とかくして笠になしつる扇哉 蕪村

所収:『蕪村俳句集』岩波書店   1989

蕪村の愛用語だという、とかくしてがこの句では心の動きを表現している。日射しが強くて暑い夏、外に出て手にした扇をあおぐかそれとも日よけにするか、しばらく悩んで笠になしつる。確かに外で一生懸命に扇をあおいだとしても、風は生ぬるくてまったく涼みの足しにならないだろう。暑いなか、多少の涼でも求めようとする実感の伝わる一句。

記:平野

ふりそそぐ案山子悲しみ神のいしき 田島健一

所収:『ただならぬぽ』ふらんす堂 2017

 一面に広がる田にぽつんと立つ案山子。「ふりそそぐ」によって上下の動きが生まれ、立体的に景が見えてくる。要素がどんどんと追加されるような句だが、それに反して、句の世界は窮屈ではなく、むしろ空白が増していっているように感じる。この句の中で可視のものは案山子だけであり、際限なく広がって、ふりそそいで、最後に残っているのは案山子だけという空虚さが、妙に心地いい(案山子はこの句の中にすらおらず、全て見えないが在るものの話をしているだけなのかもしれない……)。案山子の孤独のようなものも感じるが、ここではなんだか、案山子の悲しみや神の意識が綯い交ぜになって、人間には言表出来ない状態で丁度よく安定して存在しているような、深いよろこびを感じる。

「ふりそそぐ」をどの語に掛けて読むか、降り注がれる対象を何と考えるかで景が容易に変わってしまう。しかし、句は k 音の連続に加え i 段で脚韻が踏まれて、綺麗に構成されている。この不安定が過剰に安定しているような気持ち悪さが、怖いくらいに美しいと思ってしまう。

記:丸田