
正面 吉川創揮
冬木の輪郭のありあまる乱立
砂時計冬の日にこの響きかな
落葉掃く時々に蛾の翅や腹
霜夜部屋そのままが液晶にあり
十二月扉の中に鍵の鳴る
空風にひらめく建築の途中
窓拭きのこんなにも冬夕焼かな
雑然と蒲団干されて向かいが家
雪二人うつとり黙りゐたりけり
後ろの正面の前にある枯木

短詩系ブログ
所収︰『かわいい海とかわいくない海 end.』書肆侃侃房、2016
内容的にはかなり静かな歌だと思っているが、韻律や歌の展開のさせ方から表現の激しさがうるさく聞こえてくる。深海と水面に起こる荒波の二つを透かして見ているような感覚を抱く。
それぞれ読んでいくが、まず「着古した服に似ている」について。私は、よれていたりどこかがほつれていたりしている服で、でも沢山着てきたから愛着があって愛おしく思う、くらいにイメージしている(愛着、という言葉が、「愛しく着る」に見えてくる)。これを、古びたもの感を強く取って、早く捨てたいとか、早く新しい服に移りたい、と考えることもできる。ここをどうイメージするかによって、景の立ち上がり方が異なってくる。
次の「神秘に出会う人よ」について。「着古した服に似ている」が、「人」に掛かっている可能性も無くはないが、変な人がノーマル神秘に出会うより、「人」が変な神秘に遭遇してしまう事件性の面白さを取りたく、ここでは置いておく(ただ、そういう神秘に出会うのは神秘と同等に特殊な人と捉えることも可能であり、韻律のスピード感も合わせて、最初の措辞を「人」に掛けて読むこともできる、また後述)。
着古した服のような神秘。神秘とはそもそも、人知では届かないような不思議や秘密を指す。「着古した」を愛着と取るとき、人知から離れたものに対して人間的な妙な愛着を感じているのが妙である。「出会う」と初めて遭遇したように言っているのにもかかわらず「着古した」なのは、何度も味わっていたりずっと身につけていたかのようである。デジャヴのような感覚で、見たこともない神秘であるはずなのに何故か懐かしく愛着を覚える、というふうに読むのがいいだろうか。
一方、「着古した」を古ぼけて早く捨てたい、新しいものへ移行したいという感情として取ると、「神秘」がやや皮肉っぽく見えてくる。神秘というと畏れ多かったり綺麗だったり謎めいて素敵! 的な受け入れられ方がされたりする。が、この読み方であれば、例えば旧習であったり古びた価値観であったりを敢えて「神秘」と言い直して、まだそんなものを崇めて服みたいにずっと身につけているのか、と述べているように考えられる。
私は最初、完全に先の愛着の読み方で読んでいた。美しい神秘、それに遭遇する人、それにぶつけられる謎の映像(情報、表現)。しかしそれだと、「人よ」が引っかかることになる。音数的にも、別に「人よ」ではなくて、個人的に自分が神秘に出会って愛着を感じた、という話にしてしまうことは出来る。それを破って他者に拡げていくこと、呼びかける(詠嘆とも読める)ことの必要が、いまいち分からなくなってしまう。
これが、捨てたいものとして考えたとき、「人よ」が分かりやすくなる。そういうある意味神秘的な旧習に好んで出会いに行く人々よ、聞こえているか、と「人」に対して怒りを向けているという読み。だんだん読み返すたびにこちら側寄りで考えるようになった。
ただ、愛着でかつ皮肉にも読むことは出来る。先ほど「〜に似ている」を、「神秘」に掛けるか「人」に掛けるかという話も述べたが、それは感じている人によって分岐する。
分岐をまとめると(ここでは「人」≠主体として)、
①「着古した服」は愛着あるものか、捨てたくて次に移行したいものか。
②「〜に似ている神秘」と感じたのは「人」か主体か。
もちろん「着古した服」への感覚はその二つに限ったことではないため、読みはもっと広がっていくと思われるが、大きく考えるとこの二点で考えられる。
「本人が愛着を感じる神秘と出会った。その人へ」というタイプ、「本人は愛着を感じているある意味神秘的な旧習に、また(好んで)出会おうとしているめでたい人へ言いたいことがある」というタイプ、「私にとってはとっくに古びたものを、明るい神秘として受け止めて出会う人へ」というタイプなどなどが考えられる。
しかし、そもそも「着古した」には愛着も離れたい願望も、どちらとものニュアンスが含まれているであろうし、「神秘」にも素敵さや畏れ、分からないからとりあえず格をあげて謎として無視する、などさまざまなニュアンスがあるため、はっきり分類することは出来ない上に、する意味はほとんど無い。
ただ、上の句の部分に何らかの皮肉や批判の意を汲み取ろうとするならば、「着古した服」か「神秘」の箇所で、主体と「人」の感覚のねじれが生まれていることになることを確認したかった。
そしてようやく「スプーンとスプーンとナイフ」を考える。一字空きがなされてリズムよく並べられる。銀色の食器が(テーブルの上に並んでいるか、同じ場所にしまわれているかなど位置情報を欠いて)現れることを、まったくの美しい光景として読むことも出来るが、明らかに何か意味がありそうな雰囲気と、前半の皮肉の気配から、詳しく考えたくなる。
ナイフよりスプーンの方が多い。例えばフランス料理を食べるときのテーブルを想像したとき、そこにはスプーンよりもナイフが多くある。そしてナイフと同じくらいフォークがある。この歌ではフォークが消えて、スプーンが増え、ナイフが減っている。ただ「ナイフとスプーンとスプーン」ではなく、「スプーンとスプーンとナイフ」。スプーンの多さにも目が行くが、やはりナイフの鋭利さは最後の体言止めによって残っている。それはむしろ強化されているほどである。湖と湖と滝、と言ったら滝の落下のイメージが強くなるように。スプーンにはない切れ味と危険さが特に現れている。
とりあえず具体的にどういう食事風景なのか、と考えていくような歌ではない。食事かどうかすら分からないが、主体は「スプーンとスプーンとナイフ」を発見/想像した、ただそれだけである。それをどう思っているのかまでは分からない。
皮肉や批判という線をここに繋げるとしたら。制度、社会、性、宗教、年齢、文化……。一つ多い「スプーン」は何で、たった一つ未だ切れ味を持つ「ナイフ」は何か。また述べられていない「フォーク」はどうなっているのか。そして前半と繋ぎ合わせたとき、「ナイフ」は武器となって「人」を指すことになるのか、「人」そのものが「ナイフ」であると指摘することになるのか。歌の輝きや勢いは収まっていくのか、増していくのか。
鑑賞としてはそこをどう読むかを明かして語っていくべきなのだろうが、私はそれを固定して語りたくない。「着古した」と「神秘」の揺れと、過剰とも言えるくらいの清潔な「スプーンとスプーンとナイフ」の情報の絞り方が魅力である歌に、何かをどんどん当てはめてパズルのように解くことは、それこそ「着古した」短歌の読み方なのかもしれないと思うからである。なんだか素敵な比喩と神秘と銀のカトラリーからなる歌としても、最後まで皮肉の効いた高潔な歌としても読めうるという、この歌の豊かな魅力を紹介して終わりたい。
記︰丸田
所収:『天為』2020.12
「放屁虫」はゴミムシの類い、捕まえると悪臭を散らすとされる。ゴミムシという名を与えられた所以は彼らが獲物とする小昆虫がゴミに群がるからであるとされるが、当のゴミムシからすると堪ったものではない。彼らは彼らでおのれの食事を得るための最適な場所を正当な理由で陣取っているのであって、近代的衛生観念などというものは人間の常識、糞喰らえなのである。しかしながら有馬氏はそんな「放屁虫」も「愛しき」ものとする。それは「放屁虫」すらも神の被造物であり、人間から見たその単純な身体の造りは、神の愛、アガペーの降り注がれることを可能性として排除するものではないからだろう。有馬はここで、ある種の超越的な付置からの強引な愛を宣告する。
ここで明確にしておかねばならないのは「天は二物を与へず」というのは現世的に見れば間違いなく嘘であるということだろう。環境が偏る以上、はっきりとこの世においてギフトとして見出されるものには偏重が出てくる。「天は二物を与へず」というのはそういう不平等を覆い隠す極めて都合の良い言葉である。しかし、前述のような、等しく降り注がれる神の慈愛の前にはある種の公正公平な関係が切り結ばれるのであって、有馬がここで述べる「天は二物を与へず」というのはこういうキリスト教的な観念、「最後の審判」のような絶対的な未来の時制が確保されていることによる、ある種の諦念による公平さのようなものが前提になっていると思う。
しかしそれでも現世利益的に動く蒙昧なわれわれにとっては「天は二物を与へず」は所詮「天は二物を与へず」でしかない。有馬氏が行った様々なこと(それは俳句以外のこと、例えば公職にあったときの、現在から見れば愚策と評するしかないような諸々のこと)はこういうズレから来るものなのかもしれない。それは先見の明や政治的手腕などに起因することではなくて、有馬氏は「愛の人」なのであり、我々はそうでは無かった、ということなのかもしれない。そんなことをつらつらと考えながら、この文章を書いている。ただ、こんな修辞に満ちた駄文を読むよりも有馬作品を読む方が何千倍もよいと思う。「天為」のサイトでは有馬氏の近作が読める。ご冥福をお祈りします。
記:柳元
所収:『花行』(ふらんす堂 2000)
芭蕉とほぼ同時期の生まれである池西言水に「菜の花や淀も桂も忘れ水」の句がある。この句を高橋の師にあたる安東次男は「忘れ水」の語が『後拾遺集』の大和宣旨の歌「はる〴〵と野中に見ゆる忘れ水絶間〳〵をなげく頃かな」に由来するとして〈菜の花の黄一面に心を奪われているというより、むしろ、黄一面の中に光の反射をたよりに水の在りかを探る意識の方が強いように受け取れる。「忘れ水」とは、このばあい、そうした遠い何ものかを探る放心とやや郷愁を帯びた表現でもあろう。〉と言っている。
このとき掲句はひとつの決意のように読める。つまり「忘れ川」という現代の人々が忘れかけた遠い何ものかをあやめのはてに見出し、そこに自ら棹をさし、大きな流れに乗って書いていく。個人は歴史のうねりの中を流れる不確かなものでしかなく、高橋睦郎は別のところ(『友達の作り方』)で「卓れて没個性的な詩である俳句」と言っていた。忘れ川に身を任せる決意は個人にとって怖ろしいものだろう。しかし遠い地平にまで連れていってくれるものでもあるはずだ。ところで、あやめは文目とも書ける。こうした遊び心も句中にはあるかもしれない。
記 平野
所収:『記憶』角川学芸出版 2011
私は自分の母のことを幼い頃から「おかあさん」と呼んでいるので、「おかあさん」と呼び掛けられることはさもありなん、と思う。だがこの句は「あなたはおかあさん」と念押ししてくる。この句では、私にとっては深い意味はない「おかあさん」の呼びかけが、あなた=母であると規定する(もしくはその事実を確認する)切迫した言葉へと意味を変えている。
そこに続く「正真の雪正真の白」もまた念押しといえるフレーズである。俳句においては基本的に、「雪」と書けば大気中の水蒸気が氷の結晶と化して降ってきたもののことを指すし、「雪」は「白」であるにも関わらず、偽りなく「雪」であり、その雪が「白」であることを強調する。
当然と思われることを念押しする切迫した言葉の連なりとして現れると、その当然と思われることに至る前に私は立ち止まってしまう。あなた=おかあさんなのだろうか、雪=白なのだろうか。
答えが「はい」であることに変わりはない。しかし「はい」と答えながら恐ろしくなってしまう。美しい「雪」、清廉潔白をイメージさせる「白」と並んで書かれた「あなたはおかあさん」は、一人の人間に、美しく清廉潔白な母親という役割を付与しているような気がするからだ。
私は男性であり、おそらくこの句における「おかあさん」になることはないから、想像でしかないが、この「あなたはおかあさん」は非常に重く、時にを人を苦しめる言葉であるだろう。
作者は雪と白で「おかあさん」を寿ぐことを意図したのかもしれず、かなり独りよがりな読み方かも知れない。
記:吉川
所収:小池正博 編『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房、2020)*アンソロジー
黄昏のふくろうと、パセリほどの軽蔑、の衝突。美的だと思った。
読者のことを信頼しきっているようにも、挑戦してきているようにも見える。
このふくろうと軽蔑は、どれくらいくっついているのか、離れているのか。
ふくろうが、何か(人間とか、世界とか)に対して軽蔑しているのか、何かがふくろうを軽蔑しているのか。それによって「パセリほど」の威力が変わってくる。
離れているとしたら、ふくろうと軽蔑は全くの別の話となり、句の上で急に合体したことになる。そうなると、一枚の絵を見るような読み方が良いのかもしれない。
何かぼやぼやとした鑑賞文になってしまったが、こういう句の鑑賞は非常に難しい。コラージュ作品を見ているような。ある絵とある絵が切り取られて同じ場所に引き合わされたとき、そこにどれだけ意味を付与していくべきなのかが、作品を見ているだけでは分かり切らない。そこは評者の領分となるのかもしれないが、私はこういう句に対しては意味が無ければ無いほど面白いと思ってしまうタイプで、どうしても口がもごもごしてしまう……。
それで言うと、「パセリほど」には意味があるような気もしている。例えば俳句で言うとパセリは季語で、〈摩天楼より新緑がパセリほど/鷹羽狩行〉、〈抽象となるまでパセリ刻みけり/田中亜美〉などがある。本当に小さいどうでもいいもの、という感覚ではあるが、それにしてはどこか可愛げ(緑で、あの小ささにして食材に彩を与える……)である。どこかそれは、「ふくろう」から導かれた気がする。「黄昏」と「軽蔑」というやや強い感じの単語に挟まれるようにして、やや可愛げな「ふくろう」と「パセリ」。
だから何かがあるわけではないが、「パセリほどの軽蔑」とすることで575から逸れてしまう分の韻律が、その挟まれた可愛さに似通うような気がする。
見ただけで切れるようなシャープさと、甘い黄昏のやわらかさが妙な味わいを演出している心地いい句である。
川柳には分かりやすく語りやすい面白い句と、語りにくい不思議な句があるが、そのどちらもを積極的に作っている作家がいるのがさらに面白い。今回挙げた小池正博もその一人で、〈君がよければ川の話をはじめよう〉〈たてがみを失ってからまた逢おう〉がある中、〈気絶してあじさい色の展開図〉〈変節をしたのはきっと美の中佐〉などがある。
いや、「君がよければ」も実際はよく分かりはしないし、「あじさい色の展開図」を語りつくせるような気もする。分かる/分からないの前提からいちいち考え直さなければならなくなるような、川柳の圧に、今は無言で酔っていたい。黄昏のふくろう…………。
記:丸田
所収:小池正博 編『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房、2020)*アンソロジー
半日あったら愛せるとは言うものの、わざわざゆでたまごを愛するのに半日分未来に予約を入れるほどではなさそう。その微妙なゆでたまごとの距離感が可笑しい一句である。
このフレーズがどうやって出てきたのかを考えるために、主体が質問された状況を想定するとしたら、その質問は例えば「ゆでたまごは好き?」ではいけない。好きかどうかを聞かれたら、好きか嫌いかどちらでもないになる。愛しているかと聞かれても、愛している/愛していないになってしまう。
「半日も」が出てくるには、時間や程度が聞かれていることになるだろう。「ゆでたまごを愛すことになるとしたら、どれくらいの時間が必要?」と聞かれるのが一番自然なような気がするが、その質問自体変てこな質問である。
誰かに尋ねられた返答ではないとしたら、ゆでたまごをひとりぼんやりと見つめて愛せるなあ……と思ったという、それはそれで変な発想である。
「半日も」。「半日も」がずっといい意味で引っかかる。「半日もあれば愛せる」という言い方は、半日足らずで愛すことが出来て、それはかかっても半日だ、「ましてそれ以上の時間はゆでたまごを愛すのに必要ない(、半日でもかかりすぎくらいだ)」くらい言っているように聞こえる。
ぱっと見だと、ゆでたまご愛に溢れるかわいらしい句のように見えるが、意外とそうではない。ゆでたまごなんかにこんな発想をしている滑稽さの方に重きが置かれていて、微妙にゆでたまごへの(気の利く)悪意のようなものまで感じられる。でも、なんだか憎めない。これはこの主体の雰囲気から来るのか、「ゆでたまご」から来ているのか……。
こういう句を目にすると、自分だったらどう作るだろうかと考える。「半日をかけて愛してゆくたまご」とか、「一年をかけて愛したゆでたまご」とか、「ゆでたまご愛しつづけること半日」とか。これらの改作例を考えてみると、上五中七の素直さと意地悪さの両方を兼ねた表現の魅力がさらに分かってくる。
石部明の川柳に現れる、他に言おうとしていることの気配の、豊かさ、面白さに驚かされる。〈縊死の木か猫かしばらくわからない〉のような、単語や光景の単純なパワーで圧している句もいいが、私は、〈朝方の鳥かごにまだ鳥がいる〉、〈そのあとに転がる青いくすり瓶〉、〈やわらかい布団の上のたちくらみ〉などのような、静かに振舞っているが、言わんとしていることたちが後ろでこちらを睨んでいる句が非常に優れていると思う。
ゆでたまごの句とは関係ない話になるが、所収として挙げた川柳の本は、日車や半文銭から八上桐子、柳本々々、暮田真名まで収録されている非常に豊富な良アンソロジーになっている。アンソロジーといえば『現代川柳の精鋭たち』(北宋社、2000)があるが、既に手に入れづらい本になってしまっている。今回こうしてライトで且つ潤沢なアンソロジーが出たことを、いち川柳ファンとして嬉しく思う。ぜひともおすすめしたい。
記:丸田

ツイ廢 柳元佑太
午前はや空き腹の感都鳥
天皇もツイ廢もがな憂國忌
天皇やはれちんぽこに塗藥
三島忌やパンツの中へ幾夢精
寒寒と己が首視ゆ靈三島
三島忌の道連童子あはれめや
皇國や木枯勢を休なく
枝を離れ枯葉力學さやうなら
三島忌や日本腑拔けの啜泣
日本に火事また火事やパンケーキ
所収:『驢鳴集』(播磨俳話会 1953)
程度を表す語としての「最高」が空間を示すように使われ、うつうつとした気分と組み合わさることで、転じて躁になりうるような感情の緊張が表現される。蝶の中でも大きな揚羽蝶が重たげで、なかなかに不気味である……というような解釈をして楽しんでいたのだが、先日、小島信夫の評伝『原石鼎』を読み、もしかしたら石鼎の「頂上や殊に野菊の吹かれ居り」と重ねて読むことが可能ではないかと思った。
もちろん、それは構図として「頂上」と「最高」が似ていて、神経衰弱に苦しんだ石鼎の状況と「うつうつ」が重なるからなのだが、その他にも以下の理由がある。
評伝『原石鼎』の中で、「頂上や殊に野菊の吹かれ居り」は、深吉野時代の代表句でありまた「景色とうつる世界と一体」になった「石鼎開眼」の句として扱われている。著者である小島信夫は九十歳になった耕衣のもとを訪れている。耕衣は言う。
「虚子は、〈頂上や〉の句には冷淡だね。『進むべき俳句の道』では評釈をしているが、景色としてみているだけで、身を挺して中へ入りこむということをしていないな。そう思わないか。安全なところで眺めている。ぼくは神戸新聞に書いたことがあるが、そこで〈頂上や〉の句は、〈人間不在の風景〉だといった。虚子は巨大な人ではあったがそういうことはわかろうとはしないな」
この〈人間不在の風景〉は「景色とうつる世界と一体」になることと似た意味をもっているだろう。耕衣は石鼎の「塵火屋」に一時期投句をしていた。耕衣の「うつうつと」にも同じく、自然の中へ人間が入っていき、自然の存在として一体化しているような境地が伺える。このとき揚羽蝶から「胡蝶の夢」が思い出されるのだが、もしかすると最高を行く揚羽蝶は耕衣その人だろうか……
小島に同行し、石鼎のことで様々な解釈を与える神林良吉が面白いことを言っていた。
「石鼎の句には、凡句、というよりも、愚句とでもいった方がいいような幼稚きわまる句が羅列されていることがあります。そのあとに目の覚めるような句が出現しています。あの人にとっては、その両方が重要なことだと思います」
これは耕衣にも同じことが言える。「うつうつと」に至るまでに「無力にてつめたくしたり黄揚羽に」「或る高さ以下を自由に黒揚羽」「揚羽よりいつも近づき来たるなり」の句が並べられ、耕衣の世界もまた混沌としている。
ところで小島信夫の評伝『原石鼎』だが、すべての資料を総覧して書くのではなく、自らの足場を読者と一緒に確かめながら書き進めるという、小島信夫特有の読みづらい、しかし誠実とも言える書き方がなされていて、ちょっと慣れが必要である。とはいえ、石鼎の周辺が石鼎に及ぼす影響や、石鼎の興味がどこに向かってどのようにうごめくか、といった精神の遍歴を追っていく視線は、小説家ならではのものがあり、その深度もまた小島信夫一流のものである。ある種の俳句の「外」から見えてくる世界が伺える面白い一冊だった。
記 平野