作品7句「脳天壊了」(「俳句」2025.5)をどう書いたか  柳元佑太

旅先で

 旅の目的は幾つかあった。第一に香月泰男の絵を見ること。香月はシベリアの抑留体験を持つ画家である。院生のときに足利の美術館で一度、初期の「兎」という絵を見たのだが、それ以来わりと気に入っている。山口県長門市は彼の出身地で、そこに小規模ながら美術館がある。

 第二に、門司港に行くこと。ここは舞鶴と並んで引き揚げ船の受け入れ拠点でもあった。シベリア抑留及び引き揚げに解像度を上げたいという気持ちがあった。そしてせっかく引き揚げのことを考えるのであれば自身も船旅で、つまり横須賀から新門司までフェリーでの船旅を試みてみようというわけだ(ちなみに21時間かかる)。吉田知子の「ニュージーランド」という短編を読んで以来、私は船旅がかなり好きになっている。

 第三に角島灯台に登ること。「登れる灯台スタンプラリー」なるものへの参加を年初に思い立った。登れる灯台は全国に16か所点在していて、一回の旅で一つの灯台に登るとすると、単純に各地へ16回も旅をする口実が出来る。単純に辺鄙な海辺に行くのも好きだ。

ぼくはこれまで、ひとりで旅をするということに、ひどくこだわってきたように思う。ぼくにとって旅は、なによりもまず、魂が自分を脱して飛翔する時であったから、知っている人といっしょに行くことで、いつでもその人(たち)をとおして、変身する以前の自分につれもどされるということを好まなかった。自分をその過去とつなげてしまう同行者のいないときの方が、魂はとおくまでゆくことができる。 真木悠介「方法としての旅」

 真木がかつてこう述べていたが、一人旅にはそれにしかない良さというのがある。 魂の飛翔というほど格好いいことを言うつもりはないけれど、やはり一人で見知らぬ土地のなかを誰でもない人間として歩くというのは嬉しい。見慣れない植生の花に立ち止まることもできれば、港の野良の猫をつかのま追いかけたりすることも出来る。旅ごころも旅のうれいもほしいままだ。

兵隊シナ語を使って

 北海道出身ということもあって季語というものをそもそも「自分の言葉」と思ったことが一度もなく(北海道において季節は歳時記的運行などしない)、最初からファクションとしてしか接してこなかった。季語というものが持つ帝国主義へのロマンティシズムや、あるいはそもそも俳句それ自体が否応がなく引き寄せてしまってように見えるナショナリズム的美学に(正しい日本語とは何か? 自然な日本語とは何か? 平明でわかりやすい日本語とは何か? そしてそれはだれにとってか?)、いかにからめとられずに、あるいはからめとられながらも抵抗の痕跡をのこすか。そういう意識は常にあったが、はっきり言えばこれは私の惰性から、季語は手放せずにいたことに、意識的に手を入れたかった。

 このとき、手掛かりになるだろうと思って温めていた句材というかアイデアが、兵隊シナ語である。兵隊シナ語とは日中戦争勃発後に日本陸軍将兵の間で使用された、日本語と中国語のクレオール言語である。戦争に伴う臨時言語だったため日本の敗戦と共に使用されなくなったが、戦後に戦争経験者が俗語として使うことがあった。私はこれを吉田知子の短編「脳天壊了(のうてんふぁいら)」にて知った。「脳天壊了」は「頭がいかれちまったな」くらいの意味である。

 兵隊シナ語は、ひとつには正格な日本語、端正な日本語、美しい日本語というイデオロギーを破壊する。また、俳句が俳句である以上どうしても抱え込んでしまうナショナリズムをそもそも明示的に抱え込んでいる言語であるから、ナショナリズムが透明化される恐れがない。こういう見通しがあって、旅の中でなんとか兵隊シナ語を用いた連作を作ろうと考えたのだった。そういうこともあって、旅先には門司や長門など、引き揚げのことを考えうる土地を選んだ。

本を読みつつ旅をする

 旅に出る前には家の本棚から数冊本を抜いていく。吉田健一は旅先で本を読むなんて愚かだみたいなことを述べていたが、私は旅が入れ子構造になる感じがあって、旅先で本を読むのは好きだ。つまり本を読むということがそれ自体ある意味では旅なのであって、旅先で本を読むということはある意味では実際の旅の他に書物の世界の中の旅をするという、二重の旅をするということになる。その二つの旅が交感照応するような本をもっていけたらしめたものだと思っている。

 もちろん、思いのほか時間がとれなかったりして読めないこともままあるし、それはそれでいい。今回は『シベリヤ物語 長谷川四郎傑作短編』(ちくま文庫、2024年)をもっていくことにする。短編というのは実際の旅の隙間に読めるから具合がいい。長谷川四郎は元満州鉄道の社員で、徴兵され、シベリアに抑留されている。

 船は真夜中に横須賀を出た。一週間の勤労に窶した身体は眠りを欲していた。眠いが寝付けない。ツーリストAという部屋はありていに言えば、カプセルホテルのようなねぐらで、横たわる人間をいかに省スペースで運ぶかということが考えられている合理的な作りをしている。価格は一万円と少し。移動費と宿泊費を兼ねていると思えば安い。船が揺れるのと、隣室のいびきで睡りは断続的であるのだがそれもまた一興である。どうせ眠れぬのならと思って本業の仕事を少し進めていたら、いつの間にか眠っていた。

 昼過ぎ、姉妹船とすれ違うとアナウンスがあったから甲板に出てみる。いかにも春の海というのどかな淡い海がとろんと広がっていて、船と船はすれ違いざまに呼応するように汽笛を鳴らし合う。同じ運行会社のバスがすれ違う時、運転手同士が手を挙げて挨拶するのを見るのは何となく好きなのだけれど、船の汽笛はやや過剰演出の感もあって興が削がれる。しかし、そんなことはどうでもよくなるくらい波は穏やかだ。 

 船には露天風呂やサウナもついている。豪奢だ。自衛隊員二人組とサウナで一緒になる。以前大洗‐苫小牧のフェリーを利用したときも自衛隊と乗り合わせたから、自衛隊の移動手段としてフェリーというのは常套なのかもしれない。東京だと自衛隊員の存在をさほど思わないけれど、地方だと自衛隊というのは急に距離が近くなり可視化されるものの一つだ。地元・旭川にも駐屯地があって、国道を自衛隊のトラックがよく通っていた。自衛隊への勧誘のポスターは至るところにあり、親の職業が自衛隊という友人は沢山いた。サウナの自衛隊の二人組は、駐屯地のサウナよりは温度が熱くないとか、帰投するときに時間を巻くためにコンビニに寄らないはずだとか平和な話をしていた。

 霞がかった島々が、昼の潮のうえに現れては流れてゆく。

 船室で読書をする。黒パンと酸っぱいキャベツ、貧しいロシア人農夫たち、抑留された日本兵。ロシア人にも日本兵にも分け隔てなくパンを振る舞うロシア人寡婦の腕のうぶげの金、野菜集積地と鉄道、礼拝堂と名付けられた死体置場。

 本を閉じてデッキに出れば、鮮烈な春の夕焼けが左舷の九州側に沈んでゆく。右舷には愛媛の半島が見えて、半島の山並みに尾根に風車が立ち並んでいる。けざやかな夕日光線が小波を照らしをかける。

門司の安宿で句を書く

 門司港についたのは21時頃。一瞬尻込みしてしまうくらいたいへん奥ゆかしく朽ちたビジネスホテルが今日の宿だ。

 このご時世一泊4000円だが、部屋自体は快適である。船の中の読書でかなり言葉が頭の中に滞留する状態を作り出せたので、ここで集中して句を作ることにする。かつて満州からの引き上げ拠点であった門司という空間の地霊に身を預けつつ、これまで自分の中に蓄積していた植民地、引き揚げ、抑留の言葉を引っ張り出してくる。言葉として相手取りたい語は、スプレッドシートにメモしてある。

 これらの語を没入の足がかりにして、自分を「場」として言葉に明け渡す。到来するものを受け止めたときの身体の起こりが言葉に現れる。ロゴスと結びつく秩序ある言語では無く、過去の人物の実存が食い込んだ混沌として、語を感じながら、それを受け止めて引き込む。参照した言葉と身体が擦れあい、身震いする身体の手応えを、現象界に持ち込む。どこまで自分がそれに介入して俳句という鋳型に押し込むのかはかなり一回性の強い判断だけれど、そのあたりは一方でかなり理知的、構成的に処理をする方だと思う。それでいてなお統御しきれない言葉の混沌があるから、スリリングである。

 過去と現在が混線的に入り混じる句が20句くらいが一気にかけたので、眠る。わたしにおける参照性とはいま現在このようなものであって、あるテクストと意図を持って親愛的な距離を仮構する営みとか、あるいはデータベースを利用した技術至上主義とか、そういうのにはほぼ興味が無くなって久しい。元来、参照というのは意図的なものになり得るはずがなかったのだ。このあたりは「ねじまわし」5号で書いているので、どうぞ。

レンタカーで事故を起こす

 早起きして車を借りて走らせる。俗にいうペーパードライバーだがこういう思い切りはいい方だ。関門海峡を渡って北上、下関市街を抜けて長門・萩の方面へ。途中で観光地化している角島灯台に寄ったのは「登れる灯台スタンプラリー」に参加するためだ。無事印をもらう。風も穏やかな春の海で、灯台は春の日差しをやわらかく照り返している。浜木綿が風にゆれ、鳶の声が遠くから響いていた。

 もう少し車を進めると千畳敷という高原があった。この高原からは日本海が見えるという触れ込みである。車を走らせてみる。だだっ広い駐車場には人っ子ひとりいない。日本語には油断大敵という言葉があるが、流石人口に膾炙しているだけはあって、一定程度真理を言い得ているようだ。縁石に車の前部から突っ込んだ。

 焦りつつ車を降りて車の下部を覗き込めば、バンパーがしっかり破損している。レンタカー会社に言われた通りにふもとの警察署に電話をかけて事故を報告する。パトカーが高原に到着するまでは1時間ほどかかるということだ。

 もうすでにこのとき私は泰然自若と構えはじめていた。杜甫に〈国破れて山河在り〉という詩句があるが今回は〈車破れて山河あり〉といったところで、私がいくら焦ったところでパトカーが早く来るわけではない。春の海はおだやかで、山の木々は芽吹き、春の風が優しく吹き抜けていく。昨日作った句を推敲しつつ、パトカーの到着を待った。表題句「腦天壊了(のーてんふぁいら)藪の齒醫者は天卽地」はうまく説明できないがこのときにスッと出来て、しばらくこの作り方で自分は自分のことを面白がれるなと思った。

 駆けつけてくれた警察官は優しかった。車を借りる際に入れるだけ保険に入っておいたので賠償などはなかった。保険は大航海時代に香辛料貿易への出資リスクを下げるために発明されたらしい。保険は発明であるとこのとき強く思った。

記:柳元

遠州号〈特集・旅吟〉

 2025年3月22日・23日、帚のメンバー4人で遠州地方(静岡西部、浜名湖など)へ一泊二日の旅行に行きました。その際の各人の旅吟15句を掲載しています。柳元が担当した旅行記もあわせて、旅の様子とそれぞれの作品をご笑覧ください。

(以下、各タイトルをクリックすれば作品へ飛びます)

〇俳句15句

・平野皓大灯台

・丸田洋渡流木

・柳元佑太

・吉川創揮ぼけた

〇旅行記

・「遠州旅行記」(記:柳元)

鰻  柳元佑太

鰻  柳元佑太

春休鰻を食ひにゆきにけり

茶畑は送電塔を連ね冷ゆ

さんぐわつの砂丘の奧に都市の夢

春の灘光は粒として流れ

半島を沖に突き出す椿かな

霾や原發に塔あらまほし

鳥歸る砂丘に尾根の生れて消ぬ

靑空の淡きを野燒げむりかな

美しき穢土を棲みなす子猫かな

朝日なほ霞が濾せど濃かりけり

みづうみの春の濤ともいへぬもの

春は曙卓に地球儀天球儀

湖照るや旅も朝寢の癖拔けず

久方のひる花冷を氣象病

春愁ひ湖上に鳶と日を吊れば

ぼけた  吉川創揮

 ぼけた  吉川創揮

パン用のオリーブオイル黄水仙

鴨達を追わずに鴨のありにけり

海へ行く春おしゃべりな運転手

金ヘルメットみるみる遠く春の海

人に影ふたつ発電所に桜

顔中に春一番の分厚さよ

ネーブルや階段を吹き抜ける声

先生の話の調子シクラメン

石裏のぬくきを掌に移す

珈琲や白波の散るぼけた景

紋黄蝶砂に光の紛れある

鰻屋の春の闇てふ湖のうえ

桜鯛タイムマシンはこないので

囀やじようろを吊るす銀金具

遠ざかるもの眩しくて春の旅

流木  丸田洋渡

 流木  丸田洋渡

灯台に消火器ふたつ春疾風

よい日よい風ひめおどりこ草の首

黄信号みな一瞬のラナンキュラス

流木の流れ来たことすら忘れ

春濤に錆びるともなく砂丘かな

提灯のような音して凧売場

磯鵯かつて校歌に雲の描写

山椒は泳ぐ鰻を大昔

椿落ちはじめて湖のスポーツ

春の夜の卓球台のふかみどり

山桜ホテルのミニ自販機の水

はじめてのパニーニ紫木蓮の朝

軽鴨のいまのいままで水の上

起きている孟宗竹が夢のように

春や今句友が塁を回りくる

灯台  平野皓大

 灯台  平野皓大

梟を正面に描く春の皿

花の雲灯台まではすこし山

何時の間に桜博士となられしか

朧なり貝殻売のとほき耳

貝つぶら灯台つぶら鳥帰る

龍天にのぼる砂塵を厭ひつつ

腰かけによき流木や春北風

永き日や佇ちて砂丘のあちこちに

東京へ行きたさうなる凧一つ

民宿夜道百ほどは落椿

朝寝して窓一枚を挟み湖

風呂の子の昨日凧揚げせしとかや

巣燕や時計の音を裏に聞き

ここ断たば橋の崩落木瓜の花

また旅へ花粉症のかほで会はん

遠州旅行記

 丸田洋渡の運転するレンタカーの乗り心地は素晴らしく快適だ。青い日産マーチは茶畑の中を滑らかに進んでいく。直近に自損事故を起こしたぼくを助手席、平野皓大と吉川創揮を後部座席に乗せる。

 茶畑を横断するように送電塔がリズミカルに幾本も連なっている。黄砂なのか花粉なのか霞なのか判別がつかない春の淡いもやが彼方へと流れていく。神羅万象が明らかに春の様相だ。

 丸田洋渡は軽口を叩きながらハンドルを軽快にさばく。赤くなった目をこすりながら窓を開けた平野皓大に、花粉症なのに何故開けたのかと吉川創揮が突っ込む。平野皓大は笑いながら何か言ったが窓は閉めない。春風が吹き込んでくる。皆がどことなく春の旅に心が浮かれているようだった。

海へ行く春おしゃべりな運転手   吉川創揮

 ぼくらは二七歳になる。「帚」は十代の頃から縁が続いている仲間で、気心が知れている中ではあるけれどでもそれほどべた付いた付き合いをしているわけでもない。つかず離れずというと冷たい感じがするからそれとも少し違うのだけれど、少なくともぼくにとっては飾らずに、自然体で付き合える数少ない(というか無二の)友人たちであることは間違いない。久闊を叙したり、だらだらとどうでも良い話をしたりしながら、車は岬の果ての灯台へを目指して走っていく。静岡の黄信号は短い、と嘘か本当かわからないことを丸田洋渡が言う。

黄信号みな一瞬のラナンキュラス   丸田洋渡

 掛川駅から二十分ほど車を走らせれば、眼前にすぐに太平洋があらわれた。海の水面に午前の日差しがきらきらと反射している。日々の労働で身をやつしているぼくらの中に旅ごころがむくむくと湧き上がってくる。恒例になりつつあるぼくらの小さな春の旅に、ぼくらははやくも充足の気配を感じとる。

 旅の充実を決めるのは、事前の準備とか、旅行先とか、費用とかでなくて、ひとえに自己の魂の飛翔だ。これは結構微妙なもので、どんなに遠い土地に赴いても、何か些細なことに起因して日常からのくびきを逃れることに失敗し、離陸することが出来ないこともままある。けれども遠州の春の海は、確実にぼくらを刺激した。塩梅よく魂の軽やかさを感じていた。

 ロードサイドには今は運転を停止している浜岡原発が見えたり、思いのほか大きいプロペラの風力発電機が見えたりする。電気は周縁で作られ中央に供給される。

 霾や原發に塔あらまほし   柳元佑太

 市街を抜ければ岬だ。進行方向右手には遠州灘が輝きを放っている。海の照り返しの柔らかな眩しさをもろに受けながら進む。沖の方には霞越しに船の影が動いていた。

 目的地だった白亜の建造物が見えてくる。岬の小高いところに置かれているそれは御前崎灯台である。灯台には螺旋階段が設えてあって、ドラクエみたいに一列になって灯台内部をぐるぐると廻って、思っていたよりも急な段差を急かされるようにのぼる。

 おお、とか、わあ、とか、ぼくらは思わず感嘆の声をあげた。地球、としか言いようがないパノラマだった。沖の方では黒潮と駿河湾の瀬流がぶつかっている。一帯には暗礁群が潜んでいるらしい。かつては船の難所だったようだ。

 灯台に吹き付ける海風はすさまじかった。平野皓大が案外怖がっているのも面白い。丸田洋渡はいったいどういうことか分からないけれど、眼鏡を吹き飛ばされていた。景色を堪能して見晴台を後にしようとした吉川創揮は年配の観光客に話しかけられて話の切り上げどころを失って風に吹きさらされていた。

貝つぶら灯台つぶら鳥帰る   平野皓大

 灯台のふもとには誓子の句碑があった。「句碑の割には良い句だね」と含みのある言い方をしたのは「帚」の面々のうち誰であったか。句碑というものは現代においてなお観光資源になるわけでもなく、ほとんどの人がその意味内容を理解しない空虚さがあるのに、その権威性が何かしらの信心を要求する間抜けさがある。空虚、権威、間抜け。そしてそれは句碑というよりも俳句そのものの本質ではないか。

 灯台からもう少し車を走らせると砂丘がある。砂丘というとてっきり鳥取にしかないものかと思っていた。ひかえめな砂丘というよりはしっかりと海を遮るくらいには壁をなしている。砂に足をとられながら砂丘をのぼり、海に向かって降りていく。春の日差しに白く輝きながら、太平洋が穏やかに波を淡く浜に打ち付けている。心地よい静けさを感じる。春の太平洋は確かに穏やかなのだけれども、しかし何か強度が潜性しているようなところがある。ぼくらは何を言うでなくばらばらに散っていく。

永き日や佇ちて砂丘のあちこちに   平野皓大

 砂丘側を振り返れば、私以外の帚の三人が、砂丘中腹の乾ききった二メートルほどの流木にベンチよろしく腰かけている。横一列に三人が座っている様は如何にも微笑ましい。かまびすしげに会話するわけでもなく、しかしてんで別のことを考えているわけでもなさそうで、春の海を眺めて、何かを考えたり談笑したりあくびをしたりしていた。

 浜松でレンタカーを乗り捨てて、鉄路で浜名湖の北岸に移動する。天竜浜名湖鉄道の始発である新所原駅にはうなぎ弁当が売っていて、うなぎという食べ物の魔力というか、その三文字を見たときにそのことしか考えられなくする力のようなものがある(結局ここでは購入しなかったが夕食はみんなでうなぎを食べた)。

 湖畔は海辺とは別の種類の静けさがあって、桜が控えめに咲いていたり、燕がせわしなく巣を建築していたりする。自然なゆったりとした時間の流れがそこにはあって、普段いかに時間を操作可能なものとして管理して忙しく過ごしているかを逆照射的に思わざるを得ない。そんなことを言ったって賃労働者として自分の時間を切り売りするしか生計をたてるすべがないのでせんないのだが。

 宿では卓球をし、思いのほか盛り上がる。丸田洋渡はテニス経験者なので、一人だけコマンドにスマッシュがあって、ずるいと言えばずるかった。

春の夜の卓球台のふかみどり   丸田洋渡

 暁のころおもむろに起きだして、日の出をみた。冷え冷えとしたほのぐらい湖を、ピンク色の太陽光線が照らす。朝風呂に入ったりベランダから湖を眺めたり、朝寝をしたり、思い思いに朝を過ごす。

湖照るや旅も朝寢の癖拔けず   柳元佑太

 適当に入った喫茶店のモーニングのパニーニを丸田洋渡や吉川創揮が絶賛していたり、「さわやか」のハンバーグを食べ損ねて無駄な移動をしたり、みなで東京に帰った後にぼくの草野球の試合を応援しにきてくれたり(彼らが見ている前で満塁本塁打を打てたことは生涯忘れることはないだろう)、まだまだ記したいことはあるのだけれど、このあたりで筆をおこうと思う。

 「帚」がどういう集団になっていくのかはぼくらにも読めないところがあって作品を発表出来ていないのは忸怩たるところがないわけではない。ただ確実なのは、「帚」というのは、友情のひとつの形態に便宜上ついた名前だということである。友情が続く限りはたぶん「帚」はなくならない。

 また旅に行こう、みんなで。

遠ざかるもの眩しくて春の旅   吉川創揮
また旅へ花粉症のかほで会はん   平野皓大

〈ゆるやかなわたしたち〉について おぼえがき   柳元佑太

 この批評は2024年12月28日(土)に開催された第128回現代俳句協会青年部勉強会「名付けから始めよう 平成・令和俳句史」の柳元作成レジュメをほぼそのまま掲載したものです。勉強会では私の他に赤野四羽さん、岩田奎さんがパネリストとして参加し、それぞれ基調発表&クロストークをしています。俳句史の新たな議論の種を作りだせていると幸いです。アーカイブが視聴可能ですので、ぜひお申しこみください!

1.新たな共同体〈ゆるやかなわたしたち〉の勃興

 元号が令和となってから結成された俳句共同体を思いつくままに挙げてみる。「楽園」(堀田季何主宰、2020年-)、「麒麟」(西村麒麟主宰、2022年-)、そして「noi」(神野紗希/野口る理代表、2024年-)。もう少し遡れば「蒼海」(堀本祐樹主宰、2018年-)などもある。

 時代的な分析を試みれば、東日本大震災を契機とした「繋がり」「絆」の称揚や、コロナ禍を背景とした非オンラインでのコミュニケーションの見直しは「人間はリアルな共同体無しでは生きられない」という感覚を醸成した。とはいえ我々は、家父長的な共同体に所属し、個を集団に奉仕させ、個をすり減らしたいわけではない。しかしインターネットでの緩やかなつながりよりはもう少ししっかりと繋がりたい。

 このような共同体回帰のニーズの具体的な現れが、前述の俳句共同体なのではないか。先に断っておくと私はこのうちどの団体にも関わっておらず参与観察できているわけではない。これから言表しようとしていることは、以上の団体に当てはまらない部分の方がむしろ多いと思うから、あくまでもたたき台として使われたし。

 ここでこの現代的な共同体のありようを〈ゆるやかなわたしたち〉と名指してみたい。ゆるやかに〈わたし〉を包摂する〈わたしたち〉。フラットながらもどこかナイーブで、安易で、欺瞞めいていて、それでいてほっとするような〈ゆるやかなわたしたち〉。運動体としての連帯を可能にしながら、ときにわたしを疎外して困惑させる〈ゆるやかなわたしたち〉。私の周りを霧のように取り囲んでいるものはこの〈ゆるやかなわたしたち〉的な共同体であるということには、少なくとも私には身体的実感がともなうように思う。今、この時代に立ち現れている〈ゆるやかなわたしたち〉という共同体のありようを言表してみたい。またこの共同体性は俳句にどのような影響を及ぼしているのか。

2.〈ゆるやかなわたしたち〉の特徴

 代表的な俳句共同体の類型を図にした。以下、この図をもとに説明したい。

 伝統的結社前衛的文学共同体〈ゆるやかなわたしたち〉
中心家父長カリスマわたし(たち)
目的(芸事としての)俳句の上達(文学としての)表現可能性の追及わたしの生の充実
イデオロギー無(「隠れたカリキュラム」として存在)
時間感覚円環的直線的(進歩主義)今・ここ
読みのモード私小説的テクスト論的(「作者の死」)制作における実存の重視(「作者の死」の死)
他者の句に対して批評言語化

 

3-1.中心

 伝統的結社は家父長が中心となって形作られ、ツリー状の構造を持つ。また前衛的文学共同体はカリスマが中心となって形作られ、相互承認が原理であることが多いが、実際はカリスマからの承認によるところも多く主宰や代表が中心となる点においては、伝統的結社とさほど構造が変わらないとみてよい。対して〈ゆるやかなわたしたち〉はその中心は〈わたし(たち)〉である。むろん主宰や代表が存在しており、選があることも多いからして、いっけん主宰や代表が中心の権力構造のように見えるが、〈ゆるやかなわたしたち〉において主宰や代表はあくまでも〈わたし〉のために存在している。

投句欄には選句がありますが、欄の選者は「先生」「師」としてではなく、一冊の雑誌を世に出す立場として、編集権限で句を選びます。 それぞれの「誌友」を「作家」として照らし出す心で選句にあたります。作品発表の場として、方向性の指針を得る羅針盤として、投句欄を生かしてもらえたら幸いです。(「noi」X公式アカウントより)

 共同体は〈わたし〉に対しての絶対性をもたない。あくまでも共同体は「作品発表の場」であり「方向性の指針を得る羅針盤」でしかない。ここにおいてかつてのように、共同体のために〈わたし〉が存在するのではなく、〈わたし〉のために共同体が存在すると言ってよい。しかしこれは自己中心的というわけでなく、むしろ〈わたし〉が複数集まることにより立ち上がる倫理というものが濃厚にある。

3-2.目的

 〈わたし〉が中心となるとおのずから目的も変わってこよう。伝統的結社は「芸事としての俳句の上達」を目的とし、前衛的文学共同体が「文学としての表現可能性の追求」をすることに対して、〈ゆるやかなわたしたち〉においては「わたしの生の充実」が第一義である。とはいえ芸事としての俳句の上達や、文学としての表現可能性が目指されていないわけではない。むしろこれらを媒介として「わたしの生の充実」が目指されている。しかしながら、「わたしの生の充実」をなげうってまで「芸事としての俳句の上達」や「文学としての表現可能性の追求」を行おうとする風潮がもはや無いこともまた事実であろう。かつてのようには一応は文学的ポーズとして表現至上主義的な身振りをとって資本主義外部の価値を目指すことは諦められている。終わらない資本主義の中でいかに「わたしの生の充実」を最大化するかということ、このニーズにこたえたサードプレイス的な共同体であると言えよう。

3-3.イデオロギー

 伝統的結社と前衛的文学共同体は基本的にそれぞれに固有のイデオロギーを持つ。「花鳥諷詠」であるとか「有季定型」であるとか「俳句の周縁の探求」とかを思い浮かべればよい。そのイデオロギーとの思想的合致により共同体が選ばれる。対して〈ゆるやかなわたしたち〉は、語弊を恐れずに言えば、イデオロギーは無い。より正確に述べるのであれば、「イデオロギーが無い」ことをイデオロギーとしている。これは自由、多様性、寛容というリベラルな諸価値と親和性が高い。

野をめぐるように自由に創作に打ち込み語り合う場を作りたく。(「noi」X公式アカウントより)
楽園俳句会は俳句・連句を中心とした詩歌結社です。/俳諧自由の理念に基づき、俳諧普及のため、堀田季何によって2020年3月20日に設立されました。(楽園俳句会HPより)
僕は基本的には有季定型の句を作ります。ただし選句は作品として良ければ採る、というシンプルな選を心掛けます。口語や文語、又は破調や無季であろうともその考えは変わりません。作品の出来が全てですので、それぞれの作句スタイルをこちらが限定することはありません。(麒麟俳句会HPより)

 〈ゆるやかなわたしたち〉は多様な〈わたし〉たちを迎え入れるために、イデオロギーを全面に出さない。しかしながら、ここで本当にイデオロギーが無いかどうかは疑問である。ここで「隠れたカリキュラム(Hidden Curriculum)」という教育社会学の概念を援用したい。これは学校の中でカリキュラム化はされていないものが意図しないままに非公式的に生徒に伝わってしまうということを指す(例えば、教員における主任や管理職のジェンダーが男性ばかりだと「女性は社会的に活躍できない」というメッセージを伝達してしまう)。〈ゆるやかなわたしたち〉も「隠れたカリキュラム」を持つと考えることが出来る。例えば西村麒麟が「作品として良ければ採る」「作品の出来が全て」とどんなに言ったところで、ある価値判断がそこにある以上、そこには依拠しているイデオロギーがある。句会において虚子の句を引用することが多ければ、虚子が「隠れたカリキュラム」となっている。こうした「隠れたカリキュラム」は、イデオロギーが明確になっていて相対化も容易であった以前に比べてやや厄介であると言わざるを得ない。

3-4.時間感覚

 時間感覚も共同体において異なっている。伝統的結社は「円環的時間」、前衛的文学共同体は「直線的時間」である。ここにおいて特筆すべきは前衛的文学共同体における「直線的時間」であって、これは史観としては進歩史観として捉えなおすことが出来る。俳句においては俳句表現史が一歩ずつ着実に前進している(前進してしかるべき)と信じることが可能になるためには、ある程度はこの進歩史観を前提としなければいけない。

今号では「俳句史を進める」という大きな話をしようと思う。/作品固有の価値とは何か、あえて極論すれば、それは唯一無二性ということになる。そして、過去・現在において、存在しなかった句を書き、誰もなし得なかった仕事をする、それこそが俳人の価値と言える。(板倉ケンタ「現代俳句時評 時評ではなく」「俳句」2024.12より)

 板倉が半年間書いていた時評において顕著だったのはこの素朴ともいえる進歩史観である。しかしながらこの進歩史観はどれくらい信じ得るのか。あるいはもっと踏み込めば「俳句史はそもそも進めないといけないものなのか」という板倉時評において所与となっているこの前提はもう少し問われてもよかったはずだ。あるいは板倉が半年間、ときにセンセーショナルな言葉でもってこの進歩史観が共有されていないことを嘆きつづけたこと自体が、すでに進歩史観の時代が終わっているということの証左になるかもしれない。

「鬣」っていうコミュニティのテンションには「俳句表現史というものを見据えて、そこを踏まえつつ、自分なりの新たな一句、まだ見ぬ一句、書かれざる一句というものを立ち上げていくっていうことを、どこまでも追及することは諦めちゃいけないんじゃないか」っていうことがやっぱりどっかにあると思うんですよ。そこを完全に否定するっていうテンションはないと思うんですよね。だけど、私はそこにちょっと……疑問を持ってるんですね。そういう立場はすごく尊重はするんですけど、ただ私はそういうものがだいぶきついなって思いながらずっと過ごしてきていたんですよ。二十代の私は、こんなに前に進めない感じで、でも前に進めないことに対して否定的に捉えたくないっていう気持ちがあったというか。つまり「昨日と同じ今日があって何がいけないのか」と。「俳句は昨日のような今日を書くような形式じゃないのか」と。(外山一機「特集 俳句だった前衛」後編『ねじまわし』第9号より)

 外山一機は、期せずして板倉の言説と真っ向から対立する考えを示している。俳句表現というものを考え抜いてきた前衛的文学共同体の遺産を屈折しつつも引き継いでいる外山が、俳句表現史の更新に関して、諦念に似た感覚をいだいているということは非常に示唆的であろう。「昨日のような今日」というのは「円環的」な時間と言っていいし、俳句表現史を自分の手によっては進めえないことのナイーブな肯定である。もし俳句が「進歩史観」から取りこぼされた者の切実さを託しえない詩形なのだとしたら、つまり「進歩史観」を信じ得る人間によってのみ俳句のメイン・ストリーム(そんなものがいまだあるとして)が形成され、それ以外の人間は周縁で自己慰撫に耽っていればいいというのが俳壇一般の認識になるべきなのだとしたら、それは果たして思い描くべき未来の姿なのだろうか。

俳句には伝統という側面がある。作品固有の唯一無二性を考えた時に、極論、「伝統」自体に価値は無い。誰かがすでにやっていることをなぞっても、その俳人はいなかったことと同じとすら言える。(板倉ケンタ「現代俳句時評 時評ではなく」「俳句」2024.12より)

 様々な事情で「進歩史観」から脱落せざるを得ない製作者がいる。「昨日のような今日」を書かざるを得ない人間がいる。「過去・現在において、存在しなかった句を書き、誰もなし得なかった仕事をする、それこそが俳人の価値」であり「誰かがすでにやっていることをなぞっても、その俳人はいなかったことと同じとすら言える」のだろうか。また、そもそもその唯一無二性を判定するのが特殊な個人であらざるを得ない以上、その特殊な個人の判定によって誰かが「いなかったことと同じ」になる価値体系は危ういと言わざるを得ない。ジャーナリズムがいかに恣意的であるかは言を俟たないし、周縁はいとも容易く消去されるだろう。それに、俳句は50音から17個とるという極めて単純な順列組み合わせで表し得ているという立場に立つなら、そもそも「唯一無二性」などは現在の人類の技術的制約により制限された視野の中だけに立ち現れる、甘美な夢でしかない

 とはいえ、では「進歩史観」を完全に捨て去ることは出来るのか。自分の表現が何か新しいものであることを願わず、それが「史」なるものの前進に寄与せんとすることを願わずに書いていけるのか。このアポリアに対して、〈ゆるやかなわたしたち〉はどのように対処していくのかというのが、目下の興味である。〈ゆるやかなわたしたち〉は(少なくとも正面から)「直線的時間」を共有してはいない。かわりに採用される時間感覚は「今・ここ」である。「今・ここ」における自己実現、「今・ここ」において書くことによって都度再構成され、見る/見られる「わたし」。あるいは「今・ここ」における他者、こういったものの中に豊かさを見出そうとしているように思えるが、どうだろうか。

3-5.読みのモード

 伝統的結社は「私小説的」に、前衛的文学共同体は「テクスト論」的に読解が行われることが多い。特に後者におけるいわゆる「作者の死」は、一見すると不可逆的なパラダイムシフトのように思えた。しかしながら「ゆるやかなわたしたち」においては、この一度死んだはずの作者が復権してきていると言わねばならない。

書き手の反映を基本とするロジックは、その後、テクスト制作における実存の重視として、彼ら(柳元註:保坂和志と佐々木敦)の意図からずれつつも時代の推移としては順当に一般化したと考えられます。具体的には、「日記」や「随筆」、「私小説」や「生活史(ライフヒストリー)」の流行、そして社会的主題の表出を書き手の実存との関係(の有無)のもとで評価する制作/批評観の主流化といったかたちで。(山本浩貴『新たな距離』フィルムアート社、2024)

 書かれた言葉は、その時代性やその言葉を取り囲む権力勾配の中でしか厳密には理解不可能であるし、特に多様な「わたし」の在り方を認めようとすればするほど、それらを一つの普遍的な言語としてみなすのではなく、個々の肉体や精神から立ち上がる一回性のある発話としてみなす方が適切になってくる。

3-6.他者の句に対して

 伝統的結社は「選」をし、前衛的文学共同体は「批評」をする。昨今はこの「批評」の不在が叫ばれて久しい。これは〈ゆるやかなわたしたち〉において採用されるシステムが「批評」ではなく「言語化」だからであると考える。「批評」から「言語化」へと、緩やかにシステムが変化していると思われる。

 「言語化」の称揚は俳壇に限らず一般的な潮流とみえて、書籍タイトルに「言語化」を含む図書の出版件数を調べてみると、2016年から2020年では215件だったのに対して、2021年から2025年では421件もの図書が出版されており、ほぼ倍増している(国立国会図書館サーチ、2025年2月10日閲覧)。自己啓発本の分野でも「言語化」は大きな脚光を浴びていて、社会自体が「言語化」に対して肯定的な価値づけを与えているといってよい。では「批評」と「言語化」はどう違うのだろうか。

批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか(小林秀雄『様々なる意匠』1929年)

 「批評」というものが小林秀雄の言う通りのものだとすれば、「批評」は「己れの夢(=自己)」が起点である。「批評」は自己と他者が交わるため否応がなく傷つくときがある。そういうことを覚悟のうえで止揚しあう場としてかつて「批評」というものはあった。「己れの夢」と「他者の夢」との差分を認めながらも「己れの夢」として語る。そこにまず間違いなくマッチョな価値観があったことは否めないが、それが作品の水準を担保する機能があったこともまた事実だろう。

 他方で、「言語化」は他者の作品そのものが起点であって、すでにそこに客体として存在しているものを、所与の前提としたうえで、いかに語り損なわずに語り起こすかかというゲームである。だから「言語化」では、「上手に読む」ということは起り得ても、相手の作品それ自体は所与の前提だから、大きな枠組みでの価値観の対立の止揚などは起らない。「言語化」は建前としてそこにすでにあるものを明確にするだけであって、語弊を恐れずに言えば創作的な行為ではない。相手の作品それ自体を所与の前提として受け入れるという態度を「優しさ」とか「誠実さ」とかと呼ぶかどうかは私は判断しかねるが、踏み込んではいけない自己と他者の境界が規定されて、より他者倫理が強くなったのは事実だろう。一例として、私は「俳句甲子園」に18回大会から今まで関わってきていてその変化を定点的に観測しているが、俳句甲子園は明らかによしとされる価値観が「言語化」になったと思う。

 以上、ざっと〈ゆるやかなわたしたち〉についてのおぼえがきを示した。

銃よりもおもしろい  丸田洋渡

 銃よりもおもしろい  丸田洋渡

金魚売あわれあらわれては消えて

火祭の煙る浴衣や帰っても

霧しゃべる理髪師がおとす銀の道具

がむしゃらに歩くがいこつ百日紅

火が蠟に憑いている百物語

麒麟にも犬のともだち居待月

つながりのきれいな電車糸もみじ

鈴の色して会いにくる人も木も

よるの署の紙とぺんしる下弦の月

栗色の俳書にお似合いのランプ

ほんとうに砂の砂糖や秋うらら

おにぎりに謎の魚や神無月

新雪や毒の知識がすこしずつ

冬の日の銃よりもおもしろい花

ミルクティーみたいな冬のサスペンス

こせこせとクリスマスだから音楽

全身が仄明るくて蜜柑風呂

ガム噛めば梅のにおいの空は雪

俳句むずかし厚焼き玉子用の皿

   ❆

シャッターは生まれる前に押している

命綱なんてあるわけ山桜

寒天のみるみるうちに夏みかん

花火かとおもえば戦争のテレビ

あるまじきところに心ところてん

風鈴や島から島へ橋ひとつ

甲板に私が立っていて触る

幽霊はバターのにおい半夏生

原っぱのトランペットの子と話す

桟橋へ月見えすぎているような

山椒の木や人生は涼しくして

いわし雲三日後のこと考える

消えやすい秋の子どもの遊び方

卵のない卵パックの風通し

鶺鴒や哲学が哲学で紙

てのひらに文字書いている秋思かな

秋の夜コンビニが想像できる

お月見のおもちをもちあげるおもち

日向にも好き好きあって十月など

水族は三日月を考えている

ばらばらも非ばらばらも鯛ごはん

窓枠に窓ちゃんとある秋の朝

鶏頭や爆弾処理班の休日

チェロ色の大学前の停留所

口癖に口は欠かせず冬薔薇

かえりみる百舌鳥ことばからもう一度

凍土や小学校を遠回り

宇と宙のうかんむり感鐘氷る

荷づくりは窓を見ながら春の雪

一文字も書けていない花柄の遺書

   ❆

雪のなかで銃をうまく想像できない。


*読み:仄明るい(ほの-)、鶺鴒(せきれい)、百舌鳥(もず)


  

片仮名の多い詩集を読んだあと手のひらでグー・パー・グーやった 川村有史

所収:『ブンバップ』書肆侃侃房、2024

記:丸田

「あるある」には段階がある。この歌は良いあるあるを、良い言い方で言っているちょうどいい歌だと思う。
 この歌を評価するために、迂回にはなるが、「あるある」について考えてみたい。

 *

  今から即興で五つの例を挙げる。

 ①トマトのあるある:赤い
 これは特徴レベルで、ほぼあるあるではない。

 ②遠足のあるある:楽しみで前日眠れない
 これはふつうのあるある。

 ③真夜中の学校のあるある:怖い
 これは特殊なあるある。

 ④冷蔵庫のあるある:たまに宇宙みたいな音がしてうるさい
 これも特殊なあるある。

 ⑤短歌のあるある:夏しか詠まれない
 これは行き過ぎている・もしくは「ないない」。

 *

 あるあるとは、「あるある」と比較的多数が共感できる内容のことを指すため、「ない」に到達してしまうと、それはあるあるではなくなる。だから、まず、「あるーない」の軸が存在する。⑤で言うと、短歌は「夏がよく詠まれる」という言い方であればあるあるの範囲内で、「しか~ない」と断定してしまうと、そんなこともないと思われてしまって、「ない」に近づいていく。
 この「あるーない」の軸は、両端・真ん中に寄らないちょうどいい位置である必要があり、①のトマト→赤いは、極端に「ある」に寄りすぎているがために、「あるある」ではなく、特徴の説明になってしまう。全員が即答できるような事実、は、良いあるあるにはならない。

 ②遠足→前日寝れない は、比較すると一般的なあるあるだと思う。多くの人が共感できるような内容で、かつ、「みんながそうらしいということが既に流行っている」タイプのあるあるである。似たようなもので言えば、「テスト勉強をしていないと言う人ほど実はしている」みたいな。ノーマルにあるあるであり、もはや知名度の高いあるあるになっている。自分が共感できるかどうかではなく、それが既にあるあるであろうからあるあるだと納得できるという仕組み。
 一般的な会話の流れであるあるが必要になる場合は、このような知名度の高いあるあるを使用することがほとんどだと思う。皆が共感して、そこから会話を進められたらいいからである(お笑いで言うと土佐兄弟が行っているような学校あるある)。
 ただし、この知名度の高いあるあるは、共感の度合いや想起させるスピードは高いが、面白さという点には欠けている。鮮度が低い。もしより面白いあるあるを狙いに行くには、知名度の高くない、新しいあるあるを求めに行く必要がある。

 ③真夜中の学校→怖い は特殊と書いたが、何が特殊かというと、「お題が変形している」ことにある。簡単なお題に対して、ちょうどいいあるあるを言うのが「あるある」あるあるであって、お題自体が変であれば、アプローチが変わってくる。もっと極端に、「火星の病院あるある」とかを想定してもいい。
 お題自体が「ない」側に近づいているとき、あるあるのアプローチは大きく分けて二つある。一つは、完全正答を狙いに行くこと。今までの例に倣って、ちょうどいいあるあるを、変なお題に対しても見つけに行く。もう一つは、完全に「ある」に振りきること。完全に「ある」が+100、完全に「ない」が-100として、理想が80くらいだとすると、完全正答で一発で80を出すか、お題の-20に+100をぶつけて結果80くらいに見えるようにするかの二択になると考える。③でいうと、「真夜中の学校」はそもそも行ったことがない人の方が多いはずで、何を当てても共感には至りにくい。そのため、真夜中の学校の印象の+100「怖い」をぶつけて、あるあるまで持っていっている、ということである。
 ここで付け加えておきたいのが、(私の個人的な感覚として、)100「ある」で中和させるタイプは、完全正答には少し負ける。テクニックとして80に見せるのと、初めから80なのには、ほんの少しだけ差がある。

 続いて、③はお題自体の変形があったが、④は回答自体の変形、という特殊なタイプになる。冷蔵庫→ブーンと音がなってうるさい くらいが、知名度の高いあるあるの範囲内であり、「宇宙みたいな音」まで行くと、かなり内容が盛られている。よくよく考えれば、宇宙の音を聞いたこともないわけで、若干「ないない」に振れているが、⑤とは違うのは、あるあるベースで表現だけが盛られている、という点である。「宇宙みたいな音」という比喩が、「ブーン」を差していることは容易に想像がつくから、あるあるを離れすぎない。
 このパターンで発生しているのは、あるあるの伝達に加えて、「あるある」感を増幅させる形で回答者の表現上の個性が見られる、ということであり、①~③には希薄だった回答者の影が濃く見えてくることになる。

 *

 上記の点を整理する。あるあるには、「あるーない」の軸があり、両端や真ん中に寄らない方が「あるある」感が高い。あるあるが使われていくことで、あるある自体の知名度の高低が発生する。そしてお題が変形しているときは、回答の形は完全正答か100「ある」でぶつけて中和する方法があり、完全正答が理想ではある。回答が変形しているときは、あるあるとは別に、回答者の表現の個性を伝えることできる。

 あくまで個人的な体感によるため、この時点で誤っていると思われる方もいると思うが、一旦これで進めることにする。

 今確認した事項の他に、もう一つ、重要なことがある。面白いあるあるを目指すとき、真逆の「ないない」も面白いと感じてくる場合が時折発生する。これはどうしてそうなるかというと、「あるある」あるあるが、「ないない」に向かっていくからである。
 というのは。あるあるを考えるという行為は、ちょうどよく「ある」を考えることであるが、それは「ありすぎてもいけない」「なさすぎてもいけない」という二つの思考を同時に行うことである。だから、あるあるを考えるほど、同時に「ないない」も考えることができていて、無意識のうちに「ないない」は溜まっていっている。
 という前提に加えて、「あるある」あるある(「あるある」を考える行為そのものの「あるある」)として、知名度の高いものは使いたくない というのが生まれてくる。知名度の高いものを流用していても仕方ないから、自分でまだ見ぬものを見つけてこなければならないという感覚が、「あるある」あるあるである。
 この二つが混ざっていくと、手元に一杯溜まっている「ないない」が、面白そうに見えてくるときがある。「あまりにもない」は、「すこしくらいはある」に見えてくる。(英語で「few / little」と言うと「少ししかない」で、「a few / a little」だと「少しはある」になるのと雰囲気は似ている。)ちょうどよくある、よりも、「全くない」とかの方が潔くて面白いと思うターンがある。

 ただしこれは、「面白い」を追求した先にあることであって、共感を前提としたコミュニケーションの上ではノイズになってしまう。のんびり遠足あるあるを話している時に、「遠足あるある 車で行く」とか言い出すと、会話が変な方向に行ってしまう(遠足あるあるを考え続けていると、「車で行く」くらいのないないが面白くなってきたりする)。
 そのため、あるあるのフィールドでないないで攻める場合は、聞き手を選ぶことを覚えておくのが重要である。聞き手が、一つのあるあるに対して知名度の高い回答を多数知っている場合であれば、ないないが面白さとして力を発揮することができる。上記⑤であれば、短歌読者がみんな、「短歌→夏の作品が多い」という回答を知っており、それに飽き飽きしてきていると、「短歌→夏しか詠まれない」が面白いとされるようになる。聞き手がどこまで知っていて、どれくらい面白いものを求めていて、どれくらい知名度の高い回答に飽き飽きしているか、それらを勘案して初めてちょうどいい「ないない」が成立する
(読者不在で、伝わるだろ面白いだろという顔で「ないない」を突然投げてくるような作家はたくさんいる。それを面白がるために反対のあるあるを調べようとする良い読者もいるが、大半はぽかんとして終わりである(なぜなら、一周回っていない、ただの「ないない」だから。そのあたりに注意が必要になる。)

 *

 とずいぶん遠回りをしたが、それらを前提に、川村有史の表題歌を見てみる。

 片仮名の多い詩集を読んだあと手のひらでグー・パー・グーやった

「読んだあと」を一旦つなぎの言葉として(音楽の楽譜でいうタイみたいなイメージ)、「片仮名の多い詩集→手のひらでグー・パー・グー」というあるあるが書かれていると考えると、非常に特殊で複雑な操作が入っていることが分かる。
 先述した③のように、ただの詩集ではなく「片仮名の多い詩集」とお題が若干変形して細かくなっている。一見して分かる通り、まずこの書き手は100の中和は目指していない様子。完全正答を目指している(メタにいえば、下の句の行為(回答)を引っ張り出すために、それに合わせた細かいお題を作者が設定した、とも言える)。
 そして、その回答もまた、変形している。カタカナが多くて閉塞感や窮屈さを感じていて、その真逆の行動を体でしたいということなので、たとえば「お布団で大の字で寝た」とか、「ラジオ体操第一をした」とか(こうなれば大喜利になってくるが)でも意図するところは表現できた。
「からだを動かしたくなった/からだが動くか確かめたくなった」が第一の回答、その変形が「手のひらを開いて確かめた」、さらにそれを変形して、「手のひらでグー・パー・グーやった」になる。少なくとも二回の変形を受けた下の句になっている。

 先述した通り、この回答の変形には回答者の個性が出る。手のひらを開いたり閉じたりを、グーとパーに例えていること。「グー・パー」と中黒を挿入していること。「グーやった」という言い方を選んだこと。少なくともその三つが、この下の句から見える回答者を想像するヒントになる。私としては、陽気な人を想像した。そしてリズム感の良い人だなと思った。ラップとか聞きそう、みたいな(この推測には歌集タイトル「ブンバップ」が影響している。しているというか、私が影響させている。ブンバップはHIPHOPの用語で、90年代くらいのサンプリングビートのこと)。

 そして、回答をお題とセットで引いてみたとき、「グー・パー・グー」もまた「片仮名」であるということに目が行く。窮屈さからの解放かと思いきや、ちゃっかりカナの影響を受けている様子。しかもよく見ると、「グー・パー」で終わっておらず、手の形は「グー」で終わっている。手は窮屈さに戻っていく形になっている。とすると、解放というよりは、一度パーを挟むこと、手の動きが正常に行えるかどうかの確認、の方が意味合いとしては大きいのかなと想像する。

 そして、あるあるという視点から離脱したとき、タイの「読んだあと」が微妙な時間の流れを作っていることが分かる。「読んでいて」とか「読みながら」も可能ではあるが、主体は読み終えるまではその状態で耐えたことが分かる。映画のエンドロールを全て見終わってから立ち上がるように、「読んだあと」初めて、手のひらを動かした。このあたりの些細でありながら素直な言い方で、主体の動きの流れや性格がうかがえるようで、面白い。

 最後に、お題にある「片仮名」が漢字であることを考える。カタカナが多い詩集を振り返って、「グー・パー・グー」なのに、「片仮名の多い詩集」となっているのはなぜなのか。この歌でここだけは、意見が分かれるところだと思う。これは、書き手(主体)というよりは作者の個性が出てしまっていて、「カタカナ」という文字列よりも「片仮名」という文字列の方がいいと判断したのではないか。私としては、「詩集」という単語の近くにあるから漢字三文字の方が居座りがいいことと、「グー・パー・グー」に読者の視線を集中させるために余計なカナを登場させないという意図から、「片仮名」でも納得する。見ていると意外と、漢字も漢字で「グー・パー・グー」したくなる感はあるなあと思う。
 総合的に、あるあるの完全正答でありがなら、ぱっと分からないくらいの変形と、気取らない雰囲気が良質で、創作の順序は頭で追えても、自分の手ではなかなか作ることができないと思う、強い歌だと感じた。

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 短歌が共感ベースで進んでいくものとして語られることは多いが、その仕組みを大きくあるあると捉えてみたとき、共感をより煽れるのは知名度の高いあるあるということになるが、詩として面白いものを目指そうとすると、知名度の低いあるあるを見つけるか、新しく創出する必要がある。それが行き過ぎて「あるある」ではなくなってしまった場合、それは共感できないことを表し、読み手はぐっと距離を取ってしまうことになる。どこまでがあるある足りえるか、どこまで共感可能な世界として想像してもらえるかを想像することが肝心である。

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 五つの例で考えたのは、だいたいお題が与えられている場合の回答のことであって、短歌だとそのお題の設定から自分で行えるため操作できることはかなり増える。

 冷蔵庫の音か夜明けの来る音か /星野高士『残響』

 これは俳句だが、あるあるの変形と見ることもできる。例④みたいに、冷蔵庫→夜明けの来る音みたい、という回答の変形を、二択の形に持って行っている。あるあるから発想を開始して、「あるある」という形式自体の変更を行えば、わりとあらゆるタイプの作品が作れるようになる。おすすめしたい。

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 川村さんの他の短歌も、あるある視点で捉えるとよくそんな回答を持ってこれたなと思うものが多々ある。〈この海でするチル飽きてきたような気もする 鳥をぜんぶ数える〉とか、〈和らげる作用の事を指しながら柔らかく言う議員の笑いじわ〉とか、〈大理石っぽいテクスチャーのタイル 消しカスみたいなグラインド跡〉とか。大理石っぽい~の歌に関しては、お題が隠されていて、回答だけがあり、お題を後から想像する型と考えれば読解がしやすい。
 もちろんあるあるだけでは分析できない、〈次に会う時には次の良さだけどこの楽しさも固定できたら〉の「固定」みたいな選択も素晴らしいと感じた。

 良い歌の多い歌集だったと思います。読んだ後、手のひらで「グー」しました。