当時の文体だった。これらを共有するのは例えば金子兜太であり、赤城さかえであり、古沢太穂、原子公平、田川飛旅子、沢木欣一などであろう。仏の思想家サルトルが用いた用語である「アンガージュマン」は散文のための思想であったことを思い出してもよい。今にして思えば、社会との連帯のための散文性を取り込んだ文体が彼等だったと言えよう。

 そしてそれ以後、前述のような学生運動の敗北などを受けて、純日本的な韻文精神へ立ち戻らんとするバックラッシュが起こる。それが大まかに言えば1970年代以後であり、おのれの文体を非政治的であると信じたがる現代の書き手たちの直接的な祖の誕生であろう。

 初期作品を除けば澄雄や龍太は生活に根ざしつつも極めて純日本的だったし、高柳重信に端を発する前衛は芸術至上主義的でありながらそこにはノンポリめいた仕草が付き纏っていた。

 現代の俳句界は、自分も含めて、未だに生活と平明さの結託、あるいは表現主義とノンポリ仕草の結託を盾にした、1970年以後の非政治的な書きぶりの振幅に収まる書き手ばかりが見受けられるように思うというと書きすぎだろうか。だが非政治的なところに人間はない。楸邨のパラダイムに立ち戻るということでなしに、楸邨に学ぶことはまだあるように思う。

記:柳元

大晦日のエスカレータに 乗せられ 堀豊次

所収:黒川孤遊編『現代川柳のバイブル─名句一〇〇〇』理想社、2014*

「乗せられ」の反転のさせ方が光る一句。
 おそらく、エスカレーターに自分から乗っているにもかかわらず、「エスカレータに」運ばれているようだと考えた、という読みがシンプルだろう。一応、「乗せられ」は誰か他の人に押されてエスカレーターに乗ってしまった、という風に読むこともでき、そう考えると若干テイストが変わってくる。エスカレーターの中でぽつんと自分の発見が浮き上がってくるものと、他者によって無理矢理自分がエスカレーターに巻き込まれてしまうもの。ただ大晦日ほど人が集まっていれば、押されて乗ってしまうことは容易に起きそうだから、後者の読みだと「 乗せられ」があまり効かなくなってくるため、やはりシンプルな読みの方が合いそうだ。

 この句が何故か新鮮に思えるのは、エレベーターとの感覚の違いからだと思われる。どちらも自分から乗るものではあるが、エレベーターは連れていかれる感が強い。エスカレーターは乗っている最中も自身は歩くことが出来るし、箱型のエレベーターよりも運んでくれる感は少ない(個人的に)。もしこの句が「エレベーターに 乗せられ」だったら、たいして驚くものは無かった。もしかしたら、エレベーターよりもエスカレーターの方が、私たちはナメてかかっているのかもしれないとも思ったりした。
 ちなみに、私の地元は田舎であったため、町にエスカレーターは一基しかなく(農協にあった)、他の町に行ったときも、エスカレーターでさえドキドキしながら乗っていた。だから小学生のころの自分がこの句に出会っていたら、何を当たり前のことを(そりゃ「乗せられ」るものだろうと)、と思ったかもしれない。それを思えば、近くにデパートがあったり電車の駅があったり、そういう都市、都会の生活になじんでいる人の方が、この句に対する驚きは大きいのかもしれない。

 蛇足ではあるが、個人的に「大晦日」以外のことも考えたくなる。生活感あふれる「大晦日」もいいが、もしこれが「天国のエスカレータ」であったり、「まひるまのエスカレータ」であったりしたら。それこそ最初に述べた通り、「乗せられ」が発見としての反転ではなく、乗せられることの恐怖に変わっていくことになるが、それはそれで面白そうである(そう書いていて気付いたが、大晦日であることによって、エスカレーターに乗りながら年を越してしまう可能性も匂わせられているような気がする。時をまたぐエスカレーターに乗っているような。大晦日のそんな時間まで動いているエスカレーターがあるかどうかは怪しいが、そういう時間というエスカレーターにも乗せられているような感覚も、なんとなくこの句を良い雰囲気にしているように思う)。

 webサイト「週刊俳句」にて、樋口由紀子さんがこの句から「考えてみれば、人生は『させられ』の連続である」と述べている(2011年12月30日)。自分は自分で生きているかと思ったら、実は生きさせられているのかもしれない。そういう当たり前と思っていることが逆転するときの、寒気がするような不安と気持ちよさが、この句の一字空きに詰まっているのかもしれない。

*初出は、筆者は確認できていないので、この句が収録されているアンソロジーを置いた。上述した樋口さんの確認によると 「天馬」2号(河野春三編集発行 1957年)収録とのこと。

記:丸田

チャールズ・シュルツ倒れし後もチャーリーは獨身のまま白球を追ふ 佐々木六戈

所収:『セレクション歌人14 佐々木六戈集』邑書林

チャールズ・シュルツは言わずとしれた漫画『ピーナッツ』の作者であり、世界で一番有名なビーグル犬・スヌーピーの創造者である。チャーリーというのもスヌーピーと同じく『ピーナッツ』の登場人物であり、どこか冴えないが心優しい少年である。チャーリーの前にはいつも失敗が待ち構えるわけだが、彼のひたむきな姿勢に心打たれ、内向的な趣きや卑屈さに共感した読者は世界中に居るはずだ。

さて、作者シュルツは2000年に死去したわけだが、大きく育った作品というものは恐ろしいもので、作者の亡骸などは目もくれずに、人々の記憶と想像力のもとで膨らみ続ける。『ピーナッツ』も例外ではなく、登場人物たちは物語的運動をやめない。死後20年経った今日でも哲学的思索が繰り広げられる漫画は増刷され、スヌーピーの長閑なほほ笑みはTシャツにプリントされる。チャーリーの恋も実らないまま、のろのろと白球を追い続ける。

ただ佐々木六戈が用意した「独身のまま」という措辞はどこか丸顔の少年に似合わない。『ピーナッツ』の世界を考察するウェブサイトを幾つか見たところ、チャーリーは1950年の連載時は4才、1971年の連載時は8歳らしく、そこからさして背丈が伸びていないことを考えてもせいぜい彼は小学校低学年のはずである。この年齢には結婚も何もない。「独身のまま」という措辞は時間的な成長がないお約束ごとの世界にはそぐわないのだ。

つまり氏は、チャーリーに対して漫画的設定からの逸脱を夢見ているのである。ここには成長したチャーリー・ブラウンがいるのではないか。作家の死によってチャーリー・ブラウンがお約束ごとから解放され、時間が正しく進み始め、大人になり、チャーリーが「赤毛の女の子」なり彼が憧れる想いびとと結ばれる世界線が可能性としては準備される。なのだけれども、なのだけれども、チャーリーは「独身のまま」……そういう措辞なのだ。大人になってもスヌーピーと戯れ白球を追う有り様はさながら独身貴族(?)である。ルーシーやライナス、サリー、他の登場人物らはどうなっているのだろう。チャーリーと同様に、シュルツが造形した通りの物語を遂行しているのだろうか。それとも。

チャーリーの関して言えば、ここに自分が知っている世界が継続している嬉しさと一抹の悲しさを思ったりもするのだが、ぼくらにそんな権利を行使される言われはなくて、連載が停止したのちにチャーリーがどんな人生を選びとっていようと彼の勝手であろう。彼はいつもいつでも白球を追っているのであり、そしてまた追っていなくともよいのである。ともかく幸せあれ!

記:柳元

もう何も見えなくなりし鷹の道 佐々木六戈

所収:『セレクション俳人08 佐々木六戈集』

 鷹という季語の一つの側面は狩に用いられることだろう。この場合は鷹匠などの傍題とセットで思い起こされ、そしてすでにこのような飼い殺しの鷹のあわれは正木ゆう子が

かの鷹に風と名づけて飼ひ殺す

と書き留めた。しかし生物ピラミッドの頂点に君臨する王者たる威厳を喪っていない鷹というものもまだ自然界には辛うじて残っている。そしてその中でも寒くなれば日本を脱出して南国へ避難する経済的余裕を持つ鷹というものもいて、それがサシバなどの渡りをする鷹である。彼らは日本の温暖湿潤な夏を楽しみ、冬は東南アジアの森林で寒さを凌ぐ。彼らが渡ってゆく様子を寒さに耐えつつウォッチして喜ぶ人間もいるらしい。

 何羽もの鷹が群れて螺旋を描くように上昇する「鷹柱」という季語はまさにその渡りの最中を捉えたものだ。鷹は賢い。上昇気流の発生する場を逃さず、その気流に乗ってまずは高度を稼ぐ。そしてその稼いだ位置エネルギーを徐々に運動エネルギーに変えつつ滑空することで、エネルギーを節制するのだ。上昇気流というのが起こる場所は限定されるため、自然にそこに鷹が集まり柱に見えるという寸法である。

 六戈氏が寒晴の空に描いた鷹の道というのは、この螺旋状の上昇の道、そしてその後の滑空の道に他ならない。その道ははるか東南アジアまで続く。六戈氏は日本に立ち尽くし、その道が掻き消えるのを見つめる。他の寒禽の句もよい。

寒禽の胸から腹へ風の渦

寒禽の聲一發で了りけり

上座なる一羽の聲に寒威あり

 佐々木六戈は1955年、北海道士別生まれ。「童子」に所属している。また2000年に「百回忌」で第46回角川短歌賞を受賞しており、詩形問わず巧みに語を操る。次の月曜日は六戈氏の短歌を鑑賞の予定。

記:柳元

ふるさとがゆりかごならばぼくらみな揺らされすぎて吐きそうになる 山田航

所収: 『水に沈む羊』 港の人 2016

山田航はブログ(http://bokutachi.hatenadiary.jp/entry/20160420/1456822716)にて歌集『水に沈む羊』について『地元と学校が嫌いな人のために詠みました。』と説明している。今回とりあげる短歌における「ふるさと」、ブログの説明にある「地元」はどのような場所が想定されているのか、歌集の他の歌も読むと分かってくる。

果てなんてないといふこと何処までも続く車道にガストを臨む

ゴルフ打ちっ放しの網に桃色の朝雲がかかるニュータウン6:00

延々と伸びてゆく車道沿いにある「ガスト」や「ニュータウン」という語から分かるように、山田が「ふるさと」「地元」として想定したのは、特定のどこかでなく、かつどこにでもる「郊外」なのではないだろうか。

「郊外」は上記の歌にある通り「ゆりかご」のように住みやすい。しかし、赤ちゃんを喜ばせるための「ゆりかご」のやさしいゆれが、「ぼくら」にとっては吐き気をもたらす悪なのである。ことごとく平仮名にひらかれた「ふるさと」「ゆりかご」にはそれらに対する皮肉や憎悪が伺えるようにも思う。

私自身、広島市の中心部から離れた新興住宅街で子供の頃を過ごした。何も不都合を感じた記憶はないけれど、公園と特に深い面識のない人が住む家が立ち並ぶだけの退屈な場所だった。
嫌悪感など特に深い理由があるわけではないが、私は広島という「ふるさと」に帰る進路は選ばなかった。そんな今だからこそ、この歌が「ぼく」の歌でなく、「ぼくら」の歌であることを少しありがたく思う。

記:吉川